なんとまあ、最後のさいごまであの人はあの人だった。
これは天地神明にかけてもウソ偽りはないが、
今まで一度も私は彼女のことを「くそ婆」と思ったことはない。
だが、このたびに限り、腹の底から「くそ婆」と思った。
悪い人ではないのだが、こう相性が悪いとお互いに相手を傷つけるばかりなんだろう。
“お姫様”の婆は、はっきりと相手を区別する。
楽しくお付き合いする人、雑用をやらせる人、などなど・・・・・
彼女の中では、身分の上下関係があるのだ。
私や旦那はお金持ちではないから、婆から、札びらでほっぺたたたかれていると感じたこともある。
いわゆるセレブの噂話が好きで、それと同じ感覚で私たちのことを知りたがる。
だが決して自分のことには触れさせない。
下々が自分のことを話のタネにすることが、許されないようなのだ。
だからなのか今回の引っ越しの件、婆からは何も知らされなかった。
私が聞いたのは昨年11月、姉からの連絡だった。
それは、婆からそういう話があったというものだった。
姉の状況を考えたら、いくら仲が悪くても 「今この時期になんで?」と いうのが正直な感想だった。
こんなに大変な時に、仮にも“母親”と名乗っている人が、娘を見捨てていけるものとは思ない。
まして、姉は、婆が大変だったときに引き受けて、今の状況に持って行った功労者だ。
そんな恩知らずなことはないだろうと考えていた。
そういうことがあるのなら、私に相談があるだろうというのが私の考えだった。
だが、一切婆からはなかった。
とんとんと自分の仕事が始まり、それに疲れ果てていたというのが大きないいわけだが、
何も連絡がないということで、冗談だったのかとも感じ出していた。
12月に1週間上京した折も、具合の悪い姉に気を取られ気がつけば帰る日。
それまでどおり札幌に戻った。 なんなんだろう?と思った。
では、婆の口から聞いたのはいつか?
2月、姉の体調の悪さが頂点に達し、うちの子どもたちに猛烈にあたりだした。
電話やメールで話を聞いても、一向におさまる様子がなかった。
その猛烈な様子に長女が持たなくなり、家を出てしまった。
喧嘩腰の姉の言っていることの根っこを想像すると、
どうやら婆とコミュニケーションがとれていないのが最大の原因のように感じた。
その状況は異常で、2月の半ばだったというのに引っ越しの予定も姉は知らされていなかった。
ここを何とかしないとわが子への攻撃はやまないと考え *子どものような人 につながった。
なんとかかんとか日付はゲットしたのだが、それっきりだったらしい。
婆が詳細を私たちに知らせないという状況は、私が到着してからも変わらず。
何時に誰が荷物を取りに来るのか、手は足りているのか、なあんにもわからなかった。
荷造りはしているのだが、家の中にはまだ彼女のものがあちらにもこちらにもおかれたまま。
あれもこれも、どおするつもりなのよ!!と怒りでむんむん。
もうはらんなか 「くそ婆」 の黒雲でいっぱいになりながら、
無視することに決めた。 「早く出ていってくれ!」
結局、何の説明をすることもなく、楽しそうに旅立っていったのだが、
圧巻は、大きな家具は処分をしていってほしいという姉の希望から、
玄関先に積み上げられたベッドやタンスはどういうこといなっているのか、わからなかった。
それがわかったのは二日後。
婆のところに通ってきていたヘルパーさんが、婆に翌週一日掃除に入るように頼まれていて、
その確認の連絡を入れてきてくれ、粗大ごみは彼女がすべて任されているということがわかった。
掃除に入ってくれるのはうれしいのだが、その日は姉も通院日。
子どもたちもいるかどうか定かでない。鍵をどうしたらよいかと聞いたら、
「鍵、お預かりしています」 びっくりした。 そんなもんだろうか・・・?
「鍵は返してもらえるんですか?」 「婆は、ほかに鍵を渡している人はいませんか?」
半分切れながら矢継ぎ早に、かわいそうなヘルパーさんを問いただした。
まあまあまあ、それからの私は帰る日まで、婆の日常を処分するのに費やされた。
日常に使い薄汚れたものを、そのまま何もせずに置いて行った。
要は自分が持っていきたいものだけ、寄って持っていったのだ。
物入れまるまる手つかずにしてある場所もあった。
とうてい私の残された時間では、片付けることが叶わず、
今度来た時に処分するから、でてきたものは全部納戸にほおりこんでおいてと子どもたちに託してきた。
私の立ち位置は、彼女にとってそういう始末をさせていいものだからいいんだろう。
最後に小遣いも置いて行ったし・・・「遊びに来てね」と笑顔で言っていったが、
そういう付き合いを残そうとしているのなら、
先方に到着したら「着いた」くらいは連絡してくるものだろう。
玄関先で手を振って別れてから、何も連絡がない。
すべてがこの一事に集約されていると思う。
お別れできて本当によかったと感じている。
人生の中であんなに面倒な人は、これから先も出てくることはないだろう。
本当にホッとしている。それは、婆も同じだろう。