自由ヶ丘コース 約4.9km
都立大学駅を発着点として区内西部、旧衾村をめぐるコースです。自由が丘という町名になる前「衾」でほぼ決まっていた町名を、文化人たちが勝手に自由が丘と名付け既成事実を重ねて町名にしてしまったことは有名ですね。昭和2年東横線開通当時の駅名は「九品仏駅」で現在の大井町線九品仏駅開業に伴い昭和4年に「自由ヶ丘駅」に改称されましたが、これは昭和2年に開校した自由ヶ丘学園に由来するものです。当然のことながら「衾駅」も候補の一つでした。昭和7年に町名が「自由ヶ丘駅」に改称となり、昭和40年に「自由が丘」に変わったことをきっかけに、駅名は昭和41年に「自由が丘駅」になりました。
このコースは毎年設定されているのですが、私自身は歩く機会がなく久しぶりです。
ソメイヨシノの落葉
集合場所は改札を出て少し自由が丘寄りにある呑川暗渠でこの場所をお借りしてストレッチを行います。暑い暑いと思っていましたが、気がつけばソメイヨシノが落葉する季節になっていました。
線路わきの上り坂
呑川暗渠から線路沿いに南西へ向かうのですが初めは上り坂で登りきると線路と同じ高さになります。都立大学駅は呑川の谷にあるので高架駅となっていますが、標高は26メートルほど。同じく目黒川の谷にある中目黒駅は標高9メートルなので目黒川の谷が深いことが分かります。
ロードサイン
私は見慣れているので自転車に乗っている人にしか見えないのですが、異国から来てこのサインを見ると別の想像をするようで、イラク人がニヤニヤして喜んでいました。
自由が丘へ向かって下り坂
立源寺前の品川みちがピークで標高39メートル。下った先の自由が丘駅も高架ですが、グランドレベルは標高25メートルです。九品仏川が流れていましたが、もとは衾沼という沼を埋め立てているので、標高は呑川と同じくらいのようです。
竹林を切り開いて東横線の歴史
大正15年2月、丸子多摩川駅(今の多摩川園)と神奈川駅(反町~横浜間)間に鉄道が開通した。これが東横線の始まりである。そのと線路が延び、渋谷~桜木町間の全線が開通したのが昭和7年。目黒のこのあたりでは、うっそうとした竹やぶを切り開いて路線が敷かれたという。農村だった目黒は、東横線の開通により急速に都市開発が進んだのである。
谷畑弁財天
昔このへんにこんこんと湧き出る清水があった。村の人がその恩恵に感謝して弁天さまを祀ったのが谷畑弁財天の始まりである。地域の守護神として、今もあつく信仰されている。
谷畑弁財天
行きどまりの道の奥にあり、目黒区みどりの散歩道の案内板を見てもここを訪れることは難しいでしょう。まさに地域の守護神。キンチョール完備。
目黒区みどりの散歩道
熊野神社
みこし保管庫
散歩道のコースは自由が丘駅方面へ向かいますがわれわれのウォーキングは熊野神社にお参りした後、緑小通りをさらに西へ向かいます。熊野神社では拝殿と神楽殿が渡り廊下でつながっていました。神輿保管庫の数も多いですね。こちらの熊野神社の御由緒をWikipediaから引用します。
鎌倉時代以前の創建と伝えられている。熊野詣が盛んだった頃、地元の住民が講を作って熊野参りをして本宮の御分霊を拝受して創建したと伝えられる。寛政八年(1796年)に社殿改修棟札の写しが残っていることから、少なくともその時期までにはこの地に創建されていた。かつて一帯は「谷畑」と呼ばれ、当神社も通称「谷畑の権現さま」と呼ばれた。
境内には碑衾村村長で、村の耕地整理に貢献した、栗山久次郎(1935年建立)の銅像がある。
柴垣
緑小通りで久しぶりに見たのですが、「柴垣」でいいんですかね。緑小通りがやけにうねっているので考えてみると、自然なのは熊野神社裏の標高35メートルで学園通りとの交差点が標高33メートルになっているのは、このあたりの学園通りが切通しになったためでしょう。駅側の神社入口と拝殿前では6メートルの標高差があり、そんなに急でもないけど切通しにして坂を均したのでしょう。
?
