文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

NHK・BS1でエル・ムンドを観ていたら…。

2011年11月27日 23時14分29秒 | 日記
日本人画家が出ていたのだが、なんとまぁ、人が今まさに死なんとする瞬間を写真の様な正確さで…凝視して…時を止めたかのような画として描いていたのだった。

芥川は、ジョージ・ハリスンの♪All Things Must Pass Away♪を思い浮かべながらトイレに立った。


人は美しい人生を生きなければ話にもならないのだ。そうでなければ何の意味もない。

何であれ、カジノ資本主義やダボハゼ資本主義なんかでは駄目なんだ。



All Things Must Pass Away by George Harrison

Sunrise doesn't last all morning
A cloudburst doesn't last all day
Seems my love is up and has left you with no warning
It's not always going to be this grey

All things must pass
All things must pass away

Sunset doesn't last all evening
A mind can blow those clouds away
After all this, my love is up and must be leaving
It's not always going to be this grey

All things must pass
All things must pass away
All things must pass
None of life's strings can last
So, I must be on my way
And face another day

Now the darkness only stays the night-time
In the morning it will fade away
Daylight is good at arriving at the right time
It's not always going to be this grey

All things must pass
All things must pass away
All things must pass
All things must pass away

もう一つの日本に託したひさし流ニッポン論「一分の一」上下 井上ひさし…12・2週刊朝日読書欄から。

2011年11月27日 22時55分14秒 | 日記
講談社各一九〇〇円
  
評者:文芸評論家 清水良典

いやはや、今になってこんな凄い大怪作が読めるとは。

作家の没後に長編が未完のまま刊行されることはよくあるが、本書は一九八六年から九二年にかけて「小説現代」に断続的に連載されながら、中絶したまま放置されていた作品である。いってみれば作者から完成を断念された作品なのだ。書かれていたのは『吉里吉里人』のあと、著者が「こまつ座」を立ち上げ
、座付き作者として戯曲の執筆にのたうち回り、さらに夫人との離婚、また再婚と、身辺まことに多事多難であった期間にあたる。そんな人生の難所の最中にこれが書かれていたと考えると感慨もひとしおだ。

一九八六年の二月、ソ連占領下の 「北ニッポン」から、サブーシヤなる地理学者がアメリカ占領下の「中央ニッポン」に密入国する。なんとこれは第二次大戦敗戦後の日本が、ソ連、アメリカ、イギリス、中国に分割管理されたまま四十年以上たった世界なのである。実際にこの設定に似た分割統治案がGHQの記録に残されているが、北海道・東北の 「北ニッポン」領から、なぜか福島県が抜けて「中央ニッポン」に組み入れられている。というのもー。

サブーシヤとはロシア風の呼び名で、もとの日本名は遠藤三郎。クレムリンと赤の広場の一分の一の地図を三十年近くかけて作成したという途轍もない地図おたくだ。そんな彼が四つに分割された祖国を色分けする際に、つい福島県を同じ東北という先入観で塗り間違える。一度でいいから日本列島を一色で塗ってみたいという動機から、祖国を「一分の一」に再統一しようとするゲリラ活動に加わる羽目になってしまったのである。うまい使い方だ。

逃亡した彼を、東洋一の奇術師にして北ニッポンKGBの総元締の一陽斎東勝(とんかつ)が、手下とともに執拗に追い続ける。人を兎に変えるわ、幻覚に陥れるわ、とにかく神出鬼没の宿敵である。その攻防の荒唐無稽さの暴走的連発に圧倒される。

追手を巻いてやってきたトウキョウは、やはり連合国によって三十五区(!)が分割管理され、とりわけ六本木交差点あたりには戦勝各国の管理地区が林立している。そこヘサブーシャは五人の名前の身分証明書を携えて潜入するのだが、それがみんないわく因縁のある素性だったからややこしい。指名手配中の殺人鬼に、皿洗い名人、演劇界から謎の失踪をとげた天才俳優。そして小説『一分ノ一』で文学賞を受賞した作家までいる。その小説はサブーシャのいる世界とは逆の、経済大国となった我々の戦後日本を風刺したSFなのだ。

こうして作中演劇や作中小説が繰り広げられる展開となり、サブーシャは行く先々で、多重人格者のごとく何役も他人を演じ分けなければならなくなる。まさに演劇人井上ひさしの面目躍如である。

