なんでも内科診療日誌

とりあえず何でも診ている内科の診療記録

ふつうに肺炎でした

2016年10月11日 | Weblog

 34歳女性が昨日(祝日)の早朝に発熱で受診した。咳は若干ある。当直医が感冒薬・解熱薬を処方した。その日に日中に食欲がないと、再受診した。日直をしていたので診察したが、胸部聴診上は異常なかった。食欲不振と倦怠感を(小声で)訴えた。点滴をして、調子が悪い時は平日再受診としていた。

 午前中に外来をしていると、救急当番の外科医から昨日受診した女性が救急搬送されて、発熱の原因がわからないので、診てほしいと連絡がきた。消化器科の胃瘻造設を手伝ったり、施設入所の女性が発熱で受診したりしていたので、画面で胸部X線をざっとみたが、若干汚い気もするがはっきりしないと思った。咳・痰は出ているという。白血球数正常域で、CRPは2だった。尿路感染らしくもない。

 他のことをしながら、入院になるので胸腹部CTを撮っておくことにした。放射線科に画像を見に行くと、放射線技師さんに「肺炎ですね」とあっさり言われた。確かに左肺に小葉中心性に斑状影が散在していて、誰が見てもわかる陰影だった。右肺にもある。気管支壁が少し肥厚しているように見える。白血球数が正常域ということもあり、マイコプラズマ肺炎疑いだった(迅速試験は肺炎球菌もマイコプラズマも陰性)。

 ちゃんと落ち着いて胸部X線を見ると、ふつうに肺炎だった。入院治療で経過をみることにした。通院している精神科病院の処方が来週でなくなるので、早期退院を希望していた。お薬手帳を見せてもらうと、抗精神薬・抗うつ薬・精神安定薬・睡眠薬と、なかなかの処方だった。

 救急当番の外科医に、肺炎で入院の報告をすると、「肺炎!」と驚いていた。まあこちらも胸部CT経由での診断なので、胸部X線ではわかりにくいことにしておいた。症状は咳・痰・発熱で、胸部X線に陰影があるのでふつうに肺炎なのだった。

 

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「Dr.長尾の胸部X線ルネッサンス」

2016年10月10日 | Weblog

 今日は日直で病院に出ている。当直医(外科医)から早朝に救急搬入された右胸痛・呼吸苦?の82歳男性の申し送りを受けた。当院の腎臓内科外来(大学病院から出張)に、急速進行性糸球体腎炎で通院いていた。MPO-ANCA陽性で顕微鏡的多発血管炎なのだろう。プレドニン25mg/日で治療開始して、現在はプレドニン12.5mg/日に漸減していた。他院で心臓ペースメーカー植え込み術を受けて、心房細動があった。詳細はわからないが、たぶん徐脈頻脈症候群なのだろう。胸部X線でも葉間胸水と右胸水があって、心房細動・心不全かと思ったが、胸部CTを見ると、むしろ末梢側に目立つ線状影・浸潤影で肺うっ血ではなかった。BNPが100ちょっとだが、以前の検査で130だから増悪と言いにくい。肺炎の治療をメインにして、処方されていたARBに利尿薬少量も追加して経過をみることにした。

 

 救急車は78歳女性が一過性意識消失で搬入された。アルツハイマー型老年認知症で精神科病院に通院している。当院の循環器科から降圧薬が処方されていた。ショートステイ先の施設内で、血圧が70台になったそうで、救急隊到着時も90台だった。横臥して救急車で運ばれる時から意識が回復して、車内で動いて困ったそうだ。搬入時は血圧110だった。降圧薬のうち、ビソノテープをはがして経過をみることにした。一通り検査したが(胸部X線・心電図・血液検査・頭部CT)、普段と変わらなかった。家族の到着を待って、2時間ほど過ごして、帰宅とした。7月には尿路感染症で受診している。不穏に慣れている内科病棟だが、この方は相当にひどく、入院するとしたら抑制ぐるぐる巻きになってしまう。幸いにセフトリアキソン点滴静注とキノロン内服の外来治療で何とか治癒した。

