文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

2011/6/5…「文明のターンテーブル」。6月5日。

2011年06月05日 20時34分54秒 | 日記

(文中敬称略)
今週号のニューズ・ウィークで、ビル・エモットは、今、世界は極めて不安定で、危険な状態だと論じた。
20数年前に、日本に、「文明のターンテーブル」、が廻るのと、時を同じくするように、坂村健はトロンを発明した。
私は、6年ほど前、エール大学学長だった、Mr.レビンに言ったのだが、もう一度言いたいのだ。
日本はCHINAではなく、貴方の国と屹立する、平和と民主主義のリーダーたるべき国だったのだと。

偶然、私達が作り上げた文明を…無階級で無イデオロギーで、無宗教という人類史上初めてと言っても過言ではない…世界中に…坂村健のトロンと一緒に叫んでいたら、9・11ですら無かったとさへ、私は思うのだ。
そういうアメリカに屈してしまう人間達が、言論界等に棲息する、ありとあらゆるエスタブリッシュメントとで、日本最高級の高給取りであることに、
今週号のニューズ・ウィークで、ビル・エモットが、「今、世界は極めて不安定で、危険な状態だ」、と論じた原因が在るのだと、私は思うのだ。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宗教を生みだす本能 ニコラス・ウェイド著 6月5日日経新聞読書欄から。

2011年06月05日 19時40分11秒 | 日記
広汎な知識からルーツに迫る

人間は、なぜ宗教をもつのかー著名な科学ジャーナリストが、進化論や認知科学、歴史学、宗教社会学など、広範な知識を駆使してそのルーツに迫る、野心的な試みである。
 
著者の意見は明確だ。宗教は社会の結束を高めるから人類にとって有益だったのであり、進化の過程で残ってきたものである。人類は宗教なしでは生きていけないし、社会的なつながりを維持するという宗教の根本的な機能は今でも変わっていない。宗教は必要な存在なのだ、と。
 
力作であることは間違いない。しかし著者は、宗教はに人類にとって良いものだという結論が先にあって、この本を執筆したように思われる。

英語圏ではとくに9・11以後、進化学や認知科学にもとづく宗教批判が盛んに行われている。本書は、「新・無神諭」とも呼ばれるそれらの動きに対する反論なのである。

ぼくは無神論者で無宗教者なので、そのような立場からすると、著者の「結論先にありき」の論旨には、違和感を覚える。扱われている宗教はユダヤ教、キリスト教、イスラム教ばかりで、仏教もヒンドゥー教もほとんど登場しないし、進化生物学に対する理解もところどころ不正確だ。たとえば、宗教が世界中どの文化圏にも見られることから、人類に適応的な性質であると推測しているが、普遍的であっても(たとえば、哺乳類のオスの乳首のように)何かの副産物ということもありうるのだが。
 
一方で、信仰を持っている方にすれば、腑に落ちる議論もたくさん書かれているのだと思う。読者は本書を、宗教研究のより広い展望の中に位置づけながら読んでいただきたい。パスカル・ボイヤー 『神はなぜいるのか』(NTT出版)や橋爪大三郎・大淵真幸『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)などを合わせて読むのも良いかもしれない。
 
日本の学界も言論界も、宗教をめぐる英語圏の動向とほとんど連助していない。アメリカが特異なのか、日本が無頓着すぎるのか。本書は、読み方さえ気をつければ、その意味を考える格好の手がかりを与えてくれる。翻訳は正確で読みやすい。

評者:佐倉 統 東大教授
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無比の眼力、「異端」にも注ぐ 最期に見た絵の暗い情熱…日経新聞17面、美の美から。

2011年06月05日 17時12分18秒 | 日記
川端が逗子マリーナの仕事部屋でガス自殺したとの一報が新聞社に飛び込んだのは、1972年4月16日深夜、最終版の締め切り直前だった。
 
4月に入社し、紙面をつくる整理部で見習いをしていた筆者は、編集局全体がどよめき、騒然としたのをよく覚えている。日本人初のノーベル賞作家の自殺は、まさに寝耳に水だった。
 
原稿や写真が大量に入稿してきた。死因はガス中毒死、死亡推定時刻は午後6時ごろ、遺体に乱れはない、ガス管を口にくわえていた、遺書はない・…=。翌日の朝刊各紙に「栄光の作家の悲痛な死」「幽玄の世界へ消えた巨星」「『美しい日本の私』が、なぜ?」「日本の魂を失った」などの見出しが躍った。
 
