文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

そのテロ集団をわずか2年で退治して治安を取り戻したが、その過程で民間人が巻き添え被害を受けた。裁判でフジモリは一切抗弁せず、部下の罪をすべてかぶって有罪判決を受けた

2019年05月18日 19時15分55秒 | 日記

以下は前章の続きである。
*私の言及に呼応して最寄りの書店に購読に向かった人たちは皆、この序章を読んだだけで、高山正之が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を強く再認識したはずである。
私が彼について言及して来た事の全てが正鵠を射ていると括目されただろう。*
例えば、朝日は、日露戦争百周年にあたり、明治の二度の戦争を「近代日本を朝鮮の植民地支配と中国侵略へと向かわせた転換点だった」と位置づけた。
同様に司馬遼太郎は「坂の上に上った日本は、その後下るだけだった」と日露戦争以後を批判したが、それは違う。
*NHKも又、この司馬遼太郎に与している事は読者はご存知の通り*
欧米列強との接触で自信を喪失し、戊辰戦争から西南戦争までの内戦で、明治維新を成してもなお迷走していた日本が、日清戦争で初めて民族として団結し、日露戦争で国家としてのアイデンティティを確立した。
日本人はロシア人に勝って、初めて自分たちの存在の意味を知った。だからこそ大東亜戦争で、日本人の一兵卒に至るまでが、アジアを白人の支配から解放しようと戦ったのだ。 
日本は己の経済的利得よりも、パリ講和会議で人種平等が一蹴されたこと、さらに米国が日本人移民を人種ゆえに締め出したことに庶民まで怒った。
昭和天皇もパリ会議での人種平等案問題が先の戦争の遠因と語られていたように、国民のすみずみまでその非道を知っていたからこそ、アイルランドを除くすべての国が日本に宣戦布告しても、ひるむことなく戦い抜いた。 
インパール作戦のような信じられない負け戦も、我々は使命に生きていると思えたからこそ、敢然と死地に赴いた。
もし明治維新の頃の日本人のままだったら、戦闘を放棄していただろう。 
一つの民族が一つの意志に団結していた戦前・戦中・戦後直後の国民意識を、実体験で知る渡部先生は、本書の第三章で繰り返し、当時の日本人の素朴な姿を証言している。 
犬死だったというのは賢(さか)しい後知恵で、日本は世界の白人種を相手にわたり合い、敗れた後は言い訳もせず、植民地解放にも恩着せがましいことは一切言わなかった。
思い出したのは、ペルーを追われたアルベルト・フジモリが、逮捕を承知で帰国した姿だ。
大統領に就任した頃のペルーは、毛沢東主義に従って一村一殺を実行し、略奪・誘拐を繰り返し、女を拉致して性奴隷にするテロ集団センデロ・ルミノソがのさばっていた。
そのテロ集団をわずか2年で退治して治安を取り戻したが、その過程で民間人が巻き添え被害を受けた。
裁判でフジモリは一切抗弁せず、部下の罪をすべてかぶって有罪判決を受けた。
戦前のままの日本人像をそこに見た。 
渡部先生の言うように、日本人は強い意識で戦争に臨んだ。
特攻隊も決して無理に作り上げられたものではなく、日本を守る強い思いの発露だった。
そういう視点を持たないように誘導したのが米国であり、朝日新聞だ。
無意味な戦争だったと、日本人が自尊心を持たないのがいいことのように洗脳し、一定の成功を収めてきた。
それが顕著に表れたのが、戦後日本の中国・韓国観の迷走だ。 
日本は明治の戦争で、シナ人の残忍さを身をもって知った。
宮崎消天や頭山満が懸命にシナ人に人の道を教えたけれども、何も変わらず無駄に終わった。
福沢諭吉が支援して最後に匙を投げた朝鮮人の度し難さも同様だ。ところが戦後、親中路線の広岡知男に指揮された朝日が、マオイズムで持ち上げ、共産党独裁があたかも楽園であるかのように報じ、江戸期の儒者が「徳の国」と憧れていた対中観に戻ってしまった。
敗戦前まではまともにシナ人とは何かを理解できていたのに、信じがたい逆倒である。 
これほど日本人の対外観を狂わせ、痴呆化させるのに尽力した朝日だが、その背後には米国がいる。
渡部先生との世界史対談も、日本人が知らない米国の対日戦略について、多くの時間が割かれた。
この稿続く。


大統領に就任した頃のペルーは、毛沢東主義に従って一村一殺を実行し、略奪・誘拐を繰り返し、女を拉致して性奴隷にするテロ集団センデロ・ルミノソがのさばっていた。

2019年05月18日 19時13分54秒 | 日記

以下は前章の続きである。
*私の言及に呼応して最寄りの書店に購読に向かった人たちは皆、この序章を読んだだけで、高山正之が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を強く再認識したはずである。
私が彼について言及して来た事の全てが正鵠を射ていると括目されただろう。*
例えば、朝日は、日露戦争百周年にあたり、明治の二度の戦争を「近代日本を朝鮮の植民地支配と中国侵略へと向かわせた転換点だった」と位置づけた。
同様に司馬遼太郎は「坂の上に上った日本は、その後下るだけだった」と日露戦争以後を批判したが、それは違う。
*NHKも又、この司馬遼太郎に与している事は読者はご存知の通り*
欧米列強との接触で自信を喪失し、戊辰戦争から西南戦争までの内戦で、明治維新を成してもなお迷走していた日本が、日清戦争で初めて民族として団結し、日露戦争で国家としてのアイデンティティを確立した。
日本人はロシア人に勝って、初めて自分たちの存在の意味を知った。だからこそ大東亜戦争で、日本人の一兵卒に至るまでが、アジアを白人の支配から解放しようと戦ったのだ。 
日本は己の経済的利得よりも、パリ講和会議で人種平等が一蹴されたこと、さらに米国が日本人移民を人種ゆえに締め出したことに庶民まで怒った。
昭和天皇もパリ会議での人種平等案問題が先の戦争の遠因と語られていたように、国民のすみずみまでその非道を知っていたからこそ、アイルランドを除くすべての国が日本に宣戦布告しても、ひるむことなく戦い抜いた。 
インパール作戦のような信じられない負け戦も、我々は使命に生きていると思えたからこそ、敢然と死地に赴いた。
もし明治維新の頃の日本人のままだったら、戦闘を放棄していただろう。 
一つの民族が一つの意志に団結していた戦前・戦中・戦後直後の国民意識を、実体験で知る渡部先生は、本書の第三章で繰り返し、当時の日本人の素朴な姿を証言している。 
犬死だったというのは賢(さか)しい後知恵で、日本は世界の白人種を相手にわたり合い、敗れた後は言い訳もせず、植民地解放にも恩着せがましいことは一切言わなかった。
思い出したのは、ペルーを追われたアルベルト・フジモリが、逮捕を承知で帰国した姿だ。
大統領に就任した頃のペルーは、毛沢東主義に従って一村一殺を実行し、略奪・誘拐を繰り返し、女を拉致して性奴隷にするテロ集団センデロ・ルミノソがのさばっていた。
そのテロ集団をわずか2年で退治して治安を取り戻したが、その過程で民問人が巻き添え被害を受けた。
裁判でフジモリは一切抗弁せず、部下の罪をすべてかぶって有罪判決を受けた。
戦前のままの日本人像をそこに見た。 
渡部先生の言うように、日本人は強い意識で戦争に臨んだ。
特攻隊も決して無理に作り上げられたものではなく、日本を守る強い思いの発露だった。
そういう視点を持たないように誘導したのが米国であり、朝日新聞だ。
無意味な戦争だったと、日本人が自尊心を持たないのがいいことのように洗脳し、一定の成功を収めてきた。
それが顕著に表れたのが、戦後日本の中国・韓国観の迷走だ。 
日本は明治の戦争で、シナ人の残忍さを身をもって知った。
宮崎消天や頭山満が懸命にシナ人に人の道を教えたけれども、何も変わらず無駄に終わった。
福沢諭吉が支援して最後に匙を投げた朝鮮人の度し難さも同様だ。ところが戦後、親中路線の広岡知男に指揮された朝日が、マオイズムで持ち上げ、共産党独裁があたかも楽園であるかのように報じ、江戸期の儒者が「徳の国」と憧れていた対中観に戻ってしまった。
敗戦前まではまともにシナ人とは何かを理解できていたのに、信じがたい逆倒である。 
これほど日本人の対外観を狂わせ、痴呆化させるのに尽力した朝日だが、その背後には米国がいる。
渡部先生との世界史対談も、日本人が知らない米国の対日戦略について、多くの時間が割かれた。
この稿続く。


