文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

アジアの力を引き出した日本 商船三井会長 芦田 昭充…11月21日、日経夕刊1面から。

2011年11月21日 21時32分39秒 | 日記
文中黒字化と*は芥川。

2007年のこと、スティグリッツ教授の講演を聞いた。教授の著書を読んだ私の秘書が「グローバリズムの負の側面も知ってほしい」と配慮してくれたようだ。実際、講演はグローバル化により先進国が発展途上国の経済を破壊し、人間社会の格差やひずみを生み出すというものだった。
 
同教授の言う「グローバリズムの負の側面」は理解できるが、これまでの歴史においてはプラスの方がはるかに大きかったと思う。私か入社した1967年頃の世界の人口は30億人だったが、今では70億人に達した。その間、世界の生活水準も総じて大幅に向上した。この人口増と発展を支えたのが貿易だ。世界で生産される原油および鉄鉱石はその50%が海上輸送されている。

大豆の35%、小麦の20%、とうもろこしの10%も同様だ。40年前は世界の人口1人当たりの海上輸撲量は0.5トンだったが、現在は1・15トン。
日本も明治初期には人口3千万人、平均寿命40歳未満だったが、貿易の拡大を大きな要因として現在は1・27億人、80歳超となった。
 
日本の製造業は戦後ゼロからスタートし、国際競争力を高めていった。輸出立国として発展を遂げる過程では米国との貿易摩擦を乗り越え、80年代の円高をしのぎ、雁行型発展の先頭に立ってアジア経済を引っ張ってきたのが日本である。

一方、中南米やアフリカは米国や欧州との歴史的な結びつきがあったものの、日本とアジアのようには順調に発展しなかった。漸く今世紀に入ってグローバル化の波に乗り、成長が早まりだした。
 
アジアについては確かに中国の存在が大きくなったが、調和的に発展するためには引き続き日本の役割が重要である。

*芦田さんも、図らずも、芥川が、「文明のターンテーブル」で書いた〈解答〉の正しさを伝えてくれているのである。
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SONYは死なず。

2011年11月21日 21時02分09秒 | 日記
今日、Kさんが、SONYの「リモコンがひとまとめに出来るリモコン」と言うのを持って来てくれた。この部屋には4つのリモコンがあるのであるが、取り敢えず、3つのリモコンを一つにしてくれたのだが、これが良いのって何のって(笑)

優れ物は全て形も良い物だが、これも例外では無く、逆転の発想の如くに操作面を下にして置くのである。当然、表には見事な半円形の形だけが見え、おまけに何処にでも安定して置ける。

SONYがIPODに負けたのは、芥川が何度も言及して来たように、形で負けた。
音質は全く負けていなかった。このリモコンは元々の、それぞれの機械のリモコンより、ずっと感度も良く使い勝手も遥かに上。

このリモコンを使いCS放送で、さっきまで観ていた映画が植木等の「日本一の男の中の男」だった。この映画は或る面で実に新しい映画で日本のミュージカル映画の先駆とも言えるし、この映画に於ける谷啓との絡みも絶妙なテンポ。おまけにアメリカと如何に相対すべきかということの本質的答えすら在る映画だった…名画と言うべきだろう。勿論、芥川が、この映画を観たのは今日が初めてではないが。

ストッキング会社が題材だからだったのだが、若い時の浅丘ルリ子の美しさと、その脚線美に初めて気がついた。(済みません、我が愛しのリリーさん)

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Hさんへ、11月21日。

2011年11月21日 17時05分06秒 | 日記


gooにおける昨日のアクセス数は、以下の数字でした。


 


1120日のアクセス数 閲覧数:16,409PV    訪問者数:1,251IP


順位: 227 / 1,656,102ブログ中 (前日比  )


 


