文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

「北京のアダム・スミス」ジョヴァンニ・アリギ著…日経新聞6月26日19面より

2011年06月26日 17時15分59秒 | 日記
ジョヴァンニ・アリギ
著者は37年イタリア生まれ。社会学者。米国の大学でウォーラーステインとともに「世界システム論」を展開した。著書に『長い20世紀』など。09年没。

「アジアの勃興」から歴史位置付け  評・歴史家 川北 稔 
文中黒字化は芥川。

かつて歴史学は、「西洋の勃興」を最重要の課題としていた。しかし、近年では、「東アジアの勃興」に伴う世界の構造変化をいかに説明するかが、主要な課題となっている。問題のひとつは、「アジアの勃興」が「西洋の勃興」の延長なのか、新しい時代の到来を意味するのか、ということである。

本書は、ウォーラーステインと共同で長く世界システム論の構築に努めてきた、いまは亡き著者の21世紀世界像であり、世界システム論の到達点でもある。

著者はまず、市場経済の発展・成長のパターンを、国家が市場基盤の整備・強化を政策課題とするアダムースミスが理想としたタイプと、マルクスやシュンペーターが描いた社会や国家の制度そのものの劇的な変革を伴う、イギリスや西ヨーロッパが経験したタイプに二分する。

その上で、21世紀東アジアの社会主義的市場経済のそれは、スミス型の発展だという。とくに、今日の中国経済の発展は、文革後、本来のアジア的路線であるスミス型に復帰したことによるという。
こうした理解の背景には、スミス理解の変化とともに、近年の経済史研究の成果がある。

18世紀の工業化開始までは、ヨーロッパも中国もほぼ同程度の経済レヴェルにあったが、そこから、両地域の運命に大差が生じたのであり、近年のアジア経済の勃興は、一種の失地回復であるという見方である(フランクの『リオリエント』やポメランツの『大分岐』など、本書のいう「新アジア時代」)。

しかも、マルクス型の発展は西ヨーロッパなどにのみ適合的であったのに対して、スミス型の発展は、特定の政治・社会体制に制約されることが少なく、他地域への適用も容易だという。

こうしてみると、日本の読者にとっては、日本の近代化が、西洋的な発展の末尾にあったのか、アジア的発展の先頭にあったのかという関心も湧くが、「勤勉革命」論や杉原薫を引用する著著の見解は、明らかに後者に傾いているようである。

著者の関心の遍歴を示すインタビューと、その思想史的位置についての山下範久の優れた解説があり、著者の全体像が一望できる。

(中山智香子ほか訳、作品社・5800円)

米減速 「一時的な要因」 財務長官…朝日新聞6月26日5面より

2011年06月26日 14時53分03秒 | 日記
…前略。  文中黒字化は芥川。

-米国の財政赤字削減で与野党協議が難航しています。合意できますか。

「もちろんだ。我々は長期的な財政赤字を引き下げる必要がある。ただ、同時に経済成長にとって良い方法をとる必要がある」
 
(マンチェスター=尾形聡彦)