 CareneTVで「Dr.長尾の胸部X線ルネッサンス」を見ていた。著書は「レジデントのための やさしイイ胸部画像教室」。やさしイイ三部作をそっくり購入している。確かにベストティーチャーだと思う。「胸部CTルネッサンス」もあるといいな。

 

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当院では対応しかねます

2016年10月09日 | Weblog

 消化器科医と事務がもめていた。消化器科外来に通院している65歳男性のことだった。アルコール性肝硬変による食道静脈瘤破裂で何度か消化器科に入院している。食道静脈瘤硬化療法・結紮術をその都度受けていた。その間禁酒はできず、消化器科医は良く助けてきたものだと感心する。入院した時は重症でぐったりしているが、ある程度回復すると問題を起こすが、すぐに退院するので大きな問題?にはならなかった。名前を聞くと職員から溜息がもれる方ではあった。

 今回は転落による足の骨折で整形外科に入院していた。治療は保存的に行われ、リハビリをしていた。病棟からいなくなってしまったり(敷地外へ行くのだろう)、何かと問題はあった。リハビリなので入院がこれまでの入院より長かった。骨折以外は元気でもあった。そのうちに看護師さんに対する暴言が続き、殴りかかろうとしたり、松葉杖を振り回して暴れた。家族に事情を説明して、いったん外泊として、結局そのまま退院となった。

 看護師さんたちがすっかり怖がってしまい、今後とても対応できないという。当院としてはもう診れないと患者さんに伝えることになった。なったが、消化器科外来の予約があった。誰が当院で対応しかねますと伝えるかという問題で、消化器科医と事務がもめていたのだった。結局事務方から患者さんにその旨を連絡することになった。後で訊くと、了解したそうだ。

 この方は、地域の基幹病院をはじめ、他の病院でも対応しかねますということになっていた。普段の病気を考えると、県内の半分の地域に及んでしまう。

 対応しかねますは、自主的に受診をお控え下さいなので、もう診ませんではない。診療拒否はできないので、当然受診したら診なければならない。その時は事務方・警備の職員が集まることになるらしい。

 警察に連絡するとたぶん来てくれるが、犯罪を犯さないと手出しできないので、基本的には何か起こるまで後ろで見ている。器物を壊したり殴ったりした時からの対応になる。前にいた病院で聞いた話だが、バットを持った患者さんがある先生を追いかけまわしたが、警察官はその後ろを追いかけるだけだったという(バットで殴るのを待つだけ)。

 大学病院の指導医が、他の医師にハサミを振り上げられたことがある。そういう問題に詳しそうな法医学教室に相談に行った。すると、背中を刺されるのがよいと言われたそうだ。前から刺されると、向かっていったので、それに対抗して行ったという解釈もできる。後ろからだと、逃げたところを追いかけて刺したことになり、明らかに刺した方が悪いと判定される。上から振りかぶって刺すと、感情的になっての行為で罪は軽くなり、水平に真直ぐに刺すと、冷静に計画的に刺したことになって罪が重いという。そんなこと聞きたかったんじゃない、と怒っていた。要するに、何かされてからじゃないと犯罪になりませんということ。

 

 

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挨拶に来ました~肝門部胆管癌

2016年10月08日 | Weblog

 今週の火曜日に69歳男性が、内科外来に挨拶に来た。今年の4月末から5月の初旬まで入院していた患者さんだった。肝門部胆管癌で大学病院に紹介していた。早くに見つけてもらってと感謝されて、こちらに戻ることがあれば、またよろしくお願いしますと言って帰って行った。自覚症状がない時点での診断だが、根治可能ということにはならないのが、残念なところだ。(5月10日記載)