このページの、ニューカレドニアの画家、ジェムマニックの「火炎木」と村上肥出夫の「キャナル・グランデ」は、亡くなった部屋にかけてあった絵だ。発見者は川端コレクションの展覧会プロデューサーを務める水原園博氏。2005年2月に番組をつくるために制作スタッフと一緒に死後使われていなかった部屋に人って発見した。
 
「雨の降る寒い日で、部屋にはよどんだや気がたちこめていた。『火炎木』はガラスの表面を黴が被い、絵の具はひびわれていた。『キャナル・グランデ」は絵の具を厚塗りしているために、両布が巾さに耐えかねてたわんでいた。

ともに、これまでのコレクションとは異なる系譜の作品。どうして先生が知らない画家の絵を飾っていたのか、不思議だった」。川端がこの2作品を購入したのは、死の半年前のことだった。
 
うち「キャナル・グランデ」を描いた村上は1933年(昭和8年)岐阜県生まれ。幼少からゴッホに憧れ、独学で油絵を学ぶ。日雇いの仕事をしながら放浪の生活を続け、東京の銀座で絵を並べていたのを、61年(昭和36年)通りがかった彫刻家の本郷新が目にとめ、銀座の兜屋画廊の知遇と援助を得るようになり、「日本のゴッホ」と注目された。

川端の日記によると、63年に村上の初の個展を見てすっかりファンとなったようだ。村上はその後渡欧して絵を描く。
 

川端は死ぬ1年前に、東京・銀座松坂屋で開かれた村上の新作展のカタログに文を寄せていた。
  
「村上氏の富士は、たとえば林武氏の富士ではなく、やはり個性いちじるしい富士である。(中略)私は富士の前に、今回の滞欧作ベニス、ナポリを予約し、前に裏目本の暗い夕波、あざやかな水仙の小品などを所蔵している。海の絵など、来客はとにかく打れて惹かれる。そして村上氏という画家を知る人は少いので、私は話させられる
 
ペニスを描いた「キャナル・グランデ」は、ゴッホの絵のように暗く情熱的で、窓外の湘南の光る海とは対照的だ。部屋には、生と死、此岸と彼岸が隣り合わせていたように思える。
 
川端が本当に自殺を図ったのか、という疑問もわこう。当時、日本ペンクラブ会長たった芹沢光治良のように「睡眠薬を飲んで過失死した」と推測した人も多かったからだ。
 
この連載で、川端には「死への憧れ」があったと指摘してきた。さらに晩年は多忙を極め、疲れ切っていたらしい。また1年半前に、「年少の無二の師友」だった三島由紀夫が割腹自殺した衝撃も、死の引き金になったと考えられる。
いずれにせよ、覚悟の死ならば作家らしい。直後に作家の林房雄が「年をとると、普通は自殺する勇気もなくなる。川端さんの72歳の自殺は勇気あるものだ。やっぱり川端さんは強かったと思う」と語っていたのが印象深かった。
 
東山魁夷は川端を追悼した「新潮」72年6月増刊号「川端康成読本」に名文を寄せた。
  
「敗戦直後、『日本の美の伝統を継ごう』との自覚と願望を固めた先生、心友横光利一の死別に際しても、『僕は日本の山河を魂として君の後を生きてゆく』と、決然と云われた先生は、その自覚と願望を果たし、その言葉の通りに歩み通さ
れた。(中略)なんと、充実した生であったことか。(中略)先生の死は、安らかな休息とのみ考えたい」 (「星離れ行き」)
 
このページの「埴輪 乙女頭部」と次の川端の文章を見てほしい。
  
ほのぼのとまどかに愛らしい。均整、優美の愛らしさでは、埴輪のなかでも出色である。この埴輪の首を見ていて、私は日本の女の魂を呼吸する。日本の女の根源、本来を感じる。ありがたい(中略)とにかく、目本の女の魂の原初の姿である。知識も理屈もなく、私はただ見ている
 
なんと見事な日本語だろう。言葉が輝いていて、ひとりでに口ずさんでしまうようだ。川端はまれにみる優れた才能をもち、前衛と伝統の両面から日本の美」を全力で追求し、充実した生をおくったのだ
           
文・浦田憲治


*先週から今週にかけての、このシリーズは、昨今の新聞界で圧倒的に素晴らしい記事だったと芥川は思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川端康成の美意識④一新人発掘の名人 日経新聞、美の美 から。