よく見る花なんだけど園芸種の花の名前を探すのは山野草より難しい。
呑川の谷
農産物即売
呑川緑道
世田谷との区界付近の区内西端を北上し、目黒通りを横断すると呑川の谷へ向かった坂。写真では表現しにくいけど結構な急坂です。消防署を右折して呑川緑道へ入ります。
呑川駒沢支流緑道
オオケタデ
みどりの散歩道
呑川本流緑道から左折して駒沢支流緑道に入ります。こちら方面へ行こうとすると八雲氷川神社へ寄ることが多いので、駒沢支流はあまり歩きません。みどりの散歩道は先ほどとは違うルートで、駒沢支流緑道から駒沢公園を経由して、柿の木坂支流を通り本流に合流するルートです。
桜修館中高
ムラサキシキブ
万葉歌碑
パンパス
姪が通っていたころはまだ都立大付属高校でしたが、その後桜修館という中高一貫校になっています。駅名の元になっている都立大学があった場所でその大部分は目黒区民キャンパスで、図書館、体育館、コンサートホール等文化施設になっています。駅名も開業当時は「柿の木坂駅」で昭和6年に「府立高等前駅」に改称されています。
区民キャンパスの池
東側の柿の木坂通りに面しており、あまり歩いて通らない道なのでこの池があることは知りませんでした。
東光寺
世田谷をおさめていた吉良家の開基で区内でもかなり古いお寺で、かつては広大な寺領を持っていたようです。
八雲氷川神社
衾村の鎮守で大きな神社です。こちらは車庫として貸しているのでしょう。
八雲小学校
区内で一番古い小学校ですが、衾村の八雲小学校、上目黒村の菅刈小学校、下目黒村の下目黒小学校、碑文谷村の碑小学校はほぼ同時期に開校しています。
キバナコスモス
サルスベリ
八雲小学校から呑川本流緑道へ戻り都立大学駅裏まで戻ってストレッチをして解散しました。少し暑かったけど、ちょっぴり秋を感じさせる気持ちの良いウォーキングでした。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
都立大学駅を発着点として区内西部、旧衾村をめぐるコースです。自由が丘という町名になる前「衾」でほぼ決まっていた町名を、文化人たちが勝手に自由が丘と名付け既成事実を重ねて町名にしてしまったことは有名ですね。昭和2年東横線開通当時の駅名は「九品仏駅」で現在の大井町線九品仏駅開業に伴い昭和4年に「自由ヶ丘駅」に改称されましたが、これは昭和2年に開校した自由ヶ丘学園に由来するものです。当然のことながら「衾駅」も候補の一つでした。昭和7年に町名が「自由ヶ丘駅」に改称となり、昭和40年に「自由が丘」に変わったことをきっかけに、駅名は昭和41年に「自由が丘駅」になりました。
このコースは毎年設定されているのですが、私自身は歩く機会がなく久しぶりです。
ソメイヨシノの落葉
集合場所は改札を出て少し自由が丘寄りにある呑川暗渠でこの場所をお借りしてストレッチを行います。暑い暑いと思っていましたが、気がつけばソメイヨシノが落葉する季節になっていました。
線路わきの上り坂
呑川暗渠から線路沿いに南西へ向かうのですが初めは上り坂で登りきると線路と同じ高さになります。都立大学駅は呑川の谷にあるので高架駅となっていますが、標高は26メートルほど。同じく目黒川の谷にある中目黒駅は標高9メートルなので目黒川の谷が深いことが分かります。
ロードサイン
私は見慣れているので自転車に乗っている人にしか見えないのですが、異国から来てこのサインを見ると別の想像をするようで、イラク人がニヤニヤして喜んでいました。
自由が丘へ向かって下り坂
立源寺前の品川みちがピークで標高39メートル。下った先の自由が丘駅も高架ですが、グランドレベルは標高25メートルです。九品仏川が流れていましたが、もとは衾沼という沼を埋め立てているので、標高は呑川と同じくらいのようです。
竹林を切り開いて東横線の歴史