犬死だったというのは賢(さか)しい後知恵で、日本は世界の白人種を相手にわたり合い、敗れた後は言い訳もせず、植民地解放にも恩着せがましいことは一切言わなかった

2019年05月18日 19時11分57秒 | 日記

以下は前章の続きである。
*私の言及に呼応して最寄りの書店に購読に向かった人たちは皆、この序章を読んだだけで、高山正之が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を強く再認識したはずである。
私が彼について言及して来た事の全てが正鵠を射ていると括目されただろう。*
例えば、朝日は、日露戦争百周年にあたり、明治の二度の戦争を「近代日本を朝鮮の植民地支配と中国侵略へと向かわせた転換点だった」と位置づけた。
同様に司馬遼太郎は「坂の上に上った日本は、その後下るだけだった」と日露戦争以後を批判したが、それは違う。
*NHKも又、この司馬遼太郎に与している事は読者はご存知の通り*
欧米列強との接触で自信を喪失し、戊辰戦争から西南戦争までの内戦で、明治維新を成してもなお迷走していた日本が、日清戦争で初めて民族として団結し、日露戦争で国家としてのアイデンティティを確立した。
日本人はロシア人に勝って、初めて自分たちの存在の意味を知った。だからこそ大東亜戦争で、日本人の一兵卒に至るまでが、アジアを白人の支配から解放しようと戦ったのだ。 
日本は己の経済的利得よりも、パリ講和会議で人種平等が一蹴されたこと、さらに米国が日本人移民を人種ゆえに締め出したことに庶民まで怒った。
昭和天皇もパリ会議での人種平等案問題が先の戦争の遠因と語られていたように、国民のすみずみまでその非道を知っていたからこそ、アイルランドを除くすべての国が日本に宣戦布告しても、ひるむことなく戦い抜いた。 
インパール作戦のような信じられない負け戦も、我々は使命に生きていると思えたからこそ、敢然と死地に赴いた。
もし明治維新の頃の日本人のままだったら、戦闘を放棄していただろう。 
一つの民族が一つの意志に団結していた戦前・戦中・戦後直後の国民意識を、実体験で知る渡部先生は、本書の第三章で繰り返し、当時の日本人の素朴な姿を証言している。 
犬死だったというのは賢(さか)しい後知恵で、日本は世界の白人種を相手にわたり合い、敗れた後は言い訳もせず、植民地解放にも恩着せがましいことは一切言わなかった。
思い出したのは、ペルーを追われたアルペルト・フジモリが、逮捕を承知で帰国した姿だ。
大統領に就任した頃のペルーは、毛沢東主義に従って一村一殺を実行し、略奪・誘拐を繰り返し、女を拉致して性奴隷にするテロ集団センデロ・ルミノソがのさばっていた。
そのテロ集団をわずか2年で退治して治安を取り戻したが、その過程で民問人が巻き添え被害を受けた。
裁判でフジモリは一切抗弁せず、部下の罪をすべてかぶって有罪判決を受けた。
戦前のままの日本人像をそこに見た。 
渡部先生の言うように、日本人は強い意識で戦争に臨んだ。
特攻隊も決して無理に作り上げられたものではなく、日本を守る強い思いの発露だった。
そういう視点を持たないように誘導したのが米国であり、朝日新聞だ。
無意味な戦争だったと、日本人が自尊心を持たないのがいいことのように洗脳し、一定の成功を収めてきた。
それが顕著に表れたのが、戦後日本の中国・韓国観の迷走だ。 
日本は明治の戦争で、シナ人の残忍さを身をもって知った。
宮崎消天や頭山満が懸命にシナ人に人の道を教えたけれども、何も変わらず無駄に終わった。
福沢諭吉が支援して最後に匙を投げた朝鮮人の度し難さも同様だ。ところが戦後、親中路線の広岡知男に指揮された朝日が、マオイズムで持ち上げ、共産党独裁があたかも楽園であるかのように報じ、江戸期の儒者が「徳の国」と憧れていた対中観に戻ってしまった。
敗戦前まではまともにシナ人とは何かを理解できていたのに、信じがたい逆倒である。 
これほど日本人の対外観を狂わせ、痴呆化させるのに尽力した朝日だが、その背後には米国がいる。
渡部先生との世界史対談も、日本人が知らない米国の対日戦略について、多くの時間が割かれた。
この稿続く。


一つの民族が一つの意志に団結していた戦前・戦中・戦後直後の国民意識を、実体験で知る渡部先生は、本書の第三章で繰り返し、当時の日本人の素朴な姿を証言している

2019年05月18日 19時10分46秒 | 日記

以下は前章の続きである。
*私の言及に呼応して最寄りの書店に購読に向かった人たちは皆、この序章を読んだだけで、高山正之が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を強く再認識したはずである。
私が彼について言及して来た事の全てが正鵠を射ていると括目されただろう。*
例えば、朝日は、日露戦争百周年にあたり、明治の二度の戦争を「近代日本を朝鮮の植民地支配と中国侵略へと向かわせた転換点だった」と位置づけた。
同様に司馬遼太郎は「坂の上に上った日本は、その後下るだけだった」と日露戦争以後を批判したが、それは違う。
*NHKも又、この司馬遼太郎に与している事は読者はご存知の通り*
欧米列強との接触で自信を喪失し、戊辰戦争から西南戦争までの内戦で、明治維新を成してもなお迷走していた日本が、日清戦争で初めて民族として団結し、日露戦争で国家としてのアイデンティティを確立した。
日本人はロシア人に勝って、初めて自分たちの存在の意味を知った。だからこそ大東亜戦争で、日本人の一兵卒に至るまでが、アジアを白人の支配から解放しようと戦ったのだ。 
日本は己の経済的利得よりも、パリ講和会議で人種平等が一蹴されたこと、さらに米国が日本人移民を人種ゆえに締め出したことに庶民まで怒った。
昭和天皇もパリ会議での人種平等案問題が先の戦争の遠因と語られていたように、国民のすみずみまでその非道を知っていたからこそ、アイルランドを除くすべての国が日本に宣戦布告しても、ひるむことなく戦い抜いた。 
インパール作戦のような信じられない負け戦も、我々は使命に生きていると思えたからこそ、敢然と死地に赴いた。
もし明治維新の頃の日本人のままだったら、戦闘を放棄していただろう。 
一つの民族が一つの意志に団結していた戦前・戦中・戦後直後の国民意識を、実体験で知る渡部先生は、本書の第三章で繰り返し、当時の日本人の素朴な姿を証言している。 
犬死だったというのは賢(さか)しい後知恵で、日本は世界の白人種を相手にわたり合い、敗れた後は言い訳もせず、植民地解放にも恩着せがましいことは一切言わなかった。
思い出したのは、ペルーを追われたアルペルト・フジモリが、逮捕を承知で帰国した姿だ。
大統領に就任した頃のペルーは、毛沢東主義に従って一村一殺を実行し、略奪・誘拐を繰り返し、女を拉致して性奴隷にするテロ集団センデロ・ルミノソがのさばっていた。
そのテロ集団をわずか2年で退治して治安を取り戻したが、その過程で民問人が巻き添え被害を受けた。
裁判でフジモリは一切抗弁せず、部下の罪をすべてかぶって有罪判決を受けた。
戦前のままの日本人像をそこに見た。 
渡部先生の言うように、日本人は強い意識で戦争に臨んだ。
特攻隊も決して無理に作り上げられたものではなく、日本を守る強い思いの発露だった。
そういう視点を持たないように誘導したのが米国であり、朝日新聞だ。
無意味な戦争だったと、日本人が自尊心を持たないのがいいことのように洗脳し、一定の成功を収めてきた。
それが顕著に表れたのが、戦後日本の中国・韓国観の迷走だ。 
日本は明治の戦争で、シナ人の残忍さを身をもって知った。
宮崎消天や頭山満が懸命にシナ人に人の道を教えたけれども、何も変わらず無駄に終わった。
福沢諭吉が支援して最後に匙を投げた朝鮮人の度し難さも同様だ。ところが戦後、親中路線の広岡知男に指揮された朝日が、マオイズムで持ち上げ、共産党独裁があたかも楽園であるかのように報じ、江戸期の儒者が「徳の国」と憧れていた対中観に戻ってしまった。
敗戦前まではまともにシナ人とは何かを理解できていたのに、信じがたい逆倒である。 
これほど日本人の対外観を狂わせ、痴呆化させるのに尽力した朝日だが、その背後には米国がいる。
渡部先生との世界史対談も、日本人が知らない米国の対日戦略について、多くの時間が割かれた。
この稿続く。


インパール作戦のような信じられない負け戦も、我々は使命に生きていると思えたからこそ、敢然と死地に赴いた。もし明治維新の頃の日本人のままだったら、戦闘を放棄していただろう