やがてサブーシャは、本心から命懸けで祖国統一を訴える英雄的存在になっていく。ついに捕らえられて死刑の判決を受けた彼が、宿敵の東勝と日本論を戦わせる場面は、本書のクライマックスであると同時に、著者の思いをシリアスに吐露している。超高度の工業国で「空気と水は汚れて濁り、土地の高騰で人びとは自分の家も買えない。そんな国家は願い下げ」という一方、「共産党の一党専政もごめんだね」と断ずる彼は、「歴史的な罪と罰と悲しみを体験したニッポン人」は「もの静かな賢人」の国家を作るべきだと述べる。

この部分を読んでいると、この作品が完成しなかったのは無理からぬことだった、いやそうなるべきだったという気がしてくる。執筆中に日本は、バブル以降の底知れぬ混迷に落ちていった。もし著者が生きていれば、理想のニッポンについて何を書いただろうか。フクシマが世界の不安の中心になった現実に、どんな声を挙げただろうか。本書はその幻の帰着点を永遠に夢見ている。

マイルス・デイヴィスの半生を描く伝記映画 「マイルス」(仮題)が企画されている。

2011年11月27日 22時37分41秒 | 日記
ハリウッド噂の先取り…週刊朝日12・2号映画評から。

★伝説のジャズ・ミュージシャン、マイルス・デイヴィスの半生を描く伝記映画 「マイルス」(仮題)が企画されている。マイルスの長男グレゴリーが発表した
回顧録をベースに、ジャズの巨人の私生活や人となりが露に描かれる。ラッパー、ノトーリアス・B.1.G.の伝記映画を手がけた監督がメガホンをとり、「Ray/レイ」や「ウォーク・ザ・ライン。君につづく道」のようなメジャーな伝記映画にしたい意向のようだ。


週刊朝日が100万部は購読されなければ駄目なのだシリーズ。

2011年11月27日 22時19分12秒 | 日記
まず素材発見から料理が生まれていくのがおもしろい…12・2号、週刊朝日映画評より。文中黒字化は芥川。

エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン

食環境ジャーナリスト金丸弘美 1952年生まれ。近著に『地域ブランドを引き出すカ トータルマネジメントが田舎を変える!』(合同出版)

世界でいちばん予約が取れないといわれる、スペインの三つ星レストラン「エル・ブリ」の裏側に密着したドキュメンタリーです。このレストランのことは初めて知りました。一番おもしろかったのは、市場で食材を探す〝素材探索"からクリエーションが始まるところです。

私は全国各地をまわり、農家や飲食業者などに食のワークショップを開いていますが、「素材をどう発掘するか」でスタートする。例えば、高知県土佐の赤牛のすじ・すね肉は全体のO・5%しかない貴重な部位ですが、畜産農家や地元ではほとんど使われていなかった。「じゃあ、これと山間地の津野町のコンニャクでおでんを作りましょう」というと驚く。そういう発想って意外にないんです。まず素材を発見し、どう組み合わせるかで豊かなものを作り出す。それがエル・ブリが世界最高峰のレストランになった理由かなと思います。

発見された素材は真空化したり、フリーズドライにしたり、オブラートで包んだり、あらゆる可能性で試されていきます。実験的で、料理の見た目も斬新なので「本当においしいの?」とも思いますが(笑い)、やはり一度は試してみたくなりますね。

もともと豊かな食文化のある日本ですが、近年の欧米化で変わってしまいました。大根の種類はかつて100以上あっだのに、いまスーパーで売られているのはアメリカのFI(一代雑種)の品種がほとんどです。こうなると味覚を含めクオリティーの基礎が単調になってしまう。素材を発見し、自由に大胆に創造するエル・ブリ流は、クリエーティブに関わる人、地域活性をするような人たちにもアイデアの源になるでしょう。

(聞き手・中村千晶)

マリリン・モンローとともに スーザン・ストラスバーグ著…日経新聞読書欄から。

2011年11月27日 21時47分49秒 | 日記
2012年はモンローの没後50年に当たる。本書の著者は米国の映画女優で、ニューヨークの俳優養成機関アクターズ・スタジオの芸術監督リー・ストラスバーグの娘。モンローは1955年、演技派への転身を狙ってハリウッドからニューヨークに移り、アクターズ・スタジオで学んだ。モンローと姉妹のような関係になった著者が、目の当たりにした栄光と苦悩をつづる。語られる機会の少ないニューヨーク時代のモンローの生々しい描写が印象的だ。山田宏一訳。 (草思社・2800円)

