大日本帝国憲法の署名
大日本帝国憲法は明治22年(1889)2月11日に公布された。これは法治国家としての基盤を欧米列強に示し、近代国家の仲間入りするための議会制度などを含み、治外法権などの不平等条約改定に進むため急いで構築した明治日本の憲法である。
明治天皇の詔書には黒田清隆や伊藤博文などとともに逓信大臣榎本武揚の名前がある。榎本は戊辰戦争の函館での戦いで幕府方のリーダーとなり、敗戦後は獄中にいた。総理大臣となった黒田清隆は箱館戦争では官軍側にいた。獄中にいた榎本武揚や大鳥圭介などの助命嘆願をおこなったのは黒田清隆らだという。
旧幕府側の逆臣でも能力のある人材は維新後であっても生かされた。榎本武揚や大鳥圭介は一度は捨てた己の命をその後の新しい日本を作るために生かした。その尽力と貢献は凄いものだ。
特に若い人に伝えたいことは、若いうちは学問に勤しみ、同時に志を持ち続けることだ。
江差港の開陽丸
榎本武揚と開陽丸
開陽丸記念館
江差港
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