2019年05月18日 19時09分05秒 | 日記

以下は前章の続きである。
*私の言及に呼応して最寄りの書店に購読に向かった人たちは皆、この序章を読んだだけで、高山正之が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を強く再認識したはずである。
私が彼について言及して来た事の全てが正鵠を射ていると括目されただろう。*
例えば、朝日は、日露戦争百周年にあたり、明治の二度の戦争を「近代日本を朝鮮の植民地支配と中国侵略へと向かわせた転換点だった」と位置づけた。
同様に司馬遼太郎は「坂の上に上った日本は、その後下るだけだった」と日露戦争以後を批判したが、それは違う。
*NHKも又、この司馬遼太郎に与している事は読者はご存知の通り*
欧米列強との接触で自信を喪失し、戊辰戦争から西南戦争までの内戦で、明治維新を成してもなお迷走していた日本が、日清戦争で初めて民族として団結し、日露戦争で国家としてのアイデンティティを確立した。
日本人はロシア人に勝って、初めて自分たちの存在の意味を知った。だからこそ大東亜戦争で、日本人の一兵卒に至るまでが、アジアを白人の支配から解放しようと戦ったのだ。 
日本は己の経済的利得よりも、パリ講和会議で人種平等が一蹴されたこと、さらに米国が日本人移民を人種ゆえに締め出したことに庶民まで怒った。
昭和天皇もパリ会議での人種平等案問題が先の戦争の遠因と語られていたように、国民のすみずみまでその非道を知っていたからこそ、アイルランドを除くすべての国が日本に宣戦布告しても、ひるむことなく戦い抜いた。 
インパール作戦のような信じられない負け戦も、我々は使命に生きていると思えたからこそ、敢然と死地に赴いた。
もし明治維新の頃の日本人のままだったら、戦闘を放棄していただろう。 
一つの民族が一つの意志に団結していた戦前・戦中・戦後直後の国民意識を、実体験で知る渡部先生は、本書の第三章で繰り返し、当時の日本人の素朴な姿を証言している。 
犬死だったというのは賢(さか)しい後知恵で、日本は世界の白人種を相手にわたり合い、敗れた後は言い訳もせず、植民地解放にも恩着せがましいことは一切言わなかった。
思い出したのは、ペルーを追われたアルペルト・フジモリが、逮捕を承知で帰国した姿だ。
大統領に就任した頃のペルーは、毛沢東主義に従って一村一殺を実行し、略奪・誘拐を繰り返し、女を拉致して性奴隷にするテロ集団センデロ・ルミノソがのさばっていた。
そのテロ集団をわずか2年で退治して治安を取り戻したが、その過程で民問人が巻き添え被害を受けた。
裁判でフジモリは一切抗弁せず、部下の罪をすべてかぶって有罪判決を受けた。
戦前のままの日本人像をそこに見た。 
渡部先生の言うように、日本人は強い意識で戦争に臨んだ。
特攻隊も決して無理に作り上げられたものではなく、日本を守る強い思いの発露だった。
そういう視点を持たないように誘導したのが米国であり、朝日新聞だ。
無意味な戦争だったと、日本人が自尊心を持たないのがいいことのように洗脳し、一定の成功を収めてきた。
それが顕著に表れたのが、戦後日本の中国・韓国観の迷走だ。 
日本は明治の戦争で、シナ人の残忍さを身をもって知った。
宮崎消天や頭山満が懸命にシナ人に人の道を教えたけれども、何も変わらず無駄に終わった。
福沢諭吉が支援して最後に匙を投げた朝鮮人の度し難さも同様だ。ところが戦後、親中路線の広岡知男に指揮された朝日が、マオイズムで持ち上げ、共産党独裁があたかも楽園であるかのように報じ、江戸期の儒者が「徳の国」と憧れていた対中観に戻ってしまった。
敗戦前まではまともにシナ人とは何かを理解できていたのに、信じがたい逆倒である。 
これほど日本人の対外観を狂わせ、痴呆化させるのに尽力した朝日だが、その背後には米国がいる。
渡部先生との世界史対談も、日本人が知らない米国の対日戦略について、多くの時間が割かれた。
この稿続く。


昭和天皇もパリ会議での人種平等案問題が先の戦争の遠因と語られていたように、国民のすみずみまでその非道を知っていたからこそ、アイルランドを除くすべての国が日本に宣戦布告しても

2019年05月18日 19時07分04秒 | 日記

以下は前章の続きである。
*私の言及に呼応して最寄りの書店に購読に向かった人たちは皆、この序章を読んだだけで、高山正之が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を強く再認識したはずである。
私が彼について言及して来た事の全てが正鵠を射ていると括目されただろう。*
例えば、朝日は、日露戦争百周年にあたり、明治の二度の戦争を「近代日本を朝鮮の植民地支配と中国侵略へと向かわせた転換点だった」と位置づけた。
同様に司馬遼太郎は「坂の上に上った日本は、その後下るだけだった」と日露戦争以後を批判したが、それは違う。
*NHKも又、この司馬遼太郎に与している事は読者はご存知の通り*
欧米列強との接触で自信を喪失し、戊辰戦争から西南戦争までの内戦で、明治維新を成してもなお迷走していた日本が、日清戦争で初めて民族として団結し、日露戦争で国家としてのアイデンティティを確立した。
日本人はロシア人に勝って、初めて自分たちの存在の意味を知った。だからこそ大東亜戦争で、日本人の一兵卒に至るまでが、アジアを白人の支配から解放しようと戦ったのだ。 
日本は己の経済的利得よりも、パリ講和会議で人種平等が一蹴されたこと、さらに米国が日本人移民を人種ゆえに締め出したことに庶民まで怒った。
昭和天皇もパリ会議での人種平等案問題が先の戦争の遠因と語られていたように、国民のすみずみまでその非道を知っていたからこそ、アイルランドを除くすべての国が日本に宣戦布告しても、ひるむことなく戦い抜いた。 
インパール作戦のような信じられない負け戦も、我々は使命に生きていると思えたからこそ、敢然と死地に赴いた。
もし明治維新の頃の日本人のままだったら、戦闘を放棄していただろう。 
一つの民族が一つの意志に団結していた戦前・戦中・戦後直後の国民意識を、実体験で知る渡部先生は、本書の第三章で繰り返し、当時の日本人の素朴な姿を証言している。 
犬死だったというのは賢(さか)しい後知恵で、日本は世界の白人種を相手にわたり合い、敗れた後は言い訳もせず、植民地解放にも恩着せがましいことは一切言わなかった。
思い出したのは、ペルーを追われたアルペルト・フジモリが、逮捕を承知で帰国した姿だ。
大統領に就任した頃のペルーは、毛沢東主義に従って一村一殺を実行し、略奪・誘拐を繰り返し、女を拉致して性奴隷にするテロ集団センデロ・ルミノソがのさばっていた。
そのテロ集団をわずか2年で退治して治安を取り戻したが、その過程で民問人が巻き添え被害を受けた。
裁判でフジモリは一切抗弁せず、部下の罪をすべてかぶって有罪判決を受けた。
戦前のままの日本人像をそこに見た。 
渡部先生の言うように、日本人は強い意識で戦争に臨んだ。
特攻隊も決して無理に作り上げられたものではなく、日本を守る強い思いの発露だった。
そういう視点を持たないように誘導したのが米国であり、朝日新聞だ。
無意味な戦争だったと、日本人が自尊心を持たないのがいいことのように洗脳し、一定の成功を収めてきた。
それが顕著に表れたのが、戦後日本の中国・韓国観の迷走だ。 
日本は明治の戦争で、シナ人の残忍さを身をもって知った。
宮崎消天や頭山満が懸命にシナ人に人の道を教えたけれども、何も変わらず無駄に終わった。
福沢諭吉が支援して最後に匙を投げた朝鮮人の度し難さも同様だ。ところが戦後、親中路線の広岡知男に指揮された朝日が、マオイズムで持ち上げ、共産党独裁があたかも楽園であるかのように報じ、江戸期の儒者が「徳の国」と憧れていた対中観に戻ってしまった。
敗戦前まではまともにシナ人とは何かを理解できていたのに、信じがたい逆倒である。 
これほど日本人の対外観を狂わせ、痴呆化させるのに尽力した朝日だが、その背後には米国がいる。
渡部先生との世界史対談も、日本人が知らない米国の対日戦略について、多くの時間が割かれた。
この稿続く。


日本は己の経済的利得よりも、パリ講和会議で人種平等が一蹴されたこと、さらに米国が日本人移民を人種ゆえに締め出したことに庶民まで怒った。

2019年05月18日 19時05分38秒 | 日記

以下は前章の続きである。
*私の言及に呼応して最寄りの書店に購読に向かった人たちは皆、この序章を読んだだけで、高山正之が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を強く再認識したはずである。
私が彼について言及して来た事の全てが正鵠を射ていると括目されただろう。*
例えば、朝日は、日露戦争百周年にあたり、明治の二度の戦争を「近代日本を朝鮮の植民地支配と中国侵略へと向かわせた転換点だった」と位置づけた。
同様に司馬遼太郎は「坂の上に上った日本は、その後下るだけだった」と日露戦争以後を批判したが、それは違う。
*NHKも又、この司馬遼太郎に与している事は読者はご存知の通り*
欧米列強との接触で自信を喪失し、戊辰戦争から西南戦争までの内戦で、明治維新を成してもなお迷走していた日本が、日清戦争で初めて民族として団結し、日露戦争で国家としてのアイデンティティを確立した。
日本人はロシア人に勝って、初めて自分たちの存在の意味を知った。だからこそ大東亜戦争で、日本人の一兵卒に至るまでが、アジアを白人の支配から解放しようと戦ったのだ。 
日本は己の経済的利得よりも、パリ講和会議で人種平等が一蹴されたこと、さらに米国が日本人移民を人種ゆえに締め出したことに庶民まで怒った。
昭和天皇もパリ会議での人種平等案問題が先の戦争の遠因と語られていたように、国民のすみずみまでその非道を知っていたからこそ、アイルランドを除くすべての国が日本に宣戦布告しても、ひるむことなく戦い抜いた。 
インパール作戦のような信じられない負け戦も、我々は使命に生きていると思えたからこそ、敢然と死地に赴いた。
もし明治維新の頃の日本人のままだったら、戦闘を放棄していただろう。 
一つの民族が一つの意志に団結していた戦前・戦中・戦後直後の国民意識を、実体験で知る渡部先生は、本書の第三章で繰り返し、当時の日本人の素朴な姿を証言している。 
犬死だったというのは賢(さか)しい後知恵で、日本は世界の白人種を相手にわたり合い、敗れた後は言い訳もせず、植民地解放にも恩着せがましいことは一切言わなかった。
思い出したのは、ペルーを追われたアルペルト・フジモリが、逮捕を承知で帰国した姿だ。
大統領に就任した頃のペルーは、毛沢東主義に従って一村一殺を実行し、略奪・誘拐を繰り返し、女を拉致して性奴隷にするテロ集団センデロ・ルミノソがのさばっていた。
そのテロ集団をわずか2年で退治して治安を取り戻したが、その過程で民問人が巻き添え被害を受けた。
裁判でフジモリは一切抗弁せず、部下の罪をすべてかぶって有罪判決を受けた。
戦前のままの日本人像をそこに見た。 
渡部先生の言うように、日本人は強い意識で戦争に臨んだ。
特攻隊も決して無理に作り上げられたものではなく、日本を守る強い思いの発露だった。
そういう視点を持たないように誘導したのが米国であり、朝日新聞だ。
無意味な戦争だったと、日本人が自尊心を持たないのがいいことのように洗脳し、一定の成功を収めてきた。
それが顕著に表れたのが、戦後日本の中国・韓国観の迷走だ。 
日本は明治の戦争で、シナ人の残忍さを身をもって知った。
宮崎消天や頭山満が懸命にシナ人に人の道を教えたけれども、何も変わらず無駄に終わった。
福沢諭吉が支援して最後に匙を投げた朝鮮人の度し難さも同様だ。ところが戦後、親中路線の広岡知男に指揮された朝日が、マオイズムで持ち上げ、共産党独裁があたかも楽園であるかのように報じ、江戸期の儒者が「徳の国」と憧れていた対中観に戻ってしまった。
敗戦前まではまともにシナ人とは何かを理解できていたのに、信じがたい逆倒である。 
これほど日本人の対外観を狂わせ、痴呆化させるのに尽力した朝日だが、その背後には米国がいる。
渡部先生との世界史対談も、日本人が知らない米国の対日戦略について、多くの時間が割かれた。
この稿続く。


日本人はロシア人に勝って、初めて自分たちの存在の意味を知った。だからこそ大東亜戦争で、日本人の一兵卒に至るまでが、アジアを白人の支配から解放しようと戦ったのだ

2019年05月18日 19時04分30秒 | 日記

以下は前章の続きである。
*私の言及に呼応して最寄りの書店に購読に向かった人たちは皆、この序章を読んだだけで、高山正之が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を強く再認識したはずである。
私が彼について言及して来た事の全てが正鵠を射ていると括目されただろう。*
例えば、朝日は、日露戦争百周年にあたり、明治の二度の戦争を「近代日本を朝鮮の植民地支配と中国侵略へと向かわせた転換点だった」と位置づけた。
同様に司馬遼太郎は「坂の上に上った日本は、その後下るだけだった」と日露戦争以後を批判したが、それは違う。
*NHKも又、この司馬遼太郎に与している事は読者はご存知の通り*
欧米列強との接触で自信を喪失し、戊辰戦争から西南戦争までの内戦で、明治維新を成してもなお迷走していた日本が、日清戦争で初めて民族として団結し、日露戦争で国家としてのアイデンティティを確立した。
日本人はロシア人に勝って、初めて自分たちの存在の意味を知った。だからこそ大東亜戦争で、日本人の一兵卒に至るまでが、アジアを白人の支配から解放しようと戦ったのだ。 
日本は己の経済的利得よりも、パリ講和会議で人種平等が一蹴されたこと、さらに米国が日本人移民を人種ゆえに締め出したことに庶民まで怒った。
昭和天皇もパリ会議での人種平等案問題が先の戦争の遠因と語られていたように、国民のすみずみまでその非道を知っていたからこそ、アイルランドを除くすべての国が日本に宣戦布告しても、ひるむことなく戦い抜いた。 
インパール作戦のような信じられない負け戦も、我々は使命に生きていると思えたからこそ、敢然と死地に赴いた。
もし明治維新の頃の日本人のままだったら、戦闘を放棄していただろう。 
一つの民族が一つの意志に団結していた戦前・戦中・戦後直後の国民意識を、実体験で知る渡部先生は、本書の第三章で繰り返し、当時の日本人の素朴な姿を証言している。 
犬死だったというのは賢(さか)しい後知恵で、日本は世界の白人種を相手にわたり合い、敗れた後は言い訳もせず、植民地解放にも恩着せがましいことは一切言わなかった。
思い出したのは、ペルーを追われたアルペルト・フジモリが、逮捕を承知で帰国した姿だ。
大統領に就任した頃のペルーは、毛沢東主義に従って一村一殺を実行し、略奪・誘拐を繰り返し、女を拉致して性奴隷にするテロ集団センデロ・ルミノソがのさばっていた。
そのテロ集団をわずか2年で退治して治安を取り戻したが、その過程で民問人が巻き添え被害を受けた。
裁判でフジモリは一切抗弁せず、部下の罪をすべてかぶって有罪判決を受けた。
戦前のままの日本人像をそこに見た。 
渡部先生の言うように、日本人は強い意識で戦争に臨んだ。
特攻隊も決して無理に作り上げられたものではなく、日本を守る強い思いの発露だった。
そういう視点を持たないように誘導したのが米国であり、朝日新聞だ。
無意味な戦争だったと、日本人が自尊心を持たないのがいいことのように洗脳し、一定の成功を収めてきた。
それが顕著に表れたのが、戦後日本の中国・韓国観の迷走だ。 
日本は明治の戦争で、シナ人の残忍さを身をもって知った。
宮崎消天や頭山満が懸命にシナ人に人の道を教えたけれども、何も変わらず無駄に終わった。
福沢諭吉が支援して最後に匙を投げた朝鮮人の度し難さも同様だ。ところが戦後、親中路線の広岡知男に指揮された朝日が、マオイズムで持ち上げ、共産党独裁があたかも楽園であるかのように報じ、江戸期の儒者が「徳の国」と憧れていた対中観に戻ってしまった。
敗戦前まではまともにシナ人とは何かを理解できていたのに、信じがたい逆倒である。 
これほど日本人の対外観を狂わせ、痴呆化させるのに尽力した朝日だが、その背後には米国がいる。
渡部先生との世界史対談も、日本人が知らない米国の対日戦略について、多くの時間が割かれた。
この稿続く。


欧米列強との接触で自信を喪失し、戊辰戦争から西南戦争までの内戦で、明治維新を成してもなお迷走していた日本が、日清戦争で初めて民族として団結し、日露戦争で国家としての