2011/6/26…「紫式部の欲望」酒井順子〈著〉…朝日新聞6月26日12面より

2011年06月26日 14時53分03秒 | 日記

「したい」の塊 才女の素顔に迫る 評・楊 逸 作家
『源氏物語』-日本文学史上最高傑作である。
読まなければと焦るものの、古典の持つ近寄り難いイメージや、54帖・100万字というとてつもない長さなどの壁にぶち当たり、なかなか進まない状況に陥っていた。
そんな時に本書に出会った。
著者は、『源氏物語』のストーリーや時代背景をわかりやすく解説した上で、その構成、設定、展開ないし場面や人物の描写などといった、半ば技術絡みのところにも着眼し、著者とされる紫式部を辿る無数の細い糸を一本一本手繰って、千年も前の「キャリアウーマン」の真の顔に迫った。
地位、才能、容姿-良い男とされるすべての条件を兼ね備えた王族の光源氏は、欲するままに、次々と平安の美女(醜女だったりもする)を物にし、人生を満喫していた。
-そんな『源氏物語』のあらすじからは、豊かで男女関係においても極めて寛容で、現代よりも自由奔放だったという印象を持つ。
実際、もて男・光源氏のモデルとされる藤原道長は、紫式部とは恋仲であったともいわれているのだから、紫式部もきっと派手に遊んだことだろう、と勝手に思い込んでいた。
本書を開けば、目次に「嫉妬したい」「見られたい」「いじめたい」……、はらはらさせる文字が躍る。
紫式部は「したい」の塊だったという。
しかしその所以は決して派手に遊んでいたからではなかった。
男性の世でもあった平安の世、いくら才能のある女性でも、男性に頼らなければ独りで生きていける環境になかった。
女であるつらさを喜怒哀楽の富んだ顔で、千年後の自由を享受する現代の女性たちに打ち明けているように感じながら読み進んだ。
紫式部も『源氏物語』もグッと身近にしてくれる一冊だ。
指で、和風の装丁の表紙に触れながらページを捲る、そんな読み心地もまた、たまらない。


昭和天皇とワシントンを結んだ男「パケナム日記」が語る日本占領 青木冨貴子〈著〉…朝日新聞13面より

2011年06月26日 14時34分02秒 | 日記
講和条約の裏で暗躍 赤裸々に
評・逢坂 剛 作家

太平洋戦争史、占領史の主要な史料はほぼ出尽くしたと思ったが、どっこいまだ残っていた。本書の骨格をなすコンプトン・パケナムの日記も、その一つといえよう。

パケナムは日本生まれのイギリス人で、しかもニューズウィーク(アメリカ)の東京支局長という変わり種のジャーナリストである。この日記は、ときおりニューズウィーク本社の外信部長ハリー・カーンに宛てた手紙という形式をとりながら、書き継がれていた。

著者は、1970年代の末にダグラス・グラマン事件に関わったカーンの消息を追ううち、その息子からパケナムの日記を託される。そこには占領期の日本に駐在したパケナムが、上司のカーンと連絡を取り合いながら、講和条約締結の裏で暗躍した事実が、赤裸々に記録されていた。

パケナムは占領軍の政策に批判的で、総司令官のマッカーサーの不興を買った。天皇の側近だった松平康昌と親しくしており、松平を通じて天皇の意向を探り、いろいろな裏工作を行った形跡がある。

たとえば、当時の首相吉田茂を飛び越して、講和条約締結の立役者J・F・ダレスと昭和天皇を結びつけようとした。まだ、公職追放を解除されていなかった鳩山一郎が次期首相になるとにらんで、ダレスと密会させたりもした。

さらに、岸信介がいずれ首相になると予測し、その後押しもしている。パケナムの活動が、単なるジャーナリストの枠内にとどまらず、当時の日本の外交政策を左右する大きな影響力を持っていたことが鮮明に分かる。

主題と関連して、本書の最後に取り上げられたパケナムの出自に関する追跡調査の過程は、ミステリーの犯人捜しにも似て、興味深いものがある。綿密な史料読み込みに加え、手間のかかる取材調査をいとわぬ著者の面目がよく表れている。現代史の隙間を埋める好著である。

「学校を変える力」デボラ・マイヤー〈著〉…朝日新聞6月26日13面より

2011年06月26日 14時22分41秒 | 日記
■間違いだらけの子育て P・ブロンソン、A・メリーマン〈著〉
■学校を変える力  デボラ・マイヤー〈著〉

対照的な教育論に共通するもの
評・斎藤 環 精神科医

しつけや教育の問題は複雑だ。一撃必殺の"銀の弾丸"はない。マクロとミクロ、環境と個人、脳と心、思想とスキル、それぞれの視点から試行錯誤を重ねる必要がある。

『学校を変える力』の著者デボラ・マイヤーは、ニューヨークのハーレム(貧困地域)に小・中学校を設立し、独自の教育理論で9割以上の卒業生を大学に進学させる驚異的成功をおさめた。本書には彼女の30年以上に及ぶ現場経験から生まれた教育哲学と実践知が惜しげもなく注ぎ込まれている。

