あたふたしながらお年越しの晩御飯を終えました
末っ子だけは年末年始バイトがあるため、
もう帰ってくると思います
年越し蕎麦はゆでたてを食べさせたいと思い、
今鍋に湯を沸かし出しました
大人六人は賑やかです
風呂に入るのも順番、紅白見る椅子取りもあります
あーあ、いいなぁ、いい年越しだ!
ファと振り返ったら、
風呂上がりの次女がいた!
あははは!
いろいろあったけど、幸せです!
ありがとうございます
皆さま、よい年迎えられますように、
「読んでみてください」と送ってくれた本
北村薫は好きな作家のひとりだが、この本は知らなかった
本屋さんに行ってもたくさん棚に並んでいて目移りしちゃうんです
スルーしてしまうものがたくさんあるんだろうなあと感じている
新刊本は値が張るから、
古本屋で本を手に入れることが多くなっているのも一因だろう…
さてことの発端はこの北村薫の本なんだが、この本、難解だった…理由は私の力不足にある
いろいろな実在の本が出てくる
読んだはずの本も内容がうる覚えだったり、これには参りました!
読んだか読まないかわからないものや、はなから読んでないとわかるものもあり…
そのうえ北村薫の著書目録を振り返ると、好きな作家のひとりのはずなのに大分に読んでいないものがある
円紫さんシリーズも歯抜けで…とほほ そんな状況での理解はたかが知れている…すまんことです
この本は「私」が主人公だが、最後についているエッセーに書いてある通り
この「私」は「北村薫」本人だと思う
だから「北村薫」さんはこうやって本に向き合っているのかと
内容がわからずとも私にはそれが興味深かった…そして
一つ本を読むと、こうやってつながりを感じ取る人たちが少なからずいるという事実に驚いた
私はあまりそういうセンスがありそうにない
でもそのつながりが見えたときに引き寄せられる感じは想像できる、実に楽しそうだ!!
さて、本題です
疑問を投げられたのは、この本の37ページの終わりにある
思いがけないおやつをいただいた後、天城さんに、ピエール達のことを話した。
天城さんはフランス語の本がすらすら読める。英語でもそうはいかない私には、驚異の人
だ。昔、青山のテラスで紅茶を飲みながら原書を読んでいたら、フランス人にナンパされた
この「…フランス語の本がすらすら読める。…」を どう考えるか聞かれた
ふむ
私も当初「が」の使い方が耳に引っかかった
これは「を」ではないのか?
使い方としては断然「を」だと思います
でもだけれど、著者が気づいていないということはなさそうな気がする
意識的に使った可能性があるかも???
「この部分だけ読んでいてはちょっとわからない 」 と偉そうにコメントしたら、
早速に「どうぞ」と届いた
読んでどうだったかというと、ごめんなさい
どちらともいえないというのが正直なところです
一つは、この本がそういうことをテーマにしているものだから
改訂版によって記述がかわることや
横取りのような形でインスピレーションをわかせたこと
速読のせいで真反対の解説を書いてしまったこと…などなど
ちょっとした書き手の隙を見つけて、そこから次を導き出し
時代の流れを引っ張り出しているから、
わざと “こういう使い方” と意識して残しているかもしれないと感じたのです
そしてもう一つは、
この場面、この場所に、「私」「天城さん」 そして「もう一人」存在するように感じるのです
…それが、例えば、どこかでお茶を三人でしていて、
その「三人目」は読んでいる私がそこにはまるような塩梅で、
「三人目」はピエールのことはもう知っているけれど、「天城さん」のことは知らなくて、
だから「私」「天城さん」「三人目」が話題をすべて共有できるように
大急ぎで「私」が「三人目」に情報を伝えようとしているように感じたのです
するっと「私」が「三人目」である読者の私に向けて、こそこそと急いで「天城さん」のことを伝えるのです
実は “話し言葉” なんじゃないか?
“話し言葉” であれば、
==この天城さんて人はね、フランス語の本がすらすら読めるのよ==
て言いそうなんです
「を」の場合は、
==天城さんはね、フランス語の本をすらすら読むのよ==
と、これはこれでいいと思う
実際にはそういう描写ではない
でも「が」を使うと、まるでその場にいて実際に「私」から聞いているような感じがした
ただそれは私個人の感じでしかなく、文は読み手それぞれのものであってよいと思います
「を」のほうが文としては成り立っているとおもうし、
北村薫さんは、ここのところどう考えているのでしょうね…それがちょっと知りたい???
それにしても、この本は編集者泣かせの本だと思います
隅々まで意識をくばらなければならないもので、まるですべてがあやとりのようでした
私があれと思ったのは?
この《》のあとの「い」
ちょっとあれっと思ったが 『待つ』 を読んでいないので、何とも言えない
読まなくちゃなあ…
ところで、いろいろと勉強になったこの本で一番好きなところを最後に上げます
97ページ 中ほどの正ちゃんの言葉
「変なもんだね。若い頃だったら、まず《ちゃんと返せよ》っていったのに。――でも、こ
の年になると違うな。自分の好きだった本が、友達のうちにずっと置いてあるのも、悪いこ
とじゃない」
この言葉 大好き
友達が読んだ本がうちにあるって、ざわざわ来るほどたのしいことです!
