Catnap Room of にゃんこ

心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつけてます♪

宝の山・会津 ~その3~

2012-08-21 20:24:42 | 旅行

もしかしたら天気が悪いかも知れない・・・と危ぶんでいた2日目は、予想に反して快晴だった (笑)

もともと朝型人間なので、普段も早起きなのだが、旅行先ではますます早起きだ。

開いたばかりのホテルレストランでバイキングの朝食 (会津名物のこづゆもあったよ♪) を食べた後は、土方歳三が宿泊したとされる 【清水屋旅館跡】 経由、8時半から開くという 【飯盛山】 へ向かってGO!だ。

 

冒頭、中学生の時に会津へ来た・・・と書いたが、これは 「修学旅行」 で、である。

写真を見ながら思いだそうとしたが、写真以外に思い出すものは皆無であった。

・・・・というわけで、まったく新鮮な気持ちで (笑) 2度目の飯盛山へ。

飯盛山参道前に立つと、目の前にスロープコンベア (動く歩道ですな) が見える。

 

 

 

修学旅行で来たときにあったかどうかは不明だが、もちろん記憶にはないし、もとより修学旅行生が使えるわけもない。

しかし現在の私は決して若くはないので、この文明の利器に甘え、うまうまと200段の階段を横目に上っていくのであった。

 

新選組と白虎隊のかかわりを伝える話は多くありませんが、お互いに忠義を大切にした会津の若者と新選組副長。 

伝えられぬ逸話もあったのではないかと楽しい想像をしたりもします。

白虎隊については、知っている方も多いと思いますので詳細は省きますが、会津に殉じて死を選んだ白虎隊の悲劇を、決して美化してはいけません。

前途有望な若者の命が徒に失われたことを悲しみ、この悲劇を繰り返さないために、未来に生きる私達が出来ることをを考えていかなければならないはずなのですから。

 

 

 

自刃の場所に立つ銅像は、今でも鶴ヶ城を見つめています。

 

 

火に包まれた城下を臨みながら若い命を散らしていった少年たちの墓に・・・・合掌。

 

えー、ところで、今私はDVDで 「白虎隊」 を見ながら、この記事を書いております (笑)

(ちなみに、近藤正臣氏が土方歳三を演じている、1986年のものです)

白虎隊の墓参ののち、白虎隊記念館を見学したのですが、館内にはこのドラマのパネルが展示してあり、その中にしょこたん (中川翔子さん) のサイン入り色紙が飾ってありました。

『父・勝彦の写真を飾ってくださりありがとうございます』

そうだね、彼女のお父さんが、このドラマで沖田総司を演じた中川勝彦さんだったんだもんね。

・・・・と考えていたら、また見たくなっちゃって。

 

そのドラマの中で、京都守護職を拝命した松平容保公のもとに向かう藩士たちが、 【滝沢本陣】 を出発するシーンがあったのですが、それがここ。

 

 

 

ここは、参勤交代や領内巡視の際の殿様の休息所ですが、戊辰戦争では容保公が指揮をとり、白虎隊もここから出陣していきました。 うるる。

 

2日目午前中のラストは、若松城 (鶴ヶ城)

 

 

 

戊辰戦争では約1ヵ月の攻防戦に耐え、難攻不落の名城として知られました。 

平成23年3月に天守閣の屋根が、幕末当時と同じ赤瓦に葺き替えられた直後、あの東日本大震災に見舞われましたが、瓦はビクともしなかったそうですよ。 

あ、中学生のころに撮った鶴ヶ城の写真発見!

 

 ← なんだか上の写真と比べると、石垣が高かったような気がしませんか????

