季節外れの上陸となった台風6号により天気予報がころころ変わる展開となり、実施の判断が難しいことは前日から感じていました。前日になってもメディアにより予想最高気温に27度から34度と幅があって、気象予報士も季節外れの台風が去った後の天気は予報しあぐねていたことが想像されます。当日朝雨の心配がないことは各メディアの統一見解でしたが、最高気温は33度という予報が目立っています。7時前の天気予報でNHKの南予報士が32度としたことを根拠に実施の運びとなりました。実際最高気温は32度程度でしたが、朝方まで雨が降って湿気が多かったので汗びっしょりになりました。
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ニイニイゼミ
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蝉が出てきた穴
今シーズン蝉の声を初めて聴いたのはつい先日でした。朝の天気予報で「セミが鳴き始めています」と聞き、出かけた時にミンミンゼミが鳴いていることに気づきました。「最初に鳴き始めるのはミンミンゼミか」とその時思いましたが、東京で一番初めに鳴き始めるのはニイニイゼミです。羽化したばかりなのか近くによっても飛び立たないこの蝉を見て思い出したところです。抜け殻を探したのですが、この日は見つかりませんでした。
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苔むした桜の木
この木はソメイヨシノだったかヤエザクラだったか忘れましたが、駒場野公園の通路に個人の記念樹として植えられている桜の木は苔むしていたり他の植物に寄生されていたり。植えられている場所の環境によるものでしょうか。
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駒場野公園のバラ
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御用屋敷跡
江戸時代、この周辺は約5万5千坪(約18万㎡)におよぶ御用屋敷の敷地です。この辺りに建っていたと推定される建物は、徳川将軍がこの近くの駒場野へ鷹狩に来た際には食事や休息場所となり、また平素は狩場の管理や準備にあたる鳥見役が詰めていました。
御用屋敷を含むこの地域は元々、上目黒村の加藤家が拓いた土地でした。寛永3年(1626)に御用屋敷になる土地が加藤家より伊予宇和島藩伊達家へ献上され、同家の下屋敷となりました。そして、幕府によって江戸周辺の鷹狩場が整えられるに従い、享保3年(1718)に伊達家より下屋敷は建物を含めて幕府に差し出されて、御用屋敷になりました。御用屋敷には、将軍家のための「御薬園」も設けられ、薬用の植物が栽培されていました。
平成22年12月
目黒区教育委員会
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第三機動隊
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東邦大学大橋病院
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冬はこの方向に富士山が見えます
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馬神碑
玉川通りから大橋病院の前を通り高台に第三機動隊がある道、以前は歩道が狭く歩きにくいところでした。私が通っていた小学校の徒歩遠足で駒場公園へ行くときにとおるのですが、印象が悪かった記憶があります。上り坂だし、歩道が狭かったからでしょう。第三機動隊の外壁が改修され、小さな休憩場所が出来ました。
日本通運が使っていた広大な傾斜地を東邦大学が購入し新しい病院が建設されました。目黒川側からの入り口が出来て、通院される方には便利になったようですが一番恩恵を受けているのは東邦大学中高の生徒さんたちかな。池尻大橋駅までの通学路にショートカットが出来たようです。目黒台の台地を目黒川が削った南向きの台地の縁では縄文時代から集落があり、発掘調査が行われました。
馬神碑も南向き台地の縁にあり、明治時代ここに騎兵第一連隊が置かれたため戦争や訓練のために命を落とした馬たちを弔っています。中央競馬が行われない時期のためか、人参はなく供えられているのは蹄鉄のみですね。
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東仲橋わきの工事現場
お世話になっている美容師の方が昔住んでいたアパートはなくなりました。
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ギボウシ
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キバナコスモス
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ノコギリソウ
目黒川緑道はボランティアの方のおかげで花盛りです。ボランティアの方も暑いでしょうが、日差しを遮るものがないので歩いている我々も暑いです。
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目黒富士登山口
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目黒富士登山道