一方昨日のアメーバは 閲覧数:799 訪問者数:572


 


gooの、ページごとの閲覧数ベスト20は以下の通りです。


1この6ページにわたる対談記事を読めば、日...331 PV


2前章の小沢一郎の対談記事を特に読むべしは…282 PV


3トップページ192 PV


4去年、世論調査で小沢一郎は悪い奴だ「YE...88 PV


5巨大地震、仕組みに新説  海山が一因・岩...77 PV


6今年の段階でも「YES」と答えていた5割...54 PV


7小沢一郎すべてを語る …サンデー毎日11月...53 PV


8発送電分離論 ここがおかしい…澤 昭裕 ...53 PV


9有機ELで新材料 住友化学…日経新聞11月2...45 PV


10山中教授は概ねそういう話をしていたのだっ...40 PV


11欧州危機深刻化 独が役割を果たすとき…日...34 PV


12こういう番組を作れる国を真の大国と言うの...33 PV


13芥川にとっての、この秋、痛恨の事(笑)と...32 PV


14昨日の〈宮沢賢治の音楽会〉を観ていれば、...32 PV


15国際政治の場では…32 PV


16Newsweekが最低50万部は読まれなければ駄...31 PV


17京都について。31 PV


18企業、自治体と小水力発電/戸建て住宅 安...28 PV


19中国、共産主義型に陰り 「村ごと株式会社...27 PV


20アメリカが今の時点から自国を或いは他国を...27 PV


 


昨日の結果も、芥川にとっては、さても「南京玉すだれ」 感激 感謝 雨あられ 謝謝 多謝なのでした。


 


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未知の現場仕事、肌で学ぶ 日揮会長…日経新聞11月21日15面より

2011年11月21日 16時50分46秒 | 日記
日揮会長 竹内敬介氏
たけうち・けいすけ 70年(昭45年)阪大基礎工卒、日本揮発油(現日揮)入社。 00年取締役。07年社長。 09年6月から現職。兵庫県出身。

一人徹夜で大工仕事、信頼得ようと奮闘

日揮の竹内敬介会長(64)はプラントエンジ ニアとして入社。化学プランド担当のプロジェクト2部に配属された。

化学メーカー志望でしたが大学院の先輩が内定枠を使い果たし、当時の専務が非常勤講師だった日揮に行くことに。入社が決まって挨拶に行くと専務は「見たことないね」。大学時代は勉強より軟式テニスに力を入れたからで「そうでしょう」と正直に答えました。

出社初日、厚さ約2センチメートルの英文資料を渡されました。私の部署はスイスのホフマン・ラ・ロシュが日本で建設する化学物質の製造工場の受け持ちでした。早速7時間の残業。「最初からこれか」と憂鬱でした。

入社から1年。建設現場での仕事も任される。

ロシュの工場は静岡県袋井市で建設中でした。難渋したのは言葉です。例えば配管工の親方が「2と2半のコンセンを持ってこい」と指示する。両端が2インチと2インチ半の特殊な配管のことですが全く分からない。聞き返すと怒鳴られるので、倉庫へ行きテープレコーダーのように同じ言葉を繰り返します。記憶違いがないかヒヤヒヤものでした。

土木工事を受け持った会社のミスで、機器据え付け用の穴の位置がずれるトラブルもありました。これも直す人がいない。据え付け担当の親方から「明朝までに何とかしろ」と言われ、1人徹夜で墨打ちや穴埋めなどの大工仕事をこなしました。肩書は関係なし。現場で働く親方らの信頼を得ようと必死にやりました。

ロシュの現場が終わると、シンガポールの製油所が待っていた。

勉強するうち、プロジェクトを仕切るマネジャーから2週間のシンガポール出張を命じられます。人生初の海外。喜び勇んで出張すると、着くなり監督からプラント内の全部の安全弁のテストを頼まれました。

一口に安全弁といっても、大きさもかかる圧力も違います。朝から夜まで試行錯誤です。出張期間を大幅に超え「ようやく帰れる」
と思うと、今度はラインのチェックと配管テストです。気がつけば、現地滞在は半年以上に。帰国予定が何度もキャンセルになり、業を煮やした妻は「連絡は帰国後で結構」。

入社4年目、プロジェクトマネジャーに。

総工費が数十億円の国内化学プラント建設を任されました。1人で見積もりから設計、調達、建設まで仕切りますが、失敗続きでした。コスト削減のため韓国のエンジニアリング会社に配管設計を一部委託しましたが、組み付けようとすると配管がラックの脚に当たり具合が悪い。

