もしかしたら天気が悪いかも知れない・・・と危ぶんでいた2日目は、予想に反して快晴だった (笑)
もともと朝型人間なので、普段も早起きなのだが、旅行先ではますます早起きだ。
開いたばかりのホテルレストランでバイキングの朝食 (会津名物のこづゆもあったよ♪) を食べた後は、土方歳三が宿泊したとされる 【清水屋旅館跡】 経由、8時半から開くという 【飯盛山】 へ向かってGO!だ。
冒頭、中学生の時に会津へ来た・・・と書いたが、これは 「修学旅行」 で、である。
写真を見ながら思いだそうとしたが、写真以外に思い出すものは皆無であった。
・・・・というわけで、まったく新鮮な気持ちで (笑) 2度目の飯盛山へ。
飯盛山参道前に立つと、目の前にスロープコンベア (動く歩道ですな) が見える。
修学旅行で来たときにあったかどうかは不明だが、もちろん記憶にはないし、もとより修学旅行生が使えるわけもない。
しかし現在の私は決して若くはないので、この文明の利器に甘え、うまうまと200段の階段を横目に上っていくのであった。
新選組と白虎隊のかかわりを伝える話は多くありませんが、お互いに忠義を大切にした会津の若者と新選組副長。
伝えられぬ逸話もあったのではないかと楽しい想像をしたりもします。
白虎隊については、知っている方も多いと思いますので詳細は省きますが、会津に殉じて死を選んだ白虎隊の悲劇を、決して美化してはいけません。
前途有望な若者の命が徒に失われたことを悲しみ、この悲劇を繰り返さないために、未来に生きる私達が出来ることをを考えていかなければならないはずなのですから。
自刃の場所に立つ銅像は、今でも鶴ヶ城を見つめています。
火に包まれた城下を臨みながら若い命を散らしていった少年たちの墓に・・・・合掌。
えー、ところで、今私はDVDで 「白虎隊」 を見ながら、この記事を書いております (笑)
(ちなみに、近藤正臣氏が土方歳三を演じている、1986年のものです)
白虎隊の墓参ののち、白虎隊記念館を見学したのですが、館内にはこのドラマのパネルが展示してあり、その中にしょこたん (中川翔子さん) のサイン入り色紙が飾ってありました。
『父・勝彦の写真を飾ってくださりありがとうございます』
そうだね、彼女のお父さんが、このドラマで沖田総司を演じた中川勝彦さんだったんだもんね。
・・・・と考えていたら、また見たくなっちゃって。
そのドラマの中で、京都守護職を拝命した松平容保公のもとに向かう藩士たちが、 【滝沢本陣】 を出発するシーンがあったのですが、それがここ。
ここは、参勤交代や領内巡視の際の殿様の休息所ですが、戊辰戦争では容保公が指揮をとり、白虎隊もここから出陣していきました。 うるる。
2日目午前中のラストは、若松城 (鶴ヶ城)
戊辰戦争では約1ヵ月の攻防戦に耐え、難攻不落の名城として知られました。
平成23年3月に天守閣の屋根が、幕末当時と同じ赤瓦に葺き替えられた直後、あの東日本大震災に見舞われましたが、瓦はビクともしなかったそうですよ。
あ、中学生のころに撮った鶴ヶ城の写真発見!
← なんだか上の写真と比べると、石垣が高かったような気がしませんか????
さてさて、朝っぱらから動き回っていたのでお腹もすいてきましたが、ここで会津若松とはお別れしまして、ばびゅーんと喜多方へ向かいます。
1時間弱で行けるんだから、「今日のお昼は喜多方ラーメン!」って、1か月前から決めているんですよ、実は。
喜多方到着11時半。
人気のあるお店はどこも行列なのだが、炎天下だったのでなるべく列の短いところへ行きたいものでございます。
なので、 「坂内食堂」 の長すぎる行列を通り過ぎ、同行者が候補に挙げていたうちの一つ、 「あべ食堂」 へ。
ここも並んではいましたが、4~5組目で入れそうだったので、ここに突撃。
注文したチャーシューメンの肉をかき分けつつ、醤油味のスープを一口。
麺はもちもちの太ちぢれ麺だ。
麺メニューは中華そばとチャーシューメンのみ (その他丼物あり) だが、すっごい美味しかったぁ♪
そしてこの旅行の last は・・・・母成峠。
白河、二本松を落としたのち、会津へ向かってきた西軍は会津側の裏をかいてこの母成峠を攻めてきた。
母成峠には、東軍に参加した彰義隊や、二本松から逃れてきた人たち、そして土方歳三率いる新選組ら総勢約800名。
一方の西軍は、板垣退助・伊地知正治・谷干城らが率いる約3,000名。
多勢に無勢、その上三方から攻めかかる優れた戦術に、東軍の陣地は次々と突破され、この戦いは半日で決着がついてしまいます。
西軍の戦死者は25名、東軍の戦死者は88名。
現在、母成グリーンラインが通る母成峠には、 「母成峠古戦場」 の石碑があります。
今はこんなに整備されて、誰でもここに来ることができるけれど、当時は鬱蒼とした山の中だったことでしょう。
その中を、東軍兵士たちは必死に逃げ惑っていたのかもしれません。
爽やかに吹き抜ける風の中、150年前に生きた彼の人々のことを考えつつ、来年もオタクな旅に出たいとすでに思っている私でございました。