以下は前章の続きである。
この番組の骨格をなしているのが、「「バロフスク裁判の音声記録」である。
同裁判における法廷でのやりとりを録音した磁気テープが、モスクワの「ロシア国立音声記録アーカイブ」で新たに発見されたというところから、この番組は始まる。
731部隊に所属していた人々の多くは、ソ連軍の満州侵攻によって捕虜となり、シベリアに強制連行された。
いわゆる「シベリア抑留」である。
その後、彼らは通称「ハバロフスク裁判」によって、戦争犯罪人として訴追されることになる。
裁判の期間は1949年12月25日から30日までの6日間。
戦勝国であるソ連が主導した軍事裁判である。
この法廷では、日本のソ連に対する軍事行動が幅広く断罪の対象となったが、そのなかで731部隊も扱われたのであった。
今回、モスクワで見つかったというこの磁気テープには、731部隊や関東車の幹部であった者たちの証言がたしかに録音されている。
これまで同裁判の詳細は不明な点が多かったから、その内容が判明したという意味において、この発見が貴重なものであることは間違いない。
音声記録のなかにあったのは、「びらんガスを人体実験に使用した」「乳飲み子のいるロシア人女性を細菌に感染させた」「中国の軍隊に対して細菌武器を使用した」といった肉声の数々であった。
問題となるのは、その内容をどう解釈するかである。
ソ連による思想教育
前述したとおり、ハバロフスク裁判が始まったのは1949年の年末であり、被告はすでに4年もの抑留生活を送っていたことになる。
シベリア抑留者に対して徹底した思想教育(赤化教育)が行われたのは、広く知られているとおりである。
抑留者たちの引揚港となった舞鶴港では、港に立つと同時に、「天皇島上陸!」と叫ぶ者たちが少なからずいたとされる。
いわゆる「赤い引揚者」である。
長期にわたる苛酷な思想教育の結果、抑留者のなかには共産主義に染まった者たちが大勢いた。
昭和史の哀しき逸話である。
抑留生活中には、短期間で共産主義に感化される者もいれば、一日でも早く帰国するため、面従腹背で矯正されたフリをした者も多くいたという。
いずれにせよ、抑留という極めて特殊な状況下において、ソ連側の意向に反する主張や行動をすることなど不可能であった。
ハバロフスク裁判とは、そんな状況が4年も続いた末に開廷された裁判であった。
法廷に自由な言論などあったはずがない。
これは極めて重要な歴史的側面である。
この部分を無視、あるいは軽視しては、等身大の史実に近付くことなどできない。
これは、シベリア抑留史に関する研究の常識でもある。
しかし同番組では、裁判の肉声に以上のような観点が全く加えられないまま話が進められていく。
この稿続く。
以下は月刊誌HANADA今月号に掲載されている「総力特集 NHKの堕落」からである。
読者はNHKに対しての私の批判は正しいものである事を再認識するだろう。
見出し以外の文中強調は私。
NHK「731部隊の真実」に重大疑問
早坂隆(ノンフィクション作家)
731部隊とは何か
昨年の8月13日、「NHKスペシャル 731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」という番組が放送された。
NHKのホームページによれば、「数百点にのぼる資料をもとに、731部隊設立の謎に迫る」とのことであったが、番組を見て私か感じたいくつかの疑問点などを以下に示したい。
まずは、731部隊の概略について簡単に触れておこう。
731部隊とは、大東亜戦争末期に存在した日本の研究機関の一つである。
正式名称は「関東軍防疫給水部本部」という。
この機関の通称号(秘匿名称)が「満州第731部隊」であったことから、戦後に「731部隊」の名で広く定着するようになった。
部隊があったのは、満州のハルビン郊外の平房という地である。
昭和20年の時点で、同部隊には3000人以上もの人員が所属していた。
規模としては、かなり大きな組織だったと言える。
彼らの主要な任務は、兵隊の感染症予防や、衛生的な給水体制の確立を研究することであった。
ノモンハン事件の際には、的確な給水支援や衛生指導により、多くの人命を救ったとされる。
これらの任務と並行して進められていたのが、細菌戦などを意識した生物兵器に関する研究であった。
日本は生物兵器や化学兵器の使用を禁ずるジュネーヴ議定書を批准していなかった。