 内科医院を受診して、インフルエンザA型と診断された。処方を受けて帰宅したが、その後症状が増悪して、自宅敷地のビニールハウス内で倒れているのを家族に発見されて、救急搬入された。もともとCOPDがあった(自覚はしていないが、画像で明らか)。細菌性肺炎を併発していた。ラピアクタ点滴静注とセフトリアキソンで開始したが、酸素飽和度がなかなか上がらず、レボフロキサシンを併用したりして、やっと治った。

 たまたま写った画像で、肝門部胆管癌が疑われて、造影CTを追加した。胆道癌を示唆する腫瘍マーカーも上昇していた。すぐに大学病院消化器内科の予約をとって、当院退院後に受診してもらった。受診時には黄疸が進行して、そのまま入院になったと返事が来ていたが、その後は特に報告は来ていない。

 年齢的には全部お話するしかないので、大学病院紹介を勧めて、難しい部位の癌が疑われると説明していた。その時に、「引退後(農家の仕事)の楽しみを考えていたが、もうなくなるのか」と言っていたのが印象的だった。

 大学病院に入院して、胆道ステントを挿入して、化学療法になったそうだ。現在は大学病院の腫瘍内科に通院して、外来化学療法を受けている。担当の先生は良く効いていると言っているという(本人の話だが、実際そうなのだろう)。当院入院時よりやせてちいさくなっていた。今のところ日常生活に支障がないので治癒すると思っているのか、それともそのうちに悪化することを覚悟しているのか。

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B型C型ダブル肝炎~肝硬変・肝細胞癌

2016年10月07日 | Weblog

 消化器科に74歳男性が入院した。ウイルス性肝炎から肝硬変となり、肝細胞癌が発症している。できる治療は受けて、緩和ケアとなっていた。この方は2つの意味で、内科外来で有名な患者さんだった。

 まずB型肝炎とC型肝炎のダブル肝炎だということ。もうひとつはキャラクターの問題で、処方だけ出してもらえばよくて、血液検査も画像検査もいっさい拒否しているということだった。

 予約をとろうとはしないので、受診した日に外来にでている医師が担当することになる。複数の医師がかかわることになるが、患者さんは決してブレることなく検査拒否だった。初めて診る医師は検査を熱心に勧めるが、何度説明しても結局同じだった。抗ウイルス療法・核酸アナログなど治療が進歩しているが、適応できないでいた。

 しばらく受診が途絶えていたが、3か月前に大学病院の消化器内科から紹介されてきた。経緯は不明だが、大学病院で肝硬変・肝細胞癌の治療(TAE・放射線治療)を受けていた。採血だけでも拒否する人が、よく治療を受けたものだと思う。そのうちに治療が限界に達して、緩和ケアのみとなったところでの紹介だった。食欲不振・倦怠感で一時入院したが、ステロイド投与で軽快して、いったん外来治療に戻っていた。

 今日の入院が最後の入院になりそうだ。当院紹介時から病状悪化時はDNRの方針となっていた。案外気が小さくて死の恐怖に耐えられず、鎮静が必要になるかもしれない。

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大学病院からの紹介~IgG4関連疾患?

2016年10月06日 | Weblog

 昨日東京の大学病院リウマチ膠原病科からの紹介で、74歳女性が転院してきた。5月に外耳道の腫瘤で精査されて、IgG4関連疾患と診断されたそうだ。プレドニン投与で改善したが、漸減により再燃した。その診断で合わない点もいくつかあり、悪性腫瘍が疑われて、国立がんセンターにセカンドオピニオンを求めたという経緯だった。髄膜炎を併発して抗菌薬を投与されたりした。