一方『間違いだらけの子育て』はタイトル以上に衝撃的な内容である。異人種間交流を増やしても差別はなくならない、子供のウソや攻撃性は社会性の一部である、IQは生得的ではない等々、"常識"をくつがえす知見がこれでもかと列挙される。

前者は誠実で人間味あふれる経験論、後者はメタ解析の手法を駆使した科学的かつ軽妙な語り口と、一見きわめて対照的だ。しかしじっくり読み比べていくと、いくつかの共通する主張が見えてくる。

まず、言葉への信頼だ。ブロンソンらの人種差別教育に関する指摘は、マイヤーの民主主義教育の方針と一致する。いずれも大人がしっかり問題設定しつつ言語化しなければ子供は学習できない。

さらに「言葉」は「文脈」とセットで伝えることで、いっそう学習は確実になる。次いで「人間」への信頼。マイヤーが選択制の「小さな学校」にこだわるのは、互いに顔の見える関係の素晴らしい価値を信ずるからだ。

一方ブロンソンらは、幼児の言語習得において、生身の人間のかかわりが必須であることを指摘する。
おそらく両者の論点は、最終的にガリレオの箴言「他人になにかを教えることなどできない。できるのは自力で発見するのを助けることのみだ」に集約されるだろう。しつけや教育とは、この真理を様々に変奏する試みなのだ。

「大恐慌下の中国」城山 智子著…日経新聞6月26日21面より

2011年06月26日 14時08分22秒 | 日記
論説委員 飯野克彦

1929年10月の「暗黒の木曜日」に端を発する世界恐慌は、当時の中国にどんな影響をもたらしたのか。従来の歴史研究では必ずしも十分な関心を払われてこなかった問題を、丹念に解き明かす。

まず大恐慌が起きた頃の中国経済の大枠が描かれる。当時、多くの国々で金本位制を柱とした中央集権的な通貨制度が広かっていたが、中国は清朝以来の銀本位制を維持し、統一的な通貨制度も実現していなかった。

このユニークな仕組みが、19世紀末から20世紀初めまでの中国経済の持続的な成長を促した、と著者は指摘する。国際商品だった銀の相場が下落傾向にあり、結果として中国通貨のレートが切り下がる効果を生んだからだ。そして、大恐慌が起きてからも2年余り、銀相場が下がったため中国経済は比較的好調だったという。

事態を一変させたのは、31年9月の英国の金本位制離脱。多くの国が自国通貨の切り下げと積極的な景気拡大策を展開し、国際的な銀相場は上昇に転じた。中国経済は強烈なデフレ圧力に直面し「深刻な不況に陥っていった」。34年には上海金融恐慌と呼ばれる事態に発展した。

この危機の影響、それに対する企業や銀行、政府などの対応を、著者は広範な史料を踏まえて実証的に紹介する。そのなかで強調されるのは、国民政府が35年に断行した通貨制度改革の意義。

「(中国の)歴史上初めて、中央政府が統一的に紙幣を発行し、通貨をめぐる市場との緊張関係に入るに至った」という。今の中国にも通じる経済システムの大転換が、あったわけだ。この改革を成功させた国民政府の官僚たちに向ける著者のまなざしは、優しい。

