文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

「宣教師ニコライとその時代」 中村 健之介著

2011年06月13日 15時00分01秒 | 日記
日本経済新聞6月12日(日)23面より
東京大学教授 沼野 充善

ロシアの高僧が見た近代日本

ニコライとは、ロシアから幕末日本にやって来た正教の宣教師であり、いまでも東京・お茶の水駅前にそびえるニコライ堂にその名を残している。

しかし、彼が日本での半世紀にわたる布教活動を終え、明治の最後の年に東京で永眠してから、100年が過ぎようとしている今、彼の事跡はわれわれから遠くなろうとしている。
 
本書はそのニコライの生涯と彼が生きた時代に迫った好著である。
何と言っても、浮かび上かってくるニコライ像が鮮やかだ。必ずしも謹厳実直な堅物の宗教家ではなく、世俗的な悩みも抱え、高邁な宗教心だけでなく、金策に走り回る実務家としての才能もあわせ持ち、並外れた忍耐心をもって困難な伝道活動を続けながらも、ときにヒステリーを起こしそうになる、といった彼の人間くさい姿がくっきりと見えてくる。
日露戦争のとき、「露探」(ロシアのスパイ)の頭目と見なされ、敵視されながらも、信徒たちのためにあえて日本に踏みとどまった彼の決断には、誰しも胸をうたれることだろう。

このニコライについて語るとしたら、中村健之介氏をおいて他にはいない。同氏は、関東大震災のときに焼失したと思われていたニコライの日記を、ロシア(当時ソ連)の文書館で発見し、それ以来、長年にわたって日記の翻刻と翻訳に尽力してきた。

その努力が実って、ニコライの半世紀にもわたる日本日記は、ロシア語原文(全5巻)と、日本語訳(全9巻、教文館、2007年)が、次々と世に出ることになった。本書はその作業を通じてニコライの生涯に精通した著者の研究のエッセンスを、わかりやすく披露したものだ。

中村氏は元来、ドストエフスキー研究で知られるロシア文学者である。本沢は著者のそのような素養を生かし、ドストエフスキー、トルストイ、ソロヴィヨフといった同時代のロシアの文学者・思想家とニコライの接点も描きだす。

他方、幕末から、明治維新、西南戦争、日清・日露戦争へという歴史の流れが、ニコライの視点からの定点観測を通じて明らかになってくる。ここに鮮烈に甦ってくるのは、言わば「もう一つの近代日本史」という物語なのだ。
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「資生堂という文化装置」 和田博文 著 

2011年06月13日 14時57分36秒 | 日記
日本経済新聞6月12日(日)23面より
仏文学者 山田登世子

フランスへの憧れかきたてる

コスメティックとは何と不思議なものだろう。メイクは女の顔かたちをつくり、変身させる。綺麗な容器にいれられた化粧品は日ごとの魔術の小箱である。

別の名をモードというこの魔術の始まりは、明治5年。日本初の洋風調剤薬局として銀座に開業した資生堂は、高級化粧品にはじまって、しゃれたフルーツパーラーからギャラリーまで、モダン都市東京の文化の発信源となって銀座の華やぎを創りだしてゆく。

本書は膨大な資料を駆使して資生堂の歴史をひもとき、黎明期のモードの展開をたどった労作である。

主役は女、舞台は銀座の文化史の基調音はフランス・モードの香りである。時まさに和装から洋装への転換期、断髪のモダンガールの憧れはパリジェンヌのファッションだった。かの地への憧れは、芸術から商業美術まで広く文化全般にわたる。

「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」。朔太郎がうたったのは1913年、2年前に竣工なった帝劇の「今日は帝劇、明日は三越」の広告コピーも、洋風になびく消費都市の浮かれ気分をかきたてた。

続く20年代はパリが未曾有の繁栄を謳歌した「狂乱の時代」、画家や文人たちがそろって海を渡り、最新モード情報を送り届ける。

洋装の時代は洋行の時代でもあった。なかでも川路柳虹や西條八十たちのパリ通信は、往時のフランス心酔を伝えて興味深い。
こうしてパリ通の文化人を懐に抱え、フランス・イメージをうちだすのが資生堂の一貫した戦略だった。

その戦略は、しゃれた店構えはもちろんのこと、「資生堂グラフ」から「花椿」にいたる広告メディアにも色濃く、優美な唐草模様のデザインは、海を越えたアールヌーヴォーの美に輝いて、モダン都市のオーラを放っている。

クリームから美容情報からエッセイにいたるまで、資生堂は巴里の香の匂い立つラクジュアリーな 「私」を夢見させる文化装置だったのだ。
 
椿のデザインも手がけた山名文夫がパリ帰りの深尾須磨子の詩「水色の孤独」に寄せたカットは、今なお夢の余韻をたたえてレトロな追憶に誘う。豊富な図版の効いた読みごたえある文化史である。
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「風俗壊乱」ジェイ・ルービン著

2011年06月13日 14時54分59秒 | 日記
日本経済新聞6月12日(日)22面より
早稲田大学教授  石原 千秋

「検閲」を軸にした近代文学史

書名を見るとかなり政治的に偏向した告発本のように思ってしまうが、読んでみると、検閲を座標軸として書かれたすぐれた近代文学史になっていることがわかる。
近代日本の検閲は明治20年頃から本格化するが、明治期の検閲はかなり恣意的たった。

しかし、結果としてはこの恣意的な検閲こそが権力の顕在化には有効だったはずである。
「いつどんな理由で発禁になるかもしれない」という恐怖が内面化されるからだ。

それが次第に明確な輪郭を見せはじめる契機を、ルービンは自然主義文学による「風俗」に関する検閲の強化と、大逆事件による政治的な検閲の強化に見ている。

前者においては、夏目漱石を小栗風葉と対比させて記述し、漱石には「最も広い意味での、小説の政治的意味合いの入念な把握」があったが、風葉は自然主義に追随しながら果たせず、通俗作家となったと言う。

こういった記述が、この本を文学史に仕立て上げている。後者においては、大逆事件の弁護を担った平出修に対して森鴎外が与えた示唆について触れている。これは、鴎外が権力の内部にいたからこそできたものだ。

大逆事件に関しては、それに抗議した徳富蘆花『謀叛論』が有名だが (若き日の芥川龍之介がこの講演に触発されたという説もある)、このあたりから文学者の、現代で言えば 「表現の自由」からの後退が目立ちはじめる。

その中で谷崎潤一郎はしばしば「当局」から警告を受けていたにもかかわらず、作風を変えなかった数少ない文学者として特筆されている。
 
しかし、昭和17年の大日本文学報国会の設立によって、文学者自らの手によって検閲が制度化され、戦争協力の一翼を担わせられることになる。この時代になると谷崎潤一郎の 『細雪』さえ時局に合わぬ不健全な小説として連載中止に追い込まれてしまう。

この本は、常に発禁や伏せ字と隣り合わせで活動しなければならなかった文学者たちを記述した人間論ともなっていて、そこがまた魅力的だ。
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2011年06月13日 13時18分23秒 | 日記
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6月28日号、当日14時20分で発行しました。
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