以下は昨日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
この論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
法王と献金
ローマ皇帝コンスタンチヌスはネロ以来ずっと邪教扱いしてきた基督教の布教を初めて許した。
当時のローマ帝国ではギリシャ神話の神々の他、中東のミトラ神、エジプトのイシス神、ユダヤ人が目の敵にしたバアル神などが自由に信仰されていた。
それに基督教も晴れて付け加えられたわけだ。
しかし信徒はそれで満足しなかった。
彼らは皇帝テオドシウスを焚き付けて基督教を国教にし、他の宗教をみな禁教とさせた。
信徒はギリシャの神々を祀る聖地デルフォイを徹底的に破壊し、バアル神殿も旧約聖書でギデオンがやったようにぶち壊した。
信徒が声高に「難病を治し、死人を甦らせたイエスの奇跡」を語り出すと、アレクサンドリアの美貌の哲学者ヒュパティアが「迷信を真実と教えるべきではない」と批判した。
信徒は怒り、彼女を襲って牡蠣の殼で体中の肉を削ぎ取って惨殺した。
基督教は他の宗教を許さない偏狭さと残忍さを特徴とした。
教会が街の中心に建てられ、人々は毎週ミサに参列し、赤ん坊が生まれれば洗礼の儀式をそこで執り行った。
そのたびに高額の献金を教会は要求した。
カトリックはとくに罪を強調し、高値で免罪符を売り出して儲けた。
異端審問や魔女狩りも熱心に行った。
金持ちのユダヤ人が狙われ、親指を潰し、焼けた鉄の靴を履かせる審問で、魔女であることを自白させると火炙りにしてその財産を没収した。
教会の総本山バチカンはアーミッシュを嫌った。
彼らは聖書に生き、教会に行かなかった。
教会に来なければ献金も洗礼代も取れなかった。
だから彼らを見つけるとすぐ殺した。
無教会主義を唱えた内村鎰三も時代が違えば殺される運命にあった。
16世紀の日本にも狭量で残忍な基督教を伝道するイエズス会がきた。
織田信長は「七宗が八宗になっただけ」とコンスタンチヌスのように認めてやったが、彼らはすぐ本性を現した。
高槻城に入った切支丹大名、高山右近は城下の神社仏閣をぶち壊して坊主たちを殺した。
その狭量を秀吉がたしなめ、それでも改めないので家光が禁教にした。
おかげで日本だけが不毛で残忍な宗教戦争の埒外にいられた。
欧米がそれに気づくのは今世紀に入ってからだ。
ボストン・グローブ紙が130人の少年を犯した神父を告発し、それをきっかけに英仏独などで神父の性虐待がぞろぞろ明るみに出た。
基督教は狭量で残忍なだけでなく淫乱だった。
教会離れが急速に広がった。
結果、教会への献金が減りバチカンの財政も傾いた。
法王が訪日したのは献金に繋がる新しい信徒の獲得にあった。
特に日本の信徒数は人口比でたった0.03%でしかない。
実はマッカーサーも日本の基督教化を図り1500人の伝道師を呼んだほどだ。
しかしサレジオ会の神父が痴情の果てに日本女性を殺害。バチカンが彼を国外に逃がしたこともあって信徒は減っていった。
そんな過去がある。
法王はもっと慎重に事を運ぶべきだったが、来日前に大きな失敗をやった。
隠れ切支丹への対応だ。
明治維新を前に隠れ切支丹が大浦天主堂に現れた。
いわゆる「信徒発見」だ。
ただ、隠れ信徒は教会に帰る派と、ひっそり信仰を続ける派に分かれていた。
法王は献金に繋がる教会派を「潜伏切支丹」と呼んで愛で、世界文化遺産にもなったが、そうでない「隠れ」は切り捨てられた。
日本カトリック司教団の入れ知恵らしいが、この差別でバチカンのさもしさも透けて見えてしまった。
法王は長崎、広島を訪れて核兵器廃絶を訴えたのはよかったが、なぜか東電福島の避難民にも会って原発反対を語った。
9条の会や支那韓国とも通じる司教団。
恐らくは献金を山と積んで法王を政治利用したのだろう。
そんな謀りをやるから基督教は嫌われる。
法王も後味が悪かっただろう。
