朝ドラの「寅に翼」を楽しみに観ている
ハッとすることも多くあり、
自分の思い違い、考えの足りない点など、時に「なるほど」と思う
金曜日の物語で、
出産した部下が子どもを預ける保育園が見つからず、
ベビーシッターを探しているということがでてきた
「ベビーシッター」という言葉に引っ掛かった
私は役人の娘で、父の生まれた家は三代前に商売を傾け潰れてしまい貧窮したため、
父は安定志向で役人を選んだということで金持ちではない
あの当時役人の世界で、部下のお母さんや、おばあさんが、
上司の家に手伝いにいくのは見受けられることのようであって、
私も記憶の中に「ばあやさん」の存在がある
重ねてしつこくの説明ですが、我が家は由緒正しい家柄でもないし小役人の給料で生活していた
父はそこそこ偉くなった人だったが、
自分の妹弟の生活の面倒も見ていたため、母は大分に苦労したようだ
給料日前に給料袋を電気にすかして眺める母を見たことがある
「たまに100円札が残っていることがあるの」と笑っていた
それでも「ばあやさん」がいた
長じて「あれは誰?」と聞いたら、「よく覚えていたな」と言われ
部下のお母さんが、家でいるから手伝いにどうかといわれて来てもらっていた
ということだった
「ばあやさん」で、子どもの面倒を見てくれる人だったように思う
母が出かけたときなど「ばあやさん」と留守番をしていた
敗れた障子の貼り換えの手伝いをして、梅の花の形に障子紙を一緒に切ったりした
そのほかに「お手伝いさん」という人がいた
宴会を自宅で開くことがあった
その時など手伝ってもらったのだろうと思う
「お手伝いさん」はたまだったなあ…それとも思い違いだろうか
ちなみに宴会の時、私は酒のお燗の番を命じられた
少し大きくなってからと思うが、
大きな鍋に沸かされたお湯の中につけられた徳利
中は当然日本酒で、それが温められると膨れ上がってくる
徳利の口に酒がもりあがってきたら知らせるという役目だった
じっとじっと鍋の中の徳利の口を眺めていた
もうみんなあちらに行ってしまってどうだったかなと聞くことがかなわない
あっちに行ってからだな…
昭和30年代後半…そんなもろもろを朝ドラが思い出させてくれた