Catnap Room of にゃんこ

心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつけてます♪

碓氷峠を歩こう

2024-08-25 07:17:13 | 旅行
吾妻はやとし大和武
嘆き給いし碓井山
穿つ隧道 (トンネル) 二十六
夢にもこゆる汽車の道 (長野県歌 「信濃の国」 より)

1997 年 10 月に開業された北陸新幹線 (当時は「長野行新幹線」) は、長野、金沢を通って現在は敦賀まで延伸されている。

この blog でも何度か紹介しているが、越後出身の母と、信濃出身の父をもつ私は、それぞれの実家へ行くために、必ずといっていいほど、この北陸新幹線の前身ともいうべき 「信越本線」 を利用していたのだ。

 

私が語る 「信越本線」 とは、上野を起点に高崎~横川~軽井沢~上田を経由して直江津まで特急 1 本でつながっていた路線のことなのだが、この新幹線の開業を機に状況は一変する。

碓氷峠を挟む、横川-軽井沢間の路線は廃止となり、直江津に至るまでの路線も JR から一部が分断され、第三セクターの 「しなの鉄道」 「えちごトキめき鉄道」 への乗り継ぎが必須となった。
私の生まれ故郷である 「直江津」 まで、特急 1 本で行けた時代は、遠い過去のものとなる。

ところで、私が 「遠い過去」 と言っている信越本線は、電化された 1963 年 (昭和 38 年) から、新幹線が開通する 1997 年  (平成 9 年) までの話なのだが、実はこの路線の歴史は、それより遥か昔の 1893 年 (明治 26 年) までさかのぼる。
新橋-横浜間に、初めて鉄道が通ってからさほど時を経ずして、この急こう配の難所に鉄道敷設が計画されるほど、この信濃と越後をむすぶ鉄道路線は重要な道であったのだろう。

当初採用されていたアプト式 ( 2 本のレールの真ん中に敷設されたラックレールを、車両に設置された歯車を噛ませて急こう配を上り下りする) も、徐々に電化の道をたどり、この 「旧線」 のやや北に位置する場所に迂回路として 「新線」 が敷設されたのち、この勾配が 66.7 パーミルもあった 「旧線」 は 「新線」 にその道を譲り、しずかに廃線となっていったのである。
・・・・・・まぁ今となっては、新幹線にその道を譲った 「新線」 も廃線となっているのだが (笑)

さて。
2024 年の 「山の日」 に、この 「廃線」 跡を歩いてきましてね。
もう 「山の日」 イベントにはうってつけ。
そして、うすうすお気づきかとは思いますが、先月使用した 「青春 18 きっぷ」 を再度活用し、横川へ向かって各駅停車で GO! です。



この横川から約 5 キロ離れた 「碓井第三橋梁」 が本日の目的地・・・・・なのですが、 「アプトの道」 として整備はされているものの名だたる急こう配の碓氷峠へ向かう往路は、なるべく歩きたくないのが本音。



旧道を通る JR バスや、その他の方法を探っていく中で、横川駅前にある 「碓氷峠鉄道文化むら」 から 3 キロの地点までトロッコ列車が運転していることを知り、これに乗ることにする。

 

途中駅 「とうげのゆ」 から 2 キロの廃線跡は歩くしかないが、整備されている 「アプトの道」 はそこそこ歩きやすく、トンネルの中は程よく涼しくてありがたい (笑)

 

5 個目のトンネルを抜けると目的地 「碓井第三橋梁」 (通称・めがね橋)

 

遊歩道を下りて、下から眺めるめがね橋に圧倒される。

      

200 万個を超えるレンガで造られた日本最大の 4 連アーチ式鉄道橋。

もしかしたら、私は幼い頃、列車に乗ってこの橋を渡っているのかもしれないが、この橋は下から見上げることに意義があるわね。

帰りはアプトの道 (約 5 キロ) を歩いて横川へ戻ります。

  

復路は下りだから、少しは楽 (笑)

碓氷峠を行き来する列車に電力を供給した、旧丸山変電所は国の重要文化財。

 

たくさん歩いたご褒美は、もちろん 「峠の釜めし」
横川駅構内や駅前、ちょっと離れた国道沿いのドライブインでは、現在も全国的な人気を誇る 「おぎのや」 の 「峠の釜めし」 が健在である。

 

幼いころから、もう何十回も食べている変わらない味。
やっぱり美味しい!
そして・・・・・懐かしい。
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新しいお札

2024-08-14 11:44:08 | 雑記
2024 年 7 月 3 日から発行になった 「20 年ぶりの新紙幣」 ですが、 1 ヶ月以上すぎてもお目にかかっていない。
まぁそのうち手に入るだろうと思ってはいるのだが、ここ最近は、現金のやりとりがめっきり減っている。
パソコンで管理している 「家計簿」 を眺めてみたら、 5 月 31 日に現金 5 万円を銀行から引き出しているのが最後で、その後丸 2 ヶ月は、その 5 万円で過ごしていることになる。