大正15年2月、丸子多摩川駅(今の多摩川園)と神奈川駅(反町~横浜間)間に鉄道が開通した。これが東横線の始まりである。そのと線路が延び、渋谷~桜木町間の全線が開通したのが昭和7年。目黒のこのあたりでは、うっそうとした竹やぶを切り開いて路線が敷かれたという。農村だった目黒は、東横線の開通により急速に都市開発が進んだのである。
谷畑弁財天
昔このへんにこんこんと湧き出る清水があった。村の人がその恩恵に感謝して弁天さまを祀ったのが谷畑弁財天の始まりである。地域の守護神として、今もあつく信仰されている。
谷畑弁財天
行きどまりの道の奥にあり、目黒区みどりの散歩道の案内板を見てもここを訪れることは難しいでしょう。まさに地域の守護神。キンチョール完備。
目黒区みどりの散歩道
熊野神社
みこし保管庫
散歩道のコースは自由が丘駅方面へ向かいますがわれわれのウォーキングは熊野神社にお参りした後、緑小通りをさらに西へ向かいます。熊野神社では拝殿と神楽殿が渡り廊下でつながっていました。神輿保管庫の数も多いですね。こちらの熊野神社の御由緒をWikipediaから引用します。
鎌倉時代以前の創建と伝えられている。熊野詣が盛んだった頃、地元の住民が講を作って熊野参りをして本宮の御分霊を拝受して創建したと伝えられる。寛政八年(1796年)に社殿改修棟札の写しが残っていることから、少なくともその時期までにはこの地に創建されていた。かつて一帯は「谷畑」と呼ばれ、当神社も通称「谷畑の権現さま」と呼ばれた。
境内には碑衾村村長で、村の耕地整理に貢献した、栗山久次郎(1935年建立)の銅像がある。
柴垣
緑小通りで久しぶりに見たのですが、「柴垣」でいいんですかね。緑小通りがやけにうねっているので考えてみると、自然なのは熊野神社裏の標高35メートルで学園通りとの交差点が標高33メートルになっているのは、このあたりの学園通りが切通しになったためでしょう。駅側の神社入口と拝殿前では6メートルの標高差があり、そんなに急でもないけど切通しにして坂を均したのでしょう。
?
よく見る花なんだけど園芸種の花の名前を探すのは山野草より難しい。
呑川の谷
農産物即売
呑川緑道
世田谷との区界付近の区内西端を北上し、目黒通りを横断すると呑川の谷へ向かった坂。写真では表現しにくいけど結構な急坂です。消防署を右折して呑川緑道へ入ります。
呑川駒沢支流緑道
オオケタデ
みどりの散歩道
呑川本流緑道から左折して駒沢支流緑道に入ります。こちら方面へ行こうとすると八雲氷川神社へ寄ることが多いので、駒沢支流はあまり歩きません。みどりの散歩道は先ほどとは違うルートで、駒沢支流緑道から駒沢公園を経由して、柿の木坂支流を通り本流に合流するルートです。
桜修館中高
ムラサキシキブ
万葉歌碑
パンパス
姪が通っていたころはまだ都立大付属高校でしたが、その後桜修館という中高一貫校になっています。駅名の元になっている都立大学があった場所でその大部分は目黒区民キャンパスで、図書館、体育館、コンサートホール等文化施設になっています。駅名も開業当時は「柿の木坂駅」で昭和6年に「府立高等前駅」に改称されています。
区民キャンパスの池
東側の柿の木坂通りに面しており、あまり歩いて通らない道なのでこの池があることは知りませんでした。
東光寺
世田谷をおさめていた吉良家の開基で区内でもかなり古いお寺で、かつては広大な寺領を持っていたようです。
八雲氷川神社
衾村の鎮守で大きな神社です。こちらは車庫として貸しているのでしょう。
八雲小学校
区内で一番古い小学校ですが、衾村の八雲小学校、上目黒村の菅刈小学校、下目黒村の下目黒小学校、碑文谷村の碑小学校はほぼ同時期に開校しています。
キバナコスモス
サルスベリ
八雲小学校から呑川本流緑道へ戻り都立大学駅裏まで戻ってストレッチをして解散しました。少し暑かったけど、ちょっぴり秋を感じさせる気持ちの良いウォーキングでした。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール