日本経済新聞6月12日(日)23面より
東京大学教授 沼野 充善
ロシアの高僧が見た近代日本
ニコライとは、ロシアから幕末日本にやって来た正教の宣教師であり、いまでも東京・お茶の水駅前にそびえるニコライ堂にその名を残している。
しかし、彼が日本での半世紀にわたる布教活動を終え、明治の最後の年に東京で永眠してから、100年が過ぎようとしている今、彼の事跡はわれわれから遠くなろうとしている。
本書はそのニコライの生涯と彼が生きた時代に迫った好著である。
何と言っても、浮かび上かってくるニコライ像が鮮やかだ。必ずしも謹厳実直な堅物の宗教家ではなく、世俗的な悩みも抱え、高邁な宗教心だけでなく、金策に走り回る実務家としての才能もあわせ持ち、並外れた忍耐心をもって困難な伝道活動を続けながらも、ときにヒステリーを起こしそうになる、といった彼の人間くさい姿がくっきりと見えてくる。
日露戦争のとき、「露探」(ロシアのスパイ)の頭目と見なされ、敵視されながらも、信徒たちのためにあえて日本に踏みとどまった彼の決断には、誰しも胸をうたれることだろう。
このニコライについて語るとしたら、中村健之介氏をおいて他にはいない。同氏は、関東大震災のときに焼失したと思われていたニコライの日記を、ロシア(当時ソ連)の文書館で発見し、それ以来、長年にわたって日記の翻刻と翻訳に尽力してきた。
その努力が実って、ニコライの半世紀にもわたる日本日記は、ロシア語原文(全5巻)と、日本語訳(全9巻、教文館、2007年)が、次々と世に出ることになった。本書はその作業を通じてニコライの生涯に精通した著者の研究のエッセンスを、わかりやすく披露したものだ。
中村氏は元来、ドストエフスキー研究で知られるロシア文学者である。本沢は著者のそのような素養を生かし、ドストエフスキー、トルストイ、ソロヴィヨフといった同時代のロシアの文学者・思想家とニコライの接点も描きだす。
他方、幕末から、明治維新、西南戦争、日清・日露戦争へという歴史の流れが、ニコライの視点からの定点観測を通じて明らかになってくる。ここに鮮烈に甦ってくるのは、言わば「もう一つの近代日本史」という物語なのだ。
東京大学教授 沼野 充善
ロシアの高僧が見た近代日本
ニコライとは、ロシアから幕末日本にやって来た正教の宣教師であり、いまでも東京・お茶の水駅前にそびえるニコライ堂にその名を残している。
しかし、彼が日本での半世紀にわたる布教活動を終え、明治の最後の年に東京で永眠してから、100年が過ぎようとしている今、彼の事跡はわれわれから遠くなろうとしている。
本書はそのニコライの生涯と彼が生きた時代に迫った好著である。
何と言っても、浮かび上かってくるニコライ像が鮮やかだ。必ずしも謹厳実直な堅物の宗教家ではなく、世俗的な悩みも抱え、高邁な宗教心だけでなく、金策に走り回る実務家としての才能もあわせ持ち、並外れた忍耐心をもって困難な伝道活動を続けながらも、ときにヒステリーを起こしそうになる、といった彼の人間くさい姿がくっきりと見えてくる。
日露戦争のとき、「露探」(ロシアのスパイ)の頭目と見なされ、敵視されながらも、信徒たちのためにあえて日本に踏みとどまった彼の決断には、誰しも胸をうたれることだろう。
このニコライについて語るとしたら、中村健之介氏をおいて他にはいない。同氏は、関東大震災のときに焼失したと思われていたニコライの日記を、ロシア(当時ソ連)の文書館で発見し、それ以来、長年にわたって日記の翻刻と翻訳に尽力してきた。
その努力が実って、ニコライの半世紀にもわたる日本日記は、ロシア語原文(全5巻)と、日本語訳(全9巻、教文館、2007年)が、次々と世に出ることになった。本書はその作業を通じてニコライの生涯に精通した著者の研究のエッセンスを、わかりやすく披露したものだ。
中村氏は元来、ドストエフスキー研究で知られるロシア文学者である。本沢は著者のそのような素養を生かし、ドストエフスキー、トルストイ、ソロヴィヨフといった同時代のロシアの文学者・思想家とニコライの接点も描きだす。
他方、幕末から、明治維新、西南戦争、日清・日露戦争へという歴史の流れが、ニコライの視点からの定点観測を通じて明らかになってくる。ここに鮮烈に甦ってくるのは、言わば「もう一つの近代日本史」という物語なのだ。