 患者さんは独身で、東京では友人と暮らしていたそうだ。何かあるたびに当県の弟さんが呼ばれて、東京への往復を繰り返すのは大変だということで、結局弟さんのいる当県に来ることになった。県内の有数の病院を何か所か当ったらしいが、当面は入院治療継続という依頼のためもあり、受ける病院がなかった(弟さんから聞いた話で紹介状には当然その記載はない)。それで、弟さんの住所から一番近い当院に転院依頼が来た。紹介状をみると、何だか当院では手におえないと思われたので、弟さんにその旨を伝えると、自分もそう思うと言われた。病状が悪化した際には、DNRの方針となっていたこともあり、とにかく引き受けてもらえれば結果は問わないと言われた。

 介護タクシーを雇ってという話もあったが、小康状態となり、介助で少し歩行できるので新幹線で連れてくることができた。食事も嚥下調整食だが、自分で食べられた。このまま安定すれば退院できそうに見えた。といって、弟さん宅に引き取ることも難しいようで、施設に申し込まなければならない(介護認定は受けていた)。

 CTで確認すると、確かに右外耳道から頭蓋骨が楠部腫瘤によって壊れている。こんな部位のIgG4関連疾患もあるのか。プレドニンは10mg/日で継続することにした。この方は肺病変もあり、気管支拡張と両側肺野に粒状影が散布していて、びまん性汎細気管支炎の病名も付いていた。

 (後日記) 当院入院後は、特に問題なく、自由に病棟を歩いていた。入院した日から「東京に戻りたい、こっちに来る気はなかった」と言っていた。予想よりはるかに元気なので、こちらで施設入所させようとしていた弟さんも東京に戻ることに同意した。東京で同居していた友人とまた一緒に暮らすそうだ。結局約3週間の入院で東京に戻った。紹介元のJ医科大学病院に報告書を書いて持たせた。

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組織球性壊死性?縦隔リンパ節炎

2016年10月05日 | Weblog

 昨夜、神経内科に脳梗塞後遺症・症候性てんかんで通院している81歳女性が、一過性意識消失で救急搬入された。内科の当番だったので、当直医(外科)から連絡があった。家族が意識消失に気づいて、10分くらい経過をみたらしいが、意識が戻らないので救急要請した。けいれんはなかったそうだ。救急隊到着時は血圧が100前後だった。しだいに意識は回復して、搬入時には会話ができた。頭部CTでは以前と変わりなかった。心電図も異常なし。元々は右MCA領域の脳梗塞で、今日頭部MRIをみたが、新規の脳梗塞はなかった。ここ1か月は妄想的な発言が増えて、食欲が低下していたそうだ(ぽっちゃりとして体格はいい)。搬入時の血液検査では脱水傾向があったので、点滴を数日続けて経過をみることにした。けいれんだったのか、脱水傾向による血圧低下・脳循環脳不全だったのか。

 若い内科の先生(春に退職)から引き継いだ47歳女性が内科再来を受診した。6年前に高熱が続いて入院したのが最初だった(担当は2年前に退職された先生)。CTで縦隔リンパ節腫脹を指摘されて、大学病院呼吸器内科に紹介された。感染性?というになったらしいが、抗菌薬を投与しているうちに、1か月の経過で症状軽快して、炎症反応も陰性化していた。

 2年前にまた高熱が続き、若い内科の先生が主治医となって再入院した。組織球性壊死性リンパ節炎を疑って、プレドニン30mg/日を投与すると、速やかに症状は改善した。その後、プレドニンを漸減してきたが、四肢の筋痛を訴えた。申し送りに記載してあった、リウマチ性多発筋痛症が疑われてというのが疑問だが、プレドニンは中止しないで少量継続になっていた。引き継いだ時はプレドニン2mg/日になっていた。炎症反応(白血球数・CRP・血沈)は陰性だった。中止してみては、と勧めてみたが不安らしい。結局1mg/日にしてもらったが、やはり変わりがなった。筋痛があると訴えるが、把握痛はない。介護職なのでありうる症状だと思われた。もう少し1mg/日で経過をみて考えるというので、希望に合わせることにした。(最初の入院の縦隔リンパ節腫大)