文中黒字化は芥川。

現代スペインの経済社会 楠貞義著 …日経新聞読書欄から。

2011年11月27日 21時44分32秒 | 日記
ギリシヤ発の欧州債務危機がイタリアやスペインに飛び火した。市場の混乱を日本から見ていると「私たちは欧州各国について、ほとんど何も知らなかった」という無力感を抱いてしまう。統一通貨の導入に欧州合衆国の未来を重ねた人も多かった。現在の危機はユーロヘの熱狂を捨て、欧州各国の実情を丁寧に見よと迫る。投機にたけり狂う市場はスペイン経済のどこを問題視しているのか。本書がヒントをくれる。(勁草書房・3000円)

愈々、日本からArcade Fireの次のチャンピオンが登場するのではないか、等と夢窓国師。

2011年11月27日 19時01分01秒 | 日記
wowowで、ノニト・ドネアが登場するエキサイト・マッチを観ようとしていたら…片方は日本VSシリアのサッカーで…ミュージック・ブレイクで、出て来たビジュアルバンド「摩天楼ロック」と云うのには、ちょっと驚いたのだが、

その後に出て来た「ほたる日和」という如何にもほよよんとしたな名前のバンド…雪虫~ふたりの約束~という曲の響きには感心したね。

後、10年したら(極めて希望的な思いだけれど)愈々、日本からArcade Fireの次のチャンピオンが登場するのではないか、等と夢窓国師。

その為には、芥川の、「文明のターンテーブル」、がベストセラーに成る様な国じゃないと無理なんだとは思うのだった…。(笑)

Hさんへ、11月27日。

2011年11月27日 18時17分09秒 | 日記


gooにおける昨日のアクセス数は、以下の数字でした。


 


1126日のアクセス数 閲覧数:9,157PV    訪問者数:547IP


 


一方昨日のアメーバは 閲覧数:1172 訪問者数:617


FC2のトータルアクセス:417 




gooの、ページごとの閲覧数ベスト20は以下の通りです。



1トップページ194 PV


2中国系ファンド トヨタ大株主に/日本株売...38 PV


3読者の皆さまに文明のターンテーブル取り扱...34 PV


42011年11月26日。32 PV


5それにしてもアジアのindecencyというのは...29 PV


6韓国経済 光と影 危機から生まれた競争力...28 PV


7東電LNG代金不払いなら 日本に負担要求 マ...27 PV


8トヨタ、BMWと提携交渉 ディーゼルエン...25 PV


9途上国道路整備で連携 日本とインド まず...25 PV


10雲一つない秋空、見えるのはジェット機の飛...24 PV


11根本特殊化学…週刊朝日「日本が誇る小さな...21 PV


12書店での取扱いについて21 PV


13何思う王昭君…朝日夕刊1面から。 芥川は、...20 PV


14フランソワーズ1世とレオナルド・ダ・ビン...20 PV


15「安全神話」もとから「おとぎ話」…今朝の...19 PV


16この6ページにわたる対談記事を読めば、日...12 PV


17災害に強い街 千葉・浦安に/円高の影響 ...12 PV


18除染で生じた土 減容 相次ぎ実証実験…日経...12 PV


19午後4時からwowowで洋楽主義という番組を...11 PV


20「公務員革命」太田 肇著…日経新聞11月20...11 PV


 


昨日の結果も、芥川にとっては、さても「南京玉すだれ」 感激 感謝 雨あられ 謝謝 多謝なのでした。


 



「私自身であろうとする衝動 関東大震災から大戦前夜における芸術運動とコミュニティ」倉数茂〈著〉

2011年11月27日 18時09分31秒 | 日記
日経新聞11月27日12面より

「美的アナキズム」が問うもの 評・中島 岳志  北海道大学准教授・アジア政治

旧来の共同体が崩壊し、個が浮遊する今日。社会の流動化によって、あらゆる領域の自明性が喪失している。そんな時代には、なぜ生きているのかわからないという事態が生じ、人は「根拠なくただ生きているだけ」という状況に陥る。「私という生」が裸のまま、世界にさらされるのだ。

著者は言う。「この裸の『生』に意味と文脈を回復するために、あらためて生を思考すること、生から思考することが必要なのである」

著者が注目するのは、関東大震災前後の日本。明治の社会的桎梏から解放され、自由で創造的な「私」の創出が期待された時代だ。有島武郎に代表される「生の解放」の潮流を、著者は「美的アナキズム」と捉える。

美的アナキストは、本能、欲望、衝動を絶対的に肯定し、自己を縛る規範を拒否する。そして、自己の内部に生という能動的自然を見いだし、崇拝する。

「私という生」を超えるものは存在しない。いかなる超越も認めない。当然、そのような思想は国家の法権力と抵触する。現に「生の拡充の中に生の至上の美を見る」と言った大杉栄は、葬り去られた。

しかし、美的アナキストは国家を超えた連帯を夢見る。自律した個人同士の絆こそが社会体を産出し、生を解放する。内面的な自己の解放と抑圧された人たちの政治的解放が、共に「生の拡張」「自己表現」として一致するのだ。

ここにロマン主義的アソシエーショニズムが誕生する。宮沢賢治や柳宗悦は「ともに働き、ともに芸術活動に打ち込むことで、人々がひとつになれる」と考えた。この延長に、著者は保田興重郎の文学と超国家主義を定置する。

秩序に保護されず、規範の底が抜けた「不安」を、「生の解放」で超克できるか。美的アナキストの系譜が、日本浪漫派へと流れ込むアイロニーをどう捉えるべきか。問いは時を経て、今の日本を突き刺している。

「方言コスプレ」の時代 ニセ関西弁から龍馬語まで 田中ゆかり〈著〉

2011年11月27日 18時08分48秒 | 日記
日経新聞11月27日12面より

方言は土地固有じゃおまへん  評・田中 貴子 甲南大学教授・日本文学

「ひったくり許しまへん」。11月20日付本紙(大阪本社版)の京都市内ニュース面に、こんな見出しが躍っていた。京都市のひったくり発生件数が全国ワースト2という記事だが、驚いたのは中身よりこの見出し。
いやあ、京都育ちのうちかてこんな古くさい言葉使わしまへんぇ。って、使うてるがな。

これが、今や全国区になった方言コスプレの一見本である。この京都方言は私のような中高年でもほとんど使わないが、他地方の人に「いかにも京都らしい」感じをわかりやすく伝える。

日常的に京都方言を使用している私が。「いかにも」な方言でコスプレしているのだ。著者の表現によれば、「リアル方言由来の『土地』との結びつきをもつヴァーチャル方言」ということになる。

またこれは、自分でボケてツッコむ「お笑い」系の方言として周知される、ヴァーチャルな関西方言ということもできる。テレビ等のメディアによって、どこの方言ともいえない「関西弁」は全国的に通用するようになった。

農民といえば東北弁、熱いオトコの九州弁、ヒョウ柄好きなおばちゃんの大阪弁、といった方言のステロタイプなイメージは、実態から離れて広まったヴァーチャルなものである。

若者たちは、そうしたヴァーチャル方言をメールなどで使って楽しむ。こうした現象の起きるメカニズムを分析した本書は、従来の「方言といえば土地固有のことば」という観念をぶち壊す画期的な研究成果である。

坂本龍馬がテレビドラマの中でいつから「土佐弁」になっていったかという考察は、緻密な調査に支えられた本書の読みどころ。

ヴァーチャル方言への意識が首都圏と地方であまり変わらないという指摘は、日本の平板化、画一化とも関わるだろう。「正しい日本語」やら「変な方言」を云々する前に、ぜひ目を通していただきたい本である。

「芸術の陰謀 消費社会と現代アート」ジャン・ボードリヤール〈著〉

2011年11月27日 18時08分08秒 | 日記
日経新聞11月27日12面より

「ウォーホルで終わった」のか? 評・横尾 忠則 美術家

「消費社会と現代アート」という副題は1960年代のポップアートを語る上で最も的確なフレーズである。そんな大量生産時代の産物を主題にした極めっきのアーティストがアンディ・ウォーホルだ。

ボードリヤールは彼を論点の対象に挙げることで現代アートが如何に「無価値・無内容」であるかということを挑発的に掻き乱しにかかるが、ウォーホルの出現と彼の死を同時代的に体感した実作家である者にとっては、ボードリヤールの言う「芸術の陰謀」がすでに多くの識者の言説とさほど差異のないことに感じる。

かえってアメリカの芸術家のアートビジネスに対するフランス人特有のコンプレックスを感じるが、それとて日本人も例外ではない。

確かにウォーホルはアートを商品の玩具のように扱って従来の美的側面を無意味なものにし、個人の消滅を図り、誰もが機械仕掛けの人間になればいいと言い放つ。とはいうものの、その言葉の奥には何もなかったりするのだ。大衆を挑発し、攪乱させることで彼は表現の領域の外側に出て、戦略的に大衆社会のスーパースターとして君臨した。