2019年05月18日 19時02分16秒 | 日記

以下は前章の続きである。
*私の言及に呼応して最寄りの書店に購読に向かった人たちは皆、この序章を読んだだけで、高山正之が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を強く再認識したはずである。
私が彼について言及して来た事の全てが正鵠を射ていると括目されただろう。*
例えば、朝日は、日露戦争百周年にあたり、明治の二度の戦争を「近代日本を朝鮮の植民地支配と中国侵略へと向かわせた転換点だった」と位置づけた。
同様に司馬遼太郎は「坂の上に上った日本は、その後下るだけだった」と日露戦争以後を批判したが、それは違う。
*NHKも又、この司馬遼太郎に与している事は読者はご存知の通り*
欧米列強との接触で自信を喪失し、戊辰戦争から西南戦争までの内戦で、明治維新を成してもなお迷走していた日本が、日清戦争で初めて民族として団結し、日露戦争で国家としてのアイデンティティを確立した。
日本人はロシア人に勝って、初めて自分たちの存在の意味を知った。だからこそ大東亜戦争で、日本人の一兵卒に至るまでが、アジアを白人の瓦配から解放しようと戦ったのだ。 
日本は己の経済的利得よりも、パリ講和会議で人種平等が一蹴されたこと、さらに米国が日本人移民を人種ゆえに締め出したことに庶民まで怒った。
昭和天皇もパリ会議での人種平等案問題が先の戦争の遠因と語られていたように、国民のすみずみまでその非道を知っていたからこそ、アイルランドを除くすべての国が日本に宣戦布告しても、ひるむことなく戦い抜いた。 
インパール作戦のような信じられない負け戦も、我々は使命に生きていると思えたからこそ、敢然と死地に赴いた。
もし明治維新の頃の日本人のままだったら、戦闘を放棄していただろう。 
一つの民族が一つの意志に団結していた戦前・戦中・戦後直後の国民意識を、実体験で知る渡部先生は、本書の第三章で繰り返し、当時の日本人の素朴な姿を証言している。 
犬死だったというのは賢(さか)しい後知恵で、日本は世界の白人種を相手にわたり合い、敗れた後は言い訳もせず、植民地解放にも恩着せがましいことは一切言わなかった。
思い出したのは、ペルーを追われたアルペルト・フジモリが、逮捕を承知で帰国した姿だ。
大統領に就任した頃のペルーは、毛沢東主義に従って一村一殺を実行し、略奪・誘拐を繰り返し、女を拉致して性奴隷にするテロ集団センデロ・ルミノソがのさばっていた。
そのテロ集団をわずか2年で退治して治安を取り戻したが、その過程で民問人が巻き添え被害を受けた。
裁判でフジモリは一切抗弁せず、部下の罪をすべてかぶって有罪判決を受けた。
戦前のままの日本人像をそこに見た。 
渡部先生の言うように、日本人は強い意識で戦争に臨んだ。
特攻隊も決して無理に作り上げられたものではなく、日本を守る強い思いの発露だった。
そういう視点を持たないように誘導したのが米国であり、朝日新聞だ。
無意味な戦争だったと、日本人が自尊心を持たないのがいいことのように洗脳し、一定の成功を収めてきた。
それが顕著に表れたのが、戦後日本の中国・韓国観の迷走だ。 
日本は明治の戦争で、シナ人の残忍さを身をもって知った。
宮崎消天や頭山満が懸命にシナ人に人の道を教えたけれども、何も変わらず無駄に終わった。
福沢諭吉が支援して最後に匙を投げた朝鮮人の度し難さも同様だ。ところが戦後、親中路線の広岡知男に指揮された朝日が、マオイズムで持ち上げ、共産党独裁があたかも楽園であるかのように報じ、江戸期の儒者が「徳の国」と憧れていた対中観に戻ってしまった。
敗戦前まではまともにシナ人とは何かを理解できていたのに、信じがたい逆倒である。 
これほど日本人の対外観を狂わせ、痴呆化させるのに尽力した朝日だが、その背後には米国がいる。
渡部先生との世界史対談も、日本人が知らない米国の対日戦略について、多くの時間が割かれた。
この稿続く。


同様に司馬遼太郎は「坂の上に上った日本は、その後下るだけだった」と日露戦争以後を批判したが、それは違う。

2019年05月18日 19時00分49秒 | 日記

以下は前章の続きである。
*私の言及に呼応して最寄りの書店に購読に向かった人たちは皆、この序章を読んだだけで、高山正之が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を強く再認識したはずである。
私が彼について言及して来た事の全てが正鵠を射ていると括目されただろう。*
例えば、朝日は、日露戦争百周年にあたり、明治の二度の戦争を「近代日本を朝鮮の植民地支配と中国侵略へと向かわせた転換点だった」と位置づけた。
同様に司馬遼太郎は「坂の上に上った日本は、その後下るだけだった」と日露戦争以後を批判したが、それは違う。
*NHKも又、この司馬遼太郎に与している事は読者はご存知の通り*
欧米列強との接触で自信を喪失し、戊辰戦争から西南戦争までの内戦で、明治維新を成してもなお迷走していた日本が、日清戦争で初めて民族として団結し、日露戦争で国家としてのアイデンティティを確立した。
日本人はロシア人に勝って、初めて自分たちの存在の意味を知った。だからこそ大東亜戦争で、日本人の一兵卒に至るまでが、アジアを白人の瓦配から解放しようと戦ったのだ。 
日本は己の経済的利得よりも、パリ講和会議で人種平等が一蹴されたこと、さらに米国が日本人移民を人種ゆえに締め出したことに庶民まで怒った。
昭和天皇もパリ会議での人種平等案問題が先の戦争の遠因と語られていたように、国民のすみずみまでその非道を知っていたからこそ、アイルランドを除くすべての国が日本に宣戦布告しても、ひるむことなく戦い抜いた。 
インパール作戦のような信じられない負け戦も、我々は使命に生きていると思えたからこそ、敢然と死地に赴いた。
もし明治維新の頃の日本人のままだったら、戦闘を放棄していただろう。 
一つの民族が一つの意志に団結していた戦前・戦中・戦後直後の国民意識を、実体験で知る渡部先生は、本書の第三章で繰り返し、当時の日本人の素朴な姿を証言している。 
犬死だったというのは賢(さか)しい後知恵で、日本は世界の白人種を相手にわたり合い、敗れた後は言い訳もせず、植民地解放にも恩着せがましいことは一切言わなかった。
思い出したのは、ペルーを追われたアルペルト・フジモリが、逮捕を承知で帰国した姿だ。
大統領に就任した頃のペルーは、毛沢東主義に従って一村一殺を実行し、略奪・誘拐を繰り返し、女を拉致して性奴隷にするテロ集団センデロ・ルミノソがのさばっていた。
そのテロ集団をわずか2年で退治して治安を取り戻したが、その過程で民問人が巻き添え被害を受けた。
裁判でフジモリは一切抗弁せず、部下の罪をすべてかぶって有罪判決を受けた。
戦前のままの日本人像をそこに見た。 
渡部先生の言うように、日本人は強い意識で戦争に臨んだ。
特攻隊も決して無理に作り上げられたものではなく、日本を守る強い思いの発露だった。
そういう視点を持たないように誘導したのが米国であり、朝日新聞だ。
無意味な戦争だったと、日本人が自尊心を持たないのがいいことのように洗脳し、一定の成功を収めてきた。
それが顕著に表れたのが、戦後日本の中国・韓国観の迷走だ。 
日本は明治の戦争で、シナ人の残忍さを身をもって知った。
宮崎消天や頭山満が懸命にシナ人に人の道を教えたけれども、何も変わらず無駄に終わった。
福沢諭吉が支援して最後に匙を投げた朝鮮人の度し難さも同様だ。ところが戦後、親中路線の広岡知男に指揮された朝日が、マオイズムで持ち上げ、共産党独裁があたかも楽園であるかのように報じ、江戸期の儒者が「徳の国」と憧れていた対中観に戻ってしまった。
敗戦前まではまともにシナ人とは何かを理解できていたのに、信じがたい逆倒である。 
これほど日本人の対外観を狂わせ、痴呆化させるのに尽力した朝日だが、その背後には米国がいる。
渡部先生との世界史対談も、日本人が知らない米国の対日戦略について、多くの時間が割かれた。
この稿続く。


例えば、朝日は、日露戦争百周年にあたり、明治の二度の戦争を「近代日本を朝鮮の植民地支配と中国侵略へと向かわせた転換点だった」と位置づけた。

2019年05月18日 18時58分27秒 | 日記

以下は前章の続きである。
*私の言及に呼応して最寄りの書店に購読に向かった人たちは皆、この序章を読んだだけで、高山正之が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を強く再認識したはずである。
私が彼について言及して来た事の全てが正鵠を射ていると括目されただろう。*
例えば、朝日は、日露戦争百周年にあたり、明治の二度の戦争を「近代日本を朝鮮の植民地支配と中国侵略へと向かわせた転換点だった」と位置づけた。
同様に司馬遼太郎は「坂の上に上った日本は、その後下るだけだった」と日露戦争以後を批判したが、それは違う。
*NHKも又、この司馬遼太郎に与している事は読者はご存知の通り*
欧米列強との接触で自信を喪失し、戊辰戦争から西南戦争までの内戦で、明治維新を成してもなお迷走していた日本が、日清戦争で初めて民族として団結し、日露戦争で国家としてのアイデンティティを確立した。
日本人はロシア人に勝って、初めて自分たちの存在の意味を知った。だからこそ大東亜戦争で、日本人の一兵卒に至るまでが、アジアを白人の瓦配から解放しようと戦ったのだ。 
日本は己の経済的利得よりも、パリ講和会議で人種平等が一蹴されたこと、さらに米国が日本人移民を人種ゆえに締め出したことに庶民まで怒った。
昭和天皇もパリ会議での人種平等案問題が先の戦争の遠因と語られていたように、国民のすみずみまでその非道を知っていたからこそ、アイルランドを除くすべての国が日本に宣戦布告しても、ひるむことなく戦い抜いた。 
インパール作戦のような信じられない負け戦も、我々は使命に生きていると思えたからこそ、敢然と死地に赴いた。
もし明治維新の頃の日本人のままだったら、戦闘を放棄していただろう。 
一つの民族が一つの意志に団結していた戦前・戦中・戦後直後の国民意識を、実体験で知る渡部先生は、本書の第三章で繰り返し、当時の日本人の素朴な姿を証言している。 
犬死だったというのは賢(さか)しい後知恵で、日本は世界の白人種を相手にわたり合い、敗れた後は言い訳もせず、植民地解放にも恩着せがましいことは一切言わなかった。
思い出したのは、ペルーを追われたアルペルト・フジモリが、逮捕を承知で帰国した姿だ。
大統領に就任した頃のペルーは、毛沢東主義に従って一村一殺を実行し、略奪・誘拐を繰り返し、女を拉致して性奴隷にするテロ集団センデロ・ルミノソがのさばっていた。
そのテロ集団をわずか2年で退治して治安を取り戻したが、その過程で民問人が巻き添え被害を受けた。
裁判でフジモリは一切抗弁せず、部下の罪をすべてかぶって有罪判決を受けた。
戦前のままの日本人像をそこに見た。 
渡部先生の言うように、日本人は強い意識で戦争に臨んだ。
特攻隊も決して無理に作り上げられたものではなく、日本を守る強い思いの発露だった。
そういう視点を持たないように誘導したのが米国であり、朝日新聞だ。
無意味な戦争だったと、日本人が自尊心を持たないのがいいことのように洗脳し、一定の成功を収めてきた。
それが顕著に表れたのが、戦後日本の中国・韓国観の迷走だ。 
日本は明治の戦争で、シナ人の残忍さを身をもって知った。
宮崎消天や頭山満が懸命にシナ人に人の道を教えたけれども、何も変わらず無駄に終わった。
福沢諭吉が支援して最後に匙を投げた朝鮮人の度し難さも同様だ。ところが戦後、親中路線の広岡知男に指揮された朝日が、マオイズムで持ち上げ、共産党独裁があたかも楽園であるかのように報じ、江戸期の儒者が「徳の国」と憧れていた対中観に戻ってしまった。
敗戦前まではまともにシナ人とは何かを理解できていたのに、信じがたい逆倒である。 
これほど日本人の対外観を狂わせ、痴呆化させるのに尽力した朝日だが、その背後には米国がいる。
渡部先生との世界史対談も、日本人が知らない米国の対日戦略について、多くの時間が割かれた。
この稿続く。


それにいち早く気づいて、日本のためになる日本史を編んできた渡部先生は、不朽の仕事をされたと思う。

2019年05月18日 16時36分56秒 | 日記

以下の本は日本国民全員のみならず世界中の人たちが読まなければならない本である。
序章  なぜ、世界史対談か-高山正之
「日本によるアジア破壊についての簡潔な報告」 
1992年にロス支局長で渡米し、米国の新聞各紙を毎朝読むようになって一番驚いたのは、日本の悪口が必ず出てくることだった。
40行ほどの短い社説でも、コリアと出てくれば、カンマして必ず「かつて日本に植民地化されたKorea,once Japan colonized」という説明がつく。
94年の米朝交渉で核開発の凍結が取りざたされて以降、北では繰り返し飢餓が起きていたが、「かつて日本が植民地支配した北朝鮮で、飢餓が起きている」という報道が増えただけだった。
あんまり頭にきたので、米紙論説委員室に電話して、フィリピンに触れたときは必ず「かつて米国が占領し、40万人殺した」と書けよと抗議した。 
もう一つ頭にきたのは、米紙が東南アジアに触れると、これも必ずといっていいほど、「かつて日本が占領して残虐行為をしたSouth East Asia, once Japan occupied and conducted atrocities]と挿入されることだ。
いちいち日本を引き合いに出す。
90年代まではこの書き方が恒常化していた。 
最近では手口が変わり、現地発のニュースとして、「日本の残虐行為」を思い出させるのが年中行事となった。
北京発の南京大虐殺、マニラ発のバターン死の行進とマニラ大虐殺と、シーズンになると毎年必ず現地記者に書かせる。
最近のお気に入りは七三一部隊で、例えばニューヨーク・タイムズは、フォーリン・アフェアーズの編集者、ジョナサン・テパーマンに「日本は朝鮮とシナ北部を残忍に搾取して己の足場を固めた。その象徴がし七三一部隊で、近隣諸国はことあるごとに、この残忍さの記憶が蘇る」と書かせた。
きっかけは、安倍が操縦席に試乗したブルーインパルスの機体番が「731」だったのだ。
ただそれだけのことに無理やりこじつけて空騒ぎしただけだった。オバマが広島を訪問する前にも、念入りにシリーズで日本の残虐行為を報じていた。 
要は、原爆投下や東京大空襲が米国による残虐行為atrocitiesと指弾されないよう、先回りして「日本もこれだけ酷いことをやった」と潰しておく作業を、米国のマスコミは戦後70年経ってもまだ続けているのだ。
一方、歴史認識で日本人を叩きのめして、意気消沈させ、二度と立ち上がれないようにする。
そういう戦後洗脳のお先棒を日本国内で担いでいたのが、左巻きインテリと朝日新聞だった。
彼らの大罪を糺し、正しい歴史観に引き戻す戦いを、1970年代前半から40年以上も、屈することなく続けてきた第一人者が、渡部昇一先生だ。 
渡部先生と私との対談を公刊するのはこれが初となる。
ご逝去の5か月ほど前、世界史の中での日本の正しい評価をテーマに、じっくりお話しする機会を得た。
トランプ時代という歴史の転換点で“日本ファースト”の世界史の見方について論じたのだ。 
先の大戦を侵略戦争と断ずる自虐を、渡部先生は「東京裁判史観」と名付けて、誰よりも早く警鐘を鵈らした。
その危機感が正しかったことは、江沢民が「日本に対しては歴史問題を繰り返せ」と訓示したことで証明された。
南京で30万人が殺されたと東京裁判で言ったベイツのホラ話を朝日と本多勝一が生き返らせ、さらに吉田清治の虚言を真実のように取り上げた結果、中国と韓国が外交戦略に利用するようになった。 
慰安婦や徴用工で中韓が共同戦線をとる悪影響は、国内での自虐論争とは次元が異なる。
渡部先生が第三章で若狭和朋を引用したように、スペインが歴史戦で敗者となった教訓は大きい。
かつて英国もフランスもオランダもポルトガルも、スペインと同様、巨大な植民地帝国を築いた。
中米、南米、カリブ海諸国、太平洋、アフリカに至る広大な植民地を有したスペインが歴史戦に敗れたのは、たった一冊の、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫)という薄いパンフレットによってである。 
1542年、インディオを奴隷として自分の農園で酷使していた聖職者のはしくれラス・カサスは、自らの罪滅ぼしの意味もあり、いかに他のスペイン人入植者が残虐か、フィクションも交えた報告書を国王に上奏した。
これが1552年に印刷され、欧米各国に広まることで、スペインは袋叩きにされた。
喜んだのは他の植民地帝国だ。
悪いのはすべてスペイン人となって、植民地がどんどん減っていく。米国は、スペインの勢力衰退につけ込んで、中南米やカリブ海地域を自分の「裏庭」に囲い込んだ。 
これで分かるように、米英が世界支配に乗り出せたのはラス・カサスの本を巧みに使い回して、スペインの国家意識とプライドをズタズタに粉砕した結果だった。 
第二次大戦の前、アメリカ嫌いのフランコ将軍はヒトラーに、ドイツの核計画について助言をしようとしたが、ヒトラーは「スペイン人が何を言うか」と、まったく相手にしなかった。
かつての帝国の面影すらなく、他国から相手にされない。
国としての発言権を失ったスペイン人は内向きで無気力になり、国内の犯罪率も高く、1ブロック歩くごとに2回スリに遭うと言われるほどすさんだ国になった。
国の威信を失う怖さである。 
いずれ米中韓の悪だくみで、「日本によるアジア破壊についての簡潔な報告」が書かれるはずだ。
そのように世界史を見れば、朝日の犯した罪は日本人が想像しているよりもずっと大きいことがわかる。
それにいち早く気づいて、日本のためになる日本史を編んできた渡部先生は、不朽の仕事をされたと思う。
この稿続く。 