以下は昨日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
この論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
法王と献金
ローマ皇帝コンスタンチヌスはネロ以来ずっと邪教扱いしてきた基督教の布教を初めて許した。
当時のローマ帝国ではギリシャ神話の神々の他、中東のミトラ神、エジプトのイシス神、ユダヤ人が目の敵にしたバアル神などが自由に信仰されていた。
それに基督教も晴れて付け加えられたわけだ。
しかし信徒はそれで満足しなかった。
彼らは皇帝テオドシウスを焚き付けて基督教を国教にし、他の宗教をみな禁教とさせた。
信徒はギリシャの神々を祀る聖地デルフォイを徹底的に破壊し、バアル神殿も旧約聖書でギデオンがやったようにぶち壊した。
信徒が声高に「難病を治し、死人を甦らせたイエスの奇跡」を語り出すと、アレクサンドリアの美貌の哲学者ヒュパティアが「迷信を真実と教えるべきではない」と批判した。
信徒は怒り、彼女を襲って牡蠣の殼で体中の肉を削ぎ取って惨殺した。
基督教は他の宗教を許さない偏狭さと残忍さを特徴とした。
教会が街の中心に建てられ、人々は毎週ミサに参列し、赤ん坊が生まれれば洗礼の儀式をそこで執り行った。
そのたびに高額の献金を教会は要求した。
カトリックはとくに罪を強調し、高値で免罪符を売り出して儲けた。
異端審問や魔女狩りも熱心に行った。
金持ちのユダヤ人が狙われ、親指を潰し、焼けた鉄の靴を履かせる審問で、魔女であることを自白させると火炙りにしてその財産を没収した。
教会の総本山バチカンはアーミッシュを嫌った。
彼らは聖書に生き、教会に行かなかった。
教会に来なければ献金も洗礼代も取れなかった。
だから彼らを見つけるとすぐ殺した。
無教会主義を唱えた内村鎰三も時代が違えば殺される運命にあった。
16世紀の日本にも狭量で残忍な基督教を伝道するイエズス会がきた。
織田信長は「七宗が八宗になっただけ」とコンスタンチヌスのように認めてやったが、彼らはすぐ本性を現した。
高槻城に入った切支丹大名、高山右近は城下の神社仏閣をぶち壊して坊主たちを殺した。
その狭量を秀吉がたしなめ、それでも改めないので家光が禁教にした。
おかげで日本だけが不毛で残忍な宗教戦争の埒外にいられた。
欧米がそれに気づくのは今世紀に入ってからだ。
ボストン・グローブ紙が130人の少年を犯した神父を告発し、それをきっかけに英仏独などで神父の性虐待がぞろぞろ明るみに出た。
基督教は狭量で残忍なだけでなく淫乱だった。
教会離れが急速に広がった。
結果、教会への献金が減りバチカンの財政も傾いた。
法王が訪日したのは献金に繋がる新しい信徒の獲得にあった。
特に日本の信徒数は人口比でたった0.03%でしかない。
実はマッカーサーも日本の基督教化を図り1500人の伝道師を呼んだほどだ。
しかしサレジオ会の神父が痴情の果てに日本女性を殺害。バチカンが彼を国外に逃がしたこともあって信徒は減っていった。
そんな過去がある。
法王はもっと慎重に事を運ぶべきだったが、来日前に大きな失敗をやった。
隠れ切支丹への対応だ。
明治維新を前に隠れ切支丹が大浦天主堂に現れた。
いわゆる「信徒発見」だ。
ただ、隠れ信徒は教会に帰る派と、ひっそり信仰を続ける派に分かれていた。
法王は献金に繋がる教会派を「潜伏切支丹」と呼んで愛で、世界文化遺産にもなったが、そうでない「隠れ」は切り捨てられた。
日本カトリック司教団の入れ知恵らしいが、この差別でバチカンのさもしさも透けて見えてしまった。
法王は長崎、広島を訪れて核兵器廃絶を訴えたのはよかったが、なぜか東電福島の避難民にも会って原発反対を語った。
9条の会や支那韓国とも通じる司教団。
恐らくは献金を山と積んで法王を政治利用したのだろう。
そんな謀りをやるから基督教は嫌われる。
法王も後味が悪かっただろう。
以下は昨日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
