井沢元彦氏の「英傑の日本史」を読んでいる。
後白河上皇が庶民の歌を集めて編まれた「梁塵秘抄」に収められているという歌が引用されいたが、実に良い歌である。
遊びをせんとや生れけむ、
戯れせんとや生れけん、
遊ぶ子供の声きけば、
我が身さえこそ動(ゆる)がるれ。
日本国第一の大天狗と言われた老獪な政治家、後白河上皇がこんな優しい歌を選んでいたとは意外である。
武士階級が勃興する時代に、貴族階級・天皇家の権力を維持するために権謀術数の限りを尽くし、稀代の策士として悪名高い方ではあるけれども、マキャベリスティックなだけではなく懐が広い方だったのだろう。
また、後から思った事だが、平安時代の千年も昔の人たちも、現代の我々と同じような感性、無邪気に遊ぶ子供って可愛いなぁ、というような気持ちを持っていたのが、不思議な気がするし、それが分かる書物が残っている事が素晴らしいと思った。
あと、二位の尼が安徳天皇を抱いて入水する際のやり取りも、数えで8歳、満6歳の幼帝が健気過ぎて涙が出そうになる。
水の底にも都は御座候
波の下にこそ極楽浄土とて、めでたき都の候
お祖母ちゃんにこんな風に諭され、幼いながらも帝王学を教え込まれた少年が、従容として水をくぐらんとする光景を思い浮かべると目頭が熱くなってしまう。
この本は源平の争いについて、列伝スタイルで分かりやすく書いてあって気に入った。
八幡太郎や鎮西八郎、悪源太のあたりの時代もこのようなスタイルで書いておられるのなら、読んでみたい。
※悪源太の父、義朝の章があったので、恐らく悪源太や鎮西八郎について改めて別の本で記述されてることはないかと思われる。
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