毎日チェックするブログに親バカ心をくすぐられる記事があった。
旦那さんに見せたら、
「行くべ」
で、
これは、札幌テレビ塔の“落ちない(はげない)お守り”
裏に書いてある説明には
十年に一度行われる塗装工事。十年間風雪に耐えて剥げ落ちていなかった塗装片を、テレビ塔展望台にある「テレビ塔さん神社」に祀り祈願したもの
とある。
♪ 粘れ~粘れ~納豆のように~♪
お守りが手にはいって思わず、末っ子が将棋の時に口ずさむ替え歌が出てきた。
何とかなるような気分になってきた*\(^o^)/*
毎日チェックするブログに親バカ心をくすぐられる記事があった。
旦那さんに見せたら、
「行くべ」
で、
これは、札幌テレビ塔の“落ちない(はげない)お守り”
裏に書いてある説明には
十年に一度行われる塗装工事。十年間風雪に耐えて剥げ落ちていなかった塗装片を、テレビ塔展望台にある「テレビ塔さん神社」に祀り祈願したもの
とある。
♪ 粘れ~粘れ~納豆のように~♪
お守りが手にはいって思わず、末っ子が将棋の時に口ずさむ替え歌が出てきた。
何とかなるような気分になってきた*\(^o^)/*
姉が亡くなって、いろいろなことをしている。
その一つに、年賀欠礼のはがきがある。
「“家族葬”で、できれば“直葬”で」 と書き残していたため仕事先にもその旨お話し、
ご理解を頂いた。
そういうわがままを通させていただいたがために、却っていろいろな方にご面倒をかけてしまった。
まずお知らせだけでも年内にと考えて、頑張って欠礼葉書を用意した。
遺されていた姉の住所録から拾えるだけ拾い、どういう関係かわからないので、
その旨添え書きをして何とか12月の半ばまでにはポストに投函することができた。
それでも漏れていた方から年賀状が届き、その方たちには寒中見舞いのお葉書を出した。
そんなことで大体、姉とご縁があった方にお知らせができたのかと考えていたこの頃、
その方たちからお電話やお手紙があるようになった。
お名前を聞いた事のある方もいれば、このたびの住所録で初めての方もいる。
当然だが、お話をしたことはどなたもない。
それでも姉を偲んで、妹の私に思いをはせて連絡をくださる。
姉の心が流れてきます。
ああ、お姉ちゃん。
みなさんおっしゃいますよ、少し早すぎるって。
あなたがいないとこの温かい人たちとのご縁も続かないのですよ。
一期一会 私だってこの言葉が切なく感じる年齢になってしまいましたよ。
センター試験が終わり、2月に入れば私立大学の二次試験が始まるのだろう?
国公立は末になるのだったろうか?
そんなメジャーリーグが一段落した3月の頭に、札幌では公立高校の受験が行われる。
願書を提出するのは今月で、丸々一か月も間があく。
大学受験で高校側がそれどころではないというのが今ならよくわかるが、
中学生の親としてはこの一か月が長い。
とりあえずそういう順番で事が進むのだが、
今朝の新聞に公立高校の倍率が発表された。
暫く高校受験から離れていた私からすると、かわいいもんだと感じてしまった。
2倍を超える高校なんて北海道中を探しても今のところ、1校しかない。
みんなが行きたい大学はどこもかしこも、受かる人数よりも受からない人数のほうがはるかに多い。
どんなに頑張っている子どもの姿をみていても 倍率が発表されると
椅子取りゲームに参加しているような気分に陥り「これは無理だわ」と思えてしまう。
そんな状況を見慣れてしまった親だから、末っ子が志望した学校のそこそこ結構な倍率でも、
「気持ちよーく、あたって砕け散っちゃいな!」と気軽に言ってしまう。
合格することが目的じゃない、挑戦したらもうそれでよいのだ。
結果はあとからついてくる。
上の子たちのおかげで、そういうことが身に染みてわかるようになった。
兄や姉の奮闘は見てきていても、初めての末っ子は心臓がバクバク言っているようだ。
とてもいい経験だと思う。
受かろうが落ちようが末っ子の人生は続いていく。
無くなっちゃうわけじゃない。
どうなろうと親はどんと構えているしかない。
どんなに心配でも、これだけはしてやらなくっちゃ!
