この日は目黒駅に集合して、下目黒の文化財をめぐります。
集合場所のアトレ2
目黒セントラルスクエア森の広場
集合場所では皆さんエアコンのきいた室内で出発を待っています。この日のコースである西側には適当な広場がないので東側にあるこちらに公園をお借りしてストレッチ。
夕日の丘
行人坂を上りきったところ。今回特に断りのない記事は目黒区サイトからの引用です。
淀橋台(よどばしだい)の先端に位置し、目黒川の谷を隔て西の荏原台(えばらだい)と向かいあった高台です。名の由来は、この丘の夕映えがたいへんに美しかったことによりますが、一説では、目黒不動(めぐろふどう)に参詣し江戸へ帰る人がこの丘から振り返ると、荏原台(えばらだい)に夕日が沈む様がまことに美しく、誰言うとなくこの名が付いたといわれています。
タイザンボク
タイザンボクの実
蕾かと思ったら実だとのこと。タイザンボクは花が咲いているときにはそれとわかりますが、葉っぱや樹形で判別することはできません。
ドレメ
杉野(すぎの)学園は、大正15年(1926年)、東京市芝(現在の港区)に杉野(すぎの)芳子(よしこ)ドレスメーカースクールとして開校し、同じ年の11月に現在の場所に移転して多くの服飾関係者を輩出してきました。特に第二次世界大戦後は、これからは洋装の時代と、多くの入学希望者が押し寄せたということです。学園の校舎がこの通り沿いに並び、現在は“ドレメ通り”とよばれています。
Amazon
杉野学園衣装博物館
喜多能楽堂
目黒川
淀橋台から坂を下り、目黒川の谷に降りてきました。
かむろ坂下
「かむろ」とは、肩までで髪を切りそろえた児童期の髪型です。遊郭で遊女に仕えた童女がこの髪型をしていたので、狭い意味では遊郭の童女を指します。
かむろ坂の名は、江戸時代の平井権八(ひらいごんぱち)と小紫(こむらさき)の悲恋話に由来します。
遊女小紫(こむらさき)と深い仲となった鳥取藩浪人の平井権八(ひらいごんぱち)は、金を得るために辻斬りを繰り返し処刑されます。小紫(こむらさき)は、目黒不動の近くにあった東昌寺(とうしょうじ)に平井権八(ひらいごんぱち)の墓を訪れ、自害して後を追います。小紫(こむらさき)が帰らないので、店の主人はかむろを様子見に遣わしますが、帰り道で暴徒に襲われ、かむろはこの付近にあった池に飛び込み亡くなりました。これを悼んで坂の名になったと伝わっています。
たこ薬師
比翼塚
かむろ坂の由来になっている比翼塚は目黒不動の仁王門前にあります。
目黒不動
大同(だいどう)3年(808年)に慈覚大師(じかくだいし)が開いたと伝わる天台宗(てんだいしゅう)寺院です。
本尊は不動明王(ふどうみょうおう)で、本堂裏には銅造の大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)(目黒区指定文化財)が安置されています。前不動堂(まえふどうどう)(東京都指定文化財)は、やはり不動明王(ふどうみょうおう)をまつっています。
その他、目黒区指定文化財の役の行者倚像(えんのぎょうじゃいぞう)や勢至堂(せいしどう)などがあります。また裏山の墓地には、サツマイモ栽培を広めて飢饉から人々を救った青木昆陽の墓(あおきこんようのはか)(国指定文化財)があります。
甘藷先生墓
サツマイモが供えられています。
海福寺
万治元年(まんじがんねん)(1658年)、隠元禅師(いんげんぜんじ)が深川に開いた黄檗宗(おうばくしゅう)の寺です。
明治43年(1910年)に現在地に移転してきました。本堂は日比谷にあった中山大納言家(なかやまだいなごんけ)の邸宅を移築したものといわれています。山門の手前には、東京都指定文化財の文化四年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑(ぶんかよねんえいたいばしほうらくおうししゃくようとうおよびせきひ)があります。山門の朱塗りの四脚門(しきゃくもん)は目黒区指定文化財です。
境内には、東京都指定文化財の梵鐘(ぼんしょう)があります。また、武田信玄(たけだしんげん)の館にあったと伝わる九重(きゅうじゅう)の石塔がありますが由来など詳細は不明です。
キウイと桃
海福寺門前のお宅です。
蟠龍寺
宝永(ほうえい)6年(1709年)、行人坂(ぎょうにんざか)付近にあった称明院(しょうみょういん)(1648年創建)を現在地に移し、戒律を厳守する寺として名を改めました。今でも、参道の右手に酒などの境内持込み禁止を刻んだ結界石(けっかいせき)が残り、戒律の厳しい寺(律院(りついん))の名残を留めています。
本尊の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)は平安時代の作で、東京都指定文化財になっています。また、山手七福神(やまてしちふくじん)のひとつに数えられ、本堂脇の岩屋には石造の弁財天(べんざいてん)がまつられています。
大鳥神社
旧下目黒村の鎮守(ちんじゅ)で、ヤマトタケルノミコトを主神としてまつっています。大同元年(だいどうがんねん)(806年)創建と伝えられ、目黒区内で最も古い神社です。
毎年11月の酉(とり)の日に開かれる酉(とり)の市には、縁起物の熊手(くまで)を売る露店(ろてん)が立ち並び、多くの人が訪れます。
また、毎年9月の例大祭には太々神楽(だいだいかぐら)「剣の舞(つるぎのまい)」が、11月の酉の市には太々神楽(だいだいかぐら)「熊手の舞(くまでのまい)」が奉納されます。
夏バージョンで距離は短いのですがやっぱり暑かった。反省会は恵比寿アトレのライオンでのどを潤しました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
