Catnap Room of にゃんこ

心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつけてます♪

位置情報ゲームを考える

2016-07-24 15:34:09 | 雑記

2016年7月22日 (金)、世界を席巻していた日本生まれのキャラクターゲーム 「ポケモンGO」 が配信を開始いたしました。

 

「ゲーム」 という言葉に、さほど心が動かされることがない私ではあるが、これだけ世間の話題になっているモノには興味がある。

そもそも、知らないことは知りたい性分である。

そして、もうひとつ興味をソソラレタのは、それが 「位置情報ゲーム」 だからである。

 

位置情報ゲームといえば、このブログを長らく眺めている方々にはピンとくるかもしれません。

そう、2005年から配信され、2009年に自身の携帯にダウンロードし、それからおよそ7年も経っているのに、未だに色あせることなく、坦々と楽しみ続けている 「ケータイ国盗り合戦」 ですよ。

(ちなみにこちらは、現在600国中、248国統一済。 先は長い/笑)

これを楽しめる私なので、「ポケモンGO」 もとりあえず、どんなものなのか、やってみたかった (爆笑)

 

22日の昼頃に配信されたらしく、社内でもちょっとした話題になっていたので、月曜日のネタの為にも (おい)、その日の夜には、さっそくダウンロード (笑)


  


ダウンロードしたとたん、自分の家の前が 「ジム」 であったことにまず驚く。

どうせ自分の家の前になにかがあるなら、「ジム」 より 「ポケストップ」 の方がよかったんだが。

 

そんなわけで、23日の土曜日は、買い物を兼ねて近所をうろうろしてみたのだが、どうみても 「同類」 としか思えない学生集団が児童公園にたむろしていたり、片手にスマホを握ったそれっぽい人 (笑) が歩いている姿がやたらと目につく。

 

報道では、「崖に気付かずに転落」 「高速道路で停止して交通事故」 「地雷地帯や原発区域に侵入」 「不審者扱いされて銃撃」 等々が報道されていたが、そもそも 「ながらスマホ」 が危険であるのは、ポケモンであろうとなかろうとわかっているはずなのだが。

 

まずは1日やってみて、マイナーすぎる (笑) 近所の歴史スポットが勉強できたり、意外なところに小さい公園を発見できたりする楽しさが味わえたことに加え、予想以上に歩いて運動不足が解消できてしまったところが、今までのゲームにはなかった収獲ですね。

 

しかし、残念ながら私 「ポケモン」 自体に興味がなかったんだわ・・・・・一番の問題はここにあり (爆)

コメント (4)
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小田原攻め

2016-07-17 09:17:16 | 旅行

天守閣の大改修を終え、5月1日にリニューアルオープンした小田原城に攻め込んだのは、7月2日のことである。

小田原といえば、小田原城、そして干物・かまぼこ・小田原提灯。

が、それ以上に、今年に入って熱心に視聴を続けている大河ドラマ 「真田丸」 の影響もあるであろうことはやぶさかでない。

 

 






  奇しくも、6月19日の放送が小田原征伐の回であったのだが、

  血走った目で北条氏政を熱演した高嶋政伸さんにリスペクトし、

  まずは、小田原駅東口から数分のところにある、北条氏政、氏照のお墓にお参り。


時は11時半。 お堀端通りには、七夕飾りが風に揺れている。

もちろんまだ小田原城に到達していないのだが、実は最初からそのつもりで予定をたてていた 「サカナキュイジーヌ・リョウ」 へ開店と同時に入店し、ちょっと早めのランチタイム。

あいかわらず、花より団子、観光よりメシ、である。

 

 

 

小田原城は駅から徒歩で簡単にアプローチできるので、箱根とセットとか、熱海とセットとか、ついで感覚で過去に何回か訪れているわけだが、改めて考えると、ここを目的地にしたことがない。

今回は晴れて目的地に昇格 (笑)

 

 

 

外観はもちろん、展示の内容も一新された小田原城へ・・・・・いざ (笑)

 

 

馬出門、銅門を抜けるとそこは二の丸。

ここには、現在、小田原城歴史見聞館があります。

天守閣とセットになっている入場券を手に、まずはここで小田原城の歴史をお勉強 (笑)

北条早雲から5代、100年続いた北条氏の歴史が、展示やミニシアターで紹介されております。

1590年、豊臣秀吉の小田原攻め陣配置図などをみると、秀吉軍に海も陸もすべて封鎖され、身動き取れない北条軍はどうみても絶体絶命。

 

それにしてもあんなに 「わからん」 と捨て置いていた戦国時代後期の群雄割拠な状態が、興味を持って見ることのみで、こんなにも理解できるんだねぇ。

 









   歴史見聞館を後にして、常盤木門をくぐるといよいよ本丸。


目の前には、どーんと天守閣がそびえたっております。

やっぱりベストポジションはこのへんでしょうか。

 

  


城内は撮影禁止なので、唯一撮影OKな5階展望デッキより相模湾を眺めてみる。

ああ、この相模湾に九鬼水軍をはじめ、長曾我部元親、毛利輝元、加藤嘉明らが、海上封鎖してたのね。

 

 

そして極め付けが石垣山一夜城。

石垣山から撮影した小田原城の写真を借りてきて載っけてみたけど、ほんと丸見え。


  

 

まぁ全然関係ないんだけど、この石垣山一夜城の近くには、昨年亡くなった川島なお美さんのご主人・パティシエの鎧塚俊彦さんがシェフを務める、 「一夜城ヨロイヅカファーム」 がありますので、別の意味で行ってみたいような気もいたします (笑)

 

カ月以上の籠城戦を経て、北条方の支城はほとんど落城し、孤立した小田原城の北条氏政・氏直もとうとう降伏し、無血開城へ。

氏政は切腹したが、5代目・北条氏直は助命されて高野山へ落ち、養子・氏盛の子孫は江戸時代11,000石の大名となって明治維新まで続いている。

 

明治維新で廃城となった小田原城の天守閣は明治3年に解体され、現存する天守閣は、江戸時代の小田原城をもとに、昭和35年に復興された天守閣ではありますが、歴史ある100名城のひとつ 「小田原城」 、やはり一見の価値はありますよ!

コメント (4)
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