 

さてさて、朝っぱらから動き回っていたのでお腹もすいてきましたが、ここで会津若松とはお別れしまして、ばびゅーんと喜多方へ向かいます。

1時間弱で行けるんだから、「今日のお昼は喜多方ラーメン!」って、1か月前から決めているんですよ、実は。

 

喜多方到着11時半。 

人気のあるお店はどこも行列なのだが、炎天下だったのでなるべく列の短いところへ行きたいものでございます。

なので、 「坂内食堂」 の長すぎる行列を通り過ぎ、同行者が候補に挙げていたうちの一つ、 「あべ食堂」 へ。

 

 

 

ここも並んではいましたが、4~5組目で入れそうだったので、ここに突撃。

注文したチャーシューメンの肉をかき分けつつ、醤油味のスープを一口。 

 

 

麺はもちもちの太ちぢれ麺だ。

麺メニューは中華そばとチャーシューメンのみ (その他丼物あり) だが、すっごい美味しかったぁ♪

 

そしてこの旅行の last は・・・・母成峠。

白河、二本松を落としたのち、会津へ向かってきた西軍は会津側の裏をかいてこの母成峠を攻めてきた。

母成峠には、東軍に参加した彰義隊や、二本松から逃れてきた人たち、そして土方歳三率いる新選組ら総勢約800名。

一方の西軍は、板垣退助・伊地知正治・谷干城らが率いる約3,000名。

多勢に無勢、その上三方から攻めかかる優れた戦術に、東軍の陣地は次々と突破され、この戦いは半日で決着がついてしまいます。

西軍の戦死者は25名、東軍の戦死者は88名。

 

現在、母成グリーンラインが通る母成峠には、 「母成峠古戦場」 の石碑があります。

 

 

今はこんなに整備されて、誰でもここに来ることができるけれど、当時は鬱蒼とした山の中だったことでしょう。 

その中を、東軍兵士たちは必死に逃げ惑っていたのかもしれません。

 

爽やかに吹き抜ける風の中、150年前に生きた彼の人々のことを考えつつ、来年もオタクな旅に出たいとすでに思っている私でございました。

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宝の山・会津 ~その2~

2012-08-20 21:24:25 | 旅行

さあ、初日の午後は新選組ドップリですよ。

オタクな旅行記なので、ご注意を (爆)

 

大内宿を出発してから約1時間で 【如来堂】 に到着。

ここは神指 (こうざし) 城跡の南西にあり、新選組殉難地として知られている場所である。 

それにしてもこの場所、分かりづらいことおびただしい (爆笑)

 

 

 

やっとたどり着いた場所には新選組の提灯が風に揺れる小さな御堂と、如来堂の説明板、 「新選組殉難地」 の石碑があった。

母成峠の戦いの後、あくまでも会津藩のために戦うと決意した斎藤一ら新選組隊士たちがここに屯営していたのだが、西軍の急襲に遭って玉砕したと伝えられた場所だ。

中島登の手記にも全員戦死となっているのだが、実際には斎藤一ら数名が生き延びている。 

多くの白骨が出土した場所と言われているが、そんな血なまぐさい戦闘があったとは到底思えない、のどかな田園風景が回りには広がっていた。

 

斎藤一つながりと言ってはナンだが、次に訪れたのは、JR七日町 (なぬかまち) に近い、 【阿弥陀寺】 

ここには、鶴ヶ城本丸にあった御三階 (なにやら秘密の相談をするときに使われた建物だそうですね) が移築されております。

 

 

 

そして、斎藤一 (山口二郎、藤田五郎) の菩提寺としても有名ですね。 

斎藤一は当初、先の如来堂で戦死したと伝えられていました。 

これはその後の人生を 「別人」 として過ごすには、ある意味恰好のチャンスだったのかもしれません。

戦後は青森県下北半島 (斗南) へ移り、結婚もし、東京で警察官として勤務もしていた斎藤一。 

大正4年、東京で亡くなった彼は、会津で永遠の眠りにつくことを希望していたそうだ。 

 

 

東軍墓地の一角をさりげなく借りるようにして建つ藤田家の墓に合掌。

 

次はお墓つながりで (オイ) 、近藤勇のお墓がある 【天寧寺】 へ。

基礎知識では、近藤さんのお墓は、生い茂る草木をかき分けた山の中だというが・・・・・。

 

