つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

やっちまった!・・・とほほなこと

2015年01月30日 | 日記

終わった! と、最後のお宅を終えておうちに向かって歩いていたら・・・・

 

あっと思ったら  次には滑ってどたんと尻もちをついていた!!

 

その時にどうやら右手の甲を打ちつけたようで、

お尻と右手首のあたりと、打ち身です。

 

 

まったく、道がひどいんですよ・・・滑り止めのまき砂はまかれていたのですが、

道ってこうなると平らではなくってねえ、気が緩むと持って行かれます。

 

 

とほほほ。。。。。。。。     油断大敵です。

 

でも、転ぶときの最大の防御、

「下手に抵抗しない」は守れたようです!






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もう一つ、

2015年01月27日 | 徒然に、

長男は、学部3年生の時に今の研究室に入った。

同じ学年でもう二人、これが大変優秀な学生さんで、毎年最優秀学年賞を取るような二人だった。

あの頃、息子は苦も無く問題を解いていく彼らをうらやましいとよく言っていた。

一人は学部を卒業後かねての目標通り就職し、もう一人の女の子は長男と一緒に大学院に進んだ。

彼女は本当に優秀で、

出来る女性  ていうあの感じ。本人も意欲があり、大学院修了後も研究室に残ると言っていた。

前回の続きのような話だが、

教授は、男の息子には「文系博士」より「理系博士」を取ったほうがいいから、

大学を移ることを当初から進めてくれたが、女子は難しいこともあるだろうと、

彼女は自分の手元において大事に育てようと考えていたようだ。

教授の考えはそういうものだったが、彼女の選んだ研究テーマは他大学でも研究者がいて、

見目麗しく、打てば響く彼女の優秀さは、学会での発表などで目につくものだったようだ。

そういう意味で、やっぱりあの世界は男の世界で、おじさんの世界で、

より問題が多いことに、あのおじさんたち世間ずれがしていなくて、

子どものまま年を取り、名誉もあり、

で、あれだけ優秀な人材であった彼女を、美しい女の子としてより強く見てしまったようだ。

まあ、ドラマでみるほど露骨であったとは思えないが、現実であるから鬱陶しいものであったようだ。

うちの長男も 「あれはなあ、かわいそうだよなあ」 と思ったこともあるらしい。

女子だから優遇されることも多かったようだが、その反面そこにいるだけのような扱いも多かったようだ。

優秀なんだものプライドも高い彼女は、そんなおじさんたちに研究者として扱われないのならと、

とっとと就活をしてしまい、あっという間に内定をとってしまった。

修論もとっとと仕上げ、卒業旅行はドイツオランダだったようだ。

 

この話を聞いたときに、私は小保方晴子さんのことを思った。

彼女もとても優秀な美しい研究者で、男世界に一石を投じる存在だったはずなのだ。

それが自業自得とはいえ、男にそういう意味で可愛がられてしまい本質が見えなくなってしまった。

美人に浮かれて男どもは必要以上にもてはやすからなあ…。

女性が男性と伍してやっていくというのは、恵まれた環境や、条件がなければなかなかうまくはいかないのだろう。

小保方さんは今、周りと一緒に浮かれてしまった大きな大きなつけを支払わなければならなくなっている。

真摯に向かい合ってほしいと思う。

 

ということで、ふらふらと思い悩む長男が一人残った。

とてもとても不思議な感じがします。

不思議ですが、一人残った奇跡を大事にしてほしい。

男だからといって奢ることなく謙虚に向かってほしいと、それを心から願います。






 

 

 

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長男のことで、もう少し

2015年01月24日 | 徒然に、

修士論文で忙しい長男、今頃は口頭試問の準備をしているだろう。

うちの長男はもともと文系学部に入学した。在籍中に現在のゼミに所属し、研究テーマは完璧に理系になった。

受験に数3Cが必要のない学部だったので、高校時代彼は履修しなかった。

というか高校に入って数学にてこずるようになっていて、第一志望の大学の受験科目を優先したのです。

それでも現役時代は歯がたたず、浪人中にしっかり文転したくらい数学に嫌われた。

それが今選んだ研究がもうまるっきり理系の領域だった。

とりついた時から、自分の力量の足りなさに憤懣やるかたない状況が続いているらしいのだが、

担当教授はその息子の力量のなさこそが、彼の長所と見ていてくれている。

だが卒論の時も、またこのたびの修論の時もいわれるのだろうとぶつくさ言う。

 

なんで文系の君がこういうテーマを選んだの?