2011年06月05日 16時56分18秒 | 日記
…中略。

草間のことは、美術雑誌の「みづゑ」が紹介し始めていて、川端は「みづゑ」を読んでいたと想像できる。いずれにせよ、川端は瀧口修造と同様に、現代アートの真価を見抜く、たぐいまれな審美眼をもっていたといえる。
  
「不知火」と「雑草」はともに不思議な作品だ。「不知火」は青い闇夜のなかに赤い火の球が浮かび、じっと見つめていると吸い込まれそうになる。赤い球は網膜のようでもあり、血球のようでもあり、火山の噴火のようでもある。

「雑草」については、草間自身が「『雑草』は草間の草であり、まだ名もない雑草だった私の精神そのもの」と解説している。2点とも現実の背後の「魔界」を見据えてきた川端の好みそうな作品といえる。
 

川端は東大在学中に小説を書く傍ら文芸評論家としてデビューし、20年も文芸時評を書き続け、「新人発掘の名人」と呼ばれた。その批評眼は公正無比で、たとえ仲間であろうと先輩であ名うと、だめなものはだめと批判し、逆に自分と立場が異なるプロレタリア文学であろうと、小林多喜二のような才能は高く評価した。
 
認めた新人は、稲垣足穂、堀辰雄、井伏鱒二、伊藤整、梶井基次郎、吉行エイスケ、阿部知二、石坂洋次郎など多彩だ。「綴方教室」の豊田正子や「いのちの初夜」で知られたハンセン病文学の北条民雄など、プロとはいえない新人にも目を配り、もり立ててきた。
 
戦後になっても、三島由紀夫の処女作「花ざかりの森」を読んで、いち早く天分を評価。1946年に三島の初めての訪問を受け、三島の「煙草」を、重役をしていた鎌倉文庫の雑誌「人間」に推薦し、掲載させている。東大法学部の学生だった三島にとって、川端は己の早熟の才をすべて理解し、励ましてくれる心強い支えだった。
 
川端コレクションを眺めると、玉堂や大雅などの文人画、埴輪や聖徳太子像などの古美術、琳派、陶器、茶器、良寛などの書、東山魁夷や安田靫彦などの日本画、梅原龍三郎や熊谷守一などの洋画、ロダンの彫刻などのオーソドックスな名品が多い。

しかしその半面で、草間や左ページの村上肥出夫のように、あまり知られていなかった新進画家の作品も購入している。ジャンル、時代、有名無名を問わず、素晴らしいと思った作品は貪欲に集めている。その幅の広さは驚異的だ。文人画の傑作、玉堂の「凍雲飾雪図」も国宝に指定される前に購入していた。 

鋭い美意識は文学だけでなく美術にも大いに発揮されたのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川端康成の美意識④一新人発掘の名人 日経新聞、美の美 から。

2011年06月05日 16時42分59秒 | 日記
(文中黒字化と*は芥川)

川端康成は若いころ新人発掘の名人と呼ばれた。優れた批評眼は美術にも発揮され、新進画家だった草間禰生や村上肥出夫の天分をいち早く見抜いた。
 
草間禰生(82)は今や日本を代表する前衛的なアーティストだ。その絵画、彫刻、インスタレーション(仮設展否は国際的に高く評価されている。

*芥川も100%同意する。
 
1955年(昭和30年)3月、新進画家だった26歳の草間は、東京・銀座の求龍堂画廊で個展を開いた。そこにふらりと立ち寄ったのが川端康成。出品されていた15点の水彩画のうちの2点を購入する。いち早く草間の天分を見抜いていたわけだ。
 
草間は2002年に出した自伝「無限の網」にこう書いている。
  
「作家の林芙美子によって紹介された東京の求龍堂画廊で、『未知火』、『樹神』、『珊瑚礁』、『花の精』、『樹木の精』など、水彩画15点を出品した個展を開く。この個展の会場に訪れた作家の川端康成と、美術評論家の久保貞次郎が、作品を購入した」
 
川端が購入したのはこのページの「不知火」と「雑草」である

04年に東京国立近代美術館で草間禰生回顧展が開催された際、企画課長だった松本透氏(現副館長)が、この自伝を読んで、川端康成記念会理事長の川端香男里氏に照会し、川端邸の蔵のなかから半世紀ぶりに発見されたものだ。
 
草間はこう振り返っている。
  
「私はIメートルくらいの距離から顔をじっと見つめられました。私は田舎から出てきたばかりで、先生はこの伊豆の踊子みたいな子が描いたのかと思われたのかもしれません。でも、男性にじっと見つめられたことなどなかったので、少し怖かったです」
 