安全性を確認して脚を切ると、土木部のエンジニアが「勝手なことをするな」と怒鳴り込んできました。権限は私にありましたが、連絡なしはまずかった。チームを率いる難しさを肌で学びました。

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石油ストーブ、中小に特需/日本のサイト 中国で閲覧しやすく…日経新聞11月21日13面より

2011年11月21日 16時49分29秒 | 日記
「節電」で出荷5割増
工場フル稼働、採用増も 大手撤退背景に

節電意識の高まりを背景に、電気を使わない石油ストーブの売れ行きが好調だ。例年なら需要期ではない9月初旬から出荷が増加、出荷量は例年より5割多い状態が続いている。生産の大半を担うのが中堅・中小企業。不完全燃焼や火災など事故で、大手が軒並み撤退したためだ。

もっとも一過性の需要増と見ている企業が多く、増産に向けた追加投資には慎重な姿勢を崩していない。国内の石油ストーブ市場2位のトヨトミ(名古屋市、中村出社長)は、例年の2倍以上の受注が年末まで続いている。

石油ストーブの生産拠点は名古屋市内にある本社工場だけ。8月からアルバイト40人を採用、2ラインをフル稼働している。「グリーンウッド」「アラジン」のブランドで石油ストーブを製造する千石(兵庫県加西市、千石唯司社長)で受注が本格化するのは例年なら10~11月。今年は9月から注文が急増した。

中国広東省の工場では前年比5~6割増の生産が続いている。石油ストーブ“特需”の影響は部品業界にも及んでいる。ガラス繊維製のストーブの芯を作るシルバー(大阪府八尾市、西岡義彰社長)でも出荷量が6割増加。通常70人程度で工場を稼働しているが、増産のため今夏から20人のパートとアルバイトを採用した。

石油暖房機器の市場規模は最近、持ち直しの動きもあるものの、10年前に比べると半分の水準に落ち込んでいる。省エネ性能に優れたエアコンや床暖房などが普及する一方で、燃料の灯油の割安感が薄れ、大手家電メーカーが家庭用石油暖房機器の生産・販売から相次ぎ撤退したためだ。

消費者には安全性を不安視する向きもあったため政府は石油機器の規制を強化。今年からタンクを取り出すと自動的に消火する仕組みや、口金が閉まったことが音や色で確実にわかる仕組みなどがない暖房機器は販売できなくなった。

需要急増の恩恵を受ける中堅・中小企業は安全対策を強化。トヨトミは口金が外れた状態でタンクを横倒しにしても灯油がこぼれない仕組みを独自に開発、製品に採用している。

電気を使わない暖房器具として、円柱型の高級石油ストーブも販売が増えている。フジカ(東京・文京、大野日佐太社長)は、昨年から再開した1台2万5000円のストーブの国内販売が昨年を上回るペースで伸びている。

明かりにもなる高級ストーブを生産する日本船燈(埼玉県吉川市、伊勢淳二社長)は今年度分として用意した1000台を9月中に完売した。

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日本のサイト 中国で閲覧しやすく
ビジネスラリアート 訪日客見込む企業向け

インターネットサービスのビジネスラリアート(京都市、中西俊之社長)は、日本の法人のウェブサイトを中国に住む人が閲覧する際の待ち時間を短縮するサービスを始める。通常の5分の1程度の時間でサイトが表示できるようにする。

訪日を考える中国人観光客を呼び込みたい日本のホテルや物販店に販売する。ビジネスラリアートは顧客企業のサイトを世界中で閲覧しやすくするサービスを提供している。料金は月額5万2500~10万5000円。新規サービス「チャイナプラス」は既存サービスのオプションとして始める。利用料は同3万1500~10万5000円。

中国では国外のサーバーを経由してサイトを表示すると待ち時間が発生する。同社の調査によると、日本企業のサイトのトップページを表示するのに20秒程度かかることがあり、それを理由にサイトの閲覧をあきらめるユーザーが多い。

中国人観光客の中には事前にホテルや物販店のサイトを閲覧する人が多い。サイトが見られないことで訪問をあきらめるケースを集客の課題としている企業に需要があると見ている。
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除染で生じた土 減容 相次ぎ実証実験…日経新聞11月21日11面より

2011年11月21日 16時37分53秒 | 日記
東芝 酸でセシウム濃度1/10
鴻池組 貯蔵対象量7~8割減


…前略。東芝は金属製品の洗浄などに利用するシュウ酸の溶液を使い、土壌に含まれるセシウムを溶かし出す技術を開発した。95度程度に加熱したシュウ酸溶液の中に福島県内で採取した汚染土を入れ、セシウム濃度が1桁小さくなることを確認した。

国が定める基準値以下まで濃度を下げられれば、土は自然に戻すことができる。シュウ酸溶液に溶け込んだセシウムは鉱物を使って吸着でき、溶液は浄化処理に再利用することが可能。

東芝は車に載せられる小型の浄化システムとして実用化し、汚染地域で活用する計画。2011年度内に実証試験を始める。

同様の技術は新日鉄エンジニアリングや秋田大学も開発中。新日鉄エンジはセシウムを溶かし出すのに酸とアルカリを組み合わせて使い、セシウムは化学処理をした特殊な布を使って吸着する。秋田大の村上英樹講師は
リンゴなどに含まれるリンゴ酸を使う。年内に福島県の農地で実証試験を進める予定だ。

セシウムは土壌中では、砂よりも粒の小さい粘土と結びつく。鴻池組などはこの性質に着目し、汚染土を水で洗って粘土だけを分離する技術の実用化を目指す。洗浄後に脱水すれば「最終的にドラム缶に入れて埋めるなどの処置が必要な汚染土は20~30%に減らせる」(鴻池組)。粘土以外の砂などは自然に戻すことができる。


福島県内では土壌だけでなく学校のプールの水も放射性物質に汚染され大きな問題になっている。東京工業大学の有冨正憲教授らは、顔料の成分である紺青のフェロシアン化鉄と沈降剤を併用してセシウムを分離する技術の開発にメドをつけた。

約1トンのプール水を環境に流せる水準まで浄化した場合、残る沈殿量は約2キログラムになるとみており、大幅に減容できる。12月にも福島県内の学校で実証試験を始める。

こうした減容技術によって放射性物質そのものが減るわけではない。ただ、放射性物質を一定の領域に凝縮させれば、特殊な処理が必要な廃棄物の容量は大幅に減少する。

除染で発生する汚染土壌や廃棄物の量は、福島県内だけでも最大約3100万立方メートルと、東京ドーム25杯分に達すると試算されている。減容技術の確立が急務となっている。
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冬ボーナス4年ぶり増/東京都内へのホテル出店加速/資生堂 中国で出店拡大…日経新聞11月21日9面より

2011年11月21日 16時26分06秒 | 日記
7・24%増、80万円台 製造業が堅調
本社中間集計

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東京都内へのホテル出店加速 JR西 
西日本旅客鉄道(JR西日本)は東京都内へのビジネスホテル出店を加速する。来年2月に新宿、来年3月に東銀座に新ホテルを開業。その後も年1ヵ所のペースで開設する。

JR西日本の営業エリアからの出張や観光で都心ホテルの需要は高く顧客増が見込めると判断した。「ヴィアイン新宿」は東京メトロ丸ノ内線の新宿三丁目駅付近にあり全226室。

「ヴィアイン東銀座」は東京メトロ日比谷線の築地駅近辺に立地し全297室。ともに地上14階建てでシングルルームが中心になる。

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資生堂 米自然派化粧品 中国で出店拡大

資生堂は中国で、傘下の米自然派化粧品ブランドの出店を拡大する。昨年買収したベアエッセンシャル(カリフォルニア州、写真はJR大阪三越伊勢丹の店舗)の専門店を香港に3年で約10店展開。2012年以降は中国本土にも出店する。

資生堂はベア社を活用して品ぞろえを強化、商品の共同開発などで市場を開拓する。香港では資生堂の現地法人を通じて1号店を10月に出店。年間2~3店のペースで高級百貨店などに販売網を広げる。資生堂はベア社のアジア展開拡大に向けアジア市場専用のスキンケア用品を共同で開発する。
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欧州企業 縮小相次ぐ/東アジアサミット 他…日経新聞11月21日7面より

