目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

【散歩】下馬、上目黒

2023-01-04 14:17:51 | 東京都目黒区、世田谷区
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

三が日ほとんど歩いていないので散歩へ。でもないのですが、駒沢の日産ディーラーに車検で車を預けに行った帰り道です。数えてみれば今回が16回目の車検。いつまで乗れることやら。


白梅
ロウバイでも咲いていないかとカメラを持って出かけたのですが見つけたのは白梅で香っていました。植物の名称はカタカナで書くようにしているのですが、「ハクバイ」では雰囲気が出ないので白梅ですね。




お猿庚申
お猿庚申(庚申塔二基・供養塔一基)
 台座の上に猿が座っている石像は通称お猿庚申といわれ、寛文十一年(1671)の銘があります。青面金剛と三猿が刻まれてるものは、もとあった地域の名から東山谷(ひがしさんや)庚申と呼ばれ、元禄七年(1694)に造られました。もう一基は「供養塔」と彫り込まれていてこれも江戸時代のものです。
 かつての下馬引沢村では、庚申講といって春と秋の「かのえさる」の日の夜に集まり、眠らず過ごす行事がありました。徹夜するのは、庚申の日の夜には三尸という虫が人体を抜け出て天上の神にその人の悪事を告げに行き、長命を妨げると信じられていたためです。
 ここにある石造物は、何らか紀念する目的で造られたと考えられます。近代の区画整備事業などで元の場所から移設されながらも地域を見守ってきました。このたび公園整備をきっかけに再び設置されました。
  令和四年三月  世田谷区教育委員会


駒沢通りの西に五本木と下馬を分ける区界の道があり、散歩道はさらに一本西になります。一方通行が相対していて世田谷観音通りはどちらも一方通行出口になるので裏道にはなりずらく車の通行はほとんどない歩きやすい道です。区界のバス通りも渋滞知らずなので裏道不要といった感じです。
お猿庚申、前回通った時は立ち入り禁止になっておりその後整備されたようです。説明看板の日付が昨年三月になっているので、一年近くこの道を歩いていなかったのかな?いつかルートに組み込みたいと思っている道です。


フクギ?

足毛橋
蛇崩川緑道の再整備が終わり奇麗になっています。世田谷区の公園課は仕事が早い。「あしげばし」とあったので「芦毛橋」だと思って写真に撮り、家に帰って写真を確認したら字が違っていたのでびっくりしています。近くに下馬の字名の由来となった芦毛塚(Googleマップの表記は「葦毛塚」)があるのでこの橋も元は芦毛だったのだと想像します。葦毛塚の真ん中に区界があり、塚の説明看板を設置しているのは世田谷区教育委員会です。すぐわきの公園は「目黒区立芦毛塚街かど公園」なので、目黒区と世田谷区で見解が対立している?ってなわきゃないか!



六畝橋
この橋の名も意外だったので撮っておきました。目黒区南部に羅漢川の支流で六畝川があります。恥ずかしいことにこれを「ろくうねがわ」と説明していたのですが調べてみると「ろくせがわ」が正解です。「畝」は広さの単位で六畝を「ろくせ」と読んでも「むつせ」と読んでもどちらが正解ということはないということでしょうか。
調べたついでなので六畝割について目黒区のサイトから引用します。
目黒の地名 六畝割(ろくせわり)
更新日:2014年2月3日

「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の地名 六畝割
六畝割(ろくせわり)は、今日の目黒本町一丁目地域をいう。かつては「こなべの」と呼ばれていたというこの地域が、いつから六畝割(ろくせわり)になったのであろうか。
明治21年に碑文谷村戸長役場が編さんした「碑文谷村村誌」に字六畝割という地名が記されている。以後、昭和7年の市郡合併により目黒区となった際に、周辺の字谷頭、池ノ上、東池下を含めた地域が清水町と改称されるまで、六畝割の地名は残っていた。さらに、昭和41年3月施行の住居表示により旧六畝割地域は目黒本町一丁目となったのである。
ところで、畝とは尺貫法でいう田地面積の単位で、一畝は一反(段)の十分の一、これをメートル法で換算すれば約一アール、百平方メートルである。従って、六畝は六百平方メートルの田地ということになる。ちなみに、同町一丁目11番の区立清水東児童遊園の敷地面積が四七六・九三平方メートルだから、それに約百二十平方メートルを加えた広さということになる。
さて、六畝割(ろくせわり)の由来だが、江戸末期まで、この地域付近一帯は樹木で覆われ開墾する者もいなかった。そこで、明治十何年ごろか、時の碑文谷村戸長、角田長広氏が村の共有地であったその一帯を六畝ずつに区切って村の農民に与え、強制的に開墾させたことから、この地域を六畝割(ろくせわり)と呼ぶようになったといわれている。



蛇崩川緑道

ハクモクレンの花芽

違和感がある時計
公園にあるような時計がなぜマンションの敷地にあるのか不明です。時刻は正確なようです。この前のみち、北へ行くと三宿病院南へ行くと下馬通り経由で芦毛塚へ至る区界の道です。かつての鎌倉街道は蛇崩交差点から五本木通り経由芦毛塚ではなく、こちらだったと思います。


蛇崩下橋(じゃくずれしもばし)

小川坂
 かつて、この一帯を「小川」といい、坂下に広がっていた田んぼを「小川田んぼ」と呼んだ。この辺りの旧家小川家が地名の由来といわれる。また、この坂のある道は、鎌倉へ通じる道として中世の頃開かれた鎌倉道であった。
  平成二十一年三月
  目黒区教育委員会



すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
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コメント
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