元富士の富士塚は岩倉具視邸となった時に破壊されたものと思っていましたが、破壊されたのは昭和になってからなのですね。目黒富士が設けられたのは昭和52年ということですでに玉川線は廃止になり、首都高三号線の建設も終わったあとです。目黒富士についてWikipediaから引用します。
目黒富士
江戸時代、富士山を対象とした民間信仰が広まった。人々は富士講なる集まりを作り、富士山に登頂したほか、身近な所に富士山を模した「富士塚」を築き、祠を作った。
目黒区内では現在の上目黒1-8付近に文化9年(1812年)に築かれたものがあり、高さは12メートルあった(目黒富士)。文政2年(1819年)には現在の中目黒2-1にも新しく富士塚が築かれたことから、上目黒にある方を「元富士」と呼び、中目黒に造られた方を「新富士」と呼んだ。いずれの富士塚も歌川広重の「名所江戸百景」に描かれた名所であった。
元富士は、1878年(明治11年)に同地が岩倉具視の別邸となった際に石祠や石碑類が上目黒氷川神社に移され、浅間神社も同神社内に遷座した。塚の場所はその後根津嘉一郎邸となり、1939年(昭和14年)の改築の際に破壊された。新富士も1959年(昭和34年)に取り壊された。
その後、1977年(昭和52年)に上目黒氷川神社内の一角が新たな「目黒富士」とされ、毎年7月には山開きの例祭が行われている。
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上目黒氷川神社
御祭神
素戔嗚尊 悪疫退散の神様
天照大御神 太陽の神様
菅原道真 学問の神様
御由緒
天正年間(1573~1592)に甲州武田信玄の家臣であった加藤家が上野原より産土の大神をこの地に迎えたと言われております。昔より、この氏子は疫病知らずといわれておりました。現在では、厄除けの神様として親しまれております。
正面の石段は小松作りで、文化十三年(1816年)に作られました。明治三十八年(1905年)には大山街道(現・玉川通り)拡張に際し、現在の形に改修されました。正面階段左には、自然の崖を利用した富士浅間神社登山道があります。昭和六十年頃までは、頂上から遠く富士山を見ることが出来ました。
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浅間神社
御祭神
木花咲耶姫 鎮火・安産の神様
江戸時代に富士山信仰が盛んになり、全国各地に富士塚を作り浅間神社がお祀りされました。富士塚を登り浅間神社をお参りすることで、実際に富士山に登って参拝したこととしました。
当浅間神社は、上目黒一丁目の目切坂にあった元富士を、明治11年氷川神社に末社として遷したものです。
賽銭箱にある丸旦は、元富士を気づいた富士講「丸旦組」のマークです。
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稲荷神社
御祭神
宇迦之御魂神 農耕・産業全般の神様
創建は不明。昔はこの山を稲荷山と呼ぶことがあったことから、創建は氷川神社よりも古いと言われております。
現在では産業の神様とし、3月の午の日に合わせ、のぼり旗を立て、氏子・崇敬者と共に初午祭を斎行しております。
氷川神社の御由緒で初めて知ったのですが、キンケロ劇場前の北野神社は氷川神社の末社とのことです。私が子供のころ、北野神社のおみこしは土曜日烏森神社に渡御していたこと、現在でも烏森神社と同じ日に祭礼が行われることから烏森神社の末社だと思っていました。
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苔
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ボラーチョ
雨上がりで苔が一番きれいに見える季節かもしれません。淡島通りのボラーチョは一時期よく通った洋食屋さんです。
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駒場バラ園
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井の頭線
駒場東大前を出て渋谷駅へ向かう井の頭線はここからトンネルに入り、次の神泉駅もトンネルの中にあります。
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一二郎池
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駒場図書館
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一号館
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野球場
本郷の三四郎池をもじって教養学部は一二郎池です。誘導者がここを避けて池に行かなかったので蚊に刺されずに済みました。一号館は旧公衆衛生院や東大病院を設計した内田祥三の内田ゴシックです。
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旧前田家洋館
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駒場野公園門扉
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ケルネル田圃