主力産業だった綿紡績業と生糸製糸業を軸に、産業と金融、都市と農村、国家と市場、世界経済といった多角的な連関を解きほぐしていく手並みは丁寧だ。

印象的なのは、張謇や張之洞、栄宗敬・栄徳生兄弟ら中国の資本主義の先駆者たちの姿。

「90年代になって中国で公開され始めた企業文書」を踏まえたとみられる分析は生々しく、経済という精妙で不可思議なシステムの息吹に触れたような気分を覚える。

「挫折する力」 中川洋吉編著…日経新聞6月26日21面より

2011年06月26日 13時58分29秒 | 日記
今年99歳になった映画監督・脚本家の新藤兼人がその半生を振り返るロングインタビュー。

広島の農村での生い立ちから、旺盛な創作活動を続ける90代の心境まで存分に語るが、最も読ませるのは戦前戦後の映画界の裏話と映画人の横顔だ。

実力主義の京都と紳士的な大船。山中貞雄の才気と溝口健二の迷い。吉村公三郎、黒田清己ら独立プロの同志たち。

挫折感がありますと、マンネリになんかなってられない」とは日本映画界を縦断したこの人にしか言えない言葉だ。(新潮社・2000円)

「柳田国男と梅棹忠夫」伊藤幹治著…日経新聞6月26日21面より

2011年06月26日 13時55分32秒 | 日記
日本の民族学・民俗学研究の巨星、柳田国男と梅棹忠夫。

この2人のもとで研究し、薫陶を受けた著者が回想を交えながら、今日の日本研究を点描する。柳田も梅棹も、自分で見聞きした経験的事実に基づいて構築した「自前の学問」を求め続けた。

そして「日本とはなにか」という問いと向き合ったという。柳田の民間伝承論、梅棹の文明の生態史観など、2人の思想を対比しつつ、その交錯と相違に触れながら、彼らの研究が残した課題も分析する。
(岩波書店・2600円)

「現代の貧困ワーキングプア」五石敬路著…日経新聞6月26日21面より

2011年06月26日 13時49分14秒 | 日記
少子高齢化が進む日本。成長無きままならば、その延長線上にあるのは失業や生活保護があふれる貧困の未来かもしれない。

雇用と福祉政策をどうかみ合わせていくのか。国と地方の連携をどう立て直していくか。企業や非営利組織(NPO)の力を取り込めるか。

どんどん豊かでなくなっていく日本という国の最も重たい構造問題に、現場の目線で切り込み、出口への道筋を示している。
(日本経済新聞出版社・2400円)

経済論壇から 東京大学教授 福田慎一…日経新聞19面から。

2011年06月26日 13時28分34秒 | 日記
「復興」で日本の競争力回復を

文中黒字化と*は芥川。
 
…前略。
 
こうした中、大きな関心を集めているのが被災者の雇用問題だ。がれきの撤去作業や自治体の臨時職員など、被災地でも仕事が全くないわけではない。しかし、その多くは単純作業の低賃金労働や臨時の非正規雇用である。職を失った被災者が安定した人生設計を描くには、被災地で安心して仕事につけるよう、十分な量の良質の雇用を確保し続けていく必要がある。
 
慶応義塾塾長の清家篤氏(週刊ダイヤモンド6月4日号)は、当面は単純作業が雇用の受け皿になるのはやむを得ないとしながらも、中長期的には働き手によりよい労働条件を提供することが必要だと強調。具体策として、新規の企業立地の促進や、特区構想などを通じて産業の高度化や高付加価値化を推し進めるとともに、若年層を対象に、実効性の高い教育訓練を実施して、能力開発を急ぐことが重要だと訴えている。
 
中長期の雇用確保の道筋をつけるためにも、骨太の復興計画の策定が急務なのは論を待たないだろう。もちろん復興計画がなくても、経済が上り調子の時なら、さほど心配はいらない。しかし、日本の置かれた状況はまさにその正反対である。

