著者は37年イタリア生まれ。社会学者。米国の大学でウォーラーステインとともに「世界システム論」を展開した。著書に『長い20世紀』など。09年没。
「アジアの勃興」から歴史位置付け 評・歴史家 川北 稔
文中黒字化は芥川。
かつて歴史学は、「西洋の勃興」を最重要の課題としていた。しかし、近年では、「東アジアの勃興」に伴う世界の構造変化をいかに説明するかが、主要な課題となっている。問題のひとつは、「アジアの勃興」が「西洋の勃興」の延長なのか、新しい時代の到来を意味するのか、ということである。
本書は、ウォーラーステインと共同で長く世界システム論の構築に努めてきた、いまは亡き著者の21世紀世界像であり、世界システム論の到達点でもある。
著者はまず、市場経済の発展・成長のパターンを、国家が市場基盤の整備・強化を政策課題とするアダムースミスが理想としたタイプと、マルクスやシュンペーターが描いた社会や国家の制度そのものの劇的な変革を伴う、イギリスや西ヨーロッパが経験したタイプに二分する。
その上で、21世紀東アジアの社会主義的市場経済のそれは、スミス型の発展だという。とくに、今日の中国経済の発展は、文革後、本来のアジア的路線であるスミス型に復帰したことによるという。
こうした理解の背景には、スミス理解の変化とともに、近年の経済史研究の成果がある。
18世紀の工業化開始までは、ヨーロッパも中国もほぼ同程度の経済レヴェルにあったが、そこから、両地域の運命に大差が生じたのであり、近年のアジア経済の勃興は、一種の失地回復であるという見方である(フランクの『リオリエント』やポメランツの『大分岐』など、本書のいう「新アジア時代」)。
しかも、マルクス型の発展は西ヨーロッパなどにのみ適合的であったのに対して、スミス型の発展は、特定の政治・社会体制に制約されることが少なく、他地域への適用も容易だという。
こうしてみると、日本の読者にとっては、日本の近代化が、西洋的な発展の末尾にあったのか、アジア的発展の先頭にあったのかという関心も湧くが、「勤勉革命」論や杉原薫を引用する著著の見解は、明らかに後者に傾いているようである。
著者の関心の遍歴を示すインタビューと、その思想史的位置についての山下範久の優れた解説があり、著者の全体像が一望できる。
(中山智香子ほか訳、作品社・5800円)