 

 

ところどころに案内の立札もあり、確かに山道ではあったが、道に迷うこともなく到着。

 

 

土方歳三が会津に来援したとき、松平容保公の命を受けて建立したと伝えられる近藤さんのお墓ですが、土方自身もこの頃は足に怪我を負っており、この地 (東山温泉) に4か月ほど逗留しております。 

近藤さんのお墓にも、自身の痛む足を引きずって山道を昇り降りしたことでしょう。 

近藤勇の墓の隣には、土方歳三の慰霊碑が寄り添うように建っている。 

 

 

 

今でも会津の城を、街を、二人で見守っているような気がしてなりませんでした。 合掌。

 

次は・・・松平容保公つながりで 【松平家霊廟】 へ行くのがスジでしょうが、あまりの天気の良さ、西日の強さに、天寧寺を上回る山道というウワサの容保公のお墓参りは、また次の機会にさせていただきました。 すみません (爆)

 

この後は 【会津武家屋敷】 を見学。

ここには、会津藩家老西郷頼母邸を中心に、重要文化財の旧中畑陣屋、数寄屋風茶室、藩米精米所などの歴史的建造物が軒を連ねています。 

 

 

 

敷地内には、浪士組が江戸から京へ上った際に同行し、清川八郎を暗殺したとされる佐々木只三郎のお墓がひっそりと建っておりました。 合掌。

 

 

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宝の山・会津 ~その1~

2012-08-19 17:19:46 | 旅行

来年、平成25年の大河ドラマ 「八重の桜」 は、会津が生んだハンサムウーマン・新島八重が主人公だそうだ。 

まぁ、それに触発されたワケではないのですが、この夏私は、まだ見ぬ新選組史跡の宝庫・会津を目指して旅立つことにした。 

新選組の華々しい時代を象徴する京都もいいけれど、新選組ファンを自認する私としては、落日の新選組が流した涙や血の色を知ることも必要であろうと・・・・・。

・・・・・・などと書いているが、実は中学生の頃、私は会津の地に行っている (キッパリ)

単にその頃は新選組にも幕末にも興味がなかったので、さっぱり記憶にないだけだ。

 

さて。

サラリーマンがとれる長期の休み、それは年末年始と夏季休暇のみだ。

どちらも予約が取りにくいうえ旅費も高く、道路も観光地も史跡も混んでいる・・・・という、三重苦の時期なのだが、ここでしか行けないので仕方がない。

当初は、列車利用で2泊3日を考えていたのだが、予定を組み立てるうちに、車利用なら1泊2日で行けると確信。 

幸か不幸かウチの会社の夏休み、今年は一般のお盆休みと若干ずれたことが、この予定を後押しする。 

 

新選組ファンとしては、今市から会津若松に続く 「会津西街道」 をたどるのが正当コースであることは重々承知の上だが、時間の関係から、今回は東北自動車道を白河で降り、福島県の西郷村から下郷町へ抜ける国道289号線の甲子峠越えを選ぶことにした。

実はこの道、ほんの数年前までは 「自動車通行不能の国道 (人しか通れぬ登山道に国道標識があったことで有名)」 であったのだが、2008年9月に甲子道路が開通したおかげで、南会津へのアクセスが非常によくなったわけだ。

 

白河ICから、国道289号線を経由、30分ほどで 「道の駅・しもごう」 に到着。 

 

 

 

間もなく、会津西街道 (国道121号線に沿う) に合流する。

ここまで来たら、新選組史跡とは若干離れるかもしれぬが (笑) 、当地の景勝地へもよらねばなるまい。

 

まずは、 【塔のへつり】

つり橋前の売店で、揚げたてアツアツのアスパラ天ぷらを (試食で/笑) 頂いてから、ゆらゆらゆれる素敵なつり橋をスキップして渡り (ウソ) 、100万年の歳月をかけて浸食・風化を繰り返してできた奇岩・怪岩を目の当たりにする。