長野県松本市の旧家に生まれ育った草間は、テーブルクロスの赤い花模様がそこらじゅうに見えてしまう幻覚症状に悩みながらも10歳ごろから水玉や網模様をモチーフに水彩、パステル、油彩を使った幻想的な作品を描き続けてきた。

1952年に松本市で開いた個展が、現代美術の評論で名高い瀧ロ修造によって評価され、信州大学医学部の精神科医たった西丸四方博士からも「この子は天才だ!」と学会で紹介…以下続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紫式部の欲望 酒井 順子著 今朝の日経から。

2011年06月05日 16時28分20秒 | 日記
 (集英社・1300円)
▼さかい・じゅんこ 66年生士れ。立教大卒。エッセイスト。著書に『負け犬の遠吠え』など。

物語から想像した現代的視点

源氏物語を語る本は数限りないが、紫式部の〈欲望〉という、ぎらりとした現代的な視点を見出したのが、さすが著者の鋭敏な感覚である。
 
各章は、物語から想像される紫式部の〈欲望〉が並んでいるが、私には、まず最初の「連れ去られたい」が衝撃的だった。
 
漢文学に精通した才女で、今や世界文学である源氏物語の作者紫式部が、素敵な男性に「お姫様抱っこ」をされて連れ去られたいと〈欲望〉していたのか?
 
かりそめにも紫式部を連れ去ってくれる男性がいたとしたら、それは最高権力者であり、主人でもあった藤原道長くらいであろうがさすがの道長も、式部の知性と情念の重さでは、「お姫様抱っこ」には至らなかったのではないか? だからこそ、紫式部は、源氏に連れ去られてはかない死を迎える夕顔の美しさや、同じく連れ去られて妻として添い遂げたものの、この上ない苦悩に包まれて死ぬ紫上の悲しみを、羨望と嫉妬をこめて書き上げることができたのかも知れない。
  「
「ブスを笑いたい」も、はっとするが、紫式部の無意識の残酷な〈欲望〉だったか?
 
零落した宮家の姫君で、高貴な魂を持ちながら、異様な容姿と浮世離れした対応から、笑いの対象になる末摘花は、源氏物語随一のアンチ・ヒロインとも言えよう。
 
著者が指摘するように、この偉大なアンチ・ヒロインの存在によって、他の美しい女君たちがヒロインとして輝くのである。
 
紫式部は美しかったか? いわゆる十人並み、ほどほどの器量ではなかったか、と想像するのだが。
 
絶世の美女でも、醜女でも、一度読んだら忘れがたい末摘花の造型は叶わなかっただろう。この女君には、古代の女神の趣さえあるのだ。
 
他に、常に弟の源氏に敗れ去る朱雀院への同情や、敵役とされる朱雀院の母、弘徽殿への共感などが、生き生きとした現代の読みとして面白かった。
  
〈欲望〉ですって?そんな下々の心はございませんわ-。紫式部は、にこりともせず、こう言うかも知れないが。

評者:歌人水原紫苑
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

資生堂という文化装置 1872ー1945 和田博文〈著〉朝日新聞12面から。

2011年06月05日 14時07分15秒 | 日記
岩波書店・5460円/わだ・ひろふみ 54年生まれ。東洋大学教授。

衣も食も資料でたどる女性文化
 
今ほどファッション雑誌がなかった10代の頃、資生堂のPR誌「花椿」は私にとって憧れに満ちた存在だった。斬新な写真やテクストによって語られる最新の流行は、まだ口紅も知らぬ中高生にとって、まさに異国の「文化」と思われた。 

「花椿」は、どの地方でも資生堂チェインストアに行けば人手できたので、ある時期の資生堂が全国規模で「文化」を発信していたのは間違いないだろう。
 
資生常が、ファッションや化粧だけでなく商業デザインや食文化にまで大きな影響を及ぼしていた歴史についてはすでに言及がなされている。特に、1920年代の都市的モダン文化生成の一翼を担ったことはよく知られる。

モガやモボの闊歩する銀座の風景は、資生堂が作り上げたといっても過言ではない。
 
資生堂を「文化を創る装置」として時代の文脈に置いてみる試みは新しいものではないがヽ本々が他を凌いでいるのは、明治初期から敗戦に至る間の資料を事細かに集めた点にある。資料収集力は、文化研究の最大の武器だからだ。中でも写真やイラスト等の図版資料はほぼ1ページに1点掲載されており、これだけを眺めていても十分楽しい。
 
