長男、長女が大学生。二女が高校生。末っ子が小学校の間、誰か彼かが受験生だった。
ということで、この季節になると末っ子には「うちに友だちを呼ばない」という厳命が下った。
一番寒い時期、日の暮れも早い。そんなこの時期に、彼はせっせと友だちの家に通ってくれた。
そういえば、今一番私が仲良く付き合ってもらっているお母さんは、その時末っ子が毎日通ったお友達のお母さんだ。
小学生を狙っての事件が多発した年だった。小学校に上がったのにと思いながらも、末っ子を迎えに毎日彼女の家に行った。
東京は公立より私立ということだし、なおその上、高校ではなく中学受験のようだが、札幌はまだそこまで行っていない。
進学高校は公立だし、中学受験というのはやはり特別なことだ。
今ではいい経験をしたと思っているし、かえってこのほうがよかったと思っているが、うちの長男は、第一志望の公立高校を不合格で終わった。これがまた、ドンピシャなタイミングでその発表が末っ子の卒園式とぶつかっていた。
祝われて当然の卒園生がいたのだが、不合格だった本人よりも親が落ち込んでしまい、そのため、外食しようと言っていたのがかなわなくなった。その日の晩はなんと野菜炒めになった。末っ子に聞いたら、そういう日だったのは覚えていたが、何を食べたかまでは覚えていなかった。「ええ、そうだったの?僕ってかわいそうだったんだね!」
点数開示をしてもらった。それまでの模試では、いつも60点満点中55点以上取っていた理科が合格ラインに3点足りなかった。こんなもんなんだなあと、親子で妙に納得した。
入ることになった私立高校の入学式が、公立高校と同じ日に行われた。私が付き添って出かけた。古い校舎の学校で、あまり天気が良くなかったことも手伝って、体育館で新入生の入場を待つ間に、私はどんと落ち込んだ。「なんでここにいるんだろう」「今頃本当なら○高だったのに」などなど半べそかいていた。新入生が入ってきて、10クラスもある全員の名前が学校長の前で読み上げられた。
その後「君たち○○名の入学を許可する」と宣言された。そして、忘れられない言葉をこの後校長先生は保護者への挨拶の冒頭に言ってくださった。
「皆様方の大切なご子息を、札幌第一高校が、確かにお預かりいたしました」
その言葉は、なにかわだかまっていた私の胸の中を駆け抜けた。涙があふれそうだった。
「よろしくお願いします」座ったままだったが頭を下げた。
この校長先生は卒業式の時、生徒が退場して会場に保護者だけになった時に、走って保護者席の前まで近寄り
「3年間大変お世話になりました」と深々と頭を下げられた。いつもやっておられることだったのかもしれないが、札幌第一高校で三年間長男が経験できたたくさんのことを思うと、公立高校でなくて幸運だったのかもしれないと今では考えている。
受験、15の春、17の春。みんな希望がかなうといいと思う。
でも、そうでなくて歩く道も、それはそれでたくさんのいいことがあると、長男が歩いた道が教えてくれた。
その後の子どもたちの受験では、それぞれいろいろな経験をさせてもらった。それは、また、後日、語りたい。