ただし、同議定書を批准した多くの国々が、秘密裏に様々な兵器の研究を進めていたのも事実である。
そんな731部隊の実態については戦後、様々な論争が繰り返されてきた。
主な論点となったのは、「人体実験が行われていたのか」「生物兵器を実戦で使用したのか」といった部分である。
はじめに示しておくが、私は731部隊に関して「人体実験や細菌実験が全くなかった」と断定する者ではない。
しかし同時に、現在の中国側が一方的に主張している内容については、史実を逸脱した側面がかなり含まれていると考えている。
中国が国家主導で展開するプロパガンダ戦略のなかで、731部隊の存在が恣意的に利用されている現状があることは否定しがたい。
ハバロフスク裁判の肉声「昭和史のタブー」とも称される731部隊であるが、この問題について「新資料」からのアプローチを試みたのが同番組である。
では一体、それはどのような内容であったのか。
以下は前章の続きである。
プロパガンダ戦のなかで
そんななか、今回のNHKの番組は今後、どのような変化を生んでいくのだろうか。
この番組の放送後、中国外務省は時を置かずして以下のようなコメントを出した。
「日本の731部隊が罪を認める20時間を超える録音を掘り起こし、中国侵略戦争で同部隊の犯した凶悪犯罪を完全に復元した」
「第二次世界大戦中、日本の侵略軍は中国人に対して極悪の細菌戦を発動し、残酷で非人道的な人体実験を行い、反人類的な極悪犯罪を行った。一連の史実は動かしがたいものであり、否定できない」
中国側としては、『当の日本の公共放送がそう言っているのだから』、といったところであろう。
日本からの「お墨付き」を手に入れた形である。
これは南京戦や慰安婦に関する論争の構図とよく似ている。
歴史を宣伝戦に利用している中国としては、今回の番組は「渡りに船」であったに違いない。
ハルビン郊外の展示館は今後、さらなる拡張を目指していく方針だという。
今回の番組内容に乗じる形で、展示をより強化していくに違いない。
日本としてはあくまでも史実を丁寧に検証したうえで、認めるべきは認めつつも、反論すべき点は毅然と反論しなければならない。
そういった意味において、今回のNHKの番組には、所々で精度を欠いた印象を受けた。
より冷静で多角的な研究が求められる。
この稿続く。
以下は前章の続きである。
この番組の骨格をなしているのが、「「バロフスク裁判の音声記録」である。
同裁判における法廷でのやりとりを録音した磁気テープが、モスクワの「ロシア国立音声記録アーカイブ」で新たに発見されたというところから、この番組は始まる。
731部隊に所属していた人々の多くは、ソ連軍の満州侵攻によって捕虜となり、シベリアに強制連行された。
いわゆる「シベリア抑留」である。
その後、彼らは通称「ハバロフスク裁判」によって、戦争犯罪人として訴追されることになる。
裁判の期間は1949年12月25日から30日までの6日間。
戦勝国であるソ連が主導した軍事裁判である。
この法廷では、日本のソ連に対する軍事行動が幅広く断罪の対象となったが、そのなかで731部隊も扱われたのであった。
今回、モスクワで見つかったというこの磁気テープには、731部隊や関東車の幹部であった者たちの証言がたしかに録音されている。
これまで同裁判の詳細は不明な点が多かったから、その内容が判明したという意味において、この発見が貴重なものであることは間違いない。
音声記録のなかにあったのは、「びらんガスを人体実験に使用した」「乳飲み子のいるロシア人女性を細菌に感染させた」「中国の軍隊に対して細菌武器を使用した」といった肉声の数々であった。
問題となるのは、その内容をどう解釈するかである。
ソ連による思想教育
前述したとおり、ハバロフスク裁判が始まったのは1949年の年末であり、被告はすでに4年もの抑留生活を送っていたことになる。
シベリア抑留者に対して徹底した思想教育(赤化教育)が行われたのは、広く知られているとおりである。
抑留者たちの引揚港となった舞鶴港では、港に立つと同時に、「天皇島上陸!」と叫ぶ者たちが少なからずいたとされる。
いわゆる「赤い引揚者」である。
長期にわたる苛酷な思想教育の結果、抑留者のなかには共産主義に染まった者たちが大勢いた。
昭和史の哀しき逸話である。
抑留生活中には、短期間で共産主義に感化される者もいれば、一日でも早く帰国するため、面従腹背で矯正されたフリをした者も多くいたという。