長い間、買い物は 「現金」 が主で、カードで支払う買い物は、高額商品にほぼ限られていた。
しかしながら、ここ最近はスーパーやコンビニなど、日々の買い物も、カードと連携した QR 決済に移行してきている。

スマホ決済に慣れてきたということもあるのだが、その反面、全てのことにおいて 「新しいやり方」 というものが急速に広まり、それについていきたいという気持ちもある。
知らないコトを知らないまま行うということはコワイことなので、まずは習う、そして慣れる。

先月、財布から現金を出したのは、 17,000 円のみだったのだが、その内訳は、ガソリン代、毎月通っているクリニックの診療代、 QR 決済が使えないスーパー。
なるほど、これでは新紙幣が、手に入るチャンスは少ないわね。

数日前、日帰り旅行の下調べをしていたら、旅行先で使うかもしれない交通機関が現金決済のみだということが分かったのだが、その時の財布の中身は、 1 万円札 1 枚、 5 千円札 1 枚、小銭が 150 円ぐらい (笑)
ご丁寧に、おつりがでるのは 1,000 円札のみという記載まであるのだから、せめて 1,000 円札は持っていないとまずいわね・・・・と思った私、旅行当日に駅前のコンビニで飲み物を買うことにした。

いつもはスマホを出して、チャチャっと QR 決済してしまうのだが、久しぶりに、バッグの奥から財布を取り出し、 5,000 円札を崩すことにする。
セルフレジで商品のバーコードを読み取り、近くに店員もおらぬまま決済完了したところ、戻ってきた 1,000 円札 4 枚の中に、北里柴三郎さん発見!
初めましての北里さんでした!

さて、渋沢さんと、津田さんにお会いするのはいつになりますかね。

  ← 常盤橋公園に建つ渋沢栄一像
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18 きっぷで飯田線 その 2

2024-08-03 07:34:40 | 旅行
翌日、駒ヶ根駅に近いホテルで目を覚ましたのは、まだ夜も明けきらぬ 4 時半頃である。
前日に購入しておいたロールパンとコーヒーを朝食として、 5 時半にはホテルを出発する。
 
 
出発を急ぐ理由は、 1 時間に 1 本しか列車がない飯田線を豊橋まで完乗しつつも、沿線の天竜峡で途中下車したいからに他ならない。
 
駒ヶ根駅から約 2 時間で、天竜峡駅に到着。
 
 
 
駅前の観光案内所でお散歩マップを頂き、天龍川渓谷の遊歩道を歩いていきます!
 
 
 
実はこの遊歩道も、一部土砂崩れで通行止めになっているため、本来できるはずの回遊ができなかったのですが、眼下に天龍川渓谷を臨みつつ、大好きな吊り橋 (つつじ橋) を往復してきましたー。
 
 
 
 
 
天竜ライン下りもこの場所から乗船できるのだが、今回は列車の時間が合わずに諦める。
 
 
駒ヶ根にしても、天龍峡にしても、現在はほとんどの観光客が車の利用だそうで、ローカル線愛好者には、なかなかハードルが高い場所ではある・・・。
 
ここから先は、飯田線名物の (?) 秘境駅と、眼下に流れる天龍川を車窓から堪能しつつ、乗り継ぎ駅の中部天竜駅まで、ひたすら電車に乗り続けていきますよ!
 
 
中部天竜駅で 1 時間弱の待ち合わせ時間を利用し、駅の近くを散策。
天龍川にかかる赤い橋が木々の緑と青空に映えて綺麗! 
 
 
 
年に数回、この飯田線を走る 「飯田線秘境駅号」 なる、テツしか乗らぬであろう特別列車 (急行) が運転される。
飯田線に乗る前は、路線全部が 「秘境」 のようなイメージを抱いていたのだが、実はそんなことはなく、いわゆる秘境路線は、天龍峡から水窪までの 1 時間ぐらいの間だけだ。
秘境駅号以外の列車は各駅の停車時間も短いので、列車から降りることも叶わないが、車窓から見ているだけでも、その雰囲気は十分伝わってくる。
ホント、小さいホームと眼下に流れる天龍川・・・・・のみです (笑)
しかしながら、おそらく最初で最後の飯田線、一度は完乗してみたいと思っていた飯田線、十分に堪能させていただいて感謝感激でございます。 (テツ丸出し)
 
さてここからは、本格的に家路をたどるわけですが・・・・実はこの時の私、ちょっとした覚悟を持って、豊橋駅へ向かっておりました・・・。
その理由は、この日の未明、東海道新幹線の保守用車両 2 台が衝突・脱線、浜松-名古屋間で終日新幹線の運転が中止されていることに起因するわけです・・・・。
新幹線が不通なら、人が在来線に流れるであろうことは、容易に想像がつきますよね。
もともと私が乗るのは在来線なのだが、新幹線から流れてくる乗客たちもおそらく相当数いることだろう。
到着する豊橋駅はどんなことになっているのか、それ以上に、在来線はちゃんと動いているのか・・・・いろいろ不安は尽きない。
 