たとえば、当時はやりのファッションに身を包んだ女性たちや、断髪の種類一覧、それに風刺画までが、ていねいな説明とともに贅沢に載せられている。また、「女流作家」たちの愛用する化粧品、といった小ネタも豊富だ(宇野千代の化粧法までわかる!)。
 
おしゃれもグルメも禁じられた日中戦争時下の資生堂を語る最終章は、文化というものが戦争によっていかに歪められ、利用されたかという経緯に心が痛む思いがする。文化を創り出す「装置」としての資生堂の役割は、ここでいったん終わりを告げるのだ。
 
資生堂とともにあった女性文化の歩みを知ることのできる力作としてお薦めしたい。

評・田中 貴子 甲南大学教授・日本文学
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『愛の勝利を』 ムソリ一二の愛人。存在をかけた愛と悲劇 朝日、グローブから。

2011年06月05日 13時05分16秒 | 日記
…みどころ…    文中黒字化と*は芥川。 

イタリアの独裁者となるムソリーニ(フィリッポ・ティーミ)に尽くした女性、イーダ・ダルセル(ジョヴァンナ・メッソジョルノ)の物語。ムソリーニは妻子ある身だったが、イーダと恋に落ちる。彼女は財産をなげうってムソリ~二の政治闘争を支え、息子(ティーミの二役)も授かった。だが、国家統帥となったムソリーニは、イーダの存在を消そうと、書類を改ざんし精神科病院の閉鎖病棟に送り込む。愛の真実を訴え、彼女はひとり立ち向かう。監督マルコ・ベロッキオが資料映像などを織り交ぜながら、ひとりの女性の史実を掘り起こす。全米批評家協会賞主演女優賞受賞。(東京で公開中。全国で順次公開)

四方田犬彦
評価:★★★★★

1953年生まれ。明治学院大教授。比較文化と映画研究を専攻。訳書に「パゾリーニ詩集J(みすず書房)、近著に「書物の灰塵に抗して」(工作舎)。

これは懲罰と監禁をめぐる痛ましい物語である。ベロッキオ監督は1960年代末に詩人パゾリーニに激賞されて以来、一貫して狂気と抑圧という主題を取りあげてきた。

*パゾリーニが激賞したのなら、優れ者で当然だろう。

そして、日本と同じくポスト・ファシズム体制を生きるイタリアで、同時代の不幸なテロリズムの顛末(てんまっ)を見据えてきた。その彼がムソリーニの傍らで生きた(そして殺害された)女性を描いた。

精神病院なる機関がいかに人間の自由を蝕み、全体主義国家において牢獄の代用物であったかは、旧ソ連で実証されている。

この忌まわしい制度を近年全廃したイタリアでこそ、この作品は制作が可能であった。日本にこのような監督はいるのだろうか。


クロード・ルブラン
評価:★★★★☆
1964年生まれ。フランスのジャーナリスト。仏ルモンド・ディプロマティーク紙記者などを経て、クーリエ・アンテルナシオナル誌編集長。
 
ベロッキオ監督の才能を改めて示す作品だ。彼の詩的センスと政治的な取り組みの双方を、観客に言葉を失わせるほど印象的な力強さで提示した。
 
ファシズムの指導者ムソリーニと、彼にすべてを捧げながら彼から捨てられた若い女性イーダ・ダルセルとの関係をテーマとし溶け出さんばかりの情熱を通してファシズムという現象を描いている。その情熱は最終的に悲劇となって終わるのだが、このようなベロッキオの手法は極めて個性的だ。
 
それだけでも偉大な作品だが、これまで近寄りがたい雰囲気を醸し出してきたこのイタリアの独裁者を映した資料映像を巧みに利用したことで、作品の価値がさらに増すことになった。

大久保清朗
評価:★★★★★
1978年生まれ。映画批評家。東京大学大学院総合文化研究科で映画史(とくに成瀬巳喜男)を研究。訳書に「不完全さの醍醐味 クロード・シャブロルとの対話」。
 
手を染める血の赤さ、夜を舞う粉雪の白さ。画面の一つ一つから、ヒロインのイーダの情念がほとばしるようだ。
 
ベロッキオ監督は前作「夜よ、こんにちは」で古い記録映画を用い、モロ元首相暗殺の舞台裏に光を当てた。本作で、その手法はさらに過激となる。ニュース映画に加え、エイゼンシュテイン、チャプリンなどの作品が物語と共鳴し、史実と虚構の境界が切り崩されていく。