いずれにせよ、抑留という極めて特殊な状況下において、ソ連側の意向に反する主張や行動をすることなど不可能であった。
ハバロフスク裁判とは、そんな状況が4年も続いた末に開廷された裁判であった。
法廷に自由な言論などあったはずがない。
これは極めて重要な歴史的側面である。
この部分を無視、あるいは軽視しては、等身大の史実に近付くことなどできない。
これは、シベリア抑留史に関する研究の常識でもある。
しかし同番組では、裁判の肉声に以上のような観点が全く加えられないまま話が進められていく。
この稿続く。
以下は月刊誌HANADA今月号に掲載されている「総力特集 NHKの堕落」からである。
読者はNHKに対しての私の批判は正しいものである事を再認識するだろう。
見出し以外の文中強調は私。
NHK「731部隊の真実」に重大疑問
早坂隆(ノンフィクション作家)
731部隊とは何か
昨年の8月13日、「NHKスペシャル 731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」という番組が放送された。
NHKのホームページによれば、「数百点にのぼる資料をもとに、731部隊設立の謎に迫る」とのことであったが、番組を見て私か感じたいくつかの疑問点などを以下に示したい。
まずは、731部隊の概略について簡単に触れておこう。
731部隊とは、大東亜戦争末期に存在した日本の研究機関の一つである。
正式名称は「関東軍防疫給水部本部」という。
この機関の通称号(秘匿名称)が「満州第731部隊」であったことから、戦後に「731部隊」の名で広く定着するようになった。
部隊があったのは、満州のハルビン郊外の平房という地である。
昭和20年の時点で、同部隊には3000人以上もの人員が所属していた。
規模としては、かなり大きな組織だったと言える。
彼らの主要な任務は、兵隊の感染症予防や、衛生的な給水体制の確立を研究することであった。
ノモンハン事件の際には、的確な給水支援や衛生指導により、多くの人命を救ったとされる。
これらの任務と並行して進められていたのが、細菌戦などを意識した生物兵器に関する研究であった。
日本は生物兵器や化学兵器の使用を禁ずるジュネーヴ議定書を批准していなかった。
ただし、同議定書を批准した多くの国々が、秘密裏に様々な兵器の研究を進めていたのも事実である。
そんな731部隊の実態については戦後、様々な論争が繰り返されてきた。
主な論点となったのは、「人体実験が行われていたのか」「生物兵器を実戦で使用したのか」といった部分である。
はじめに示しておくが、私は731部隊に関して「人体実験や細菌実験が全くなかった」と断定する者ではない。
しかし同時に、現在の中国側が一方的に主張している内容については、史実を逸脱した側面がかなり含まれていると考えている。
中国が国家主導で展開するプロパガンダ戦略のなかで、731部隊の存在が恣意的に利用されている現状があることは否定しがたい。
ハバロフスク裁判の肉声「昭和史のタブー」とも称される731部隊であるが、この問題について「新資料」からのアプローチを試みたのが同番組である。
では一体、それはどのような内容であったのか。
以下は前章の続きである。
プロパガンダ戦のなかで
そんななか、今回のNHKの番組は今後、どのような変化を生んでいくのだろうか。
この番組の放送後、中国外務省は時を置かずして以下のようなコメントを出した。
「日本の731部隊が罪を認める20時間を超える録音を掘り起こし、中国侵略戦争で同部隊の犯した凶悪犯罪を完全に復元した」
「第二次世界大戦中、日本の侵略軍は中国人に対して極悪の細菌戦を発動し、残酷で非人道的な人体実験を行い、反人類的な極悪犯罪を行った。一連の史実は動かしがたいものであり、否定できない」
中国側としては、『当の日本の公共放送がそう言っているのだから』、といったところであろう。
日本からの「お墨付き」を手に入れた形である。
これは南京戦や慰安婦に関する論争の構図とよく似ている。
歴史を宣伝戦に利用している中国としては、今回の番組は「渡りに船」であったに違いない。
ハルビン郊外の展示館は今後、さらなる拡張を目指していく方針だという。
今回の番組内容に乗じる形で、展示をより強化していくに違いない。
日本としてはあくまでも史実を丁寧に検証したうえで、認めるべきは認めつつも、反論すべき点は毅然と反論しなければならない。