長男が北大で行われる学会に出席するためにやってきました
この年の瀬に、まあ学者さんたちも大変です!忘年会がわりなんでしょうかねえ?
年越しで東京で顔を見るつもりでいたのですが、回るお寿司にでも行こうかいなとのんきに迎えたら、
ぽろっと哀しい知らせを口にしました
「高校の時の 〇〇先生が亡くなった」
耳を疑った…〇〇先生は私よりもはるかに若いはず、
熱意をもって子どもたちと向き合ってくれた先生で、息子が大変世話になった
話せば長くなる…
この息子、中学校の時の英語担当教員がちょっといただけなかった
いやあの先生でもきちんと英語の力を付けたお子さんがいるから
一概に先生のせいだあと言うわけではない
長男はどういうわけか英語に興味を示していなくて、
初めてふれた授業がさっぱりわからなかったようで、
成績は今一つ、というか今二つ、今三つくらいまでいくかもしれなくて、
どうにかならないものかと親はぎりぎりしていた
今子どものことを抜きにして思うと、
多分あの先生はやりたいことがあって、
そのためにしている仕事で、くくられた授業以上のことには気が回らなかったのだろう…
ですが力の劣った子どもからしたら、教科書をなぞるだけでは理解はできない…
もう少し踏み込んだ指導をしてくれでもいいのじゃないか…と考えるわけです(もちろん親が強く)
その教員は一切そういうことはせず、CDを使っての授業も多く理解力不足に拍車がかかるような感じを
持っていました
長期休暇には必ず海外旅行にでかけ、平常の居残りの指導もしてもらえず、
まあ、そこまでなら根に持つこともなかったのだろうが、
最後のやめ方がいただけなかった
北海道では中学3年生の夏休み明け 9月 10月 11月 と三回、学力テストを受ける
このテストの成績が内申に影響するのと、これをもとに志望校を決めるので、
3年生にとってはとても大事なもので
だから夏休み明け、子どもたちは「いよいよ始まるぞ」みたいな感じで学校に向かう
その日に、その英語の教師が “やめた” と知らされ、
しかも急なことで代わりの教員を補充することができず、次の先生が赴任するまでひと月ほど、
校内の“お手すきの先生”が対応するという事態を招いた…
そのお手すきの先生すら手配できないことも多くあったようで
当然その時は自習を余儀なくされた
やめた理由は、急にどこだかに留学が決まったからと覚えています
もうあきれ返るにもほどがあるというか無責任極まれりという感じで、
わかりますよ、一度しかない人生二度とないチャンスかもしれない…
でも、あまりに教師という仕事に無責任すぎると感じた出来事でした
長くなりました、話を先に進まなければ、
もともと英語に興味がなく3年間そういう教師についていた長男は英語が好きでなくなっていて、
この先どうなるのだろうと考えていましたが、
高校に入って出会ったのが〇〇先生でした
颯爽とした女の先生で、結婚はしていませんでしたが、
生意気盛りの高校生に対しても臆することなく向き合ってくれ、
何よりも英語の教え方がとても上手だったのです
中学ではさっぱりわからなかった英語が、息子の中で嫌いな科目ではなくなりました
成績はそれほど良くなりはしませんでしたが、学ぶことは平気になりました
「英語って面白いんだね」と高校に入ってしばらくして言いました
一度 面白い単語のテストがありました
問題は100問、100点取るまで帰ったらいけないというルールで、
当然ですが我が長男、そんなにとんとんと抜けれるはずがない!
すこしずつ人数が減り、最後三人になったときに〇〇先生が言ったそうです
「最後一人になったら寂しいから、三人揃って100点採るまで付き合おう!」
これが大変だったらしい
単語は最初から変わらず順番だけが替えられた100問だったようだが、
これが三人そろってがなかなかできなかったらしい
誰か一人がどこか1か所ミスをする…そんな繰り返しで、何度も何度も繰り返して受けていたらしい
あの時は、随分遅くなるまで帰ってこなくて、帰ってきて顛末を聞いてびっくり!
もう嫌になったが先生が許してくれず、三人で頭突き合せて話し合ったらしい…
「今度こそ頑張ろう!」 と、肩組んで気合い入れて受けたらしい
それすらも大分にリピートしてしまったようだが、それでも何とか頑張り切り、
「そうしたらね、〇〇先生がアイスおごってくれた!」と嬉しそうに言った顔が忘れられない
私より10も若い先生だと思っている
どうしたんだろう?何が起こったのだろう?
長男が大学に進学したころ先生も転職して東京に移られ、
どこかで海外青年協力隊にも出かけられたとはずで、
息子が二十歳を過ぎたころから、折を見ては飲みに誘ってくれていたようだ
英語を教えることが好きで、あの年ごろの子どもが好きで、
とても生き生きとしていた…息子の恩人だと思ってきた
あああ、本当に何があったのですか? 私はとてもびっくりして、とてもがっかりしています
長男、このたび札幌に向かう飛行機で 「ブロッケン現象が見えた」 と
写真を送ってきました
ああ、綺麗だなあと思った
でももしかしたらこれって、〇〇先生から息子に向けてのメッセージかもしれない…
先生、先生、本当にお世話になりました
どうか、どうか、安らかにお休み下さい
本当に本当にありがとうございました
貴女に出会えて、あの子は本当に幸運でした
合掌