NHK会長の就任記者会見で、
従軍慰安婦に対する籾井会長の発言が大きく取り上げられている。
それはもうこの“男”のお下劣な品性の問題に、是も否もないと思っている。
もうこんな低劣な人格の持ち主が、NHKの会長かと思うと吐き気がする。
過去の過ちを過ちとして受け入れて品行を改める姿勢がない“やつ”には、上に立つ資格はない。
ここぞと同調している橋本さんもますます嫌になってしまう。
そのうえでもう一つこの会長の発言で気になったのが、
政府が右と言っているものを、左とは言えないでしょう
というものだ。ジャーナリズムというのは、なんなんだ?
政府が「戦争をするのが正しい」と言ったら、
NHKは「戦争をするのが正しい」と報道するということなのか?
それではNHKは受信料の徴収をどういう理念で強要しているのか?
私は思う。
どんな国、どんな考え方を持つ地域でも、平和に暮らす権利がある。
立場が変われば、考え方、見方が変わるのは当たり前だ。
政府が右といっても、左の見方もあると言ってくれるジャーナリストがいてくれる国であるべきだ。
j
珍しく長女が電話をしてきた。
「あのね、今後の事なんだけれど・・・」
長女はまもなく大学を卒業する。今卒論の審査を受けている。
4月から・・・・どうするのか、ずっと家族は聞くに聞けずに見守ってきた。
この娘は、子どものころから内弁慶のへそ曲がりで、内外ともに人との付き合いがへたくそ。
それがこうじて高校を卒業間近に大事件を起こした。
そんなつらい時期があった。
それでも「○○大学に勉強してみたい専攻がある」と言いだし、進学した。
彼女の大学生活の始まりは姉の闘病の始まりと重なっている。
病人と、なんか不思議なばあちゃんと少しへそが曲がり始めた兄と、
奇妙な同居生活に時に癇癪を起こし「大学なんかやめてやる!」と言ってきた。
中途半端で終わった高校生活があったから、今度はなんとか無事に過ごして卒業してくれと、
親は神仏に祈り続けていた。
それがここまで来た。神仏のおかげもあるだろうが、本人の努力と忍耐が一番だ。
そして終わりを迎える大学生活に、次のステップは?
「うちの大学内定率50パーセントいってない・・・・私がまともに就活したって、ねえ」
と言われたら、無理やりそれでもと、この娘に強要することはできなかった。
旦那は 「自活する道を自分で探してください。その努力をする限り、親としてできる限りのことはする」
とだけ話した。
娘は4年生の時間をゆっくりとすごし、卒論も丁寧に丁寧に仕上げたようだ。
そして少し前から「○○をやっていきたい」というようになった。
「父もどうやったら続けられるか探してみるから、君も教授に聞いたり、自分でも探してみるんだぞ」と旦那が答えていた。
「先生にね、話したら、別の大学で講義を持っているから、とりあえずそれを聴きに来なさいって言ってもらえた」
久しぶりに聞く、屈託のない子供のころのような明るい娘の声だった。
早くに相談したら学生として続ける道があったかもしれないが、ここ、ここまで来るとすべての手続きは終了している。
だが、間が空くと力が落ちてしまうから、そうならないようにという配慮をいただいたようだ。
学びの場を確保するまで、環境を整える時間を与えてもらえたという。
感謝 しかない。先生、ありがとうございます。
学校 に傷つけられたこの娘を救ってくれたのは、 やっぱり 学校 で、
もがいてもがいて道を探している。
まだまだ時間はかかるだろう。でも、彼女の人生は始まったばかり、
人生の最後のほうに「ま、よかったんじゃないかな」と思ってくれたらそれでいい。
どの子もみんな笑って暮らしてほしい…願う事はこればかり。
嬉しい知らせだった。