そのように世界史を見れば、朝日の犯した罪は日本人が想像しているよりもずっと大きいことがわかる。

2019年05月18日 16時35分48秒 | 日記

以下の本は日本国民全員のみならず世界中の人たちが読まなければならない本である。
序章  なぜ、世界史対談か-高山正之
「日本によるアジア破壊についての簡潔な報告」 
1992年にロス支局長で渡米し、米国の新聞各紙を毎朝読むようになって一番驚いたのは、日本の悪口が必ず出てくることだった。
40行ほどの短い社説でも、コリアと出てくれば、カンマして必ず「かつて日本に植民地化されたKorea,once Japan colonized」という説明がつく。
94年の米朝交渉で核開発の凍結が取りざたされて以降、北では繰り返し飢餓が起きていたが、「かつて日本が植民地支配した北朝鮮で、飢餓が起きている」という報道が増えただけだった。
あんまり頭にきたので、米紙論説委員室に電話して、フィリピンに触れたときは必ず「かつて米国が占領し、40万人殺した」と書けよと抗議した。 
もう一つ頭にきたのは、米紙が東南アジアに触れると、これも必ずといっていいほど、「かつて日本が占領して残虐行為をしたSouth East Asia, once Japan occupied and conducted atrocities]と挿入されることだ。
いちいち日本を引き合いに出す。
90年代まではこの書き方が恒常化していた。 
最近では手口が変わり、現地発のニュースとして、「日本の残虐行為」を思い出させるのが年中行事となった。
北京発の南京大虐殺、マニラ発のバターン死の行進とマニラ大虐殺と、シーズンになると毎年必ず現地記者に書かせる。
最近のお気に入りは七三一部隊で、例えばニューヨーク・タイムズは、フォーリン・アフェアーズの編集者、ジョナサン・テパーマンに「日本は朝鮮とシナ北部を残忍に搾取して己の足場を固めた。その象徴がし七三一部隊で、近隣諸国はことあるごとに、この残忍さの記憶が蘇る」と書かせた。
きっかけは、安倍が操縦席に試乗したブルーインパルスの機体番が「731」だったのだ。
ただそれだけのことに無理やりこじつけて空騒ぎしただけだった。オバマが広島を訪問する前にも、念入りにシリーズで日本の残虐行為を報じていた。 
要は、原爆投下や東京大空襲が米国による残虐行為atrocitiesと指弾されないよう、先回りして「日本もこれだけ酷いことをやった」と潰しておく作業を、米国のマスコミは戦後70年経ってもまだ続けているのだ。
一方、歴史認識で日本人を叩きのめして、意気消沈させ、二度と立ち上がれないようにする。
そういう戦後洗脳のお先棒を日本国内で担いでいたのが、左巻きインテリと朝日新聞だった。
彼らの大罪を糺し、正しい歴史観に引き戻す戦いを、1970年代前半から40年以上も、屈することなく続けてきた第一人者が、渡部昇一先生だ。 
渡部先生と私との対談を公刊するのはこれが初となる。
ご逝去の5か月ほど前、世界史の中での日本の正しい評価をテーマに、じっくりお話しする機会を得た。
トランプ時代という歴史の転換点で“日本ファースト”の世界史の見方について論じたのだ。 
先の大戦を侵略戦争と断ずる自虐を、渡部先生は「東京裁判史観」と名付けて、誰よりも早く警鐘を鵈らした。
その危機感が正しかったことは、江沢民が「日本に対しては歴史問題を繰り返せ」と訓示したことで証明された。
南京で30万人が殺されたと東京裁判で言ったベイツのホラ話を朝日と本多勝一が生き返らせ、さらに吉田清治の虚言を真実のように取り上げた結果、中国と韓国が外交戦略に利用するようになった。 
慰安婦や徴用工で中韓が共同戦線をとる悪影響は、国内での自虐論争とは次元が異なる。
渡部先生が第三章で若狭和朋を引用したように、スペインが歴史戦で敗者となった教訓は大きい。
かつて英国もフランスもオランダもポルトガルも、スペインと同様、巨大な植民地帝国を築いた。
中米、南米、カリブ海諸国、太平洋、アフリカに至る広大な植民地を有したスペインが歴史戦に敗れたのは、たった一冊の、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫)という薄いパンフレットによってである。 
1542年、インディオを奴隷として自分の農園で酷使していた聖職者のはしくれラス・カサスは、自らの罪滅ぼしの意味もあり、いかに他のスペイン人入植者が残虐か、フィクションも交えた報告書を国王に上奏した。
これが1552年に印刷され、欧米各国に広まることで、スペインは袋叩きにされた。
喜んだのは他の植民地帝国だ。
悪いのはすべてスペイン人となって、植民地がどんどん減っていく。米国は、スペインの勢力衰退につけ込んで、中南米やカリブ海地域を自分の「裏庭」に囲い込んだ。 
これで分かるように、米英が世界支配に乗り出せたのはラス・カサスの本を巧みに使い回して、スペインの国家意識とプライドをズタズタに粉砕した結果だった。 
第二次大戦の前、アメリカ嫌いのフランコ将軍はヒトラーに、ドイツの核計画について助言をしようとしたが、ヒトラーは「スペイン人が何を言うか」と、まったく相手にしなかった。
かつての帝国の面影すらなく、他国から相手にされない。
国としての発言権を失ったスペイン人は内向きで無気力になり、国内の犯罪率も高く、1ブロック歩くごとに2回スリに遭うと言われるほどすさんだ国になった。
国の威信を失う怖さである。 
いずれ米中韓の悪だくみで、「日本によるアジア破壊についての簡潔な報告」が書かれるはずだ。
そのように世界史を見れば、朝日の犯した罪は日本人が想像しているよりもずっと大きいことがわかる。
それにいち早く気づいて、日本のためになる日本史を編んできた渡部先生は、不朽の仕事をされたと思う。
この稿続く。 


彼らの大罪を糺し、正しい歴史観に引き戻す戦いを、1970年代前半から40年以上も、屈することなく続けてきた第一人者が、渡部昇一先生だ。

2019年05月18日 16時34分34秒 | 日記

以下の本は日本国民全員のみならず世界中の人たちが読まなければならない本である。
序章  なぜ、世界史対談か-高山正之
「日本によるアジア破壊についての簡潔な報告」 
1992年にロス支局長で渡米し、米国の新聞各紙を毎朝読むようになって一番驚いたのは、日本の悪口が必ず出てくることだった。
40行ほどの短い社説でも、コリアと出てくれば、カンマして必ず「かつて日本に植民地化されたKorea,once Japan colonized」という説明がつく。
94年の米朝交渉で核開発の凍結が取りざたされて以降、北では繰り返し飢餓が起きていたが、「かつて日本が植民地支配した北朝鮮で、飢餓が起きている」という報道が増えただけだった。
あんまり頭にきたので、米紙論説委員室に電話して、フィリピンに触れたときは必ず「かつて米国が占領し、40万人殺した」と書けよと抗議した。 
もう一つ頭にきたのは、米紙が東南アジアに触れると、これも必ずといっていいほど、「かつて日本が占領して残虐行為をしたSouth East Asia, once Japan occupied and conducted atrocities]と挿入されることだ。
いちいち日本を引き合いに出す。
90年代まではこの書き方が恒常化していた。 
最近では手口が変わり、現地発のニュースとして、「日本の残虐行為」を思い出させるのが年中行事となった。
北京発の南京大虐殺、マニラ発のバターン死の行進とマニラ大虐殺と、シーズンになると毎年必ず現地記者に書かせる。
最近のお気に入りは七三一部隊で、例えばニューヨーク・タイムズは、フォーリン・アフェアーズの編集者、ジョナサン・テパーマンに「日本は朝鮮とシナ北部を残忍に搾取して己の足場を固めた。その象徴がし七三一部隊で、近隣諸国はことあるごとに、この残忍さの記憶が蘇る」と書かせた。
きっかけは、安倍が操縦席に試乗したブルーインパルスの機体番が「731」だったのだ。
ただそれだけのことに無理やりこじつけて空騒ぎしただけだった。オバマが広島を訪問する前にも、念入りにシリーズで日本の残虐行為を報じていた。 
要は、原爆投下や東京大空襲が米国による残虐行為atrocitiesと指弾されないよう、先回りして「日本もこれだけ酷いことをやった」と潰しておく作業を、米国のマスコミは戦後70年経ってもまだ続けているのだ。
一方、歴史認識で日本人を叩きのめして、意気消沈させ、二度と立ち上がれないようにする。
そういう戦後洗脳のお先棒を日本国内で担いでいたのが、左巻きインテリと朝日新聞だった。
彼らの大罪を糺し、正しい歴史観に引き戻す戦いを、1970年代前半から40年以上も、屈することなく続けてきた第一人者が、渡部昇一先生だ。 
渡部先生と私との対談を公刊するのはこれが初となる。
ご逝去の5か月ほど前、世界史の中での日本の正しい評価をテーマに、じっくりお話しする機会を得た。
トランプ時代という歴史の転換点で“日本ファースト”の世界史の見方について論じたのだ。 
先の大戦を侵略戦争と断ずる自虐を、渡部先生は「東京裁判史観」と名付けて、誰よりも早く警鐘を鵈らした。
その危機感が正しかったことは、江沢民が「日本に対しては歴史問題を繰り返せ」と訓示したことで証明された。
南京で30万人が殺されたと東京裁判で言ったベイツのホラ話を朝日と本多勝一が生き返らせ、さらに吉田清治の虚言を真実のように取り上げた結果、中国と韓国が外交戦略に利用するようになった。 
慰安婦や徴用工で中韓が共同戦線をとる悪影響は、国内での自虐論争とは次元が異なる。
渡部先生が第三章で若狭和朋を引用したように、スペインが歴史戦で敗者となった教訓は大きい。
かつて英国もフランスもオランダもポルトガルも、スペインと同様、巨大な植民地帝国を築いた。
中米、南米、カリブ海諸国、太平洋、アフリカに至る広大な植民地を有したスペインが歴史戦に敗れたのは、たった一冊の、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫)という薄いパンフレットによってである。 
1542年、インディオを奴隷として自分の農園で酷使していた聖職者のはしくれラス・カサスは、自らの罪滅ぼしの意味もあり、いかに他のスペイン人入植者が残虐か、フィクションも交えた報告書を国王に上奏した。
これが1552年に印刷され、欧米各国に広まることで、スペインは袋叩きにされた。
喜んだのは他の植民地帝国だ。
悪いのはすべてスペイン人となって、植民地がどんどん減っていく。米国は、スペインの勢力衰退につけ込んで、中南米やカリブ海地域を自分の「裏庭」に囲い込んだ。 
これで分かるように、米英が世界支配に乗り出せたのはラス・カサスの本を巧みに使い回して、スペインの国家意識とプライドをズタズタに粉砕した結果だった。 
第二次大戦の前、アメリカ嫌いのフランコ将軍はヒトラーに、ドイツの核計画について助言をしようとしたが、ヒトラーは「スペイン人が何を言うか」と、まったく相手にしなかった。
かつての帝国の面影すらなく、他国から相手にされない。
国としての発言権を失ったスペイン人は内向きで無気力になり、国内の犯罪率も高く、1ブロック歩くごとに2回スリに遭うと言われるほどすさんだ国になった。
国の威信を失う怖さである。 
いずれ米中韓の悪だくみで、「日本によるアジア破壊についての簡潔な報告」が書かれるはずだ。
そのように世界史を見れば、朝日の犯した罪は日本人が想像しているよりもずっと大きいことがわかる。
それにいち早く気づいて、日本のためになる日本史を編んできた渡部先生は、不朽の仕事をされたと思う。
この稿続く。 


一方、歴史認識で日本人を叩きのめして、意気消沈させ、二度と立ち上がれないようにする。そういう戦後洗脳のお先棒を日本国内で担いでいたのが、左巻きインテリと朝日新聞だった

2019年05月18日 16時33分26秒 | 日記

以下の本は日本国民全員のみならず世界中の人たちが読まなければならない本である。
序章  なぜ、世界史対談か-高山正之
「日本によるアジア破壊についての簡潔な報告」 
1992年にロス支局長で渡米し、米国の新聞各紙を毎朝読むようになって一番驚いたのは、日本の悪口が必ず出てくることだった。
40行ほどの短い社説でも、コリアと出てくれば、カンマして必ず「かつて日本に植民地化されたKorea,once Japan colonized」という説明がつく。
94年の米朝交渉で核開発の凍結が取りざたされて以降、北では繰り返し飢餓が起きていたが、「かつて日本が植民地支配した北朝鮮で、飢餓が起きている」という報道が増えただけだった。
あんまり頭にきたので、米紙論説委員室に電話して、フィリピンに触れたときは必ず「かつて米国が占領し、40万人殺した」と書けよと抗議した。 
もう一つ頭にきたのは、米紙が東南アジアに触れると、これも必ずといっていいほど、「かつて日本が占領して残虐行為をしたSouth East Asia, once Japan occupied and conducted atrocities]と挿入されることだ。
いちいち日本を引き合いに出す。
90年代まではこの書き方が恒常化していた。 
最近では手口が変わり、現地発のニュースとして、「日本の残虐行為」を思い出させるのが年中行事となった。
北京発の南京大虐殺、マニラ発のバターン死の行進とマニラ大虐殺と、シーズンになると毎年必ず現地記者に書かせる。
最近のお気に入りは七三一部隊で、例えばニューヨーク・タイムズは、フォーリン・アフェアーズの編集者、ジョナサン・テパーマンに「日本は朝鮮とシナ北部を残忍に搾取して己の足場を固めた。その象徴がし七三一部隊で、近隣諸国はことあるごとに、この残忍さの記憶が蘇る」と書かせた。
きっかけは、安倍が操縦席に試乗したブルーインパルスの機体番が「731」だったのだ。
ただそれだけのことに無理やりこじつけて空騒ぎしただけだった。オバマが広島を訪問する前にも、念入りにシリーズで日本の残虐行為を報じていた。 
要は、原爆投下や東京大空襲が米国による残虐行為atrocitiesと指弾されないよう、先回りして「日本もこれだけ酷いことをやった」と潰しておく作業を、米国のマスコミは戦後70年経ってもまだ続けているのだ。
一方、歴史認識で日本人を叩きのめして、意気消沈させ、二度と立ち上がれないようにする。
そういう戦後洗脳のお先棒を日本国内で担いでいたのが、左巻きインテリと朝日新聞だった。
彼らの大罪を糺し、正しい歴史観に引き戻す戦いを、1970年代前半から40年以上も、屈することなく続けてきた第一人者が、渡部昇一先生だ。 
渡部先生と私との対談を公刊するのはこれが初となる。
ご逝去の5か月ほど前、世界史の中での日本の正しい評価をテーマに、じっくりお話しする機会を得た。
トランプ時代という歴史の転換点で“日本ファースト”の世界史の見方について論じたのだ。 
先の大戦を侵略戦争と断ずる自虐を、渡部先生は「東京裁判史観」と名付けて、誰よりも早く警鐘を鵈らした。
その危機感が正しかったことは、江沢民が「日本に対しては歴史問題を繰り返せ」と訓示したことで証明された。
南京で30万人が殺されたと東京裁判で言ったベイツのホラ話を朝日と本多勝一が生き返らせ、さらに吉田清治の虚言を真実のように取り上げた結果、中国と韓国が外交戦略に利用するようになった。 
慰安婦や徴用工で中韓が共同戦線をとる悪影響は、国内での自虐論争とは次元が異なる。
渡部先生が第三章で若狭和朋を引用したように、スペインが歴史戦で敗者となった教訓は大きい。
かつて英国もフランスもオランダもポルトガルも、スペインと同様、巨大な植民地帝国を築いた。
中米、南米、カリブ海諸国、太平洋、アフリカに至る広大な植民地を有したスペインが歴史戦に敗れたのは、たった一冊の、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫)という薄いパンフレットによってである。 
1542年、インディオを奴隷として自分の農園で酷使していた聖職者のはしくれラス・カサスは、自らの罪滅ぼしの意味もあり、いかに他のスペイン人入植者が残虐か、フィクションも交えた報告書を国王に上奏した。
これが1552年に印刷され、欧米各国に広まることで、スペインは袋叩きにされた。
喜んだのは他の植民地帝国だ。
悪いのはすべてスペイン人となって、植民地がどんどん減っていく。米国は、スペインの勢力衰退につけ込んで、中南米やカリブ海地域を自分の「裏庭」に囲い込んだ。 
これで分かるように、米英が世界支配に乗り出せたのはラス・カサスの本を巧みに使い回して、スペインの国家意識とプライドをズタズタに粉砕した結果だった。 
第二次大戦の前、アメリカ嫌いのフランコ将軍はヒトラーに、ドイツの核計画について助言をしようとしたが、ヒトラーは「スペイン人が何を言うか」と、まったく相手にしなかった。
かつての帝国の面影すらなく、他国から相手にされない。
国としての発言権を失ったスペイン人は内向きで無気力になり、国内の犯罪率も高く、1ブロック歩くごとに2回スリに遭うと言われるほどすさんだ国になった。
国の威信を失う怖さである。 
いずれ米中韓の悪だくみで、「日本によるアジア破壊についての簡潔な報告」が書かれるはずだ。
そのように世界史を見れば、朝日の犯した罪は日本人が想像しているよりもずっと大きいことがわかる。
それにいち早く気づいて、日本のためになる日本史を編んできた渡部先生は、不朽の仕事をされたと思う。
この稿続く。