駒場農学校の実験田圃では、稲がすくすくと育っていました。公園の一角をお借りしてストレッチの後解散となりました。
有志八名は渋谷へ出て、ライオンのおいしいビールでのどを潤しました。この時期のウォーキングは暑いけれど、終わった後のビールは最高です。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
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ニイニイゼミ
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蝉が出てきた穴
今シーズン蝉の声を初めて聴いたのはつい先日でした。朝の天気予報で「セミが鳴き始めています」と聞き、出かけた時にミンミンゼミが鳴いていることに気づきました。「最初に鳴き始めるのはミンミンゼミか」とその時思いましたが、東京で一番初めに鳴き始めるのはニイニイゼミです。羽化したばかりなのか近くによっても飛び立たないこの蝉を見て思い出したところです。抜け殻を探したのですが、この日は見つかりませんでした。
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苔むした桜の木
この木はソメイヨシノだったかヤエザクラだったか忘れましたが、駒場野公園の通路に個人の記念樹として植えられている桜の木は苔むしていたり他の植物に寄生されていたり。植えられている場所の環境によるものでしょうか。
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駒場野公園のバラ
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御用屋敷跡
江戸時代、この周辺は約5万5千坪(約18万㎡)におよぶ御用屋敷の敷地です。この辺りに建っていたと推定される建物は、徳川将軍がこの近くの駒場野へ鷹狩に来た際には食事や休息場所となり、また平素は狩場の管理や準備にあたる鳥見役が詰めていました。
御用屋敷を含むこの地域は元々、上目黒村の加藤家が拓いた土地でした。寛永3年(1626)に御用屋敷になる土地が加藤家より伊予宇和島藩伊達家へ献上され、同家の下屋敷となりました。そして、幕府によって江戸周辺の鷹狩場が整えられるに従い、享保3年(1718)に伊達家より下屋敷は建物を含めて幕府に差し出されて、御用屋敷になりました。御用屋敷には、将軍家のための「御薬園」も設けられ、薬用の植物が栽培されていました。
平成22年12月
目黒区教育委員会
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第三機動隊
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東邦大学大橋病院
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冬はこの方向に富士山が見えます
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馬神碑
玉川通りから大橋病院の前を通り高台に第三機動隊がある道、以前は歩道が狭く歩きにくいところでした。私が通っていた小学校の徒歩遠足で駒場公園へ行くときにとおるのですが、印象が悪かった記憶があります。上り坂だし、歩道が狭かったからでしょう。第三機動隊の外壁が改修され、小さな休憩場所が出来ました。
日本通運が使っていた広大な傾斜地を東邦大学が購入し新しい病院が建設されました。目黒川側からの入り口が出来て、通院される方には便利になったようですが一番恩恵を受けているのは東邦大学中高の生徒さんたちかな。池尻大橋駅までの通学路にショートカットが出来たようです。目黒台の台地を目黒川が削った南向きの台地の縁では縄文時代から集落があり、発掘調査が行われました。
馬神碑も南向き台地の縁にあり、明治時代ここに騎兵第一連隊が置かれたため戦争や訓練のために命を落とした馬たちを弔っています。中央競馬が行われない時期のためか、人参はなく供えられているのは蹄鉄のみですね。
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東仲橋わきの工事現場
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ギボウシ
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キバナコスモス
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ノコギリソウ
目黒川緑道はボランティアの方のおかげで花盛りです。ボランティアの方も暑いでしょうが、日差しを遮るものがないので歩いている我々も暑いです。
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目黒富士登山口
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目黒富士登山道
元富士の富士塚は岩倉具視邸となった時に破壊されたものと思っていましたが、破壊されたのは昭和になってからなのですね。目黒富士が設けられたのは昭和52年ということですでに玉川線は廃止になり、首都高三号線の建設も終わったあとです。目黒富士についてWikipediaから引用します。
目黒富士