この論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
法王と献金
ローマ皇帝コンスタンチヌスはネロ以来ずっと邪教扱いしてきた基督教の布教を初めて許した。
当時のローマ帝国ではギリシャ神話の神々の他、中東のミトラ神、エジプトのイシス神、ユダヤ人が目の敵にしたバアル神などが自由に信仰されていた。
それに基督教も晴れて付け加えられたわけだ。
しかし信徒はそれで満足しなかった。
彼らは皇帝テオドシウスを焚き付けて基督教を国教にし、他の宗教をみな禁教とさせた。
信徒はギリシャの神々を祀る聖地デルフォイを徹底的に破壊し、バアル神殿も旧約聖書でギデオンがやったようにぶち壊した。
信徒が声高に「難病を治し、死人を甦らせたイエスの奇跡」を語り出すと、アレクサンドリアの美貌の哲学者ヒュパティアが「迷信を真実と教えるべきではない」と批判した。
信徒は怒り、彼女を襲って牡蠣の殼で体中の肉を削ぎ取って惨殺した。
基督教は他の宗教を許さない偏狭さと残忍さを特徴とした。
教会が街の中心に建てられ、人々は毎週ミサに参列し、赤ん坊が生まれれば洗礼の儀式をそこで執り行った。
そのたびに高額の献金を教会は要求した。
カトリックはとくに罪を強調し、高値で免罪符を売り出して儲けた。
異端審問や魔女狩りも熱心に行った。
金持ちのユダヤ人が狙われ、親指を潰し、焼けた鉄の靴を履かせる審問で、魔女であることを自白させると火炙りにしてその財産を没収した。
教会の総本山バチカンはアーミッシュを嫌った。
彼らは聖書に生き、教会に行かなかった。
教会に来なければ献金も洗礼代も取れなかった。
だから彼らを見つけるとすぐ殺した。
無教会主義を唱えた内村鎰三も時代が違えば殺される運命にあった。
16世紀の日本にも狭量で残忍な基督教を伝道するイエズス会がきた。
織田信長は「七宗が八宗になっただけ」とコンスタンチヌスのように認めてやったが、彼らはすぐ本性を現した。
高槻城に入った切支丹大名、高山右近は城下の神社仏閣をぶち壊して坊主たちを殺した。
その狭量を秀吉がたしなめ、それでも改めないので家光が禁教にした。
おかげで日本だけが不毛で残忍な宗教戦争の埒外にいられた。
欧米がそれに気づくのは今世紀に入ってからだ。
ボストン・グローブ紙が130人の少年を犯した神父を告発し、それをきっかけに英仏独などで神父の性虐待がぞろぞろ明るみに出た。
基督教は狭量で残忍なだけでなく淫乱だった。
教会離れが急速に広がった。
結果、教会への献金が減りバチカンの財政も傾いた。
法王が訪日したのは献金に繋がる新しい信徒の獲得にあった。
特に日本の信徒数は人口比でたった0.03%でしかない。
実はマッカーサーも日本の基督教化を図り1500人の伝道師を呼んだほどだ。
しかしサレジオ会の神父が痴情の果てに日本女性を殺害。バチカンが彼を国外に逃がしたこともあって信徒は減っていった。
そんな過去がある。
法王はもっと慎重に事を運ぶべきだったが、来日前に大きな失敗をやった。
隠れ切支丹への対応だ。
明治維新を前に隠れ切支丹が大浦天主堂に現れた。
いわゆる「信徒発見」だ。
ただ、隠れ信徒は教会に帰る派と、ひっそり信仰を続ける派に分かれていた。
法王は献金に繋がる教会派を「潜伏切支丹」と呼んで愛で、世界文化遺産にもなったが、そうでない「隠れ」は切り捨てられた。
日本カトリック司教団の入れ知恵らしいが、この差別でバチカンのさもしさも透けて見えてしまった。
法王は長崎、広島を訪れて核兵器廃絶を訴えたのはよかったが、なぜか東電福島の避難民にも会って原発反対を語った。
9条の会や支那韓国とも通じる司教団。
恐らくは献金を山と積んで法王を政治利用したのだろう。
そんな謀りをやるから基督教は嫌われる。
法王も後味が悪かっただろう。
以下は昨日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
この論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
法王と献金
ローマ皇帝コンスタンチヌスはネロ以来ずっと邪教扱いしてきた基督教の布教を初めて許した。
当時のローマ帝国ではギリシャ神話の神々の他、中東のミトラ神、エジプトのイシス神、ユダヤ人が目の敵にしたバアル神などが自由に信仰されていた。
それに基督教も晴れて付け加えられたわけだ。
しかし信徒はそれで満足しなかった。
彼らは皇帝テオドシウスを焚き付けて基督教を国教にし、他の宗教をみな禁教とさせた。
信徒はギリシャの神々を祀る聖地デルフォイを徹底的に破壊し、バアル神殿も旧約聖書でギデオンがやったようにぶち壊した。
信徒が声高に「難病を治し、死人を甦らせたイエスの奇跡」を語り出すと、アレクサンドリアの美貌の哲学者ヒュパティアが「迷信を真実と教えるべきではない」と批判した。
信徒は怒り、彼女を襲って牡蠣の殼で体中の肉を削ぎ取って惨殺した。
基督教は他の宗教を許さない偏狭さと残忍さを特徴とした。
教会が街の中心に建てられ、人々は毎週ミサに参列し、赤ん坊が生まれれば洗礼の儀式をそこで執り行った。
そのたびに高額の献金を教会は要求した。
カトリックはとくに罪を強調し、高値で免罪符を売り出して儲けた。
異端審問や魔女狩りも熱心に行った。
金持ちのユダヤ人が狙われ、親指を潰し、焼けた鉄の靴を履かせる審問で、魔女であることを自白させると火炙りにしてその財産を没収した。
教会の総本山バチカンはアーミッシュを嫌った。
彼らは聖書に生き、教会に行かなかった。
教会に来なければ献金も洗礼代も取れなかった。
だから彼らを見つけるとすぐ殺した。
無教会主義を唱えた内村鎰三も時代が違えば殺される運命にあった。
16世紀の日本にも狭量で残忍な基督教を伝道するイエズス会がきた。
織田信長は「七宗が八宗になっただけ」とコンスタンチヌスのように認めてやったが、彼らはすぐ本性を現した。
高槻城に入った切支丹大名、高山右近は城下の神社仏閣をぶち壊して坊主たちを殺した。
その狭量を秀吉がたしなめ、それでも改めないので家光が禁教にした。
おかげで日本だけが不毛で残忍な宗教戦争の埒外にいられた。
欧米がそれに気づくのは今世紀に入ってからだ。
ボストン・グローブ紙が130人の少年を犯した神父を告発し、それをきっかけに英仏独などで神父の性虐待がぞろぞろ明るみに出た。
基督教は狭量で残忍なだけでなく淫乱だった。
教会離れが急速に広がった。
結果、教会への献金が減りバチカンの財政も傾いた。
法王が訪日したのは献金に繋がる新しい信徒の獲得にあった。
特に日本の信徒数は人口比でたった0.03%でしかない。
実はマッカーサーも日本の基督教化を図り1500人の伝道師を呼んだほどだ。
しかしサレジオ会の神父が痴情の果てに日本女性を殺害。バチカンが彼を国外に逃がしたこともあって信徒は減っていった。
そんな過去がある。
法王はもっと慎重に事を運ぶべきだったが、来日前に大きな失敗をやった。
隠れ切支丹への対応だ。
明治維新を前に隠れ切支丹が大浦天主堂に現れた。
いわゆる「信徒発見」だ。
ただ、隠れ信徒は教会に帰る派と、ひっそり信仰を続ける派に分かれていた。
法王は献金に繋がる教会派を「潜伏切支丹」と呼んで愛で、世界文化遺産にもなったが、そうでない「隠れ」は切り捨てられた。
日本カトリック司教団の入れ知恵らしいが、この差別でバチカンのさもしさも透けて見えてしまった。
法王は長崎、広島を訪れて核兵器廃絶を訴えたのはよかったが、なぜか東電福島の避難民にも会って原発反対を語った。
9条の会や支那韓国とも通じる司教団。
恐らくは献金を山と積んで法王を政治利用したのだろう。
そんな謀りをやるから基督教は嫌われる。
法王も後味が悪かっただろう。
以下は月刊誌Hanada今月号に、朝日と中日への公開質問状、と題して掲載された、河村たかし名古屋市長の論文からである。
ピントのぼけた社説
十月二十四日、私はツイッターで中日新聞と朝日新聞へ送付した「抗議申入れ」(中日)、「見解書」(朝日)を公開しました。
抗議したのは「表現の不自由展・その後」をめぐる問題で、私を名指しで攻撃した記事についてで、九月十二日付で送付していたにもかかわらず、現時点(十一月十五日)で二社から何の返答もないため、公開に踏み切りました。
抗議した当該記事を紹介しましょう。
一つは中日の社説「社会の自由への脅迫だ」(八月七日)で、私をこう批判しています。
〈河村たかし名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる」として少女像などの撤去を要請。菅義偉官房長官も、国の補助金交付について慎重に検討する考えを示した。これは、日本ペンクラブが声明で「憲法が禁じる『検閲』にもつながる」と厳しく批判したように、明らかな政治による圧力だ〉
ピントがずれていると言わざるを得ません。
私はなにも、展示物がけしからんから撤去しろと言っているわけではないのです。
これは、本誌十二月号の門田隆将氏との対談でも言ったことですが、名古屋市主催の公共事業だからまずいと言っているだけで、作家に「日本人を侮辱するような作品はつくるな」などとは一度も言っていません。
私は一応、名古屋市民の信託を得て市長をしています。
市長の仕事は、市民の皆さんから預かった税金を適切に使うこと。
そのために、税金を投入する際には最低限、公共性をチェックする必要があります。
あいちトリエンナーレは名古屋市の主催。
昭和天皇の肖像をバーナーで燃やし、足で踏みつける映像や少女像などの展示がある催しに税金を投入するのは、どう考えてもまずい。
だから、私はそれらの展示物については撤去すべきだと言ったわけで、もしこれを「検閲」というのならば、公共性をチェックする県や市の議員、職員、みな検閲官ということになってしまう。
中日は県議会、市議会などを「検閲だ」といって否定するのでしょうか。
高橋純子の薄っぺらい文章
私からいわせれば、「検閲」しているのは中日をはじめとするマスコミのほうです。
私は、抗議書を公開してから、記者会見で立て続けに中日、朝日の報道に抗議したことを話しているのですが、マスコミが「検閲」して、どこもそのことを報じてくれません。
朝日の記事は、高橋純子編集委員のコラム「多事奏論」の「表現の自由 『権力なんかないよ(笑)』に震える」(八月二十一日)と題する文章です。
〈無自覚でカジュアルな権力行使は、自覚的なそれよりある意昧おそろしい……はい。同様のことは、名古屋でも。彼はきしめんのように薄い男だったーとはおそらく誰も書いてないが、名古屋市の河村たかし市長は、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で展示されていた少女像の撤去を求め、「日本人の心を踏みにじる」「表現の自由は相手を傷つけないことが絶対(条件)」などと語ったという。この認識がいかに浅薄かはさんざん指摘されているので繰り返さないけれど(後略)〉
主直、持って回ったような文章で、何が言いたいのかよくわからないコラムだったのですが、薄っぺらい男と中傷されて黙っているわけにはいきません。
薄っぺらいのは高橋氏の文章のほうでしょう。
コラムのなかでは、私の認識が「いかに浅薄かはさんざん指摘されている」と書いていますが、はたしてそうでしょうか。
私への批判はいろいろ読んでいますが、耳の痛かったものは一つもありません。
しかも高橋氏は、名古屋名物のきしめんをネガティブなものとして使っている。
きしめんは薄いけれど噛めば昧があり、名古屋市民のみならず、全国で親しまれている郷土料理。
朝日に送付した「見解書」の末尾に、私はこう書きました。
〈なお、「きしめんのように薄い男」という表現は、名古屋の名物であるきしめんを宣伝していただき大変光栄であるが、きしめんは、薄いが幅があり、味も良いので、肯定的な表現として使っていただきたい〉
ありえない意見広告拒否
中日、朝日の報道を見たときは、「はあ、またか」と思いましたが、他の報道に比べ、あまりにひどいので、抗議するに至りました。
朝日に抗議したのは初めてですが、中日とは過去二回、やりあっています。
最初は、二〇一二年、私が「南京事件というのはなかったんじゃないか」と発言して批判されたときです。
「南京事件」否定発言に対するバッシングに疑問を持った有識者らが、中日に、南京事件について自由な議論を呼びかける意見広告を喝秡しようとしました。
中日は1度、許可したのですが、あとから「社論に合わない」と言い始め、掲載を拒否したのです。
裁判で争ったのですが、東京地裁は有識者団体の申し立てを却下。
「あくまで編集権の範囲内」というのが、その理由でした。
もちろん、新聞社には編集権があって然るべきです。
明らかに、悪意のある、ろくでもない広告であれば、拒否するのは当然だと思います。
しかし、南京事件の一件は、「議論をしませんか」という意見広告で、そんなにひどい内容のものではありません。東海地区で最大の発行部数を誇る中日には、広告を載せる責務があるのではないか。
アメリカのジャーナリストの友人に掲載拒否の話をしたら、「それだけ大きな影響力のある媒体なら、普通は載せなくちゃいけない。アメリカではありえないな」と言っていました。
もう一つ、中日とやりあったのは、二〇一八年の名古屋城の天守閣木造復元のときです。
一九四五年の空襲によって天守閣が焼失。
その後、市民の多大な寄附により、一九五九年に鉄骨鉄筋コンクリート造の天守閣を再建しました。
しかし、再建から約六十年が経過し、設備の老朽化や耐震性の確保などへの対応が必要になってきた。
そこで、私は改修に伴い、木造だった本来の大天守を復元しようと決めました。
亊実に反した中日の社説
私が木造にこだわるのには理由がありました。
復元には、木造建築の伝統技術が欠かせません。
大規模な木造建築物の築造が減少し、職人技の消滅が危ぶまれるなか、天守閣の木造復元は伝統技術を次代へ継承す心機会になります。
人類には、先人がつくったものを次世代に伝える義務がある。
名古屋城という四百年前の叡智の賜物を千年後まで残すことは、いまを生きるわれわれの社会的使命でしょう。
しかし、これが中日から大バッシングを受けた。
中日は「名古屋城木造化 シンボルになり得るか」(二〇一八年七月四日)と題する社説で、木造復元をこう批判しました。
〈市民の不戦平和への思いが詰まった現在のコンクリート製天守には、文化庁も言うように「本物」の価値がある。あえて「本物」を壊して造るー。その意味をいま一度、十分かみしめるべきだ〉
中日は「市民の不戦平和への思いが詰まった」と、まるでコンクリート再建が民意だったかのように書いていますが、はたして本当なのか。
私はしつこい性格なので、過去の名古屋城再建に関する報道を調べてみました。
私が生まれた昭和二十三年、中日が名古屋城再建について地元市民ヘアンケートをとっており、その結果を見ると、なんとコンクリート派より木造派のほうが二割も多かった。
これで「市民の思いが詰まっている」とは言えないでしょう。
中日は自社の過去のアンケートを知らなかったのかどうかは定かではありませんが、右の社説は明らかに事実に反しているし、ミスリードです。
ぬるま湯に浸かる新聞社
話を中日と朝日への抗議に戻します。
中日、朝日に問いたいのは、以下の三点です。
①陛下の写真をバーナーで焼いて足で踏みつぶす動画が展示されている事実を執筆前に知っていたのか。
②①の展示内容が展示開始まで隠されていたことを知っていたか。
③このあいちトリエンナーレは、公共施設を使用しているだけではなく、愛知県名古屋市主催のいわば公金(税金)による公共事業であり、民問での展示会ではないことは知っていたか。
もし知っていたのなら、堂々と「昭和天皇の作品は何でもないし、隠して出品したことも、市の主催であることも問題ない」と反論すればいい。