著者はあくまでも人類学的な視点からウォーホルを観察し、「無価値・無内容」という疑惑に疑問を呈しながら、誰もが芸術の陰謀に加担しているという。それがどうしたと言いたい。

「ウォーホルとともに、芸術の危機が実質的に終わりを告げた」とボードリヤールは宣言し、その先には美的な幻想がはたして存在するのだろうかと、何も示唆しないで結ぶ。

芸術が社会や世界と対峙するだけなら、それもあり得るかもしれないが、新しいものの価値の探究という近代的手段を超えた創造の地平に立つ時、実作者にとって幕は降ろされるべきではない。

終わりは「始まり」の始まりだ。作品が「凡庸」であろうがなかろうが、未来は芸術家にとっては無制限の聖域である。

「それでもイギリス人は犬が好き 女王陛下からならず者まで」飯田操〈著〉

2011年11月27日 18時07分26秒 | 日記
朝日新聞11月27日13面より

残虐な娯楽の反動で動物愛護  評・荒俣宏 作  家

非常にユニークな「犬の本」だ。冒頭で、2003年の暮れ、エリザベス女王の愛犬がアン王女に飼われていたブルテリアに咬まれて深手を負い、安楽死となった話が紹介される。以降、各単元の枕には犬への虐待行為や悲劇が語られ、犬好きで動物愛護の先進国とされたイギリスのイメージを根底から覆す。

実際、歴史を繙けば、イギリスは決して犬たちの楽園ではなかった。この国では17世紀ごろまで動物いじめを娯楽にする風俗があり、熊や牛に犬をけしかけて楽しむ「熊攻め」や「牛攻め」が行われていた。ブルドッグという品種が牛攻め用に改良されたというように。

また猟犬では、匂いでなく目視によって獲物を追いかける快速犬グレイハウンドやキツネ狩りに適したフォックスハウンドなども改良され、貴族は猟犬が獲物を攻める光景を馬上から見て楽しんだ。

本来はこれを「スポーツ」と呼んだのだ。さらに闘犬やレース犬も改良され、民間賭博の花形となった。
しかし、この残虐な習慣が存在したからこそ18世紀以降に倫理的な批判が盛り上がったというべきだろう。本書の読みどころもそこにある。

獲物が激減し狩猟が衰退するなかで猟犬のペット化が図られ、賭博に用いる犬の飼育も民間で大流行するのだが、19世紀にはいっても受難は続く。狂犬病が流行するからだ。咬みつく犬への恐怖が急激にひろまり、貧困層による犬の放し飼いが指弾される。

本書は、「それでも」イギリス人が犬を愛した理由を探る。飲酒や賭博で身を持ち崩す労働者を立ち直らせる手本として「忠実な犬」を描く文学が生まれ、『フランダースの犬』など名作が書かれ、ついに動物愛護法が誕生するまでの矛盾に満ちた経緯は、社会史としても興味深い。ついでに犬と人間のダークな関係が現在なお生き延びていることをも告発している。

日本の優秀小売企業の底力 矢作 敏行編著…日経新聞読書欄から。

2011年11月27日 17時44分13秒 | 日記
日本経済新聞出版社・2700円)
▼やはぎ・としゆき 国際基督教大卒。法政大教授。

編著者はジャーナリスト出身。記者時代に培った取材力を活かし、かつて成長著しかったコンビニ業界に対し、広くて深い現場調査を行った。その成果である『コンビニエンス・ストア・システムの革新性』は、刊行当時、世界的に大きな注目を集めていたコンビニの事業システムの全貌を初めて明らかにし、流通研究の金字塔的存在となった。

本書は以後、流通研究における日本のトップランナーとなった編著者の最新作。日本の流通企業と流通研究者の現状と課題を把握することができる。

ファーストリテイリング、ニトリ、ヤマダ電機。本書が取り上げる企業は、社会人であればその生い立ちや経営者の考え方、事業システムの全体像を知っておきたいと思うものばかりだ。編著者らは読者のそうした好奇心に、現場への数度の聞き取りと、既存文献をデータ源に応えようとしている。

本書の特徴は日本の優秀小売企業を「組織能力」という視点から理解しようとしているところにある。ただし「組織能力」という概念を使うのには注意が必要だ。

例えば、自動車メーカーのある工場は歩留まり率が同社の他の工場より圧倒的に高かった、つまり効率生産という能力で高いものを有していた。しかし、同工場は生産していた製品が市場で不人気だったため、工場単位の採算では赤字続きだった。「組織能力」が高くても低業績だったのだ。組織能力の高い、低いは経営成果(営業利益など)と関係なく考えることができる。そこに注意が必要だ。

