浅田次郎「月島慕情」を読んだ。
長編の時代小説かと思って手に取ったのだが、短編集で、
中に「雪鰻」という作品があった。
これはつい先日末っ子の通う高校で行われたPTA公開講座“北の大本営跡を巡る”で観て歩いた、
札幌市月寒にあった「旧北部軍司令部航空指揮所」「陸軍歩兵第25連隊」が舞台の一つになっていた。
頁を繰りながら、今は学校前の細い一方通行の真ん中辺にある“見返りの松”が浮かんできた。
“見返りの松”は、戦地に赴く兵士たちが出兵するにあたって、門の脇に立っていたこの松を振り返りながら行軍していったといういわれのあるものだ。
その出兵していった兵士たちの行った先が 「雪鰻」だった。
「破倫」
なんのことだかぴんと来なかった。でも、記憶の襞の奥底にこの言葉が染みついている感じがあった。
どこかでなにかで聞いている。
父からだろうか?母からだろうか?祖父母からだったろうか?
文字を追うごとにその言葉の意味がジュンと染みた。
なんということだろう・・・・・言葉にならない。
記憶の襞に酒に酔った父の声が響いてきた。
私はその話を聞いている。
戦争放棄をうたった憲法9条は守らなければならない。
あの人たちの犠牲のもとに平和になった。
確かに、だからこそ、あの人たちの犠牲の上の平和を、この世の終わるまで続けなければ何の意味もない。