 
これは映画をめぐる映画でもある。ヒロインと映画を見ていたムソリーニは、やがてスクリーンの向こう側に立ち、イタリアをヒロインもろとも破滅へと導く。映画は歴史を語ると同時に歴史を作る。独裁者の歴史に映画そのものが深く関わっている。ベロッキオはその相互の力学を透視し、イーダの悲劇的な生涯を映画によって永遠化してみせた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スターバックス再生物語 H・シュルツほか著 朝日14面から。

2011年06月05日 12時58分04秒 | 日記
「絆」求め語り続けたトップ
 
自宅でも職場でもない上質な 「第3の場」を提供する。顧客の支持を得て一大ブランドとなったスターバックスがある日、本家アメリカで道を見失った。
 
ウォール街の期待に応え、2000年代半ばに急拡大。コーヒーの香りは落ち、スターバックスの持ち昧だったパートナーと呼ばれる従業員の接客の質は低下、顧客との対話も薄れた。
  
「スターバックス体験の価値が失われる」。危機を察知したのは世界的チェーンへと育て、00年に引退していた著者のハワード・シュルツだった。直感通り、業紋は急落する。08年、トップに復帰。リーマン・ショックの逆風下、改革の苦闘を綴った迫真のドキュメントだ。
 
商品の見直し、業務改革、苦渋のリストラ……次々手を打ち続ける。その間、アナリストとの会見前、不安からレストランの店員にあたり、悔やむなど、悩み、もがく姿が元経済誌記者の筆を借りてさらけ出される。
 
1年半後、業績が見事に回復した要因は複合的だろう。ただ印象的なのはパートナーたちにひたすら語りかけ、「絆」を取り戻そうと心血を注いだ姿だ。
  
「手を泥だらけにして頑張ろう」。シュルツが手を前に掲げ、呼びかけると、泥まみれの手を写したポスターが自発的につくられた。再生に苦しむトップには必読の一冊。(月沢李歌子訳、徳間書店・1785円)

勝見明(ジャーナリスト)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里中満智子さんと読む 「万葉集」(上)…今朝の朝日読書欄から。

2011年06月05日 12時22分41秒 | 日記
古代の人物想像してはまる 音読して理解できる「幸運」

「中学時代、里中満智子さんの漫画『天上の虹』(講談社)にはまりました。万葉集に残る歌から創作されているのでイメージがわきやすく、入門に最適です」千葉県の角田加号七さん(31)からこんな手紙が来た。

女帝・持統天皇を主人公にした古代史ロマンで、現在21巻まで出て未完。著者畢生の大作だ。
  
「万葉集を読むサークルの方から、よくそういうお便りをいただくんです。次はこの歌で描いてください、とか」と里中さんは話す。中学校の古文の時間、文法にこだわる授業に退屈し、独習で万葉集を読み始めた。反逆罪で20歳を待たずに絞首されたといわれる悲劇のプリンス、有馬皇子の歌に引かれるなど、人物像に興味を持ってのめり込んでいった。その延長線上にあるライフワークだ。
 
万葉集は全20巻、約4500首もある。埼玉県の内藤美子さん(52)からは「一度に全部読もうとせず、好きな作者の作品に取り組んでみたら。私は柿本人麻呂の作品を中心に繰り返し読みました」という経験談が届いた。里中さんも、特定の歌人の歌だけを追う読み方は「あり」だという。
  
「柿本人麻呂や大伴家持など、歌の多い人を好きになった人は幸運です。逆に歌が少ない人は、人物像に興味を持って調べ始めると、歴史やほかの歌人へと興味が広がります」
 
たとえば藤原鎌足。吾はもや安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり
  
「大化の改新の功臣ですね。策士とも言われ一般にあまり好印象のない人。それが『美しい奥さんをもらった、わーいわーい』と喜んでいるわけで、もう少しどうにかならなかったのかこの歌は……とも思います。でも、歴史上の大偉人とも言える人が、この無邪気さ。親しみがわきますよね」
 