江戸時代、富士山を対象とした民間信仰が広まった。人々は富士講なる集まりを作り、富士山に登頂したほか、身近な所に富士山を模した「富士塚」を築き、祠を作った。
目黒区内では現在の上目黒1-8付近に文化9年(1812年)に築かれたものがあり、高さは12メートルあった(目黒富士)。文政2年(1819年)には現在の中目黒2-1にも新しく富士塚が築かれたことから、上目黒にある方を「元富士」と呼び、中目黒に造られた方を「新富士」と呼んだ。いずれの富士塚も歌川広重の「名所江戸百景」に描かれた名所であった。
元富士は、1878年(明治11年)に同地が岩倉具視の別邸となった際に石祠や石碑類が上目黒氷川神社に移され、浅間神社も同神社内に遷座した。塚の場所はその後根津嘉一郎邸となり、1939年(昭和14年)の改築の際に破壊された。新富士も1959年(昭和34年)に取り壊された。
その後、1977年(昭和52年)に上目黒氷川神社内の一角が新たな「目黒富士」とされ、毎年7月には山開きの例祭が行われている。
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上目黒氷川神社
御祭神
素戔嗚尊 悪疫退散の神様
天照大御神 太陽の神様
菅原道真 学問の神様
御由緒
天正年間(1573~1592)に甲州武田信玄の家臣であった加藤家が上野原より産土の大神をこの地に迎えたと言われております。昔より、この氏子は疫病知らずといわれておりました。現在では、厄除けの神様として親しまれております。
正面の石段は小松作りで、文化十三年(1816年)に作られました。明治三十八年(1905年)には大山街道(現・玉川通り)拡張に際し、現在の形に改修されました。正面階段左には、自然の崖を利用した富士浅間神社登山道があります。昭和六十年頃までは、頂上から遠く富士山を見ることが出来ました。
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浅間神社
御祭神
木花咲耶姫 鎮火・安産の神様
江戸時代に富士山信仰が盛んになり、全国各地に富士塚を作り浅間神社がお祀りされました。富士塚を登り浅間神社をお参りすることで、実際に富士山に登って参拝したこととしました。
当浅間神社は、上目黒一丁目の目切坂にあった元富士を、明治11年氷川神社に末社として遷したものです。
賽銭箱にある丸旦は、元富士を気づいた富士講「丸旦組」のマークです。
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稲荷神社
御祭神
宇迦之御魂神 農耕・産業全般の神様
創建は不明。昔はこの山を稲荷山と呼ぶことがあったことから、創建は氷川神社よりも古いと言われております。
現在では産業の神様とし、3月の午の日に合わせ、のぼり旗を立て、氏子・崇敬者と共に初午祭を斎行しております。
氷川神社の御由緒で初めて知ったのですが、キンケロ劇場前の北野神社は氷川神社の末社とのことです。私が子供のころ、北野神社のおみこしは土曜日烏森神社に渡御していたこと、現在でも烏森神社と同じ日に祭礼が行われることから烏森神社の末社だと思っていました。
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苔
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ボラーチョ
雨上がりで苔が一番きれいに見える季節かもしれません。淡島通りのボラーチョは一時期よく通った洋食屋さんです。
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駒場バラ園
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井の頭線
駒場東大前を出て渋谷駅へ向かう井の頭線はここからトンネルに入り、次の神泉駅もトンネルの中にあります。
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一二郎池
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駒場図書館
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一号館
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野球場
本郷の三四郎池をもじって教養学部は一二郎池です。誘導者がここを避けて池に行かなかったので蚊に刺されずに済みました。一号館は旧公衆衛生院や東大病院を設計した内田祥三の内田ゴシックです。
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旧前田家洋館
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駒場野公園門扉
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ケルネル田圃
駒場農学校の実験田圃では、稲がすくすくと育っていました。公園の一角をお借りしてストレッチの後解散となりました。
有志八名は渋谷へ出て、ライオンのおいしいビールでのどを潤しました。この時期のウォーキングは暑いけれど、終わった後のビールは最高です。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール