東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

生船(なません)鮮魚運搬船

2021-11-28 | 淡路・神戸・明石・京都
 





先年亡くなった叔父さんの話では、私の祖父は信望のある船長だったそうだ。
終戦後、魚は飛ぶように売れた。
動物性タンパクが極端に不足していた時代のことだ。
終戦直後の一時期に祖父、父と叔父が同じ生船(なません)に乗って九州方面から神戸大阪に魚を運んだ。
対馬、壱岐、五島、天草などから関西へ運ぶのだ。
戦前は朝鮮からも運んだという。
氷詰めのイワシなどの青物はちょうど大阪の市場に着く頃に氷が溶け終わるように運搬したという。
祖父はその時間調整を伴う生船の操縦が絶妙だったという。
祖父や父は対馬のことを対州(たいしゅう)、壱岐のことを壱州(いしゅう)と呼んでいた。
その後、生きた魚を生け簀で運ぶ鮮魚運搬船が多くなり大阪の料亭などで重宝されたという。

今回、五島列島や天草に行ったのは祖父、父、叔父が通った海の道を見たかったからだ。

五島列島の海岸線は入り江が多く美しく天然の良港が多い。
ここは弘法大師となる空海が遣唐使船に乗って中国に向かった西の果てだった。
五島と長崎の中間に船で来ると、どちらも晴れた日には肉眼で確認できる。
平戸方面を見れば五島は半島の続きのように見える。
長崎から西北西に向かえば五島列島は屏風のように連なって見え、何とも安堵できる存在だ。
もちろん海が荒れたらひとたまりもなく遭難死する。

長崎が近くなると、まず三菱重工の門形クレーンが見える。
百万トンドックといわれた名門のクレーンだ。
30年以上前に見学したことを思い出した。







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