 

 

 

 

 

「へつり」 って、 「壁を伝って移動する」 という意味の会津地方の言葉だそうですね。

私としては、断崖がコワイというよりも、その断崖をへっぴり腰で歩いている方々のほうがはるかにコワかったんだが。  ・・・・・今まで、落ちた人いないのかなぁ (ぼそ)

会津鉄道の 「塔のへつり」 駅もイイ味出していますね。 

 

 

 

ここは東北の駅百選に堂々入っている駅ですが、列車は1時間に1本ぐらいかしら。

 

次に向かうは、 【大内宿】

会津と日光・江戸を結ぶかつての会津西街道が通っていた地域なので、交通の要所として発達、宿場町として栄えたのがこの大内宿だ。

 

 

 

現在も、街道沿いに約40軒の茅葺屋根の民家が立ち並び、当時の街並みが大切に保存されている。 

そしてこの場所で有名なのは・・・・・高遠そば (ねぎそば) だ!

 

 

葱1本を箸代わりにいただくお蕎麦です。

葱でそばを手繰り寄せつつ、葱をかじる (笑)

コシが強い蕎麦と、しっかり冷やしただし汁。 鮮度がいい葱の辛みがシャキッと美味しい。

テーブルには割り箸も用意されているのだが、もちろん最後まで葱1本で食べ尽くしました (笑)

初日の行程は、すべてこのねぎそばを 「お昼」 にいただくことを前提に組み立てていたので、12時半にこの場所は、してやったりである。

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気分転換には折り紙を

2012-08-14 07:36:13 | 雑記

夏休み然り、年末年始然り。

長い休みが近づくと、時間と仕事の調整に追われて、だんだんワケがわからなくなってきます・・・・・・・・orz。

・・・・8月に入ってからは5~6件の仕事を同時進行で片付けていたのだが、こんな時は、特に間違いなきよう (夏休み中に自分のケータイに呼び出し電話などが入らぬよう/笑) 、各業務の時間調整に気を付けて・・・・

 

・・・というわけで、いよいよウチの会社も本日から6連休の夏季休暇にはいります。

運転免許の更新や、両親の墓参り、1泊2日のショートトリップ程度で、別に何か大きいイベントがあるわけではないのだが、緊張感なくだらだら過ごせる日々が1週間近く続くというのはうれしいことですね。

まぁ、休み明けに、どれだけ仕事が思い出せるかがある種の課題ではありますが。

 

********

 

さて。 

先日、そんな細かい調整をちまちまと組み立てていく緊張感の中、お弁当食べながら見ていたネットのトップページで、 【脚のはえた紙飛行機の折り方】 というゆるーい動画を見つけてしまいました (笑)

 

脚の生えた紙飛行機の折り方【how to make ORIGAMI】

 

うわー、きもいー (爆笑) 

折りたいー (おい)

 

仕事に対する集中力が低下してきた場合、まったくベクトルの違う仕事を入れると気分が変わりますよね?

が、この場合、100%仕事と関係ないので、昼休み中にやり遂げるしかありません。

そそくさとお弁当を食べ終わった後、その辺に転がっていた反古紙をひっぱりだして、おもむろに、しかも真剣にオリオリオリオリ。

 

『・・・・この説明動画、わかりずれーんだよっ!』 

などと、ぶつくさ言いながら、折ったり伸ばしたりしている私の後ろから、ギャラリー2名 (笑) の視線を感じつつも無心に折り続け、ようやく出来上がったのがこいつだ (笑)

 

 

うわー、キモカワw

 

ちなみに、バランスが悪いので、空は飛びませんでしたが、ギャラリー2名が、この足の生えた飛行機を、こぞって写メってくれました。 

なんだか、各自どっかのつぶやきサイトにアップしてくれた模様 (爆笑)

 

・・・・・・・夏休み直前、緊張感がありそうでなさそうな、事務所風景でした (笑)

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