福島県の双葉町は、 2011 年の東日本大震災に伴って発生した、福島第一原子力発電所事故の影響で、その直後から全町避難を強いられ、以降 2022 年 8 月まで帰宅困難区域に設定されていた町である。
地震、津波に加えて、放射性物質の拡散という複合災害に見舞われた住民たちは、着の身着のままで避難し、その後 10 年以上も自宅に戻ることが出来なかったのだから、その状況は惨憺たるものだったと思います。
2020 年 3 月に常磐線が全線開通、制限はあるものの、住民以外の立ち入りも可能となり、 2020 年 9 月には、この特殊な災害を後世に伝える、 原子力災害伝承館 や 双葉町産業交流センター も開設された。
いつか機会があれば、この場所も訪問したいと思っていたその機会は、震災から 12 年後の 2023 年、奇しくも 3 月 11 日に訪れる。
双葉駅の周辺は、津波の被害には遭っていない。
しかしながら、住民の避難後、放置された家や店舗などは荒れ放題となってしまい、その後やむなく取り壊され、更地となっている場所が多い。
原子力災害伝承館へ直通するシャトルバスから見た窓外は今まで見てきた被災地の姿とは、また違う印象を受ける。
原子力災害伝承館で数々の展示や資料、生々しい映像等を見ながら、 12 年前にこの場所を突如襲った放射性物質からの避難状況、そして福島第一原子力発電所内で行われていた 「人類を守るための死闘」 の有様は他の地域では語られない分、全てのことが心に突きささる。
3 月 11 日。
この日は今後の復興拠点となるであろうこの場所でもメモリアルイベントが行われる。
日中のトークセッション、夕方からはピアノやフルートの生演奏、夜には追悼の花火やキャンドルナイトが行われる。
午後 2 時 46 分、この場所に居合わせた多くの人々と共に、穏やかな海に向かって黙祷。
地震、津波に加えて、放射性物質の拡散という複合災害に見舞われた住民たちは、着の身着のままで避難し、その後 10 年以上も自宅に戻ることが出来なかったのだから、その状況は惨憺たるものだったと思います。
2020 年 3 月に常磐線が全線開通、制限はあるものの、住民以外の立ち入りも可能となり、 2020 年 9 月には、この特殊な災害を後世に伝える、 原子力災害伝承館 や 双葉町産業交流センター も開設された。
いつか機会があれば、この場所も訪問したいと思っていたその機会は、震災から 12 年後の 2023 年、奇しくも 3 月 11 日に訪れる。
双葉駅の周辺は、津波の被害には遭っていない。
しかしながら、住民の避難後、放置された家や店舗などは荒れ放題となってしまい、その後やむなく取り壊され、更地となっている場所が多い。
原子力災害伝承館へ直通するシャトルバスから見た窓外は今まで見てきた被災地の姿とは、また違う印象を受ける。
原子力災害伝承館で数々の展示や資料、生々しい映像等を見ながら、 12 年前にこの場所を突如襲った放射性物質からの避難状況、そして福島第一原子力発電所内で行われていた 「人類を守るための死闘」 の有様は他の地域では語られない分、全てのことが心に突きささる。
3 月 11 日。
この日は今後の復興拠点となるであろうこの場所でもメモリアルイベントが行われる。
日中のトークセッション、夕方からはピアノやフルートの生演奏、夜には追悼の花火やキャンドルナイトが行われる。
午後 2 時 46 分、この場所に居合わせた多くの人々と共に、穏やかな海に向かって黙祷。