目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

【下見】隅田川七福神コース

2017-11-08 16:31:59 | ウォーキング
トランプ大統領が日本を離れ、少し落ち着いた東京の街に下見に出かけました。新年初めのウォーキングは恒例となっている目黒駅周辺の「元祖山手七福神」を歩き、二月の始め立春の頃、また別の七福神巡りをすることになっています。二年続けてリバイバルコースの池上七福神、東海七福神と歩いたので、来年は新しいコースをと思いネットで検索しました。
隅田川七福神、大田区の多摩川七福神、羽田七福いなりを候補に挙げて検討した結果、遠いながらも座って行ける隅田川七福神と決めて下見に行ってきました。



写真:堀切駅
先日大学時代の先輩と北千住で飲んだ時に、「北千住へ田園都市線から一本で来られる」という話を聞いて、どうも納得行かなかったことがやっと理解できました。日比谷線で北千住へ行き、東武スカイツリーライン浅草方面行きに乗り換えようとホームに行くと、中央林間行きの東急線車両が入線してきました。田園都市線への直通列車です。理解できないながらも、その車両に乗り込み路線図を確認すると、半蔵門線の終点が押上駅で、曳舟駅の手前で地上に出て東武スカイツリーラインに乗り入れていました。錦糸町の北に北千住があるとは想像できず、地理に詳しいと思っていましたがまだまだ勉強不足を実感しました。
ところで北千住から乗った東急車両は急行で、私が行きたかった堀切駅を通過し、曳舟駅まで行ってしまいました。すこやか歩こう会の皆さんを連れいるときでなかっただけよしとしましょう。次につながる失敗ということで。


写真:線路に沿って南へ









写真:多聞寺・毘沙門天
始めに訪れたのは多聞寺です。茅葺の門が印象的。庚申塔や六地蔵などいろいろなものがあり、目黒あたりの田舎のお寺とは違う歴史を感じさせるお寺でした。戦災に遭った浅草国際劇場の鉄骨も印象的で、下見でなければもっとゆっくりと見てゆきたいところです。説明を引用しておきましょう。
東京大空襲で被災した浅草国際劇場の鉄骨
 1945(昭和20)年3月10日未明、アメリカ軍B29爆撃機330機による無差別絨毯爆撃を受け、下町一帯は“炎の夜”と化した。この東京大空襲による下町は壊滅状態に陥り、死者10万人、重傷者11万人、100万人が家を失った。(犠牲者の氏名、正確な人数は現在も不明)
 この元浅草国際劇場の鉄骨(1998年現在、大部分は江戸・東京博物館に展示中)は、東京大空襲を語り継ぐ、数少ない歴史的“証人”である。風船爆弾の工場となっていた浅草国際劇場も直撃団を受け、屋根を支えていた鉄骨は曲がり、ちぎれ、天井の大部分が抜け落ち、たくさんの人々が焼死した。目の前の痛ましくひきちぎられた鉄骨に向かって目を閉じてみると、炎の夜の恐怖がよみがえる。
 戦争の実相を伝える“証人たち”に静かに心を傾け、
 不殺生の誓いを新たにしましょう。

隅田山 多聞寺




写真:そば 坂むら
看板が歴史を感じさせます。


写真:富嶽三十六景 隅田川関屋の里

写真:榎本武揚像

写真:都営白鬚東アパート(防災団地)
次の七福神へ行くルートを考えたのですが、榎本武揚像が気になったので墨堤通りを歩いて見ることにしました。榎本武揚像も立派でしたが、災害時に防火壁になる防災団地の威容に圧倒されます。





写真:白髭神社・寿老神
以前来たときは縁日でにぎわっていましたが、何もないとこちらも見どころが多いことの気づかされます。


写真:東京スカイツリー
この七福神めぐりは、つねに東京スカイツリーが見えています。



写真:向島百花園・福禄寿
東京もそろそろ紅葉が見頃ですね。


写真:吉川英治旧居跡
案内板を引用しましょう。
明治25年(1892)、横浜生まれ。父は旧小田原藩士。県庁勤務の後、牧場経営に失敗し、家運が傾いたため、小学校を中退。職を転々としながら、朝から晩まで働き通した。
18歳の時、上京。本所菊川町(立川4丁目)のラセン釘工場に住み込み、夜は、本所林町(菊川1丁目)の府立夜間職工学校で、工芸図案を学ぶ。その後、浅草三筋町にある輸出用金属象嵌の下絵描きの徒弟となった。

  貧しさも あまりの果ては 笑ひ合ひ
   (吉川雉子郎の名で発表した川柳)

大正6年(1917)、25歳の時、下谷の花街で知り合った赤沢やすの寺島村1820(東向島1丁目)のこの辺りの家で同棲を始め、母たちを近くの寺島村1120(東向島3丁目)の借家に呼んだといわれている。
本格的な作家活動は、30歳で『親鸞記』を初めて新聞連載して時に始まる。以後、創刊された「キング」に『剣難女難』、大阪毎日新聞に『鳴門秘帖』を連載し、国民文学作家としての地位を不動のものにした。