到着した豊橋駅では、確かにキャスターバッグをひっぱった家族連れが右往左往してはいたのだが、JR の職員さんたちが、一生懸命そして適格に誘導してくれたおかげで、私自身はさほど苦労することなく浜松行きの臨時列車に乗車でき (しかも奇跡的に座れる・・・・)、 浜松駅からは新幹線に勝るとも劣らない、特急並みの座り心地のいい前向き座席の車両で熱海へ向かい、当初の予定より 30 分ほど遅れたものの、無事に帰宅することができました。
 
やっぱり旅行って楽しい!
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18 きっぷで飯田線 その 1

2024-08-02 05:14:28 | 旅行
今は亡き両親も、私同様の旅行好きであったので、そんな旅行写真が、アルバムだったり、ネガフィルムだったりで、大量に残っている。
両親の人生の軌跡のようなこの写真やネガフィルムを、そのまま処分するに忍びず、時間をかけて ちょっとずつデジタル化 してきたのだが、先日この作業がようやく終わりましてね。 (ちなみに私個人のネガは手つかず/笑)
 
最後に手掛けたネガは、両親がまだ 50 代半ばの 1981 年に、母の兄姉たちと行った 「恵那峡・駒ヶ根」 旅行の写真だったのだが、これをデジタル処理していて気が付いた・・・というか思い出したことがある。
 
恵那峡の写真は、風光明媚な渓谷の風景や兄姉たちとのにこやかな集合写真などが、ごく普通に写されていたのだが、駒ヶ根に場所を移したあとは、駒ヶ根駅周辺と、中央アルプスの千畳敷に上る前の 「しらび平」 周辺の写真しかなく、そのあとは、なぜかいきなり 「宴会写真」 になっていたのだ。
 
いちばん撮っておくべき中央アルプスの美しく、壮大な写真がすっぽり抜けているのは何故だろう・・・・と考えていて、ふと思い出したのが、 「山の上に上るのに大きな荷物は邪魔だから、しらび平駅のコインロッカーに荷物と一緒にカメラを入れて、ロープウェイに乗っちゃったんだよ」 と言っていた父の言葉 (爆笑)
・・・・・・・そんなことを思い出していたら、急に行きたくなっちゃいましてね、駒ヶ根。
 
この場所に行こうと決めて、現地の情報を調べていると、しらび平に至る唯一の県道が、土砂崩れによる通行止めで、ロープウェイ共々運休になっていることが判明したりしたため、天気予報とバス・ロープウェイの再開状況と宿の手配を三つ巴で見据えながら日程を決めていく。
アシは、私の旅行でそろそろ定番になりつつある 「青春 18 きっぷ」 でございます。
 
当日は自宅最寄りの JR 駅を 5 時台に出発し、 3 回乗り換えて中央本線の岡谷まで向かい、 4 回目の乗り換えで、待望の飯田線に乗り継ぎ、駒ヶ根駅へ到着。
多少のマイナーチェンジはあるものの、駒ヶ根駅は、父が撮った 1981 年の写真に残る駅舎と変わらぬ姿をとどめていた。
 
 
駒ヶ根駅発の路線バスと、しらび平からのロープウェイチケットはネットで手配済なので、チケット売り場に並ぶ必要もなく、スマホの画面を係員に提示するだけで乗車ができる。
最近の旅行は、このパターンが増えてきているのだが、それはそれで便利なような不安なような (笑)
それに引き換え、青春 18 きっぷのアナログ加減がなんともいい対比ではある。
 
しらび平に向かう道路は、バスが 1 台ようやく通れる程度の山道でスリル満点。
この道路を通行できるのは許可された車両のみで、一般の車両は通れない。
運転手さんは他車と無線で現在地のやりとりをしつつ、すれ違いの場所を確認しながら、約 45 分でしらび平ロープウェイ駅 (只今工事中) に到着する。
ああ、父はここでコインロッカーにカメラを入れてロープウェイに乗っちゃったのね (笑)
 
 
 
標高 1662 メートルのしらび平駅から、標高 2612 メートルの千畳敷駅へ、 7 分間のロープウェイで 950 メートルを一気に上がるのだが、気温は 33 ℃ から一気に下がって 17 ℃ である。
 
 
 
ロープウェイ駅から外に出ると、目の前に広がる広大なる千畳敷カール。
下界のもやもや~っとした空気とは打って変わった冷たい空気に、思わず用意してきたウィンドブレーカーを着用。
 
 
 
ここから 2 時間ほどの登山で、中央アルプスの主峰 「木曽駒ケ岳」 の山頂まで行けちゃいますが、もちろん 3000 メートル級の山なので、きちんとした登山装備をしていない私はここまで。
 
 
    
 
いやいや、ここまでで十分ですよ、この景色! 
初めて訪れた標高 2600 メートルの世界は感動でしかない!
両親はこの景色を見ていながら、写真に残せず、子供である私たちにその感動の半分も伝えられなかったんだろうなー (ぷぷ)
コメント (2)
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