この研究が、文系の実践にどう役立つの?


今の彼は、これに悩まされている。

 

息子の歩んだ道がこれだったから、仕方がないのだが、

そういう意味でいうと、理系の力が足りないあの子がよくこういう世界に歩みを進めたと思っている。

このまままだこの道を歩みたいという。

一緒に入学した友人たちは、ほとんどが「社会人」の道を選び学び舎を飛び去って行く。

医学部だったら、研修医として実践の場に立つ年月だ。

息子の選んだ研究テーマが、社会に役に立つようになるかどうかは定かではない。

ここまできてこの次は、この先生のそばで続けたいと打診したところ、

来月面談をしていただけることになったという。

結果は再来月になる。

 

ばりばり理系の研究室というそのゼミで、やっぱり聞かれるのだろうなあ?と息子はぼやいている。

なんで文系の君がうちなの?って。

 

いいじゃないの・・・高校時代に数学に嫌われてって、それでもあきらめきれずにいたらこういうことになりました!って言っていいと思うよ!

そういう変わり種がいたほうが、どこの世界でも新しい発想が生まれるというものだと、母は確信しています。



いい結果が出るといいなあ・・・と、先日上京したときに五円があるチョコレートを息子に渡したのだが、

ごみ溜めに埋もれていないといいんだけれどなあ・・・・????

 

 

 

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東京でのこと・・・・まずは長男のありさま

2015年01月23日 | 徒然に、

長女が癇癪を起した出来事が昨年末にあった。

いやいやいやいやいや、ほとほとほとほと・・・・心配した。

修士論文で周りのことなど「気にしたくない」長男に手を貸してもらい、

なんとかかんとか事態は終息を迎え、年末長女は年越しをしに里帰りをしてくれた。

長男には「いつもそういう騒動を起こす厄介な妹」という思いがあるのだろうし、

身の回りのことに一切注意を払わない長男の生活は、「ゴミ屋敷」状態で、

そこまではいっていないが大雑把な性格の次女との生活で、

あの古い大きな家を何とか維持しているのは長女の努力によるところが大きい。

 

そんな互いのうっぷんがたまりにたまっているだろうし、

あの古い家は「大人」がいて手入れをしなければどうにもしようがないというもので、

このたびも、子どもたちのガス抜きと家の様子見をかねての上京だった。

 

 

長女は、頑張って落ち着きを取り戻そうとしていた。

相変わらずあの娘が出さなければゴミがそのままになるという哀しい現実に対する愚痴を聞き、

「ゴミ出しなさいよ」と、ばかばかしいくらい当たり前の注意を長男と次女にした。

朝出る前に、誰彼の区別をせずに必ず洗濯機を一度は回し干していく長女の様子を見ると、

この娘なりに兄や妹に一緒に暮らしていく思いを伝えているように感じてしまい、

ああ、やっぱりこの娘が一番不憫だと思った。

わかってやれよ!お前たち!!と思ったが、本当はわかっているのだろうと思う。

やらなければならないことがいっぱいで、二の次三の次になっているのだろう。

 

 

しかし、長男の部屋のごみ溜め化は驚愕した。

昔から部屋の片づけが出来ない子だった。

あまりに散らかすので合間合間に掃除に入っていたが、そういう子だからその時から何をどう動かされても文句を言わなかった。

昨年12月に上京した時は修士論文の最中だからと思い遠慮して、彼の部屋には手を付けなかった。

それがいけなかった。

いやあ本当にこういうことになるのか!!と呆然とした。

「あんた、彼女いないの?

部屋掃除してあげる・・・とか、食事作ってあげる・・・とか、

遠慮しなくていいからやってもらって頂戴!!」

それこそ論文提出の締切間近だったが、構っている暇はなかった。

土曜日の昼が燃えるごみの収集のため、いつも朝からものすごい勢いで家中のゴミをかき集めるが、

彼の部屋に関しては間に合わなかった。  残念。

あの息子、父親と一緒で、

紙を捨てるということをしない。とにかくそのままとっておこうとする。

包装でも、レシートでも、案内でも、

中には大切なものもあるだろうからまとめて捨てることが出来ないのがネックになり、

はっきりしているもの以外はいつも箱や袋にまとめて整理するようにと言明していくのだが、

そういうものが部屋にはもう10個ちかく存在する。

頭にきて「もう一生見ないからそのまま捨てなさい!」と叫んだ。

何しろ旦那の先例がある。

彼も子供のころのあれこれをまだ手放せずにいくつか持っている。

私はもうそれをどうのというのは無駄だと思い、他の場所に入れるのはやめて旦那の部屋にうずたかく押し込んだ。

そうやって押し込んで何年目かようやく先日、その中の一つの半分を処分してくれたのだが鼻高々だった。

ここまでやってもらうのに20年近くの歳月がかかった。

だから長男の「ゴミ」もはっきり言える。

 