小売企業の組織能力をどのよろな点から捉え、数値化すればよいのか。本書が取り上げる小売企業(例えばファーストリテイリング)は同業他社(例えばしまむら)と比較して組織能力でどれほど差があるのだろうか。高い能力を持っていても、業績が低迷している小売企業はどこか。今、モノ余りに加え、情報余りの時代に突入しているとされるが、時代のそうしか重層的な変わり目の中で求められる組織能力の中身とは何か。

編著者らによる豊富な記述の巾にその答えを求め、思索の旅に出ることも本書を楽しむ一つの方洗だろう。

評者:神戸大学教授 小川進

読者の皆さまに文明のターンテーブル取り扱い書店のご案内②。(三重県から沖縄県まで)

2011年11月27日 17時33分02秒 | 日記
今回、「文明のターンテーブル」を出版して頂いた文芸社さんから、全国約2万店ある書店への配本案内が届きましたので、お知らせ致します。芥川の読者の方は、北は北海道から南は沖縄まで、小学生から大先輩のご年齢にあたる方まで、有り難い事に沢山の方が日本中にいらっしゃいます。どうぞ、最寄りの書店でご購読下さい。
昨日は、北海道から愛知県までをご案内致しましたので、今日は、三重県から沖縄県までの取り扱い書店のご案内を致します。

<三 重>
宮脇書店 鈴鹿店  鈴鹿市末広
シェトワ白揚 書籍館  四日市市芝田
古川書店 度会橋店  伊勢市小俣町宮前
別所書店 修成店  津市修成町
テラ 四日市店  四日市市野田
井筒屋書店 あかもん店  伊賀市上野丸之内
宮脇書店 新松阪店  松阪市大黒田町
ブックスアルデ  名張市箕曲中村
宮脇書店 伊賀上野店  伊賀市小田町
ビッグウィル 四日市店  四日市市諏訪栄町
あおい書店 玉城店  度会郡玉城町世古
あおい書店 松阪店  松阪市垣鼻町

<滋 賀>
旭屋書店 イオン西大津店  大津市皇子が丘
天晨堂 ビバシティブックセンター  彦根市竹ヶ鼻町
ブックプラザ  彦根市銀座町
紀伊國屋書店 大津店  大津市打出浜

<京 都>
淀徳書店 丹後大宮店  京丹後市大宮町
ジュンク堂書店 京都店  京都市下京区四条通
宮脇書店 亀岡店  亀岡市安町小屋場
淀徳書店 福知山店  福知山市岩井
文京堂書店 今里店  長岡京市今里
文京堂書店 長岡店  長岡京市開田
三省堂書店京都駅店  京都市

<大 阪>
紀伊國屋書店 梅田本店  大阪市北区
紀伊國屋書店 本町店 大阪市中央区安土町
BOOK・CD・ROM アトラス館  門真市末広町 
書肆おおさきや  大阪市阿倍野区
栗林書房  東大阪市小阪本町
ブックス新  大阪市大正区
ヒバリヤ書店 本社  東大阪市足代
隆祥館書店  大阪市中央区
三京書店 心斎橋店  大阪市中央区南船場
紀伊國屋書店 京橋店  大阪市都島区東野田町
マザーフックス 藤井寺店  藤井寺市道明寺
伊勢屋書店  大阪市旭区大宮
ブックイン加美  大阪市平野区加美東
パルネツト ナダヤ流町店  大阪市平野区流町
ABCブック  四條畷市中野
けやき書房  堺市南区深阪南
爽智堂書店  河内長野市三日市町 
三幸堂書房   大阪市東淀川区淡路
宮脇書店 泉佐野店  泉佐野市下瓦屋
パルネット 栂美木多駅前店  堺市南区原山台
パルネツト 深井駅前店  堺市中区深井沢町
宮脇書店 大阪柏原店  柏原市堂島町
自由堂書店 新大阪店  大阪市淀川区西中島
リブロ 八尾店  八尾市光町
紀伊國屋書店 泉北店 堺市南区茶山台
紀伊國屋書店 堺北花田店  堺市北区東浅香山町
紀伊國屋書店 高槻店  高槻市白梅町
中村興文堂書店  寝屋川市早子町
旭屋書店 イオンりんくう泉南店  泉南市りんくう南浜
リブロ なんばウォーク店  大阪市中央区千日前

<兵 庫>
西村書店  加西市北条町
さんファイブ宣文堂書房  尼崎市南塚口町
ブツクスユートピア 中筋店  宝塚市中筋
ジュンク堂書店 明石店  明石市大明石町
天久堂書店  芦屋市南宮町
紀伊國屋書店 加古川店  加古川市加古川町篠原町
流泉書房 パティオ店  神戸市須磨区中落合
ブックスにしき  豊岡市寿町
文学館 伊丹ターミナル店  伊丹市西台
宮脇書店 西宮店  西宮市伏原町
宮脇書店 マルナカ西宮店  西宮市浜松原町
宮脇書店 広田店  南あわじ市山添堂本
ブツクスユートピア 野間店  伊丹市野間北
赤穂書房  赤穂市加里屋
フタバ図書 G I GA明石店  明石市二見町西二見

<奈 良>
宮脇書店 田原本店  磯城郡田原本町
ブックスリード 下市口店  吉野郡大淀町下渕
啓林堂書店 奈良店  奈良市西御門町
啓林堂書店 郡山店  大和郡山市南郡山町
万葉書店 真美ヶ丘店  香芝市真美ヶ丘
万葉書店 生駒店  生駒市小瀬町
BAUHAUS  桜井市谷新道3-259-1

<和歌山>
福岡書店  海南市名高

<鳥 取>
宮脇書店 鳥取店  鳥取市晩稲
ブックセンターコスモ 出雲店  出雲市渡橋町

<岡 山>
N ET 2 1セルバ岡山店  岡山市北区駅前町
松島書房  倉敷市松島
マイブックシェルフヤマナ 本店  倉敷市連島中央
ブックセンターコスモ 津山店  津山市川崎
丸善 岡山シンフォ二ービル店  岡山市北区表町
宮脇書店 岡山本店  岡山市北区今
ブックスくちき  倉敷市福田町古新田
紀伊國屋書店 クレド岡山店  岡山市北区中山下
カワハラ書店  総社市門田
津山ブックセンター  津山市河辺
T S U T A Y A AZ岡南店  岡山市南区築港新町
啓文社 岡山本店  岡山市北区下中野
フタバ図書 MEGA岡山青江店  岡山市南区泉田

<広 島>
廣文館 広島駅ビル店  広島市南区松原町
啓文社 ポートプラザ店  福山市入船町
フタバ図書 GIGA広島駅前店  広島市南区松原町
フタバ図書 八丁堀店  広島市中区堀川町
啓文社 イオン三原店  三原市城町
廣文館 金座街本店  広島市中区本通
啓文社 西条店  東広島市西条土与丸
アルバータブックガーデン廣文館  広島市西区井口明神  
フタバ図書 ソフトピア宮内店  廿日市市宮内北山
フタバ図書 ソフトピア大竹店  大竹市油見
フタバ図書 ソフトピア広店  呉市広中町
フタバ図書 TERA広島府中店  安芸郡府中町大須
フタバ図書 ALTI福山本店  福山市明神町

<山 口>
ダルマ書店  柳井市天神
ブックスとんだ  周南市川手
鳳鴫館 本店  周南市銀座
宮脇書店 徳山店  周南市周陽
金山堂 川棚店  下関市豊浦町
フタバ図書 GIGA防府店  防府市鐘紡町