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帯状疱疹

2016年10月03日 | Weblog

 先週の月曜日に、高血圧症・咳喘息で通院している66歳女性が右側腹部の疼痛で受診した。見ると、発疹(水泡かな?というくらいの丘疹)が2個出ていた。皮膚科外来のない日だったので、帯状疱疹としてバルトレックス(500mg)6錠分3とカロナールを3日分処方した。水曜日が内科の予約日だった。また見ると、右側腹部に典型的な帯状疱疹が出ていた。

 そのまま皮膚科紹介とした。ファムビル(250mg)6錠分3が処方された。その後、今週の月曜日には紅斑はピークを越えた記載されて、リリカが処方されていた。帯状疱疹後神経痛として残らないといいが。発疹の出始めに抗ウイルス薬を処方を開始しても、効かないものだと思った。皮膚科医に訊いてみると、「人によりますね」という返事だった。まあ免疫力の問題なのかもしれない。

 これまで、救急外来に発疹が出る前に受診すると、帯状疱疹が出たらすぐに受診して下さいと言って、鎮痛薬のみで帰していた。その後患者さんの同意を得て、発疹がまだ出ていなくても抗ウイルス薬を開始することもあった。受診時に発疹(水疱)が出ていたら、バルトレックスを数日分処方して皮膚科外来を受診してもらうことにしていた。

 数年前に、化学療法学会(東京ドームホテルで開催)出席中に左側胸部に痛みが断続的に出現した。翌日に発疹に気づいて、帯状疱疹とわかった。痛みは激痛ではなかったので、ずっと座っていて筋肉痛が出たのかと思っていた。新幹線で帰って、そのまま自分の病院を受診して、当直だった外科医にバルトレックスを処方してもらった。痛みはすぐに改善して、神経痛は残らなかった。

 昨日から左耳の穴(外耳道)に断続的な痛み(軽度)があり、側頭部~頭頂部にも感じた。帯状疱疹が気になったが、今のところ発疹は出ていない。「診断のゲシュタルトとデギュスタシオン2」に帯状疱疹の項があり(鈴木富雄先生)、皮疹が最後まで現れず、症状のみが出てくる「無疱疹性帯状疱疹zoster sine herpete」が記載されている。さて?

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地中海熱?

2016年10月03日 | Weblog

 昨日は日直で病院に出ていた。当直帯に入ってすぐに、当直の外科医(大学病院から出張)から連絡が来た。66歳男性の脳梗塞(ラクナ梗塞)の入院依頼だった。数か所のラクナ梗塞があり、昨年末には脳幹部の脳梗塞で、地域の基幹病院に入院して、その後当院のリハビリ病棟に入院していた。症状(右半身不全麻痺)は前日の朝からあったが、経過をみて症状が続くので受診したという。入院歴もあり、すぐ受診したらよさそうなものだが、どうも病識に乏しい方のようだ。入院で経過を見ましょうとい言ったら、えっ入院ですかと驚いていた。薬をもらって帰るつもりだったのだろうか。

 救急外来に35歳男性が高熱で受診していた。病歴として地中海熱と記載してあった。診察待ちだったが、救急搬入があって当直医が忙しそうだったのと、これは診ても困るだろうと思われたので、診察室に呼んで診ることにした。

 7年前に高熱と下血(血便)・腹痛で、他の病院から大学病院消化器内科に紹介されたそうだ。本人の話だけなので、詳細はよくわからないが、地中海熱ということになったそうだ。処方はイムランとプレドニンが処方されていた。コルヒチンはと訊くと、使用したが効かなかったそうだ。本当に地中海熱かどうかもはっきりしていないような話だった。リウマチ膠原病科の扱いになっていないのは、症状が腹部症状だったかららしい。

 今年の春両下肢の浮腫で内科医院から当院の血管外科に紹介されていた。血管の問題はなく、大学病院に診療情報提供書を出していた。治療を中断していたそうで、大学病院でまた治療が開始されてからは浮腫は軽快していた(大学病院から返事は来ていないので詳細不明)。

 さて高熱だが、胸痛・腹痛・関節痛はない。普段から痰が出るというが、それが増加しているそうだ。日中に大学病院に受診したい旨を伝えたが、断られたという(前は電話すると診てもらえたらしい)。胸部X線で右肺がもやっとして汚いような印象を受けたので、胸部CTで確認してみた。右肺に粒状影が散在しているように見えた。尿は異常なし。気道感染によるものと判断されたが、もとの病気があるので、自信はない。入院するほどではない(する気はない)というので、外来で抗菌薬の点滴静注を行って、内服薬を処方した。具合が悪ければ今日も来るように伝えたが、来なかった。

 大学病院の予約日は今月末なので、もし抗菌薬で改善しなければ大学病院の予約をとって早めに受診してもらうつもりだった。明日再受診した時に、病状をみて今後の判断をする予定だが、さてどうなるか。本人は(大学病院ではない)別の病院を受診しようと思っていると言っていたが、じゃあどこの病院で、と思ってしまう。県内にはドクターGのいる病院はない。

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アメリカのテレビドラマ

2016年10月02日 | Weblog

 アマゾンのプライム会員になっているので、多くのビデオが無料で見れる。シリーズ1から見てみている「Bones」のシリーズ8を見ていた。法人類学者(法医学者ではない)のテンペランス・ブレナン(通称ボーンズ)が主役のドラマだ。毎回ドラマの冒頭に腐乱した死体が出てくる。DVDボックスの廉価版でシリーズ6まで購入して、7をツタヤで借りて見ていた。しばらく見ていなかったが、プライムビデオにあったのでまた見始めた。

 バスケットの試合を見て、監督の指導論に感銘を受けたボーンズは、研修生たちを集めて(普段はボーンズの助手としてひとりずつ登場)、まだ身元がわからない死体(すでに骨と遺留品のみ)の身元特定の仕事をさせていた。ホームレスの男性は、アメリカ同時多発テロの時に亡くなったことが判明した。中東での戦闘に参加して、仲間を失った元兵士だった。アメリカに戻ってから戦闘のPTSDに悩み、家を出てホームレスになっていた。

 身体の(骨の)数か所に骨折があり、襲われて付いたものと思われたが、実際は違っていた。国防総省に何度も行って戦死した仲間の保障をするよう、訴えていた。その時にテロリストに乗っ取られた航空機が突っ込んできた。破片が肋骨に当って骨折した。その後、破壊された国防総省の瓦礫に埋もれた職員3人を助け出した。100Kgを越えるコンクリートの塊を持ちあえる行為で疲労骨折を何か所にも作り、さらには破片で骨折した肋骨骨折も悪化した。肺損傷から出血をきたして、数日後にそれが原因で死亡したのだった。

 研修生たちが、同時多発テロと自分の関係をそれぞれ語る。イスラム教徒の研修生、消防士の叔父を亡くした研修生、直接身内に被害者はいなかったものの精神的にダメージをうけた研修生。またボーンズの上司であるサローヤン博士は遺体の確認・100名以上の死亡診断の作業を行ったことを語る。ボーンズ自身も遺体の確認作業にかかわり、その時の感情を封印していたことを語る。(ドラマはフィクションなのでそういう設定にしたということだが)

 最後は、墓地に関係者と遺族(妻子)が集まる。FBI捜査官のブース(ボーンズのパートナー、元兵士でスナイパー)が、英雄として葬ることを語り、丁重に埋葬される。

 アメリカ側からの同時多発テロに対する見方ではあるが、ドラマの中ではイスラム教徒に対する差別、さらに黒人に対する差別の話も織り込まれ、複雑な社会問題を表現している。アメリカのドラマの質はすごいと思った。

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