「テレビドラマではなく」というサブタイトルで、私の23年前の少し重い話しを書きはじめた。きっかけはその数日前の“ガールズトーク”での会話にあった。
私には長男が生まれたときに知り合った赤ちゃんサークルの仲間がいる。初めは20人近くの大所帯だったが転勤や引っ越し、いろいろな事情でぽつらぽつらと抜け、今は8人。それでも20年以上経った今も“活動”が続いている(ひとえに中心になって動いてくれた3人におかげ、感謝)
その仲間の一人が、一昨年旦那さんの両親との同居を決め、たまたま我が家の近くにあったご主人の実家に移ってきた。それで、ご両親は安心したのかパタパタと具合が悪くなり、いきなり嫁として介護生活に突入してしまった。そのこと以外にも、この10年ほど彼女はいろいろな“不幸”に立て続けに見舞われている。私にできることは愚痴を聞いてあげるだけと思い、時々“ガールズトーク”している。その時は「なんで自分だけこんなに次から次に」「周りがうらやましい」と嘆く彼女を励ますつもりで、私もこうだったよと、23年前に私に与えられた“不幸の連鎖”のことを話した。そうやって彼女を慰めてるつもりで話していたのですが、思い出したのです。あの時の、終わりがないと感じていた切ないつらい気持ちを……それから、それからと話しているうちによく頑張ったなあ、よく続けたなあ、……自分自身をほめてやりくなった。そして、そうやって「よしよし、よくやった」と考えていたら(こういう時に自分の不備は一切出てこないからいい気なもんです)、なんだか癒されている己に気がついたのです。
そう、ほめてもらって、癒されたくて、ブログに書き残しておこうと考えたのです。
姑は地下鉄の駅で転んでから17年後 「危篤です」といわれてからも3日頑張って息を引きとった。姑には本当に悪いが、その時に私が感じたのは 「ゴーーール!!」 というものだった。どんなにつらい出来事でも“終わり”は来るんだと思った。 楽しい時間は苦もなくあっという間に過ぎていくが、つらい苦しい時間は時計が止まっているかのようにいつまでもいつまでも居座る。それでも必ず区切りはくるもんだ。私のこの時は17年かかった。子どものときはつらいことや苦しいことの解決が早かったが、大人になるということはこういうことなのかもしれない。そうか私も大分大人になったのだ。それではようやく気がついた“大人力”でやりぬくしかない……と、心している。