2011年11月21日 16時18分26秒 | 日記
不採算事業
ミタル 高炉閉鎖
ルフトハンザ 英航空売却
債務危機影響に備え

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著名投資家 米株評価に差
バフェット氏 IT株に巨額資金
ポールソン氏、テッパー氏 金融株の保有削減

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「米中主導権争いの場に」 東アジアサミット 海外メディア論評

海外メディアは19日の東アジア首脳会議(サミット)について、東アジアにおける米中の主導権争いの場になったと指摘した。韓国の聯合ニュースは「米国と中国の葛藤の調整に限界を露呈したまま閉幕した」と論評。

南シナ海の領有権問題については「全世界が注目する東アジアの代表的な紛争に浮上させただけで、なんら解決策を示せなかった」と指摘した。

AP通信は、オバマ米大統領のアジア太平洋歴訪について、自由貿易協定(FTA)交渉の進展や豪州への米海兵隊駐留計画などを例に「いくつかの成功をなし遂げた」と総括した。同時に、人民元相場やミャンマー外交などを念頭に「米国と中国の複雑な関係も露呈した」とした。

英BBC(電子版)は「米国が冷戦時代の手法に固執するならば、アジア地域で反発されるだろう」とする中国の報道を伝えた。

中国国営の新華社は「東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス1(中国)とプラス3(日中韓)を協力の主な枠組みとすることを確認した」との論説記事を配信した。貿易面で競合するインドが加わる「プラス6」には触れておらず、この枠組みになお慎重な姿勢であることをうかがわせた。
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サイバー戦争食い止め/広東省 沿海3地区で新産業振興…日経新聞11月21日6面より

2011年11月21日 16時17分36秒 | 日記
欧米主導で行動規範検討

世界各地でサイバー攻撃事件が相次ぐなか、国同士が重要インフラを攻撃しあう「サイバー戦争」を予防・規制する国際行動規範づくりを目指す動きが欧米諸国の主導で始まった。

一般市民の生活。に深刻な影響が出る電力や交通機関などのシステムはサイバー攻撃の対象としないことが柱。ただ現時点で中国やロシアなどが参加する可能性は少なく、実現は曲折必至の情勢だ。

…後略。
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広東省 沿海3地区で新産業振興
税優遇、金融・IT誘致

【広州=桑原健】中国広東省は広州市南沙など沿海3地区で新産業の振興に乗り出した。企業などの税率を香港・マカオ並みに抑え、香港や海外から金融や情報技術(IT)などの先進企業を呼び込む。

「世界の工場」と呼ばれた同省は人件費の上昇でコスト競争力が低下。サービス業やハイテク産業の育成で経済成長の持続をめざす。

新産業を育てるのは広州市南沙、深川市前海、珠海市横琴の3地区。このうち横琴は企業所得税の税率を通常の25%から15%に引き下げるなどの優遇策を適用することが8月に決まった。広州市と深 市もそれぞれ同様の優遇策を設けることをめざし、中央政府との調整に入っている。

広州市南部の南沙はトヨタ自動車の合弁工場や造船大手の中国船舶工業集団系の大型輸送船工場が稼働する製造業の拠点だ。同市は金融や医療、建築、IT、アニメ産業の振興も図る考えで、香港などでの企業誘致活動に乗り出した。

南沙は中国と香港の経済面の融合を進める経済緊密化協定(CEPA)の先行試行地域。香港企業や外国企業の香港法人に対する医療や建築などサービス分野の自由化が中国本土で最初に進む見通しだ。広州市は企業誘致の優遇措置を独自に設定できる「国家級新区」の認定も目指す。

深 市南部の前海も金融や会計、物流などのサービス業の誘致を図る。優秀な人材を招くため個人の所得税率を実質的に最高20%までに制限したり、企業間のトラブルを解決する商事法廷に香港から陪審員を招くなどのユニークな制度づくりを探っている。

先行する珠海市の横琴では、すでに香港企業など2社が合計380億元(約4700億円)を投じ映画の制作拠点や商業施設を建設することを決めた。隣接するマカオの澳門大学の分校を地区内に設けるなど香港、マカオとの融合を進める。
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天安門で失脚・趙元総書記を評価 広東省元首脳の発言…朝日新聞11月21日8面より