ひどいのは、人を脅迫犯扱いしたり、薄っぺらい男と書いたりしておきながら、抗議書を送っても無視を決め込んでいることです。
九月に送って、現時点で三ヵ月経っていますが、まったく音沙汰がない。
人格攻撃をするだけして、抗議されたら無視というのは無責任極まりない。
このまま返答がない場合、今度は座り込むことはできませんが(笑)、何らかの手立ては講じようと考えています。
ジャーナリズムの基本は、事実を事実として伝えることですが、いまの新聞はまったくそれができていない。
新聞は相互批判もしないし、不買運動にも遭いません。
要は、ぬるま湯に浸かっているのです。
だから私が記者会見やツイッターで、中日、朝日のことをいくら批判しても新聞社は報じない。
読者を甘く見ているとしか思えません。
そんな新聞が軽減税率の対象になっているのですから、許しがたいことです。
社会の自由、表現の自由は、マスコミが事実を伝えて初めて担保されます。
中日、朝日には、「社会の自由への脅迫」をしているのは、いったいどちらなのかを、きちんと自問していただきたい。
以下は月刊誌Hanada今月号に、朝日と中日への公開質問状、と題して掲載された、河村たかし名古屋市長の論文からである。
ピントのぼけた社説
十月二十四日、私はツイッターで中日新聞と朝日新聞へ送付した「抗議申入れ」(中日)、「見解書」(朝日)を公開しました。
抗議したのは「表現の不自由展・その後」をめぐる問題で、私を名指しで攻撃した記事についてで、九月十二日付で送付していたにもかかわらず、現時点(十一月十五日)で二社から何の返答もないため、公開に踏み切りました。
抗議した当該記事を紹介しましょう。
一つは中日の社説「社会の自由への脅迫だ」(八月七日)で、私をこう批判しています。
〈河村たかし名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる」として少女像などの撤去を要請。菅義偉官房長官も、国の補助金交付について慎重に検討する考えを示した。これは、日本ペンクラブが声明で「憲法が禁じる『検閲』にもつながる」と厳しく批判したように、明らかな政治による圧力だ〉
ピントがずれていると言わざるを得ません。
私はなにも、展示物がけしからんから撤去しろと言っているわけではないのです。
これは、本誌十二月号の門田隆将氏との対談でも言ったことですが、名古屋市主催の公共事業だからまずいと言っているだけで、作家に「日本人を侮辱するような作品はつくるな」などとは一度も言っていません。
私は一応、名古屋市民の信託を得て市長をしています。
市長の仕事は、市民の皆さんから預かった税金を適切に使うこと。
そのために、税金を投入する際には最低限、公共性をチェックする必要があります。
あいちトリエンナーレは名古屋市の主催。
昭和天皇の肖像をバーナーで燃やし、足で踏みつける映像や少女像などの展示がある催しに税金を投入するのは、どう考えてもまずい。
だから、私はそれらの展示物については撤去すべきだと言ったわけで、もしこれを「検閲」というのならば、公共性をチェックする県や市の議員、職員、みな検閲官ということになってしまう。
中日は県議会、市議会などを「検閲だ」といって否定するのでしょうか。
高橋純子の薄っぺらい文章
私からいわせれば、「検閲」しているのは中日をはじめとするマスコミのほうです。
私は、抗議書を公開してから、記者会見で立て続けに中日、朝日の報道に抗議したことを話しているのですが、マスコミが「検閲」して、どこもそのことを報じてくれません。
朝日の記事は、高橋純子編集委員のコラム「多事奏論」の「表現の自由 『権力なんかないよ(笑)』に震える」(八月二十一日)と題する文章です。
