那須太社 錦輔 の日記

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奥州藤原王朝の謎

2011-07-21 21:48:51 | 読書感想文
河出書房新社の文庫本で西荻窪の古本屋さんで購入。
以前から思っていたのだが、司馬遼太郎さんとか、歴史小説の大御所がこの頃を舞台とした作品を出されていないような気がして、中々面白い穴場ではないだろうか?
備忘録的に思いついたことを書き留めておく。

武家の棟梁といわれる、源義家(八幡太郎義家)、その弟の源義光(新羅三郎義光)らが奥州を鎮圧、既存の豪族が滅ぼされたあとで後の第3勢力となる奥州藤原氏が力を蓄えていく。

ちょっと下って、保元の乱では豪勇の源為朝(鎮西八郎為朝)が大暴れ、2年半後の平治の乱では、源義平(悪源太義平)が平清盛一族を相手に奮戦するも破れ刑死(武人は皆ニックネームみたいな別名があって格好良い)。

平清盛は天下の実権を握り、平氏は我が世の春を謳歌する。

しかし源頼朝が立つと平氏は敗北を重ねる。
富士川、倶利伽羅峠の2大合戦で破れたのは、平氏のビジュアル系若武者の筆頭たる平維盛。
彼の作戦ミスというより、部下の武将が言うことを聞かなかったみたいで、後の義経とよく似た構図に思える。
大敗を喫した美青年が慙愧の念にさいなまれる所など漫画的に絵になるところだ。

奥州に隠れていた義経も頼朝の下へ馳せ参じる。
ここで源義仲(旭将軍)が立って平氏を破り入京、源氏、平氏、奥州藤原氏と並ぶ第四勢力となる。
源氏も平氏もここで奥州18万騎を味方につけようと、奥州藤原氏に秋波を送る。

奥州藤原氏はここでどのようにも動けた。
1、平氏に合力して奥州から関東の頼朝勢を圧迫し動きを止める、あるいは攻撃する。
2、頼朝に合力して恭順、あるいは同盟を申し入れ西方鎮圧に参加する。
3、義仲に合力して頼朝を挟撃、上京した後平氏を討つ。
しかし奥州藤原氏は動かなかった。

その間、義経は平氏を西に追い詰め壇ノ浦でついに全滅させる。
敗北を覚悟した女房たちは幼帝を抱いて海に身を投げる。
なんたる無残、しかし何たる潔さ。
(追記)彼女らは、平氏の盛衰をジェットコースターのように体感していたのだろう。
清盛一代で天下を取り、しかし清盛没後は連戦連敗、都落ちしていくなかで、いつかこのような時が来る、という予感はあったのだろうか?
途中逃げ出す事などできなかったのだろうか?
逃げ出す事ができたとしても、滅びる平氏に殉ずることを選んだのだろうか?
天晴れな方々と思う。

そして天下を取った頼朝に攻められ、奥州18万騎の威力も見せぬまま敗北、総帥泰衡は命乞いをするが殺されて平泉は焼亡する。
(追記)平氏の女房たちの覚悟の深さに比べ、泰衡の心の弱さは好対照に見える。

八幡太郎義家の時代を描いた歴史小説、あるのかな?

なんか義家イコール国家権力、陸奥勢イコール自由なフリーダム衆、みたいな型にはまった小説は嫌だ。

あと、この時代年寄りの武将のエピソードがいくつかあって自分は混同していた。

1、松尾芭蕉とソラが歌った、兼房さん。
  この人は義経と一緒に戦死した人。
  卯の花に、兼房見ゆる、白髪かな

2、熊谷直実、この人は源平合戦のさなか、平氏の貴公子、平敦盛を組み伏せ、顔を見たところ自分の息子と変わらぬ齢格好の若  者であったことから躊躇するが、周囲に押し寄せる自陣の武者たちを見て、せめて自分がと敦盛の首を掻っ切る。
  その後出家する。

3、斉藤実盛、この人は身内同士の争いの中、幼い源義仲を助けた人。
  その後、平氏について義仲軍と戦う。
  白髪を墨で黒く染めて戦に出るが、ついに戦死、首を取られる。
  その首を水で洗うと白髪が現れ、見ていた義仲は幼き頃の大恩人の死骸を目の当たりにし号泣する。  
  無残やな、兜の下のキリギリス

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