東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

ドブロブニクへの砲撃

2019-08-05 | 旅・趣味・自転車ほか
ドブロブニクはクロアチアの至宝、ローマ時代の城壁の街、世界遺産だ。先日に訪れたとき強烈な印象が残ったのは、ユーゴ内線のうちクロアチアとセルビアの戦争で、1991 年のユーゴ軍(この時点でセルビア軍とモンテネグロ軍)からの砲撃の痕跡だった。
 
ユーゴスラビア連邦は第2次世界大戦のあと、バルカンの火薬庫といわれた地域で、多民族国家として独立した国だった。ユーゴはチトー大統領が在命の時代は彼のカリスマ性で、連邦国家は維持されたと言っても過言ではない。しかしチトー大統領が1980年に死去した後は、ユーゴ連邦は求心力を失い、元々は民族と宗派が違い分裂主義により1991年のスロベニア独立に始まる?抗争と内戦を繰り返し、NATO軍と国連軍により2001年に終結したといわれるが、セルビアはコソボの独立を認めていない。
 
クロアチアがユーゴからの独立宣言は1991年6月25日、ユーゴのクロアチア、ザグレブ襲撃は1991 年9月から始まった。ユーゴ軍のドブロブニク砲撃は同10月から7か月間続いた。ドブロブニクの人々は何千発の砲撃を受けた記録を生々しく残している。
 
ユーゴはセルビア人、スロバニア人、クロアチア人、マケドニア人、イスラム人の5人種から構成されていた。ユーゴの内戦と独立戦争には人種と宗教が各地域で入り混じっていたことから、内戦による殺人のほか筆舌に尽くし難いほどの凄まじい弾圧と暴行や掠奪が行わた。
 
もともと混じり合わない人種が混在すると排他的になり、憎しみが爆発し想像できないほどの行為に及び、民族の救済を名目に攻撃が行われれ、また軍事的に弱くなると簡単に征服され、屈辱的な敗北となり、人間の尊厳を奪われ民族の消滅さえも有り得る。我々も中国や韓国の人々の過剰な受け入れを防ぎ、必要な武力を維持し集団的自衛力を持たないと取り返しがつかなくなることを肝に命じるべきである。
 
 
 
 
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1 コメント

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東西圧縮著者 (toshikazu yano)
2019-08-07 20:11:16
若いころに行かれたのですね。ユーゴは連邦制の時はバランスがとれていても、民族や宗教などが原因で反発するようになると統一が難しかったのですね。当時はよく理解できませんでした。人種が混成し一方が差別や虐待を受けると、外部から救済すると称して侵略が始まり収拾がつかなくなります。我が国の現状でも中国や朝鮮からの流入が多くなり、国内に彼らのコミュニティが大きくなると同じことが考えられ、侵略の口実になる可能性があるので良く考えた方がいいです。日本人になり切って国を守るという同意がまず必要です。
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