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月西渡きぬ
 
広島市の山田勘一さん(78)は 「高2のとき、国語教師が黒板を前に柿本人麻呂のこの歌を朗々と歌い上げたのが忘れがたい」と書いた。同様の手紙を多数もらった。
 
里中さんも「耳から入る万葉集」に賛成だ。「1200年以上も昔の言葉が、音読すると、まずまず日本語として認識できる。これは実はすごく幸運なこと。国全体を滅ぼす災害や疫病、戦乱がなかったことを意味する。そのあり得ない幸運に感謝して、天に向かって大声で読み上げるんです」 春過ぎて夏来たるらし白たへの衣ほしたり天の香具山
         
(近藤康太郎)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウェブ×ソーシャル×アメリカ 池田純一著 今朝の朝日から。

2011年06月05日 11時04分21秒 | 日記
〈全球時代〉の構想力  ウェブ思想の根底なす問いとは  文中黒字化は芥川。

ウェブは透明で中立な媒体だ。そう信じている人が本書を読めば、ネット上の景色は一変するだろう。ウェブは中立どころではない。(Google、Apple’ Facebook’ Twitter……、普段何気なく利用しているサービス全てに、創設者の特異な思想や政治性が埋め込まれているのだ。
 
例えばAppleの創始者にしてCEOのスティーブージョブズの「ハングリーであれ、愚かであれ」という言葉と、Googleの創設者セルゲイ・ブリンによる「邪悪になるな」という社是とでは、基本となる構想が全く異なる。 
ハッカー文化とカウンターカルチャー(「意識の拡大」!)との関係はよく知られているが、ウェブの思想的背景はそれだけではない。
 
著者によれば、最新のソーシャル・ネットワークであるFacebookの創設者、マーク・ザッカーバーグの構想は、なんとウェルギリウスの 『アエネーイス』に端を発しているという。そこに描かれた「永遠のローマ」という単線的な歴史観こそが、Facebookの成長モデルなのだ。
 
このほかにも、リバタリアニズム、コミュニティ志向、スピリチュアリティ、独立独歩といったアメリカの文化的伝統が、ウェブの構想に反映されていく過程がきわめて説得的に展開される。
 
こうした視点からみるとき、人間を情報入出力の結節点として扱うGoogleに対抗して、人間の交流関係を重視するFacebookの「人間賛歌」が急速に勢力を拡大していくさまは、サイバー空間での思想対決をみるようで、実にスリリングだ。

著者によればIT技術開発の全体性を担保したのは「宇宙開発」という目標だった。確かに「全球」という視座からウェブを眺めれば、基本的構想の違いが見て取りやすくなる。そこで繰り返し問われる「人間とは何か」という問いこそが、常にウェブ思想の根底をなしてきたのだろう。

評・斎藤 環 精神科医
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20世紀最大の病  深化した視点で…今朝の朝日から。

2011年06月05日 10時48分09秒 | 日記
ユダヤ人大虐殺の証人ヤン・カルスキ ヤニック・エネル〈著)

ホロコーストを知らなかったという嘘 フランク・バヨール、ディータア・ポール〈著〉

文中黒字化は芥川。

第二次大戦前後の史実解釈は着実に「同時代史」から「歴史」へと移行している。記憶や記録の時代から教訓(本質)をいかに汲みとるかに重点が移っているということだ。
 
ナチスによるユダヤ人大量虐殺という、20世紀最大の人類の病もその例に漏れるわけではない。特にヨーロッパ各国では、このホロコーストについて次世代により、同時代の視点とは異なる深化した論点が示されているのだが、この両書もその系譜に連なっている。

…中略。

著者はカルスキの思いを代弁するように「ヨーロッパのユダヤ人を救済することは誰の利益にもならなかったから、誰も救済しなかった」と書いている。そのうえでの「恥ずべき真実はいつでも、遅ればせにしか現れてこないのだ」という表現が説得力を持つ。
 
後者の書は研究者らしく、実証的であり、確かに第三帝国は世論に開かれた社会ではなかったにせよ、日常の生活空間からユダヤ人が姿を消し、収容所で大量殺人に追いやられたことは、誰もが知っていた、つまり不作為の作為を裏付ける。

戦時下、一ベルリン市民のなぜ我々の都市は爆撃されるのか、それは我々がユダヤ人を殺したからだとの言は、懲役刑を受けたという。両書が示している「教訓を汲みとる姿勢」、それは史実を見抜く知性と感性、そして良質の言葉をもつことである。

〈評〉保阪 正康 ノンフィクション作家
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生の綻びの瞬間を端正に描く オラフ・オラフソン〈著〉今朝の朝日から。