そういった意味において、今回のNHKの番組には、所々で精度を欠いた印象を受けた。
より冷静で多角的な研究が求められる。
この稿続く。
以下は前章の続きである。
この番組の骨格をなしているのが、「「バロフスク裁判の音声記録」である。
同裁判における法廷でのやりとりを録音した磁気テープが、モスクワの「ロシア国立音声記録アーカイブ」で新たに発見されたというところから、この番組は始まる。
731部隊に所属していた人々の多くは、ソ連軍の満州侵攻によって捕虜となり、シベリアに強制連行された。
いわゆる「シベリア抑留」である。
その後、彼らは通称「ハバロフスク裁判」によって、戦争犯罪人として訴追されることになる。
裁判の期間は1949年12月25日から30日までの6日間。
戦勝国であるソ連が主導した軍事裁判である。
この法廷では、日本のソ連に対する軍事行動が幅広く断罪の対象となったが、そのなかで731部隊も扱われたのであった。
今回、モスクワで見つかったというこの磁気テープには、731部隊や関東車の幹部であった者たちの証言がたしかに録音されている。
これまで同裁判の詳細は不明な点が多かったから、その内容が判明したという意味において、この発見が貴重なものであることは間違いない。
音声記録のなかにあったのは、「びらんガスを人体実験に使用した」「乳飲み子のいるロシア人女性を細菌に感染させた」「中国の軍隊に対して細菌武器を使用した」といった肉声の数々であった。
問題となるのは、その内容をどう解釈するかである。
ソ連による思想教育
前述したとおり、ハバロフスク裁判が始まったのは1949年の年末であり、被告はすでに4年もの抑留生活を送っていたことになる。
シベリア抑留者に対して徹底した思想教育(赤化教育)が行われたのは、広く知られているとおりである。
抑留者たちの引揚港となった舞鶴港では、港に立つと同時に、「天皇島上陸!」と叫ぶ者たちが少なからずいたとされる。
いわゆる「赤い引揚者」である。
長期にわたる苛酷な思想教育の結果、抑留者のなかには共産主義に染まった者たちが大勢いた。
昭和史の哀しき逸話である。
抑留生活中には、短期間で共産主義に感化される者もいれば、一日でも早く帰国するため、面従腹背で矯正されたフリをした者も多くいたという。
いずれにせよ、抑留という極めて特殊な状況下において、ソ連側の意向に反する主張や行動をすることなど不可能であった。
ハバロフスク裁判とは、そんな状況が4年も続いた末に開廷された裁判であった。
法廷に自由な言論などあったはずがない。
これは極めて重要な歴史的側面である。
この部分を無視、あるいは軽視しては、等身大の史実に近付くことなどできない。
これは、シベリア抑留史に関する研究の常識でもある。
しかし同番組では、裁判の肉声に以上のような観点が全く加えられないまま話が進められていく。
この稿続く。
以下は月刊誌HANADA今月号に掲載されている「総力特集 NHKの堕落」からである。
読者はNHKに対しての私の批判は正しいものである事を再認識するだろう。
見出し以外の文中強調は私。
NHK「731部隊の真実」に重大疑問
早坂隆(ノンフィクション作家)
731部隊とは何か
昨年の8月13日、「NHKスペシャル 731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」という番組が放送された。
NHKのホームページによれば、「数百点にのぼる資料をもとに、731部隊設立の謎に迫る」とのことであったが、番組を見て私か感じたいくつかの疑問点などを以下に示したい。
まずは、731部隊の概略について簡単に触れておこう。
731部隊とは、大東亜戦争末期に存在した日本の研究機関の一つである。
正式名称は「関東軍防疫給水部本部」という。
この機関の通称号(秘匿名称)が「満州第731部隊」であったことから、戦後に「731部隊」の名で広く定着するようになった。
部隊があったのは、満州のハルビン郊外の平房という地である。
昭和20年の時点で、同部隊には3000人以上もの人員が所属していた。
規模としては、かなり大きな組織だったと言える。
彼らの主要な任務は、兵隊の感染症予防や、衛生的な給水体制の確立を研究することであった。
ノモンハン事件の際には、的確な給水支援や衛生指導により、多くの人命を救ったとされる。
これらの任務と並行して進められていたのが、細菌戦などを意識した生物兵器に関する研究であった。
日本は生物兵器や化学兵器の使用を禁ずるジュネーヴ議定書を批准していなかった。
ただし、同議定書を批准した多くの国々が、秘密裏に様々な兵器の研究を進めていたのも事実である。
そんな731部隊の実態については戦後、様々な論争が繰り返されてきた。
主な論点となったのは、「人体実験が行われていたのか」「生物兵器を実戦で使用したのか」といった部分である。
はじめに示しておくが、私は731部隊に関して「人体実験や細菌実験が全くなかった」と断定する者ではない。
しかし同時に、現在の中国側が一方的に主張している内容については、史実を逸脱した側面がかなり含まれていると考えている。
中国が国家主導で展開するプロパガンダ戦略のなかで、731部隊の存在が恣意的に利用されている現状があることは否定しがたい。
ハバロフスク裁判の肉声「昭和史のタブー」とも称される731部隊であるが、この問題について「新資料」からのアプローチを試みたのが同番組である。
では一体、それはどのような内容であったのか。
以下は前章の続きである。
プロパガンダ戦のなかで
そんななか、今回のNHKの番組は今後、どのような変化を生んでいくのだろうか。
この番組の放送後、中国外務省は時を置かずして以下のようなコメントを出した。
「日本の731部隊が罪を認める20時間を超える録音を掘り起こし、中国侵略戦争で同部隊の犯した凶悪犯罪を完全に復元した」
「第二次世界大戦中、日本の侵略軍は中国人に対して極悪の細菌戦を発動し、残酷で非人道的な人体実験を行い、反人類的な極悪犯罪を行った。一連の史実は動かしがたいものであり、否定できない」
中国側としては、『当の日本の公共放送がそう言っているのだから』、といったところであろう。
日本からの「お墨付き」を手に入れた形である。
これは南京戦や慰安婦に関する論争の構図とよく似ている。
歴史を宣伝戦に利用している中国としては、今回の番組は「渡りに船」であったに違いない。
ハルビン郊外の展示館は今後、さらなる拡張を目指していく方針だという。
今回の番組内容に乗じる形で、展示をより強化していくに違いない。
日本としてはあくまでも史実を丁寧に検証したうえで、認めるべきは認めつつも、反論すべき点は毅然と反論しなければならない。
そういった意味において、今回のNHKの番組には、所々で精度を欠いた印象を受けた。
より冷静で多角的な研究が求められる。
この稿続く。
NHKは、何でも「自分たちが初めて明らかにした」かのようにしてしまう(笑)。と題して2018/2/28に発信した章であるが、この章を再読した私は、watch9の有馬が朝日が森友が不発に終わるや今度は加計を持ちだして騒動化した問題で、朝日に与して…前川が持ち込んだ資料をNHKの徹底的な内部調査の結果、初めて発見されたと発言した事と全く同種のNHKの報道部を支配している人間達が、どんな思想の持主達かを証明していると確信したのである。
以下は前章の続きである。
牧
NHKは、消防車による外部からの注水が、原子炉へ向かう途中で抜け道があり、十分に届いていなかった点を問題視して、〈その可能性を最初に社会に示したのは、取材班だった〉(P173)と自負します。
奈良林
NHKは、何でも「自分たちが初めて明らかにした」かのようにしてしまう(笑)。
しかし、実際は、この事実は、事故当時から多くの職員や専門家の間で認識されていました。
当時の保安院がマスコミに配布した資料にも明記されています。
牧
〈消防注水の「抜け道」については、他ならぬ事故の当事者である東京電力もかなり早い段階から認識しており、柏崎刈羽原発の再稼働に向けて対策を進めていた〉(P176~177)と数行だけ書いてありますが、安全審査を通った柏崎刈羽原発ではすでに対策済みです。
奈良林
〈注水の「抜け道」という弱点に東京電力が気づいているのであれば、他の電力事業者や世界の原子力関係者にいち早くこの情報を公開し、問題意識を共有すべきではないのか〉(P177)とも書かれていますが、2013年6月に東電は公開していますし、東電は抜け道を特定して英訳で世界に発信する努力をしています。
この稿続く。
日本大学を中退して毎日新聞に入社し、これだけの大災厄を日本に与えたのだから、この男は信じがたい戯けである、と題して2017-03-15 に発信した章である。
昨日、従軍慰安婦問題を捏造したのは京大の熊野寮に平然と不法滞在を続けていた一人の在日韓国人と、この男にそそのかされた大分の一主婦が始めたものである、と書いたが、これを訂正しなければならない事に気が付いた。
3年前の8月以降、私が知った名前に千田夏光という名前が在った。
歴史通最新号で、この男の名前を見ていたから気が付いたのだが。
そもそも毎日新聞の記者浅海一男が100人斬りなどという噴飯物の捏造記事を書いた事が日本が中国に人類史上最大の資金と技術の援助をする羽目に成ったのである。
正に売国奴であったこの男が日本で真実を暴露する前に…
中国は彼の一家を北京に呼び寄せ豪華待遇で遇した…
娘は北京大学に入学させた事等の経緯を高山正之は私に教えてくれた。
この千田夏光というのも毎日新聞記者だったのである。
言うまでもなく日本の優秀選手どころか二流選手の代表の様な人間がメディアに就職し、このような大災厄を国家にもたらして来たのである。
その伝統が今も野党、朝日などのメディア、これに同調している文化人達と所謂人権派弁護士達の間に受け継がれている事は連日の報道、連日の国会審議を見れば明瞭だろう。
千田 夏光(せんだ かこう、1924年8月28日 - 2000年12月22日 本名:千田 貞晴)
薩摩藩士で貴族院議員だった千田貞暁の曽孫として1924年、現・中華人民共和国の大連市に生まれる。日本大学中退後、毎日新聞に入社。1957年からフリー作家となる。
1964年、毎日新聞発行の写真集『日本の戦歴』を編集時に「不思議な女性の写真を発見し」「この女性の正体を追っているうち初めて慰安婦なる存在を知った」後、1973年には、『従軍慰安婦 正編』を上梓し、その中で「従軍慰安婦」という語を戦後の文書ではじめて使用した。その後、日本や韓国をはじめとする慰安婦問題に大きな影響を与えた。
中略
『従軍慰安婦 正編』の中には原善四郎(関東軍参謀)に面会し、「連行した慰安婦は八千人」との証言を引き出したとの記述がある。しかし、原の軍歴に間違いがあったため『正論』や『諸君!』で面会した事実に相次いで疑問が投げられた。
また、同書において麻生徹男軍医を慰安所発案の責任者であるとほのめかすように描いたことについて…
1996年、麻生軍医の娘である天児郁は…
千田が「これらの著述は誤りであり、今後誤解をまねく記述はしない」と謝罪したと述べている。
天児郁の元には、麻生を慰安婦考案者と誤解し、「民族のうらみをはらす」「謝れ」などと娘も含めて罪人扱いする者が大勢訪れたとされる。
朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説
1973年に発表した著書『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』のp.106には以下のように記述されている。
『挺身隊』という名のもとに彼女らは集められたのである。(中略)総計20万人(韓国側の推計)が集められたうち『慰安婦』にされたのは『5万人ないし7万人』とされている
この根拠を調べた在日朝鮮人運動史研究者の金英達(キム・ヨンダル)によると、以下の1970年8月14日付けソウル新聞の記事を千田夏光が誤読して典拠したとされている。
1943年から1945年まで、挺身隊に動員された韓・日の2つの国の女性は全部でおよそ20万人。
そのうち韓国女性は5〜7万人と推算されている
このソウル新聞記事における「5〜7万」の推算の根拠は不明であり、確実な資料から判断すると官斡旋による強制性のない朝鮮半島からの女子挺身隊は多く見積もっても4000人ほどと推算されている。
中略
1991年、朝日新聞では「従軍慰安婦」について、「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と報道しているように、「慰安婦は女子挺身隊の名で連行された」という間違った言説が広まったが…
高崎宗司によれば、それらは「挺身隊という名のもとに彼女ら(慰安婦)は集められた」と書いた千田の著書を依拠しているとし…
また韓国の歴史家である姜万吉は…
慰安婦問題を取り扱っている団体が『韓国挺身隊問題対策協議会』などという団体名にしているなど…
慰安婦と挺身隊の混同をしていることについて疑義を呈していた。
後略。
以上はウィキペディアから。文中強調は私。