<徳 島>
カルチャーシティ平惣 小松島バイパス店  小松島市日開野町
キダブン  小松島市小松島町

<香 川>
宮脇書店 南本店  高松市伏石町
宮脇書店 本店  高松市丸亀町
宮脇書店 総本店  高松市朝日新町
フタバ図書 GIGA高松店  高松市香西本町

<愛 媛>
紀伊國屋書店 いよてつ高島屋店  松山市湊町

<福 岡>
紀伊國屋書店 福岡本店  福岡市博多区博多駅中央街
積文館書店 小田部店  福岡市早良区小田部
ブツクセンタークェスト 小倉本店  北九州市小倉北区馬借
金進堂 香椎支店  福岡市東区香椎駅前
パートナース金修堂  福津市宮司
千鳥プラザ金修堂  古賀市舞の里
菊地書店  福岡市早良区高取
積文館書店 筑紫野店  筑紫野市針摺東
福岡金文堂 大橋駅店  福岡市南区大橋
福岡金文堂 アニマー卜筑後店  筑後市山ノ井野田
白石書店 本店  北九州市八幡西区
エスパル遠賀 白石書店  遠賀郡遠賀町松の本
S-PAL若松 白石書店  北九州市若松区白山
金修堂書店 サンリブ古賀店  古賀市天神
福岡金文堂 ゆめタウン宗像店  宗像市田久
ジュンク堂書店 福岡店  福岡市中央区天神
リブロ 福岡西新店  福岡市早良区
リブロ 久留米店  久留米市天神町
リブロ 春日店  春日市春日
紀伊國屋書店 久留米店  久留米市新合川  
フタバ図書 TERA福岡東店  糟屋郡粕屋町酒殿字老ノ木  
あおい書店 博多本店  福岡市博多区博多駅中央街

<佐 賀>
油屋 本店  鳥栖市本通町
福岡金文堂 イオン唐津店  唐津市鏡

<長 崎>
福岡金文堂 イオン大塔店  佐世保市大塔町
紀伊國屋書店 長崎店  長崎市元船町
ブックマー卜諌早  諌早市永昌町
メトロ書店 本店  長崎市尾上町

<熊 本>
リブロ 熊本店  熊本市桜町

<大 分>
さくら書店 杵築店  杵築市杵築字北浜
リブロ 大分わさだ店  大分市玉沢字楠本
紀伊國屋書店 大分店  大分市明野東

<宮 崎>
リ一ぶる金海堂 宮交シティ店  宮崎市大淀

<鹿児島>
MARUZEN 天文館店  鹿児島市中町
ブツクス十番館プラス1  奄美市名瀬有屋
諏訪書店  出水市本町

<沖 縄>
宮脇書店 嘉手納店  中頭郡嘉手納町兼久下原
宮脇書店 太陽書房 宜野湾店  宜野湾市上原
宮脇書店 太陽書房 美里店  沖縄市美里



巨流河〔上・下〕 斉邦媛著…日経読書欄から。

2011年11月27日 17時09分52秒 | 日記
激動の東アジア現代史語る自伝   (池上貞子・神谷まり子訳、作品社・各2400円) 文中黒字化は芥川。
▼せい・ほうえん 24年生まれ。台湾大名誉教授。作家、教育片、文学研究者。

おしなべて自伝は幼少期、青春時代が最も面白い。時空を異にしても、父母の愛や学生時代の友情恋愛は、共感を得られ易いからであろう。だがこの台湾女性斉邦媛の作品上巻は、1924年の中国東北地方の地主の大家庭で始まり、満州事変、日中戦争、国共内戦と戦乱の中をくぐり抜け、47年に台湾大学英文科助手となるまでの激動する東アジア現代史の記憶である。

京都大学とハイデルベルク大学に留学した父は、東北軍閥張作霖打倒の軍事蜂起を指揮するが、巨流河すなわち遼河渡河作戦に失敗、駐瀋陽総領事であった吉田茂に助けられ、上海で国民党に入党して全中国の革命を志し、南京で東北青年教育のための学校経営に乗り出す。だが37年に始まる日本軍の全面侵略により首都南京は陥落し、斉は父の同僚教師や学生と共に重慶へ移動、日本軍の空爆に苦しみながら、戦時下臨時体制の大学で英文学を学んだ。

45年2月の寒い朝、校門に米軍大型戦闘機1800機による東京大空襲の捷報が、墨痕淋漓と大書されたのを見て、斉は報復を喜ぶ一方、空襲下で焼かれる人々を想像して痛みを覚えたという。日本植民地であった台湾は、戦後に国民党政権に接収されたが、その直後に台湾大学英文助手として働き始めた斉の観察も興味深い。

下巻は共産党との内戦に敗れて台湾に逃亡した蒋介石により父が粛清される一方、結婚し3児をもうけた斉は、フルブライト奨学金による米国留学などを爽みっつ、外国文学科の基礎作りを行う。さらには国語教科書編集に携わり、独裁政治色濃厚な内容を、古今内外の文学作品へと改革していく姿も清々しい。80年代以後の斉は英訳事業を開始して、台湾文学を国際舞台へと押し上げていくのである。本巻は台湾戦後文化史に関心のある方には必読といえよう。

解説でハーバード大学教授のデイヴィッド・ワン(王徳威)は、本書は「人々の夢と無念、希望と失望」を描くと述べる。
その「無念、失望」の原因となった戦前の中国軍閥や日本帝国主義、戦後の国共両独裁党らに対する、著者の冷静な批判は特に興味深い。

評者: 現代中国文学者 藤井省三