写真:榎本武揚旧居跡
こちらも案内板を引用してみましょう。
父は将軍側近で天文方として伊能忠敬にも師事した知識人であった。武揚も幼い頃から学才に長け、昌平黌で儒学を、江川太郎左衛門から蘭語、中濱萬次郎から英語をそれぞれ学び、恵まれた環境で洋学の素養を身につけた。19歳で箱館奉行の従者として蝦夷地に赴き、樺太探検に参加する。安政3年(1856)には長崎海軍伝習所に学び、蘭学や造船学、航海術などを身につけた。文久3年(1867)、幕府が発注した軍艦「開陽」に乗船して帰国、翌4年に海軍副総裁に任ぜられた。
戊辰戦争では徹底抗戦を唱えたが、五稜郭で降伏、3年間投獄された。この箱館戦争で敵将ながらその非凡の才に感服した黒田清隆の庇護を受け、北海道開拓使に出仕。明治7年(1874)に駐露特命全権公使となり、樺太・千島交換条約を締結。海軍卿、駐清公使を経て文部大臣、外務大臣などを歴任した。
明治38年(1905)から、73歳で没する同41年までこの地で暮らし、墨堤を馬で毎日散歩する姿が見られたという



写真:隅田川七福神の看板
すこやか歩こう会ではこの場所を何度も歩いており、今月も「向島百花園コース」として歩くのですが、この看板には気づきませんでした。そればかりでなく、反対方向から来たのでこの道が何度も歩いた道だということすら気づきませんでした。


写真:長命寺・弁財天

写真:淡島寒月旧居跡
案内板を引用します。
父の淡島椿岳は、江戸時代に大流行した軽焼きせんべいの名店「淡島屋」を経営する実業家で大地主であった。また、知識欲が旺盛で、画を学び、ピアノを買って演奏会を開く趣味人でもあった。1884(明治17)年、向島の弘福寺地内に隠居所を建てて住んだ。
息子の寒月は西鶴再評価のきっかけをつくり、趣味人として、新聞や雑誌に寄稿。実体験をベースにした小説や江戸にまつわる話などを洒脱なタッチで著わし好評を博した。
1893(明治26)年頃、父の使っていた隠居所を梵雲庵と名づけ隠居。「梵雲庵寒月」と号し、悠々自適な生活に入る。夏目漱石の「我が輩は猫である」に水島寒月という学者が登場するが、モデルは寺田寅彦で、名前は寒月から採ったといわれている。
収集家としても有名で、梵雲庵には3000余の玩具と江戸関連の貴重な資料があったが、関東大震災ですべて焼失されてしまった。






写真:弘福寺・布袋尊
風邪除けの信仰を集める咳の爺婆尊を祀っています。


写真:向嶋墨堤組合
見番通りにこの建物があります。案内板を引用します。
江戸中期になると社会も安定し、連歌や俳諧などの会席が料理茶屋で開かれるようになった。こうした宴の席に華を添えるため、踊りや唄で客をもてなす芸妓が現れ、花柳界が誕生。以降、幕末まで大いに栄えた。しかし、明治に入ると、急速な近代化の中でこうした「江戸情緒」は徐々に失われていく。
伝統や文化の喪失を惜しむ多くの文化人は、風光明媚な向島に居を移し、新たな文学や芸術を創造し、花街もかっての賑わいを取り戻していった。粋な空間で楽しむ「お座敷遊び」は、文人墨客に愛され、やがて一般の人にも普及していった。
向島には、今なお料亭のお座敷と芸妓、舞や唄いなどの伝統芸能が脈々と継承されており、一種独特の文化圏が保たれている。
向嶋墨堤組合は、料亭、置屋、芸妓衆など花街の統括管理が主な業務で、平成24年3月現在、16軒の料亭が加盟し、100名を越える芸妓衆が登録している。規模は都内随一で、作法、所作に始まり、お座敷でのおもてなしの心を身につけるために、西川流や猿若流などの日本舞踊の他、鳴物、清元、長唄、常磐津、笛を専属の師匠について修練している。



写真:三囲神社・恵比寿・大黒天
七福神めぐりはこちらで最後となります。向島界隈は目黒と違い、江戸中期から明治期にかけての歴史というか逸話が濃いです。またいつか時間をかけて訪れてみたいと思います。こちらの七福神めぐりは正月元日から7日まで。その時期は相当混雑するようです。







写真:東京スカイツリー
浅草に出るよりも押上の方が少しだけ近かったので、帰りは押上に向かいました。北十間川にスカイツリーがまっすぐ映るものと期待していったのですが、こちら側からでは東武線の高架や建物が少し邪魔になりました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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