Catnap Room of にゃんこ

心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつけてます♪

真田&上杉紀行 その3

2016-08-18 02:20:01 | 旅行

上越へ向かう前に、ちょっと寄り道して、「戸隠」 を攻略していきたいと思います (笑)

 

長野から戸隠へ抜けるには、「戸隠バードライン」 が便利だったはずなのですが、昭和60年に起こった地附山の地滑りで一部が廃道になったまま。

そのため、現在の最短ルートは、通称・七曲り (連続するヘアピンカーブに加え、16%の急こう配) を通るルートになるのですが、実は、ナビに導かれるままに進んだため、そんなこととはつゆ知らず。


  ← 画像はお借りしてまいりました。


ナビにヘビのような道路地図が表示され、「七曲り」 の看板を目の前にしたときは、少々ビビりましたが、帰宅後に調べたら、実は心霊スポットでもあったらしい (怖) 

まぁ、知らなくてOKだったかもしれん (笑)

 

どきどきしながら七曲りを通過した後は、戸隠バードラインの快適なドライビングロードになるのですが、戸隠神社周辺は渋滞中。

本当は、パワースポットである戸隠神社へも寄りたかったんだけど。

神話でも有名ですよね? 

天の岩屋に天照大神が隠れないように、岩戸を放り投げたら、着地地点が戸隠だった、って話。(大雑把すぎ)

かように人気がある場所は、駐車場へ入るにも長蛇の列だったので、今回は残念ながら素通りしました。 

だけど 「戸隠」 は攻略したよ (笑)

 

15時過ぎに信濃町ICから上信越自動車道に乗り、30分足らずで上越高田IC到着。

宿に行くにはまだ早いので、そのまま春日山城跡へ向かいます。

週間後の8/20から 「第91回謙信公祭」 を控えた街道は、幟旗がいっぱい。


  

 

今年7月の大雨で、春日山城跡の一部が崩落してしまいました。

現在、春日山神社から千貫門・直江屋敷を経由して本丸へ上ることはできますが、二の丸・三の丸は今も立ち入り禁止です。


 


それでも、天守跡まで上って、頚城平野を謙信公気分で眺めたいとも思ったのですが、この時、新潟県内に 「雷注意報」 が出ていたので、謙信公像からの山登りは安全のためにやめ (笑)、コシヒカリアイスを食べてから、この日の宿に撤収いたしました。


 

 

最終日の15日 (月) は、中央自動車道経由で帰りたいと思います。

目的は、安曇野、松本、塩尻・木曽、諏訪の国盗り攻略。(馬鹿)


上越ICから自宅最寄りのICまで、あちこちのSA、PAで休憩をとりつつも、一度も高速を降りることなく帰ってきましたとさ (笑)


 

昨年の青春18きっぷと大差ないー (爆笑)

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真田&上杉紀行 その2

2016-08-17 21:45:04 | 旅行

14日 (日)、ホテルの大浴場でひとっ風呂浴びてから、朝食バイキング。

優雅な朝を過ごしちゃったので、出発も遅れ気味だが、世の中的にはまだ早い部類の8時頃、本日最初の目的地 「善光寺」 に到着。


 

 

仁王門から仲見世を経て、山門へ。

急な階段を上がって山門の上から仲見世方面を望む。


 


「信濃の国」 で歌われる 「四方に聳ゆる山々」 を実感できる絶景が広がる様は壮観でさえある。

 

この後は、信濃川を渡って 「飯山」 攻略後 (笑)、絶対行きたかった 「八幡原史跡公園」 へと向かう。 

ピンとこない方に解説するならば、ここは 「川中島古戦場跡」 でございます。

 

長野県を運転していると、あちこちで信濃川と犀川を渡るんですが、その度に 「信濃の国」 のフレーズが頭の中で再生される自分に苦笑する。

「北に犀川、千曲川  南に木曽川、天竜川」

まぁ、木曽川と天竜川はお目にかからなかったけど、それだけ長野県が広いってことでもありますよね。

 

さて、5度にわたる武田信玄と上杉謙信の戦の中で、最も激しい戦の舞台となったのがここ、八幡原。

武田軍の本陣に攻め入った謙信の太刀を、信玄が軍配で受け止めたとされるエピソードが有名ですよね。


 


この戦いでは、武田の別動隊として、真田幸隆が出陣しているのだが、一説にはこの戦いで幸隆の三男・真田昌幸が初陣を飾ったともいわれている。

ちなみに、この 「信玄・謙信両雄一騎討ちの像」 は、昭和44年の大河ドラマ 「天と地と」 の放映を記念して建てられたものですが、やっぱりカッコいいっす。

 

ここまで来たならば次の目的地は当然 「海津城 (松代城)」


   


八幡原の戦いの際に、武田信玄は本拠地である海津城から出撃しております。

一方で、この海津城は大阪の陣以降、上田藩から移封された真田信之が、松代藩主として所領を得、その後、松代城と名を変えて、明治の版籍奉還まで10代にわたって続いた居城でもあります。

 

松代城から徒歩で数分のところには、「真田邸」 もあります。


   


ここは真田藩9代藩主の真田幸教によって建てられた私邸ですが、土蔵から庭園まで残る御殿建築の広い御屋敷が、まるごと公開されております。

広い広い畳敷きの御屋敷は、古き良き時代を思い起こさせますなぁ。

ああ、田舎のばあちゃんちも、こんな畳ばっかりの家だったよなぁ・・・・・などと (笑)


   

 

昭和41年、当時の松代町に移譲されるまで使われていたこの 「真田邸」 は、同時に譲られた真田家の家宝が展示されている 「真田宝物館」 や、松代藩の藩校である 「文武学校」 とともに、見どころ満載でございました。

 

さて、お昼は小布施の栗で有名な 「竹風堂」 で、「山里定食」 を頂きます。


  


メインの栗ご飯や、むかごのクルミ和え等、信州の味がふんだんに使われており、素朴かつ美味しかった!

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真田&上杉紀行 その1

2016-08-17 21:13:38 | 旅行

旅には 「きっかけ」 が必要である。

今回の旅のきっかけは、「信濃の国 (長野県歌)」、肉付けは 「真田丸」 と 「国盗り」

・・・・・・・分かったような、分からんような (笑)

 

月の初め頃、長野に旅行していた友人から、「縄文おやき」 を頂いたんですが、そのパッケージの中に入っていたのが、「信濃の国」 の歌詞カード。

友人にお礼方々、「この歌詞カードが受けた」 とメールを送ったら、「長野の人はみんな知ってるらしいよ」 と返ってきたので、「・・・・・・長野県人50%の私も歌える」 と (笑)

私は、新潟と長野のハーフなのだが、実は父の口伝 (笑) でこの歌を歌える。

そんなことを考えていたら、無性に我が故郷ともいえる場所へ行きたくなった。

 

今年は 「真田 year」 でもあるので、真田紀行に上杉紀行も盛り込み、ついでに買ってから丸1年たつのに、まだ3,000キロに達していない車を思いっきり走らせたくて、車で出発することにした。

車で行くなら、近隣の国盗りも可能だ (邪悪)

 

・・・・・・・夏の旅、構想は整った。 

この邪すぎる旅の内容を人に説明するのは面倒なので、「信濃と越後を巡り、自分のルーツを探してくる」 と宣う。

・・・・・・ますますワケ分からん (笑)

 

今年は、夏休みのド真ん中に 「山の日」 が祝日として挿入されたため、会社側は、やむなくこの日を夏季休業の開始日にせざるを得なくなっている。

ウチの会社もこの日から休みではあるのだが、昨年の 「11日間」 には遠く及ばない。

それでも会社員がとれる長期休暇はこの時期 (と正月) しかないので、この時期に行くしかないのである。

あー、隠居したい。

 

夏休み前半は、洗濯や掃除等の普段できない (←いいわけ) 雑事や、亡き父母への墓参が主となる。 

墓前にて、「故郷行ってくるよ」 と報告するのだが、意味合いはちょっと違う (笑)

 

13日 (土) 早朝、出発。

出発してから1時間足らずで3,000キロ達成。

同時に関越の渋滞にはまり、上田到着予定時刻を1時間超過し、上田菅平ICを降りたのは正午過ぎだ。

 

毎度のことだが、車の旅では 「絶対行きたい場所」 と 「できたら行きたい場所」 を分け、時間の都合とその時の気分や体調によってフレキシブルに動かなければいけない。

絶対に行きたい上田城 (今回は、上田城というよりも大河ドラマ館) へ向かっていると、「池波正太郎真田太平記館」 の案内プレートが目に入ったので、まずはここから。

ここは、「できたら行きたい場所」 だったのだが、通り道なので問題なし!


 

YouTube で、ドラマ 「真田太平記」 を視聴していたので、非常に興味深い資料が多い。

小説も読んでみたいとの思いを強くしてしまったので、ネットで中古本を大人買いしようかな。

 

真田太平記館から上田城跡までは10分足らずで到着。

上田城には昨年の夏、軽井沢研修のついでにきているので、その時に見逃したお濠とか、旧電車道とか、工事中だった真田神社とか、取りこぼした場所を中心に見学。


 


 


それにしても、雨だった昨年とは大違いで、今回は快晴。

水分、補給しなくちゃ・・・とアクエリアスを持参する。


 

大河ドラマ館は、「真田丸」 の世界を、史実を織り交ぜて紹介しているのだが、現在ドラマはちょうど半分を終えたところ。

上田の 「春編」、大阪の 「夏編」 を過ぎ、これからの進行も気になるところだ。

犬伏の別れ、関ヶ原の戦いを経て、久度山蟄居、大阪の陣とつづく流れもわかりやすく説明されているが、ドラマの世界ではさて、どうなっていくのか。 

それは史実とは別の世界として楽しみでもある。

 

砥石米山城跡をはじめとした、真田三代発祥の地も 「できたら行きたい場所」 であったのだが、本日の泊まりである長野まで行くことを考えると、時間が中途半端だったので、今回はパスすることにし、ちんたらと北上しながら 「松代・篠ノ井」 「長野」 と国盗り攻略しつつ、本日の宿へ到着。

車を宿提携の駐車場へいれてから、夕食へと繰り出す。

 

「信州蕎麦の草笛」 で、海老天ざる蕎麦と、生ビールを所望。


 


お通しが 「野沢菜」 なのが、信州を感じるねぇ。

コメント (2)
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