2011年06月05日 10時29分22秒 | 日記
「ヴァレンタインズ」岩本正恵訳、白水社・2520円/Olaf Olafsson62年生まれ。本作で2006年、アイスランド文学賞。

文中黒字化は芥川。

不思議すぎる。なぜ、こんなに透明感のある、端正な物語が書けるのだろう。書いてある中身は辛いことなのに。
 
誰だって胸のなかに一つや二つ抱えている小さな秘密や不満が、ある日突然噴出し、塞かっていた過去の傷口が一気に開いてしまう。人生がどんどん綻び始め、気がつけは、平穏な生活はもう手の届かないところにある。そんな悪夢のようなできごとが、驚くほど静謐な文章で描かれるのだ。
 
本書は一年の十二の月をそれぞれタイトルに掲げながら、さまざまな男女の、綻びの瞬間を見事に描き出す。著者はアイスランド生まれでニューヨーク在住。英語でもアイスランド語でも創作し、国際ビジネスの世界でも大成功を収めた入らしい。
 
その筆致はあくまでも繊細だ。しかも、緻密な構成によって、決定的な瞬聞か静かに準備されていく。たとえば 「十月」の章では、カフェで待ち合わせながらなかなか話の本題に入ることのできない二人の男性が登場する。

コーヒーを飲み、ビールやシュナップスを頼み、食べ物も注文し……。一方の男性は、自分のベッドの左上にある天窓のことをしきりに思い出している。天窓から見える、月のことを。

作者は読者を焦らしつつ周到に伏線を引き、一つの言葉をきっかけに、突然物語を加速させる。なぜこの二人が、ぐずぐずとカフェに座り続けているのか。その後の展開も劇的だ。考え抜かれた「オチ」がついているだけではない。

ストーリーの緩急のつけ方がすばらしく、テクストにずば抜けた音楽性を感じる。それぞれの季節にふさわしい風景や日の光、空気の肌 触りも丁寧に描かれている。
  
切なくて哀しいけれど、人生への洞察にはっとさせられる。外国を舞台にした話ではあるが、きっと自分に似た登場人物に出会うだろう。その人物の末路について、考えずにはいられなくなるはずだ。

評・松永 美穂 早稲田大学教授・ドイツ文学
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「百年の孤独を歩く」 田村さと子氏  今朝の日経読書欄から。

2011年06月05日 10時14分47秒 | 日記
現実と幻想が地続きの旅

「ガボ」と愛称で呼ぶ文章の端々に親しさがにじみ出る。コロンビアのノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスとの四半世紀に及ぶ交友を下地に、その作品の舞台であるカリブ海地方を訪ねた紀行エッセーは温かくも刺激的。軍事クーデターなど暴力が吹き荒れる南米に飛び込み、体当たりで研究を続けてきた文学者ならではのエネルギーに満ちあふれた一冊だ。
 
この5年あまり集中的に足を運んだ作家ゆかりの土地は「魔術的リアリズム」と呼ばれる文学の世界そのまま。家族や知人の証言も現実と幻想が地続き。「ここに住んでいた死者はときどき咳をしたり口笛を吹くだけでおとなしかった」といった発言がぽんぽん飛び出す。ときにゲリラに襲われる危険に身をさらしながらの取材は本人の協力も得て進めた。

「絶版の研究書を自ら手に入れてサインまでして贈ってくれた」 出会いは1985年。インタビューで対面した印象は「驚くほどに気さく」。自動リバース機能付きのテープレコーダーの音に驚く大作家を「大丈夫です」と落ち着かせて話を続けた。終了後、レコーダーをプレゼントすると「子供のように喜んで夫人に報告していた」。以来、今日に至るつきあいが始まった。「東日本大震災の後は何度も、メキシコの自宅に身を寄せるよう誘われている」
 
今、思いをはせる。実はガルシア=マルケスに会いたいと言い出したのは、幼なじみの作家、中上健次だった。最初のインタビューは都合のつかなかった彼の代わりに実現した。「ガボとの奇縁は、思いがけず早く亡くなった健次君の置き土産かもしれない」
 
その中上について近く執筆を始める。「健次君とは小中高と共に過ごし、田んぼでどろんこになって遊びもした。泣き虫で甘えん坊だった彼の素顔もばらしてしまいたい」と笑う。
 (河出書房新社・2400円)
 
(たむら。’さとこ)ラテンアメリカ文学者、帝京大教授。1947年和歌山県生まれ。著書に詩集『深い地図』、訳書にバルガス・リョサ 『楽園への道』など。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする