歴史に埋もれた偉人を取り上げて行きたい。先ずは「大塚惟精」である。氏は中国地方総監として原爆で亡くなっている。この「総監」なる地位は、本土決戦が予測され始めた大東亜戦争において、中央しか「降伏」の権限が無ければ住民は全滅しなければならなくなる。故に地方単位でも「降伏」が行える権限を有する必要が出てきた。大臣と同じ天皇により任命される親任官であった。昭和20年に設立され終戦直後に無くなった役職である。現在の地方分権のモデルである。終戦時亡くなった地方総監は大塚惟精氏だけである。
氏は陸軍皇統派のドン上原元帥の娘婿であり、後藤新平氏とも知己であり関東大震災後の帝都復興にも共に傾注している。更にご子息は2人とも軍隊に行き、長男は戦死されている。「地位が有る方の身内は戦場に行かない」との非難から縁遠い方である。ご息女の一人はスペイン風邪で亡くなっている。
内務省初の英国留学生である。大正時代初期、当時は英国が世界の中心であった、基準通貨もポンドであり、世界が英国中心に動いていた。その英国で、共産革命に混乱する欧州各国を目にする。
私は恥ずかしながらマルクス主義とレーニン主義とが異なるものであることをこの大塚惟精氏を調べていて初めて知った。マルクス主義とは共産主義の思想であり、レーニン主義とは「マルクス主義」をコーランに見立てイスラム帝国のように「コーランか剣か」ではなく「マルクスか銃か」で、マルクス主義を受け入れない人間(村々)すべて虐殺していた。明治維新と大いに異なり日本では考えらない事態である。共産革命の名の下に多くの住民が虐殺されていた。欧州各国は共産革命に震え上がっていた。この事を日教組が蔓延る学校で教える事はない。
このレーニン主義への対策として当時の英国は「外事警察」と「特別高等(特高)警察」と言う制度を導入する。この2つの制度を日本に持ち込んだのが大塚惟精氏であった。
「何事も最初は良かれと思い始める」ではないが、大東亜戦争の旗色が悪くなり始めるとこの「特別高等(特高)警察」の悪逆が目立ち始める。本来は住民虐殺を行うレーニン主義から臣民(国民)を守る事を目的に作られた制度である。
大塚惟精氏は軍政顧問としてインドネシアにも従軍している。現地調査の重要性は舅上原元帥が得意としたことであり、その薫陶を受けた大塚惟精氏が活躍した結果、インドネシアの日本人気はすごい。現在もインドネシア人は戦後残って独立のために戦ってくれた日本兵への感謝と共に日本への信頼度は高い、日本への好感度、国連の調査では1位の国である。
氏の功績が歴史に埋もれその腐敗した「特別高等(特高)警察」制度が悪しく伝えられているのは非常に残念に思う。「何事も最初は良かれと思い始める」が後に続く者がその精神を貶める事例である。