2011年11月21日 16時08分42秒 | 日記
中国の地方紙が紹介

中国広東省の新聞「南方都市報」が、天安門事件で失脚した趙紫陽・元共産党総書記の功績をたたえる広東省の元トップの発言を掲載した。趙氏の評価は今も極めて敏感な問題で、国内メディアがその名に言及すること自体が異例だけに、波紋を呼んでいる。

記事では、1980年代に広東省の改革を進めた任仲夷・元省党委書記(故人)の元秘書の瀋東生氏が、任氏が生前に述べた言葉、「今日の広東があるのは()小平氏に負うところが大きく、(胡)耀邦や(趙)紫陽の功績も欠かせない」を紹介した。

趙氏は総書記だった1989年、天安門事件につながる学生運動の訴えに理解を示し、「動乱を支持した」として解任された。

2005年に死去した後も、共産党は追悼集会や回顧録出版などを厳しく封じ込めている。だが党内には政治改革を進めようとした趙氏の姿勢を肯定的に見る勢力もあるとされる。

記事は、任氏が80年に、次の最高指導者と見込まれる習近平氏の父、習仲勲氏から省書記を引き継ぐ際の写真も掲載した。瀋氏を知る作家の朱健国氏は 「新聞で趙氏の名前に触れるのは、瀋氏個人の判断ではあり得ない。

習近平氏に対し、開放改革を推し進めた過去の指導者に学べというメッセージを送ろうとする党内勢力の動きと見るべきだ」と話す。(広州=林望)
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海外出店数、国内を逆転/三井物産 中国で農業ファンド…日経新聞11月21日1面より

2011年11月21日 13時48分25秒 | 日記
小売り・外食加速
コンビニ5社 純増1・5倍 アジア中間層開拓

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三井物産 中国で農業ファンド

三井物産は中国最大手の農業・牧畜企業である新希望集団(四川省)、穀物メジャーの米アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド(ADM)など
と中国で農業ベンチャー向けの投資ファンドを立ち上げる。資産規模は約2億ドル(約150億円)。巨大消費地の中国で種苗や栽培技術など食の有望技術を開拓する。

中国では高品質の食糧を効率よく生産するニーズが高まっている。三井物産などは農業ベンチャーの中国での新規上場などを通じた投資収益を見込むほか、新技術による共同事業化などを視野に入れる。

三井物産などのほか、シンガポール政府系投資会社のテマセク・ホールディングスが資金を拠出。新希望のファンド運営子会社が7割、他3社が1割ずつ出し、1億ドル弱のファンドを組成した。今後、他の出資者も募る。
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浦上玉堂とゴッホ。 

2011年11月21日 13時34分53秒 | 日記
美の美…日経新聞11月20日16,17面より 。

…前略。 文中黒字化は芥川。

浦上玉堂父子の墓は、織田信長の供養塔で知られる京都の本能寺にある。河原町通りに面する裏門から路地を入ると墓の前に出る。石壇には玉堂と長男春琴の墓が並び、脇に記念碑が立っている。
 
玉堂は岡山生まれの備前池田藩士だった。漢詩をつくり、七絃琴の名手として知られた教養人だった。

御供頭から大目付役になるなど順調に出世したが、やがて左遷された。数えで50歳のときに、春琴、秋琴の2人の息子を連れて突然脱藩に踏み切り、琴を携えて江戸、会津、京都、大坂、長崎、水戸、金沢などの諸国を放浪した。各地で木村蒹葭堂、谷文晃、田能村竹田などの文人と交わった。晩年は京都に定住した。
 
画は独学で、脱藩以前から描いていたが、脱藩以降のものが多く、とくに晩年の作が優れている。大坂で玉堂と40日間一緒だった竹田の『山中人饒舌』によると、玉堂は酒を飲んで画を描き、醒めれば筆を置き、また酔っては描くことを繰り返したという。
 
改革派牧師の家に生まれたゴッホも放浪の画家だったという点で玉堂と重なる。伝道師への道に挫折し、オランダやベルギーからパリに入り、南仏アルル、サンレ・、オーヴェルとさすらい、37歳の若さで死んだ。

