いきいき交流ふるさと館(兵庫県赤穂郡上郡町 大鳥圭介生家跡)
先日は上郡(かみごおり)の大鳥圭介生家跡を訪問した。カミさんと一緒に行ったところ思いもかけず大歓迎された。いきいき交流ふるさと館の大鳥圭介塾塾長の猪尾守之さんから生の資料の丁寧な説明を受け、その上、パワーポイントプロジェクターを使用した1時間ほどの講義も受けた。多くのエネルギッシュなスタッフの皆さんの歓迎のおもてなしに感謝感激した。帰り際にはボクの体は大鳥圭介でいっぱいに満ち溢れるほどになった。
大鳥圭介の人物像は幕末から明治にかけての偉人で知る人ぞ知るだが、意外に知られていないことが多い。1832年(天保3年)生まれで1911年(明治44年)没。幕臣として歩兵奉行を務め伝習隊を組織し、戊辰戦争では江戸城から逃れ、北関東から会津へと転戦し、仙台も経由し函館五稜郭に至り、五稜郭で降伏後は捕らえられて牢獄に3年間入った。
江戸から五稜郭に至る間、土方歳三は組織上は大鳥圭介の配下にあったようだ。司馬遼太郎の「燃えよ剣」は小説とはいえ司馬史観に基づく土方の英雄視が強すぎるのではないかとのこと。
大鳥圭介は出獄後に欧米の産業視察と外債募集を行い、工部大学校(東大工学部の前身)校長、学習院院長、華族女学校校長、清国在勤特命全権公使、朝鮮国公使などを歴任した。大鳥圭介は明治以降の技術系の基礎を作ったと言っても過言ではない。
さて、大鳥圭介のことを知るに至ったのは明治維新の直後、淡路島の洲本から北海道日高地方の静内に家老の稲田氏ほか一族が入植したことにボクが興味を持ったことから始まる。その過程で中川由香さんというアマチュアの大鳥圭介の研究者をSNS上で知った。そのブログで彼女はバイク旅行で北海道の静内に立ち寄ったとき、静内は馬の生産地として有名になったが、もともと静内地方は淡路島からの入植者が開拓してきたことに驚いたと記していた。彼女は淡路の洲本市出身で開発途上国の前線にいてエネルギー問題に関する実務が本業のようだ。現在は大鳥圭介の栃木から会津、北海道の木古内や函館の戦歴調査をしているそうだ。凄いなあ!
いきいき交流ふるさと館塾長の猪尾守之さんは京都大学の物理出身、湯川秀樹先生門下で卒業後は住友ゴムに勤務し、定年退職後に地元上郡出身の大鳥圭介を知り調査研究にのめり込み10年以上経過したとのこと。
大鳥圭介は幼少から青年期にかけて漢学、蘭学、兵術、英語などありとあらゆることに興味を持ち、勉学に勤しんだ。悪ガキが勉学によって成長した。それが知識のみに止まらず実学として血肉化し行動となった。
人間到るところ青山あり! ですね。
大鳥圭介 産湯の井戸
大鳥圭介の出身地 兵庫県上郡町
上郡町役場 大鳥圭介像
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