ブロ友さんのもも吉さんは、昨年から巡礼の旅を楽しんでいらっしゃる
それに乗じて、私も「居ながらにして楽しめる巡礼の旅」を満喫している
たいていが山の上にあるお寺の石段を登り、山の緑や空の青さ、今どきは雪の白さや、
空気の色までも感じられて、楽しい旅日記となっているが、
どこにも心得違いの輩はいるもので、少々不愉快な思いをされた
その話を読んでいて、古いことを思い出した
それは“坊さん”の話
私の実家は東京にある 菩提寺は山形県鶴岡市
これって結構大変で、年忌もそうだが、葬儀が必要になったときなど結構面倒がある
私の母親が亡くなったとき、菩提寺に連絡をし葬儀を変わってやってもらえるお寺を紹介してもらった
戒名は菩提寺からいただいた
その紹介していただいたお寺の当時のご住職がもう仏様のような方だった
そのころまだ母方の祖父母は健在で隣家に住んでいた
祖母は母が亡くなったとき、本当にがっつり落ち込んでしまった
祖母は4人の子どもを授かっていたが、母が死んでしまったことでそのうちの3人に先立たれてしまったから、
今から思うと随分と自分を責めていたのだろう
母は冬に亡くなったので、菩提寺の墓が埋もれているため納骨するまでの間、遺骨を預かってもらっていた
初めは週に一度、やがて少しずつ間があき、それでも月命日には必ず、
祖母が分骨をしてほしいといったこともあり、
納骨が遅れたので1年以上預かってもらったと覚えている
骨は二か所までなら分けても構わないと聞いたのはその時、三か所だとバラバラになるのでダメなんだそうだ
祖母のお寺通いはその間も、それ以後も続いた
その時に住職はもうかなりのお歳だったと思う
寺にはあと若い小坊主さんが一人いて、でも、まだなんにもできなくて、鐘も打ち間違えたり、
お経も間違えたり、お茶こぼしたこともあった、それを住職がゆっくりじっくり眺めていた
この仏様のような住職に祖母は救われ、お寺で行われている集まりに出かけていくようになった
精進料理の会、写経の会、…最後にかかさなかったのはご詠歌だったと思う
住職はとても人が好いので、その人の良さが災いして、だまされるということほどではないにしろ、
それは…と思う出来事もしばしばで、
何より寺の真正面の土地、道路に面した入口の土地を洗車会社に権利を譲ってしまい、
寺に入るのには、洗車の機械の間を通り抜けなければいけないという状況にすべてが物語られているようでした
長くなってしまいました
このご住職の話をしたいのではなく
それからまた長い時間が経ち、父が亡くなったときに、
すっかりご無沙汰していたが、母の時と同様に、戒名は菩提寺から頂戴し、
葬儀をこのお寺にお願いした
当然、代替わりをしていて、あの小坊主が妙に脂ぎったオジサン様になって引き受けてくれた
だが、この元小坊主、商売が上手で先代で傾いた寺を立て直したそうだ
その手腕はほめたたえられるものだが、
いやあそういうことするか?ということをされた
火葬場で、大勢の中、面罵されたのだ
どうやら私たちがいけないことをしたようだが、それにしても腑に落ちなかった
改めて姉と継母が寺に謝りに行って丸く収めてきたのだが、
どうやら、商売上手の住職は戒名を付けられなかったことがご不満だったようだ
姉の時、私はそれを鮮明に覚えてあそこには頼みたくないと考え、改めて菩提寺に相談した
運よく菩提寺のご住職に上京の用があるからと、ほかに頼むことなく執り行うことができた
その時に、姉がとってあった父の葬儀の収支をみたら、
元小坊主の所には法外な布施が支払われていた
うちの菩提寺は地方にあるためもともとお布施がそれほど高額ではない
それにはっきりと金額表のようなものも明記されていて、尋ねると、その一覧表を下さり、
こことこれと、交通費をいくらと言ってくださる
いまならHPでみることができる
しかあし、それよりも多い金額が、あの元小坊主に渡っていてね…もうびっくりしました!!
確かに、先代の仏のようなご住職では寺の維持は難しかっただろう
だが、私は忘れられない
どうしてか住職と並んで歩いていた祖母がよろけたときに、
祖母よりもはるかに年上の住職がさっと手をとって「あなたの手は温かいねえ」
と優しく包み、そのまま手をつないで歩いてくださった
それだけだった、それだけだったが私にもわかった
祖母がゆったりとした気分になったのを、
人が宗教に向かうのは、こういうことではないだろうか
祖母が亡くなったときの葬儀はその先代が執り行ってくださった
うる覚えだが、説教は「南無」について
「南無」とは、金星と月が溶け込むことを言うそうで、
仏様と一体になることを願って「南無」と唱えると話してくださった
おばあちゃんは仏様と一緒にいるんだ…と、ほわっと思った