どれだけ貴重な資料であろうとも、すぐ取り出せないのであればそれは「ゴミ」でしかない!

捨てろよ!!

 

まあ、論文書くのってあれほど大変なんだとは思わず、気にかけてやらなかった負い目もある。

家が遠いこともあるのだろうが、大学に泊まって何日も帰ってこない日もあったようだ。

その論文がその先への選考材料になるとしたら、軽軽とは書き終わることもできなかったのだろう。

わかるが、あの息子! 本当にもう少し身の回りに神経質になっていいと思う。

よくテレビでそういう部屋を片付けるというものがあるが、頼むからそういうのは受けないでよ!と祈るばかりだ。

 

 

 

ああああああ、あの息子、絶対彼女がいない!

 

 

 

 

 

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札幌に戻りました

2015年01月20日 | 徒然に、

私は金曜日の夜に北海道を離れ、月曜日の夜の飛行機で戻った。

どうやらその間、雪がひどかったようだ。

例年、センター試験の受験日に天候が荒れる。

ふぶいたり、ものすごい零下だったり、線路も凍り、JRが止まる。

こうなると車も動かなくなり、タクシーで行けばいいということもなくなる。

平等平等とこの試験では大騒ぎするが、この条件の悪さを北国の高校生はもっと声高に言っていいように思う。

どんなにやったって平等な試験なんてありえないのだから、大人はもっと心して試験しろ!!ってね。

 

 

て、そういうことを言いたかったのではなく、

実は旦那の親戚に不幸がありその葬儀が山梨であるというので、土曜日曜で旦那も上京することにした。

一泊二日、高校生の末っ子に留守を頼んだ。

学校は金曜日から始まっているから、旦那は日曜日の昼の飛行機で戻り月曜日の弁当は父が作るからと約束した。

ところが土曜日の朝新千歳を飛び立つ便が、まず4時間の遅れとなり葬儀に間に合わなかった。

その上翌日の帰り、昼の便は欠航となりあえなく家に戻ってきた。

天候の合間に着陸出来た便もあったようだが、旦那さんが予約した便は羽田を出発する事もなかった。

ということで、

末っ子はもう一晩一人で過ごし、朝自分で起きて弁当を自分で調達して学校に行ってもらうしか手がなくなった。

そんな状況になっている頃、私は娘二人と西船橋のIKEAに行って翻弄されている最中だった。

館内をぐるぐる回っているため、旦那から「欠航!」のメールや電話が入っても、ゆっくり連絡をする場所を見つけられず、

出口まで来て初めて話をした。

本当にびっくり!!


「うん、わかった。いいよ」

飄々と受け答えする末っ子に、この子が一番しっかりしていると思った。

まあこうなったら仕方がないと家族5人で、末っ子がいたらできない“ゴマダレ鍋”を楽しんだ。

翌日の月曜日は天候も落ち着き

朝一番の旦那も、夜最終便のひとつ前の私も順調に札幌に戻ってくることが出来た。

 

ところが、今日の札幌は、

 

 

 

猛吹雪です!

今日から小学校が始まるのに、手の施しようがないのでしょう。

どこもかしこも雪まみれです。

ここは、なんとか除雪がまわったのでしょう。

でも、

人が歩いた跡だけが残って、もう道がありません。

本当なら私も外出したくなかったのですが、何しろ留守した後で用事がたまっていました。

決死の覚悟で出かけましたが、銀行も郵便局もコンビニもスーパーもがらがらですいすいと用足しが出来ました。

明日は仕事なので、おさまってくれるといいなあ・・・。

 

東京は寒かったのですが、それでもなんとなく空気が緩むときを感じました。

本当に日本は縦に長い国。


北国の春はまだまだまだまだずうっと先のようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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