目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

運河・高輪ガード・泉岳寺コース 約7.5Km

2017-12-11 13:57:50 | ウォーキング
山手線の最長駅間である田町・品川間に新駅(仮称「品町」タモリ倶楽部命名)が開業するための再開発で「高輪橋架道橋」(通称高輪ガード)が廃止されるかもしれないというニュースを見た我がクラブの会長が「面白そうだから行ってみたい」と言うので、設定したコースです。


写真:恵比寿駅西口恵比寿像
田町駅から歩き始めるので、集合は恵比寿駅にしました。



写真:新芝運河
田町駅の芝浦口を出て、広場でストレッチの後新芝運河沿いの遊歩道を歩きます。自転車の通行が規制されており、歩行者にはとても歩きやすい場所でした。


写真:高浜公園
遊歩道の南端に高浜公園があります。野良猫が多く写真を撮る人やらエサをやる人やら。恰幅の良い猫が日向ぼっこをしており、人が近づいても逃げません。


写真:高輪ガード東端

写真:高輪ガード西端
いよいよ主目的地の一つ高輪ガード。桁下1.5mのためかがまないと頭をぶつけます。本来自転車は押して通行しなくてはならないのですが、乗ったままの方が頭が低くなり通行しやすいようで、ほとんどの人が自転車に乗ったまま通行してゆき、ウォーキングに適したルートとはいえません。
高輪ガードについてWikipediaから引用してみましょう。「田町車両センター」に記述があります。
敷地内の芝浦四丁目と港南一丁目の境界を区道(東行き一方通行)が通っている。これをまたぐガードの高輪橋架道橋(たかなわきょうかどうきょう)は高さ制限が1.5mという極端な低さである。また、ガードから本センターに通じる通路が2カ所あるが、西側の1カ所は鉄板でふさがれており警告板のみ残っている。東側は「閉鎖 品川運転所長」の札がぶら下がっているのみで原形をとどめている。東京無線など都内を走るタクシーには、天井の社名灯が通行の支障となるため、社名灯の頂上部を数cm削ったいわゆる「高輪橋架道橋特別仕様」が存在する。 また、車高の高い自動車がカーナビでこちらに誘導されたり、また、自車の車高を把握してない一般ドライバーが誤って進入したために自車の屋根を損傷させたり、そこまで至らぬもののガード直前で通れないとわかってバックで戻ったりする光景が時々見られる。
元々この道路は運河へと続く水路だったが、大正時代にこれを埋め立てて道路が作られた。その際、当時の日本人男性の平均身長が165cm程度だったため、高さをそれに合わせ、現代人から見れば低く見える架道橋ができたとされる。






写真:泉岳寺


写真:赤穂浪士墓所
12月14までの最後の土曜日ということがあり、多くの参拝客が訪れていました。浅野内匠頭の墓所は参拝客の線香の煙で煙幕を張ったようです。



写真:高輪大木戸跡
品川駅以西は第一京浜と並行して旧東海道が残っていますが、高輪のあたりは東海道が第一京浜になっているのでしょう。鉄道をひく際に用地が無くて海の上に盛り土をして通したくらいですから、国道を整備する際にも苦労したのでしょう。大木戸跡だけでも残っていてありがたいですね。
高輪大木戸跡
 高輪大木戸は、江戸時代中期の宝永7年(1710)に芝口門にたてられてのが起源である。享保9年(1724)に現在地に移された。現在地の築造年には宝永7年説・寛政4年(1729)など諸説がある。
 江戸の南の入口として、道幅約六間(約10メートル)の旧東海道の両側に石垣を築き夜は閉めて通行止とし、治安の維持と交通規制の機能を持っていた。
 天保2年(1831)には、札の辻(現在の港区芝5-29-16)から高札場も移された。この高札場は、日本橋南詰・常盤橋外・浅草橋内・筋違橋内・半蔵門外とともに江戸の六大高札場の一つであった。
 京上り、東下り、伊勢参りの旅人の送迎もここで行われ、付近に茶屋などもあって、当時は品川宿にいたる海岸の景色もよく月見の名所でもあった。
 江戸時代後期には木戸の設備は廃止され、現在は、海岸側に幅5.4メートル、長さ7.3メートル、高さ3.6メートルの石垣のみが残されている。
 四谷大木戸は既にその痕跡を止めていないので、東京に残された、数少ない江戸時代の産業交通土木に関する史跡として重要である。震災後「史蹟名勝天然記念物保存法」により内務省(後文部省所管)から指定された。
 平成5年(1993)3月31日 建設
 東京都教育委員会

この通りは第一京浜で国道15号です。第二京浜は国道1号ですが、第二京浜が出来る前は第一京浜が国道一号で、それが国道15号に変更されたのは戦後のことのようです。第一京浜と第二京浜のあいだにある聖坂や伊皿子を通る道が古代中世の通行路で、古奥州街道と呼ばれる最も古い道です。


写真:高輪ガード西端

写真:高輪ガードの中

写真:港南一丁目
再び高浜公園へ戻り、運河沿いの遊歩道を歩きます。高架橋を走っている新幹線は、大井車両基地へ向かっています。


写真:高浜運河遊歩道入り口




写真:高浜運河
今度は先ほどより幅の広い高浜運河です。ここも時々ランナーとすれ違うくらいで、ウォーキングには最適です。鴨、キンクロハジロ、鵜、カモメ、鷺などを見ることが出来、ときどき跳ねている魚はボラでしょうか?


写真:ツワブキ

写真:目黒川水門
天王洲運河を天王洲橋で渡るとたくさんのツワブキが迎えてくれました。ここから先は京浜運河。目黒川水門はかつての目黒川の河口に当たる場所でしょうか?目黒川河口には砂州が広がっていたようです。


写真:品川橋

写真:鎮守橋

写真:荏原神社の恵比寿様

写真:荏原橋
品川橋は宿場としての品川の中心地です。浮浪雲が活躍していた場所ですね。荏原神社へ向かう赤い橋が鎮守橋。荏原神社の恵比寿様は糸のついた釣竿を持っており、糸の先は鯛の口につながっています。江戸時代この辺りは目黒区も含めて武蔵国荏原郡でした。荏原は荏胡麻の畑の呼び名で、古来から食料や油の原料とした荏胡麻が栽培されていたのでしょう。目黒川も汽水となっているし、真水のないこの辺りは水田には適さなかったのでしょう。


写真:居木橋から見た目黒川
この日のゴールは大崎駅で、この先の児童公園で場所をお借りしてストレッチをしました。


写真:バカラシャンデリア

写真:グラススクエアのしげぞう
この日すこやか歩こう会は忘年会で、恵比寿ガーデンプレイス内グラススクエアにある「炉端酒場 しげぞう」で大いに盛り上がりました。恵比寿駅西口の恵比寿像に始まり、荏原神社の恵比寿像で締めて、恵比寿ガーデンプレイスで一年の締めくくり。来年の豊漁は間違いなしですね。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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