…中略。

武蔵大学教授の黒坂佳央氏(週刊エコノミスト6月7日号)によれば、今後予想される新たな産業の空洞化と、その国内雇用への悪影響が大きな懸念材料だという。
 
収入源が対外資産から得られる収益になったとしても、富裕層にはほとんど影響がない。そのため、ともすると見過ごされがちだが、これまで国内に踏みとどまっていた生産拠点が所得収支の黒字を背景とした円高に堪えきれず、海外に移ることで、国内の雇用は決定的な打撃を受けかねない。さらに、富裕層とそれ以外の層の格差が拡大することで、日本社会にとって深刻な亀裂が生じかねないという。 
しかも、今回の空洞化は日本の輸出競争力の裏返しとして生じたこれまでの円高・空洞化とは異なり、日本人が所得の源泉を過去の貯蓄の取り崩しに求めることによって発生するもので、輸出競争力を反映していない。その分、日本経済へ与える影響も看過できないという。
      □  □
 
復興計画というと、とかくその規模や財源面ばかりが注目されがちだが、今後は、単に被災地域の復興に役立つだけではなく、日本経済の競争力回復にも資する復興計画なのかどうかが、ますます問われるようになるとみて間違いないだろう。
 
京都大学教授の佐伯啓思氏(ウェッジ6月号)は、「東北」はこれまでモダニズム文化の中心として近代化の先頭を切ってきた神戸と対極の存在で、農業・漁業を中心とした共同体や民話伝承を持つ、どこか神話的世界へと通じる場所であると指摘。そうした東北の潜在力に根差した復興(計画)であれば、復興は地域経済ばかりか、日本経済浮上の大きなチャンスにもなり得るし、またそうした復興でなければ意味がないと述べている。評者も同感である。

…中略。
 
国民は政治不信を強めながらも、理想のグランドデザインを掲げて国をあるべき方向へ導く、そんなカリスマ性を持った、逃げない、強いリーダーシップを政治に求めていることを改めて強調したい。

*だからこそ、福田さんよ。マスコミと言論界は、3年前に、時の権力によって為された事…貴方が所属する東大エスタブリッシュメントが、本物の政治的イノベーターであった小沢一郎を、自分たちが1905年以来築き上げて来た秩序を壊す最大の脅威だとして、反民主主義そのものの横暴で排除した…に、与するべきではなかったのだ。

芥川は、貴方がたが為した、この所業が、森嶋通夫大教授の推論である…2050年、日本は没落するだろう、を、かなり確実化させたと思っているのだ。

勿論、芥川は、それでもなお、それを防ぐために、「文明のターンテーブル」、を書いているのだが。

村野藤吾…日経新聞6月26日17面より

2011年06月26日 13時07分17秒 | 日記
ライトの自然観はしばしば日本的ととらえられ、称賛されるが、そんな評価に"異議"を申し立てた建築家もいた。

日本でライトは過大評価されるきらいがある、と日記に記したのは関西モダニズムを代表する村野藤吾。

村野は帝国ホテルの目の前に装飾的ディテールで知られる日生劇場を設計し、劇場3階ホテル側に唯一の出窓を設けた。

帝国ホテルとの関わりをやんわり否定したが、出窓には様式や因習をことのほか嫌った村野の思いがひょっとしたら込められていたかもしれない。

近代化に突き進む時代にくみせず、在野精神をもって孤高に生きた建築家への敬愛が。    

文・窪田直子

ライトとジョー・プライス…日経新聞6月26日17面

2011年06月26日 12時59分45秒 | 日記
ライトが提唱した有機的建築の思想は、伊藤若冲の初期の代表作「葡萄図」に表れているーー。 
「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」展のカタログをめくっていて、思わぬ対比に驚かされた。

コブだらけの枝や虫食いもある葉を大きく波打たせたブドウの木。所蔵者である米国のコレクター、ショー・プライスさんは「葡萄図」は目の前の植物を写生したというよりも、枝を切ったり曲げたり人間の手を加えることでブドウの本質を取り出した、ととらえる。

ライトの建築も大地を切り開き、人工物を組み立てながら自然の原理にならう建築を目指した。50年代に60歳も年上のライトと親交を深め、「自然を見る目を鍛えられた」と語るプライスさんらしい視点である。