*日本大学を中退して毎日新聞に入社し、これだけの大災厄を日本に与えたのだから、この男は信じがたい戯けである。
こんな男の作り話が今もなお日本に災厄を与えている事…
言論人と言う者達の罪の深さを…
日本国民全員は知らなければならないのである。
メディアと、韓国や中国のエージェントに操縦されて…村上春樹などを購読している場合ではないのである。
そんなお金があるのなら...私が言及している月刊誌を毎月購読しなければ…
あなたは、21世紀人とは、とても呼べないし、真実を知る事も出来ない。
社説を書いたのは論説主幹の根本清樹あたりか。この男は自分の新聞が「ただの売春婦」を「性奴隷」に仕立てた過去を忘れたのだろうか。と題して2018-11-19に発信した章が、今、リアルタイム検索数ベスト10に入っている。
戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之が週刊新潮に連載している名物コラムの今週号は、「百年早い」と題して掲載された。
大阪市が60年前、サンフランシスコ(SF)と姉妹都市になったのに別に深い意味はなかった。
日本の第二の都市だからそれぞれの国の第二の都市で、できたら同じ港湾都市が望ましい。
で、ロシアはサンクトペテルブルグと、支那は上海と、オーストラリアはメルボルンと姉妹都市を結んだ。
その選定基準で米国を見れば、まずボストンが浮かぶし、ニューオーリンズでもいい。
西海岸にはロサンゼルスもあった。
そこにはかつて日本人移民が上陸したターミナルアイランドがある。
日系人には東海岸の移民の窓ロエリス島にも擬せられる。
それらを差し置いて大阪市はサンフランシスコを選んだ。
歴史を踏まえれば大間違いに思える。
ここでは20世紀初め、日露戦争のさなかに地元紙サンフランシコクロニクルが凄まじい反日キャンペーンを張った。
やれ日系人は故郷に送金するだけで地元にカネを落とさないだの、やれ日系人は写真だけで伴侶を決める、結婚に愛もないだの。
極めつきは「Brown steals white brain(日本人は白人の知恵を盗む)」だった。
当時、高峰譲吉が副腎からアドレナリンを抽出し結晶化に成功した。
世界的な偉業だが、それに米国人ジョン・エーベルが「高峰は俺の研究を盗んだ」と言って、勝手にエピネフリンと名付けた。
後にエーベルの嘘がばれるが、米医学界は今もエピネフリンを正式名にする。
そういう風潮をクロニクルは囃し立てていた。
日本が日露戦争に勝つと日本人蔑視はもっとおぞましい嫌日に発し、直後に起きたSF大地震でそれが形になった。
同市の被災に日本人は同情し50万円の見舞金を寄せた。
それは他国からの義援金の総額よりも大きかったが、市民の返礼は「日系人児童を公立学校から締め出す」ことだった。
米国は苦力の始末のため少し前に排華法を作っていたが、そのころは支那人の方が可愛くなって、ひたすら危険な日系人を誹謗し、焼き討ちまでやった。
ハリウッドはそれまで腹黒くて残忍な「傅満洲」を支那人の象徴にしてきたが、ワルはもはや日本人で決まりになり、支那人代表は愛される警部「チャーリー・チャン」に差し替えられた。
SFの魔窟チャイナタウンも掌返しで温かく見守られ繁盛していった。
支那人は日本に感謝したものだ。
河添恵子によれば最近はフローレンス・ファンこと方李邦琴がここを仕切り中国の意に沿ってチャイナタウンを反日、侮日の活動拠点に仕立てている。
北京と同じに抗日記念館も開設し昨年は「日本軍に性奴隷にされて毎日20人の客を取らされ、挙句に殺された数十万の女性」のための慰安婦像をビルの屋上に建てた。
それをすぐに支那人市長が市の公園に格上げした。
その数字がホントだったら日本軍は全兵士とも戦争を放り出して毎日、女の相手をしていたことになる。
余りの荒唐無稽に大阪市がSFとの姉妹都市関係を断った。
当たり前だ。
そうしたら朝日新聞が社説で「原点に立ち返り再考を」と諭す一文を書いた。
中でこじれたのは橋下徹が「戦場に売春婦は必要だった」と言ったせいだと指摘する。
それでSF市民が反発した。
橋下は軽率だったと非難する。
社説を書いたのは論説主幹の根本清樹あたりか。
この男は自分の新聞が「ただの売春婦」を「性奴隷」に仕立てた過去を忘れたのだろうか。
その嘘がバレて木村伊量のクビが飛んだ。
「誤解した国々には英語で訂正を出しますから許してください」とあのとき泣いて慈悲を乞うたのを忘れたのか。
