明石海峡から淡路島を望む
(瀬戸内海航路)
1995年1月17日阪神淡路大震災があった。犠牲者6,434人。
両親が住む神戸市中央区と、生まれ故郷の津名郡北淡町富島(現在は淡路市富島)の両地域とも震度7の地域だった。共に甚大な被害を受けた。当時、自分は企業から池袋にあったNEDO(新エネルギー産業技術総合開発機構)という政府系の法人に出向していた。神戸には同年2月に見舞に行ったが、淡路には行かなかったのが心残りだった。
親からは「おまえが生まれた家も周りもみなつぶれた」「淡路にはワシが行くから、行けなくなっても仕方がない」と聞いていた。
東日本大震災があった2011年の翌年、2012年に復興支援プログラムで南三陸町志津川入谷地区に、約1年通ったことがある。研究室の学生たちの卒業研究をまとめるために多い時は毎週通った。当時、震災の翌年で時間が経過していたが、太平洋岸の津波被害で南三陸志津川の町全体が消失していた。既視感があった。それは神戸と淡路島の惨状のことだ。
富島遺跡報告書 2007年3月
富島遺跡 - 全国遺跡報告総覧 (nabunken.go.jp)
何かの拍子で富島遺跡があるのを知った。
大震災の後、復興と町の再建の工事の途上で縄文時代からの遺跡が発見されたという。わたしの生まれ故郷淡路島の富島という町だ。子供のころは縄文時代から続く町の上に住んでいたという意識は全くない。
「古事記」和銅5年西暦712年
「日本書紀」養老4年西暦720年
によれば
伊邪那岐命(いざなぎのみこと:伊弉諾神)
伊邪那岐命(いざなみのみこと:伊弉冉神)
の夫婦から生まれたしずくがオノコロ島、現在の淡路島だという神話がある。淡路には日本最古の神宮、伊弉諾神宮があり、故郷の淡路富島の近くにある。縄文の時代以前から人が住み、現在の天皇家の系統が日本を治めるようになって縄文時代から上書きされて融合し、連綿として続いてきたのでしょう。
自分が子供のとき、何も考えずに、そんな土の上で遊び回っていたと思うと愉快な気持ちになる。
取り戻せないものや道半ばのところもあるが、みんな立ち直ってきたことは嬉しい。