文中黒字化は芥川。

北方建築…日経新聞6月26日17面より

2011年06月26日 12時51分23秒 | 日記
「ライト式」建築は関東大震災後に移住した田上によって、遠く北海道にも飛来した。厳寒地での暮らしの改善を目指した「北方建築」はアメリカの開拓精神やライトの自然観を素直によい形で受け継いだものといえるかもしれない。

軍国主義的な教育を強いた薩摩藩士の父親に反発した田上は、育ての母であるキリスト教徒の叔母の影響を強く受けた。「汝の車を天上の星につなけ」というエマーソンの言葉を好んだバイオリンの愛好家でもあった。

物理学者でバイオリンをたしなんだアインシュタインが建設中の帝国ホテルに滞在した時には、練習をひと目見ようと屋根裏に上り、足で天井を突き破ってしまったというほほ笑ましいエピソードも残る。

「雄大な自然の中の人間の営みという原点」に立って住宅のほかユースホステルや学校なども手掛け、札幌から小樽、旭川、網走へと「タンポポの綿毛が飛び散るように」北方建築の種をまき続けた人物だ。



サッポロライオン銀座7丁目店…日経新聞6月26日17面より

2011年06月26日 12時46分24秒 | 日記
大正から昭和初期のモダンな銀座の象徴が、今も銀座7丁目のランドマークとして親しまれるサッポロライオン銀座7丁目店。

34年、大日本麦酒の本社社屋として設計された菅原栄蔵の代表作の一つに数えられる建物だ。当時の面影そのままの1階ビヤホールでジョッキを傾けた読者も少なくないだろう。

店内は「収穫」をテーマにデザインされ、赤茶と深緑でタイル張りした壁と柱はそれぞれ大地と麦の穂を表す。400色もの色かおる壁面のガラスモザイクは、ビールの泡やブドウの房をデザインした照明などとともに「東洋的な幻夢を誘う秀作」と評された華やかさを醸し出している。

装飾タイルの形ひとつにも手を抜かなかった菅原が 「美術建築師」を自称したというのもうなずける。大日本麦酒ビルは近隣の旧新橋演舞場、新橋保全会社、資生堂化粧品部(いずれも現存せず)とともに、一度は壊滅状態になった東京に新たな都市文化の到来を告げたのである。

在野精神息づく大胆な発想…日経新聞6月26日17面より

2011年06月26日 12時34分01秒 | 日記
有機的建築の灯なお絶えず

1923年9月1日、開業祝賀パーティーを当日に控えた帝国ホテルが関東大震災で被災したエピソードはよく知られている。当時の被災調査には壁面に亀裂、装飾や石柱などが破損したと記されているが、一時使用不能になった客室はわずか7室。

被害は比較的軽かったことがわかる。同ホテルの社史によると地震の翌日からは企業や各国大使館、新聞社や通信社などがホテルに間借りし、執務を始めたという。

米国では帝国ホテルが取り入れた耐震設計の"勝利"と報道されたが、無事だったのは同ホテルだけではなく、ほぼ無傷の明治期の建物もあったと谷川さんは指摘している。

一方で、関東大震災は東京都心部に「ライト式」建築を普及させるきっかけになった。
明治期にイギリス風の町並みを築いた東京・丸の内や銀座に、「アメリカ」がもたらされたのは大正期のことだったと建築史家の藤森照信さんは見る。

古めかしいレンガ造にとって代わったのは鉄筋コンクリート。1906年のサンフランシスコ大地震でその耐震性が証明され、震災後の日本へ本格的に導入され始める。被覆材としてのタイルやテラコッタも強度や軽さ、経済性が注目され、「復興建築材料」として国産化されるようになる。

江戸から戦後までの町並みの変遷を追った「銀座四百年」(岡本哲志著)によれば、銀座には大震災から35年までに130もの近代建築が建った。その造形の"手本"ともなったのが、スクラッチ・タイルやテラコッタの装飾、幾何学模様のデザインなどを用いたライトの帝国ホテルだった。