これは数日前、朝日新聞声欄にとりあげられた意見。
その少し前に若いお母さんが 「PTAなどの子育て組織の活動を、専業主婦が支えている」 ということを大きな柱に
“配偶者控除廃止反対” の意見を述べていた。 それに対する反論。
私も専業主婦を長くしているから、専業主婦のお母さんの言いたいことがわからないではないが
“配偶者控除廃止反対” と結びつけるには、余りに希薄なもののように感じた。
それよりもそれによって “外で働くお母さん” と “専業主婦” との対立が浮き上がってしまったのが、残念でならない。
外で働いているお母さんと、はらいていないお母さんの事情の違いは、PTAの活動で乗り越えなければならない大きな問題だと思う。
個々の学校やPTA、クラスのメンバー、お母さん個人の関わり方で、それぞれの状況が変わるので、
声欄に出て来たお二人にどうのこうのとは言えない。 でも、一つ気になったのが、
看護婦さんらしいこの働くお母さんの 「・・・女性が働くのが当たり前の時代・・・」 という表現だ。
これでは働いていない女性は立つ瀬がない。
この方も 「・・・専業主婦を選択するかしないかは、それぞれの家庭の考え方でしょう・・・」 とおっしゃっているのだが、
攻撃の手を緩めない。 これはこの人たちだけではなく、どこのPTA組織の中にもある小さないさかいだと思う。
哀しくなる。
働いていようが、働いていまいが、PTAという子どものための組織の中では、親と言う立場で同じ仲間のはず。
その仲間が争っているのだ。 こういう面では、女ってどうしようもないと思う。
子育ては親だけではどうにもならない。 周囲の大人が力を合わせて、ようやくなんとかなるものと実感している。 これは間違いない。
そこを忘れて自分の都合ばかりを言い募るから、PTAの活動に信頼がおけなくなる。 そういう負の連鎖があるように思う。
「専業主婦が支えている」 と言いきってしまったお母さんにも、言葉が足りないと感じる。
子どものためにできることはやるのは仕事を持っていようが持っていまいが当たり前で、自分が専業主婦でよりたくさん負担していると感じようと、
それが、今、ここで、我が子を含めた子どもたちを育てるために最善の策であれば、無理のないということを前提に引き受けるべきなんです。
仕事をしていても私はこんなにやってるわ! というのも、その反対に無駄な摩擦を増やすばかりでいただけない。
やらないこと、やってくれないことを非難しても始まらないのだ。
“配偶者控除廃止の是非”は、十分に話合わなければならない問題だと思う。
それは子育てをしている人ばかりが関わっていることではなく、すべての配偶者(この場合、女性も男性も関係なく)が引き受けることだ。
それを自分のことだけに結び付けてしまったことが、どうにも論争が的を外れたように感じてならない。
きっと 『論理の階段』 が足りないのだろう。 もう少し段数を増やして論破し、子育て世代の事情を主張すべきだったと残念に思う。
最後にもう一つ、PTAのこの手の話題で、働いているお父さんのことは出てこないのが女性の奥ゆかしさなんだろうなあ。
加納朋子の『七人の敵がいる』にも、それが書かれていたっけ・・・。
担任の先生が男の、しかも同じ子育て世代だったりすると「先生はお子さんのPTAどうしてらっしゃるのですか?」と尋ねてみたくなる。
ああああ、今日はこんな争いごとではなく、最終回を迎え始めたドラマの話を書きたかったのになあ・・・
それはいずれまた、・・・・・・か。