集合場所のアトレ2
目黒セントラルスクエア森の広場
集合場所では皆さんエアコンのきいた室内で出発を待っています。この日のコースである西側には適当な広場がないので東側にあるこちらに公園をお借りしてストレッチ。
夕日の丘
行人坂を上りきったところ。今回特に断りのない記事は目黒区サイトからの引用です。
淀橋台(よどばしだい)の先端に位置し、目黒川の谷を隔て西の荏原台(えばらだい)と向かいあった高台です。名の由来は、この丘の夕映えがたいへんに美しかったことによりますが、一説では、目黒不動(めぐろふどう)に参詣し江戸へ帰る人がこの丘から振り返ると、荏原台(えばらだい)に夕日が沈む様がまことに美しく、誰言うとなくこの名が付いたといわれています。
タイザンボク
タイザンボクの実
蕾かと思ったら実だとのこと。タイザンボクは花が咲いているときにはそれとわかりますが、葉っぱや樹形で判別することはできません。
ドレメ
杉野(すぎの)学園は、大正15年(1926年)、東京市芝(現在の港区)に杉野(すぎの)芳子(よしこ)ドレスメーカースクールとして開校し、同じ年の11月に現在の場所に移転して多くの服飾関係者を輩出してきました。特に第二次世界大戦後は、これからは洋装の時代と、多くの入学希望者が押し寄せたということです。学園の校舎がこの通り沿いに並び、現在は“ドレメ通り”とよばれています。
Amazon
杉野学園衣装博物館
喜多能楽堂
目黒川
淀橋台から坂を下り、目黒川の谷に降りてきました。
かむろ坂下
「かむろ」とは、肩までで髪を切りそろえた児童期の髪型です。遊郭で遊女に仕えた童女がこの髪型をしていたので、狭い意味では遊郭の童女を指します。
かむろ坂の名は、江戸時代の平井権八(ひらいごんぱち)と小紫(こむらさき)の悲恋話に由来します。
遊女小紫(こむらさき)と深い仲となった鳥取藩浪人の平井権八(ひらいごんぱち)は、金を得るために辻斬りを繰り返し処刑されます。小紫(こむらさき)は、目黒不動の近くにあった東昌寺(とうしょうじ)に平井権八(ひらいごんぱち)の墓を訪れ、自害して後を追います。小紫(こむらさき)が帰らないので、店の主人はかむろを様子見に遣わしますが、帰り道で暴徒に襲われ、かむろはこの付近にあった池に飛び込み亡くなりました。これを悼んで坂の名になったと伝わっています。
たこ薬師
比翼塚
かむろ坂の由来になっている比翼塚は目黒不動の仁王門前にあります。
目黒不動
大同(だいどう)3年(808年)に慈覚大師(じかくだいし)が開いたと伝わる天台宗(てんだいしゅう)寺院です。
本尊は不動明王(ふどうみょうおう)で、本堂裏には銅造の大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)(目黒区指定文化財)が安置されています。前不動堂(まえふどうどう)(東京都指定文化財)は、やはり不動明王(ふどうみょうおう)をまつっています。
その他、目黒区指定文化財の役の行者倚像(えんのぎょうじゃいぞう)や勢至堂(せいしどう)などがあります。また裏山の墓地には、サツマイモ栽培を広めて飢饉から人々を救った青木昆陽の墓(あおきこんようのはか)(国指定文化財)があります。
甘藷先生墓
サツマイモが供えられています。
海福寺
万治元年(まんじがんねん)(1658年)、隠元禅師(いんげんぜんじ)が深川に開いた黄檗宗(おうばくしゅう)の寺です。
明治43年(1910年)に現在地に移転してきました。本堂は日比谷にあった中山大納言家(なかやまだいなごんけ)の邸宅を移築したものといわれています。山門の手前には、東京都指定文化財の文化四年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑(ぶんかよねんえいたいばしほうらくおうししゃくようとうおよびせきひ)があります。山門の朱塗りの四脚門(しきゃくもん)は目黒区指定文化財です。
境内には、東京都指定文化財の梵鐘(ぼんしょう)があります。また、武田信玄(たけだしんげん)の館にあったと伝わる九重(きゅうじゅう)の石塔がありますが由来など詳細は不明です。
キウイと桃
海福寺門前のお宅です。
蟠龍寺
宝永(ほうえい)6年(1709年)、行人坂(ぎょうにんざか)付近にあった称明院(しょうみょういん)(1648年創建)を現在地に移し、戒律を厳守する寺として名を改めました。今でも、参道の右手に酒などの境内持込み禁止を刻んだ結界石(けっかいせき)が残り、戒律の厳しい寺(律院(りついん))の名残を留めています。
本尊の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)は平安時代の作で、東京都指定文化財になっています。また、山手七福神(やまてしちふくじん)のひとつに数えられ、本堂脇の岩屋には石造の弁財天(べんざいてん)がまつられています。
大鳥神社
旧下目黒村の鎮守(ちんじゅ)で、ヤマトタケルノミコトを主神としてまつっています。大同元年(だいどうがんねん)(806年)創建と伝えられ、目黒区内で最も古い神社です。
毎年11月の酉(とり)の日に開かれる酉(とり)の市には、縁起物の熊手(くまで)を売る露店(ろてん)が立ち並び、多くの人が訪れます。
また、毎年9月の例大祭には太々神楽(だいだいかぐら)「剣の舞(つるぎのまい)」が、11月の酉の市には太々神楽(だいだいかぐら)「熊手の舞(くまでのまい)」が奉納されます。
夏バージョンで距離は短いのですがやっぱり暑かった。反省会は恵比寿アトレのライオンでのどを潤しました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール