小豆島に上陸するのは今回の旅行で生まれて初めてのことだ。姫路港からフェリーに乗り、家島諸島を左舷に見て正面に小豆島が見えてきた。小豆島を見ると遥か昔に仲間と一緒にボートを漕いで小豆島に向かったことを思い出した。
多分あれは中学1年の夏休みのことだ。ボクは中学まで淡路島北部の富島(現在の淡路市富島)にいた。ある日、数人の遊び仲間と海岸でボートが漂着しているのを見つけた。公園の池でカップルが乗るような平底のボートだ。海に入れても底から海水がどんどん侵入して沈没してしまう。そこで修理して乗ってみようということになった。みんなで手分けしてハンマー、ノミやマイナスドライバーなどのありあわせの工具と、ボート底の穴や隙間に詰めて海水の侵入を防ぐため、シュロの繊維とパテを持ち寄って、暑い夏の海岸でみんなで何日かかけて修理し、かろうじて水密を保った。しかしボートは古くて捨ててあったしろものなので、修理してもボートの浸水は完全には止まらず、ほんの少しじわじわと底から海水が染み込んできたが、これ以上の修理はできないのでそれで完成とした。
そこで数人が乗り込んで淡路島北部の砂浜の海岸から沖に漕ぎ出した。ボートのオールがなかったので、平な板を櫂(かい)にしてボートを漕いだ。多分、漕ぎ手は左右に2人ずつに分かれて、ペーロン競漕のように前から後ろへと力を入れてかき込むように漕ぎながら進むのだ。メンバーは私設野球チームのキャプテンほか中学2年の上級生が主で、中学1年はボクとタカタくんの2人だったと思う。下級生のボクは役に立つ漕ぎ手だったと思う。瀬戸内の海は鏡のようで波もなく、この世の天国のような気分だった。せっかく沖に出たので、家島や小豆島を目指そうという話になったことを覚えている。そしてどんどん沖の小豆島方面を目指して漕ぎ出した。
その後、何時間ぐらいたったのだろう。ボートを漕いでも漕いでも目標の小豆島は全然近づかない。ただ、岸からどんどん離れていく。岸からは何kmかは離れたが、ご承知のように瀬戸内海の潮流は非常に早く、干満に応じて方角や速度は目まぐるしく変化する。ボートの底から浸水する海水のことをアカというが、ボートの内側にアカがたまってきて、ヒシャクでいくら汲み出してもどんどん海水が船内に入ってくるようになった。たぶん防水が効かなくなってきたのだろう。潮の流れは速く目指す西方向ではなく南西に流されるようになった。岸側の地形も見覚えがない。たぶん室津の沖ぐらいまで流されたのだろう。食料や水はほとんど積んでいなかったし、ボートは潮流に流されるし、ボートのアカをヒシャクで必死にくみ出す。その後はずいぶん長い間アカを必死で汲みだして、一生懸命にボートを漕いだ。あとはどうやって出発地へたどり着いたか覚えていないほど疲労困憊して帰り着いた。
さて、淡路島北部の富島から小豆島までは50kmほどの距離がある。とても手漕ぎのおんぼろボートで行ける距離ではない。50年以上経過してその小豆島にやっと上陸できた。
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