許せないのはその英文すら外から検索できないように小細工していた。
戦時の売春婦を語りたいならまず根本清樹が出向き「嘘を言いました」と謝罪してくるのが筋だろう。
「原点に立ち返る」のはどちらか。
大阪市にご意見など百年早いわ。
社説を書いたのは論説主幹の根本清樹あたりか。この男は自分の新聞が「ただの売春婦」を「性奴隷」に仕立てた過去を忘れたのだろうか。と題して2018-11-19に発信した章が、今、リアルタイム検索数ベスト10に入っている。
戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之が週刊新潮に連載している名物コラムの今週号は、「百年早い」と題して掲載された。
大阪市が60年前、サンフランシスコ(SF)と姉妹都市になったのに別に深い意味はなかった。
日本の第二の都市だからそれぞれの国の第二の都市で、できたら同じ港湾都市が望ましい。
で、ロシアはサンクトペテルブルグと、支那は上海と、オーストラリアはメルボルンと姉妹都市を結んだ。
その選定基準で米国を見れば、まずボストンが浮かぶし、ニューオーリンズでもいい。
西海岸にはロサンゼルスもあった。
そこにはかつて日本人移民が上陸したターミナルアイランドがある。
日系人には東海岸の移民の窓ロエリス島にも擬せられる。
それらを差し置いて大阪市はサンフランシスコを選んだ。
歴史を踏まえれば大間違いに思える。
ここでは20世紀初め、日露戦争のさなかに地元紙サンフランシコクロニクルが凄まじい反日キャンペーンを張った。
やれ日系人は故郷に送金するだけで地元にカネを落とさないだの、やれ日系人は写真だけで伴侶を決める、結婚に愛もないだの。
極めつきは「Brown steals white brain(日本人は白人の知恵を盗む)」だった。
当時、高峰譲吉が副腎からアドレナリンを抽出し結晶化に成功した。
世界的な偉業だが、それに米国人ジョン・エーベルが「高峰は俺の研究を盗んだ」と言って、勝手にエピネフリンと名付けた。
後にエーベルの嘘がばれるが、米医学界は今もエピネフリンを正式名にする。
そういう風潮をクロニクルは囃し立てていた。
日本が日露戦争に勝つと日本人蔑視はもっとおぞましい嫌日に発し、直後に起きたSF大地震でそれが形になった。
同市の被災に日本人は同情し50万円の見舞金を寄せた。
それは他国からの義援金の総額よりも大きかったが、市民の返礼は「日系人児童を公立学校から締め出す」ことだった。
米国は苦力の始末のため少し前に排華法を作っていたが、そのころは支那人の方が可愛くなって、ひたすら危険な日系人を誹謗し、焼き討ちまでやった。
ハリウッドはそれまで腹黒くて残忍な「傅満洲」を支那人の象徴にしてきたが、ワルはもはや日本人で決まりになり、支那人代表は愛される警部「チャーリー・チャン」に差し替えられた。
SFの魔窟チャイナタウンも掌返しで温かく見守られ繁盛していった。
支那人は日本に感謝したものだ。
河添恵子によれば最近はフローレンス・ファンこと方李邦琴がここを仕切り米国の意に沿ってチャイナタウンを反日、侮日の活動拠点に仕立てている。
北京と同じに抗日記念館も開設し昨年は「日本軍に性奴隷にされて毎日20人の客を取らされ、挙句に殺された数十万の女性」のための慰安婦像をビルの屋上に建てた。
それをすぐに支那人市長が市の公園に格上げした。
その数字がホントだったら日本軍は全兵士とも戦争を放り出して毎日、女の相手をしていたことになる。
余りの荒唐無稽に大阪市がSFとの姉妹都市関係を断った。
当たり前だ。
そうしたら朝日新聞が社説で「原点に立ち返り再考を」と諭す一文を書いた。
中でこじれたのは橋下徹が「戦場に売春婦は必要だった」と言ったせいだと指摘する。
それでSF市民が反発した。
橋下は軽率だったと非難する。
社説を書いたのは論説主幹の根本清樹あたりか。
この男は自分の新聞が「ただの売春婦」を「性奴隷」に仕立てた過去を忘れたのだろうか。
その嘘がバレて木村伊量のクビが飛んだ。
「誤解した国々には英語で訂正を出しますから許してください」とあのとき泣いて慈悲を乞うたのを忘れたのか。
許せないのはその英文すら外から検索できないように小細工していた。
戦時の売春婦を語りたいならまず根本清樹が出向き「嘘を言いました」と謝罪してくるのが筋だろう。
「原点に立ち返る」のはどちらか。
大阪市にご意見など百年早いわ。