被災した東北地方をどう復興させればいいのか。 文中黒字化は芥川。
それを考えた時、私は「地霊に逆らわない街作り」を思い、そして、国の「復興構想会議」でもそう言った。
「地霊」とは、その土地に棲む御霊のことで、初めてそれを私に教えて下さったのは、東京・銀座の商店会幹部だった。銀座がさびれていた時代のことで、幹部はその原因として、「銀座は水と柳の街なのに、街の中を流れていた運河を埋め、並木の柳を抜いた。地霊に逆らった街作りをしたからだとも言われるんですよね」と語っておられた。
東北の地霊は何なのか。それは絶対につぶしてはならない「個性」のことではないか。運河も柳も銀座の個性だった。むろん、東北の各県、各市町村の地霊はそれぞれ違う。だが、「東北地方」として、決して壊してはならぬ共通の個性があるのではないか。
私は、万博会場のような街を作ってはならないという思いを強固に持っており、復興構想会議でもそう発言した。つまり、便利で美しく、無駄がなく、清潔でコンパクト。そしてひたすら・無機質。高層マンションやビルの灯が輝き、観覧車が夜空を撹絆し、全国どこの地方でも同じ顔をした大型ショッピングモールがある。それが不思議に似合う都市もある。だが、東北の場合、それを「殺伐」と言わずに何と言うか。そんな街を作ったなら、東北の二次災害だ。
被災地の方々は、「ふるさと」という言葉をよく使う。テレビ等のインタビューでもひんぱんに耳にするし、「古里だから離れない」と、そのものズバリの見出しで、ふるさとへの想いを語った記事もある(秋田魁新報4/27)。
その記事では、被災者が「元さ、戻りたい」と語り、これは周囲の思いの代弁だと書かれている。復興構想会議のメンバーと福島に行った際、佐藤雄平知事も、「みんな、3月11日の前に戻りたいんです」と語っておられた。
多くの方々が「ふるさと」という言葉を使うのは、「元に戻りたい」という思いの言い換えではないか。
そう気づいた時、私は部外者や「有識者」なる人々や政府が「復旧ではなく復興」と唱えがちであることに、疑問がわいた。
現実に、復興構想会議でも、被災地在住のメンバーから、「復旧ではなく復興だと叫ばれると、従来の自分たちが否定された気になる。そう言う人たちは決して少なくない」という発言が出た。
私はこれを聞いた瞬間、被災者の「ふるさと」は「復旧」すべき地なのだと、我が意を得た気がした。それは決して後ろ向きだの懐古的だのと言われる筋合いの話ではない。考えてみれば、ふるさとというものは変わらずにあって欲しい地であり、興す地ではない。
「復旧」という考え方は、ごくまっとうなものであろう。
…以下続く。
それを考えた時、私は「地霊に逆らわない街作り」を思い、そして、国の「復興構想会議」でもそう言った。
「地霊」とは、その土地に棲む御霊のことで、初めてそれを私に教えて下さったのは、東京・銀座の商店会幹部だった。銀座がさびれていた時代のことで、幹部はその原因として、「銀座は水と柳の街なのに、街の中を流れていた運河を埋め、並木の柳を抜いた。地霊に逆らった街作りをしたからだとも言われるんですよね」と語っておられた。
東北の地霊は何なのか。それは絶対につぶしてはならない「個性」のことではないか。運河も柳も銀座の個性だった。むろん、東北の各県、各市町村の地霊はそれぞれ違う。だが、「東北地方」として、決して壊してはならぬ共通の個性があるのではないか。
私は、万博会場のような街を作ってはならないという思いを強固に持っており、復興構想会議でもそう発言した。つまり、便利で美しく、無駄がなく、清潔でコンパクト。そしてひたすら・無機質。高層マンションやビルの灯が輝き、観覧車が夜空を撹絆し、全国どこの地方でも同じ顔をした大型ショッピングモールがある。それが不思議に似合う都市もある。だが、東北の場合、それを「殺伐」と言わずに何と言うか。そんな街を作ったなら、東北の二次災害だ。
被災地の方々は、「ふるさと」という言葉をよく使う。テレビ等のインタビューでもひんぱんに耳にするし、「古里だから離れない」と、そのものズバリの見出しで、ふるさとへの想いを語った記事もある(秋田魁新報4/27)。
その記事では、被災者が「元さ、戻りたい」と語り、これは周囲の思いの代弁だと書かれている。復興構想会議のメンバーと福島に行った際、佐藤雄平知事も、「みんな、3月11日の前に戻りたいんです」と語っておられた。
多くの方々が「ふるさと」という言葉を使うのは、「元に戻りたい」という思いの言い換えではないか。
そう気づいた時、私は部外者や「有識者」なる人々や政府が「復旧ではなく復興」と唱えがちであることに、疑問がわいた。
現実に、復興構想会議でも、被災地在住のメンバーから、「復旧ではなく復興だと叫ばれると、従来の自分たちが否定された気になる。そう言う人たちは決して少なくない」という発言が出た。
私はこれを聞いた瞬間、被災者の「ふるさと」は「復旧」すべき地なのだと、我が意を得た気がした。それは決して後ろ向きだの懐古的だのと言われる筋合いの話ではない。考えてみれば、ふるさとというものは変わらずにあって欲しい地であり、興す地ではない。
「復旧」という考え方は、ごくまっとうなものであろう。
…以下続く。