那須太社 錦輔 の日記

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原田哲也さん Eastern Creek Australia 1993

2023-05-11 22:38:02 | スポーツ

youtubeで検索したら出てきて観てたら、やっぱり最後まで見てしまった。

Harada Snatches The Victory On The Line | 250cc R1 Eastern Creek Australia 1993

以前にもブログに書いたがホントにすごいレースだった。

自分はレースなどやった事が無くてあとづけの知識だが、このレース1993の初戦だったと思う。タイトルにもR1てつけてあるし。

当時東京に住んでいて、テレビ東京が日曜深夜に録画を放送していて、当時WGPにそんなに興味なかったと思うがなぜかそれを観ていた。

インターネット等もなかったと思うし、バイク雑誌で情報を得ていたのかもしれない。そこは憶えてないけど。

実況は千年屋アナ、解説は山田純さん。

 

最初はマックス・ビアッジとロリス・カピロッシがバトルして、それを原田哲也とジョン・コシンスキーが追いかける展開。

どうでもいいけど、ビアッジは最初のころはマッシミリアーノ・ビアッジと名乗っていたのだが、途中からマックスと言うようになった。

ビアッジとカピロッシのイタリア人はホンダエンジンでパワーがある。

カピロッシは時々パワーをかけすぎてウィリーしている。

原田のヤマハエンジンのマシンはホンダよりパワーに劣り、アメリカから参戦のコシンスキーのスズキエンジンはヤマハよりさらに劣る。

やがて4台が激しく競り合うバトルとなり、カピロッシがカーブから車体を切り返す時パワーをかけすぎてウィリーする。

その一瞬のスキをついて原田がトップに出る。

自分は何気なく観ていたのだが、解説の山田純さんが「カピロッシが切り返しの際にパワーをかけすぎてウィリーしたすきを原田が衝いたんですね」と解説してくれた。

先頭に出た原田だが、パワーに勝るカピロッシ、ビアッジも追いすがり、コシンスキーも負けじとくらいついてくる。

4台でバトルしてペースが落ちたのか後ろからホンダに乗るドリア―ノ・ロンボ二まで追いついてくる。

が、ややライディングが荒かったカピロッシがコントロールを失って転倒し、原田とコシンスキーの2台が前に出て、ビアッジ、ロンボ二はついていくことが出来なくなり遅れる。

そのあと、コシンスキーは天才的なライディングで原田を追い抜きトップに出る。

しかし、パワーに劣るスズキに乗るコシンスキーは原田を引き離すことはできない。

原田はコシンスキーの後ろにピタリとついていく。

コシンスキーは何度も後ろを振り返って原田がどこにいるのか確認する。

おそらく、原田は抜こうと思えばどこでも抜けたのではないかと思う。

けど、抜いてもコシンスキーが抜き返しに来るのが分かっていたのでどこで抜けばいいのかタイミングを計っていたのではないか。

だから、コシンスキーは「あれ、なんで原田は抜き返しに来ないんだろ?こけたんか?」と思って何度も振り返っていたのだと思う。

そして、二人は最終ラップ、最終コーナーまでコシンスキーが前、それを原田が追う体勢で走る。

最終コーナーを抜けてメインストレートに入ってもまだ先頭はコシンスキー。原田は追いつけない。

もはやコシンスキーの勝利が確定したとしか思えない場面。

しかし、チェッカーフラッグまで半分くらい来たところで原田がスリップストリームを抜け出してコシンスキーに並びかかる。

スリップストリームっていうのも実際どういう物かわからないけど、たいていストレートの後半で抜け出して前の車を抜きにかかるが、原田は最終コーナーを出てちょっと来たくらいで抜きにかかっているので、やはりエンジンパワーの優位性もあったのだと思う。

しかし、チェッカーのちょっと前で一気にコシンスキーを抜き去り勢い余ってやや幅寄せっぽくなりはしたが、原田が先頭でゴールラインを走り抜けたあの時の感動、また思い出した。

結局、原田選手はこの年何度も神がかり的な勝利をつかんでワールドチャンピオンになる。

youtubeの画像は粗いし、綺麗な画像のDVDとか売ってないかな。

WOWOWだったかでも放送やってたみたいだが、自分はもちろん実況は千年屋さん、解説は山田純さんで観たい。

 

このレースで先頭集団を形成していたメンバーは皆、ゼッケン番号が2桁。

原田選手は今も覚えている、テルカー・バレージの31番(追記:チーム名がバレージでテルカーはメインスポンサーで確か南アフリカの電話会社だったと思う)。

前年のチャンピオンは誰だったのだろう?ゼッケン1はこのレースで先頭には全く顔を出さなかった。

ロリス・レッジアーニかな?他の選手知らないけど。ルカ・カダローラはもう500CCにステップアップしてたと思うし。

活きの良い若手がベテランを凌駕して初戦から大暴れした年だったのかな。

WGPはヨーロッパの文化でイタリアやドイツの選手が多かったが、アメリカ人のコシンスキーもラッキーストライクの看板を背負って非力なスズキエンジンのマシンですごく頑張って印象的だった。チーム監督のケニー・ロバーツ氏とうまくいかなくて結局WGPでは大成しなかったようだが。

この年は125CCでも日本人選手が大暴れして、印象的なレースが多かった。

125CCのレースもダイジェストでテレビ東京が放送してくれたのでその雄姿を観る事ができた。

 

もう30年も昔のことになるんだ。

なんか懐かしい。

 

https://www.youtube.com/watch?v=B2wekTwHQT4

コメント
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