出光美術館学芸部長の黒田泰三氏は2人は「孤独な魂の表現」、や「ある種の狂気」で通じ合うと見る。
  
「玉堂は大雅や蕪村と違って文人画の正統派ではない。師もなく、ほとんど一人で描いている。彼の画には脱藩してまで好きな画に打ち込んだというある種の凄みや狂気が感じられる。そこがゴッホと共通する」

…後略。
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本来、日本の「お茶の間」のゴールデンタイムに自然・当然に流れるべき言葉の数々。③

2011年11月21日 13時31分40秒 | 日記
文中黒字化は芥川。

敗戦から5年後の50年、京都の柊家に宿泊していた川端康成が凍雲篩雪図が売りに出たと聞き、大枚の借金をしてまで購入を決めたのも玉堂にほれたからだ。

川端は玉堂の画に「私にはすこぶる近代的なさびしさの底に古代の静かさのかようのが感じられて身にしみる」 (「反橋」)と深く心酔していた。
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本来、日本の「お茶の間」のゴールデンタイムに自然・当然に流れるべき言葉の数々。②

2011年11月21日 13時28分09秒 | 日記
タウトをモデルにした長編小説『白猫』を書いた石川淳は、タウトを支持してこう書いている。 文中黒字化は芥川。
  
「玉堂の画は、なにになることもいやだという人間がぶっつけた仕事である。(中略)画はいやでも切羽つまった発明になるはかなかった。発明はついに凍雲篩雪図を打出する。ブルーノ・タウトが玉堂の独行をゴッホに比して、これを『ヨーロッパ印象派の先駆』のように見てとったのは、奇矯の言ではない。近代絵画という名目につりこまれるにはおよぶまいが、近代という観念は紙一重で玉堂に通ずる」 (「玉堂風姿」1974年)
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本来、日本の「お茶の間」のゴールデンタイムに自然・当然に流れるべき言葉の数々。

2011年11月21日 13時18分57秒 | 日記
美の美  …日経新聞11月20日16,17面 タウトが見た日本画 浦上玉堂とゴッホ から。文中黒字化は芥川。

文人画の巨匠、浦上玉堂の評価は大正時代までそれほど高くはなかった。タウトが昭和初期に「日本のゴッホ」「ヨーロッパの印象主義の先駆」と位置づけてから評価は高まった。

浦上玉堂(1745~1820年)は長い間、無視されてきた。美術史家はこう書いている。
  
「江戸時代はもちろん、明治時代になっても、玉堂の画は正当な評価をされず、むしろ技巧的な春琴(玉堂の息子)の画の方がはるかに高い評価をうけていた。明治の代表的絵画史である藤岡作太郎の『近世絵画史』 (明治三十六年発行)も、玉堂にわずか数行をさいているにすぎない」(吉澤忠『日本南画論破』1977年刊)
  
「大正の初めでは玉堂は一般的でなく、例えば大正六年七月の『中央美術』第二二号『南画研究』に、正統派と思われる美術史家・笹川臨風が『新南画論』というのを書いているが、この中で大雅、蕪村、竹田の名は出てくるが、玉堂はいくら探しても見当らなかった」(山内長三『日本南画史』81年刊) 

しかし、戦後、玉堂の評価は急激に高まり、近年では文人画の最高峰の一人と見なされるようになった。
 
例えば佐藤康宏東大教授はこう書いている。
  
「彼は、必ずしも山水画を得意としなかった日本絵画の歴史の中で、例外的に中国の山水画のいくつかの核心をつかみ取り、墨と紙とで何ができるかを深く理解した、ごくわずかな作家のひとりである。(中略)一八世紀末から一九世紀初めの東アジアを代表する山水画家だったというべきだろう」(『浦上玉堂』97年刊)
 
武田光一新潟大教授もこう絶賛している。
  
「玉堂は“文人画”の『写意』の理念を信奉して実践した。年とともに一層深まった内面世界を率直に表現し続けた。こうして玉堂は日本南画史上、稀有な境地に達したのである」 (『日本の南画』2000年刊)

…後略。
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