〈無自覚でカジュアルな権力行使は、自覚的なそれよりある意昧おそろしい……はい。同様のことは、名古屋でも。彼はきしめんのように薄い男だったーとはおそらく誰も書いてないが、名古屋市の河村たかし市長は、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で展示されていた少女像の撤去を求め、「日本人の心を踏みにじる」「表現の自由は相手を傷つけないことが絶対(条件)」などと語ったという。この認識がいかに浅薄かはさんざん指摘されているので繰り返さないけれど(後略)〉
主直、持って回ったような文章で、何が言いたいのかよくわからないコラムだったのですが、薄っぺらい男と中傷されて黙っているわけにはいきません。
薄っぺらいのは高橋氏の文章のほうでしょう。
コラムのなかでは、私の認識が「いかに浅薄かはさんざん指摘されている」と書いていますが、はたしてそうでしょうか。
私への批判はいろいろ読んでいますが、耳の痛かったものは一つもありません。
しかも高橋氏は、名古屋名物のきしめんをネガティブなものとして使っている。
きしめんは薄いけれど噛めば昧があり、名古屋市民のみならず、全国で親しまれている郷土料理。
朝日に送付した「見解書」の末尾に、私はこう書きました。
〈なお、「きしめんのように薄い男」という表現は、名古屋の名物であるきしめんを宣伝していただき大変光栄であるが、きしめんは、薄いが幅があり、味も良いので、肯定的な表現として使っていただきたい〉
ありえない意見広告拒否
中日、朝日の報道を見たときは、「はあ、またか」と思いましたが、他の報道に比べ、あまりにひどいので、抗議するに至りました。
朝日に抗議したのは初めてですが、中日とは過去二回、やりあっています。
最初は、二〇一二年、私が「南京事件というのはなかったんじゃないか」と発言して批判されたときです。
「南京事件」否定発言に対するバッシングに疑問を持った有識者らが、中日に、南京事件について自由な議論を呼びかける意見広告を喝秡しようとしました。
中日は1度、許可したのですが、あとから「社論に合わない」と言い始め、掲載を拒否したのです。
裁判で争ったのですが、東京地裁は有識者団体の申し立てを却下。
「あくまで編集権の範囲内」というのが、その理由でした。
もちろん、新聞社には編集権があって然るべきです。
明らかに、悪意のある、ろくでもない広告であれば、拒否するのは当然だと思います。
しかし、南京事件の一件は、「議論をしませんか」という意見広告で、そんなにひどい内容のものではありません。東海地区で最大の発行部数を誇る中日には、広告を載せる責務があるのではないか。
アメリカのジャーナリストの友人に掲載拒否の話をしたら、「それだけ大きな影響力のある媒体なら、普通は載せなくちゃいけない。アメリカではありえないな」と言っていました。
もう一つ、中日とやりあったのは、二〇一八年の名古屋城の天守閣木造復元のときです。
一九四五年の空襲によって天守閣が焼失。
その後、市民の多大な寄附により、一九五九年に鉄骨鉄筋コンクリート造の天守閣を再建しました。
しかし、再建から約六十年が経過し、設備の老朽化や耐震性の確保などへの対応が必要になってきた。
そこで、私は改修に伴い、木造だった本来の大天守を復元しようと決めました。
亊実に反した中日の社説
私が木造にこだわるのには理由がありました。
復元には、木造建築の伝統技術が欠かせません。
大規模な木造建築物の築造が減少し、職人技の消滅が危ぶまれるなか、天守閣の木造復元は伝統技術を次代へ継承す心機会になります。
人類には、先人がつくったものを次世代に伝える義務がある。
名古屋城という四百年前の叡智の賜物を千年後まで残すことは、いまを生きるわれわれの社会的使命でしょう。
しかし、これが中日から大バッシングを受けた。
中日は「名古屋城木造化 シンボルになり得るか」(二〇一八年七月四日)と題する社説で、木造復元をこう批判しました。
〈市民の不戦平和への思いが詰まった現在のコンクリート製天守には、文化庁も言うように「本物」の価値がある。あえて「本物」を壊して造るー。その意味をいま一度、十分かみしめるべきだ〉
中日は「市民の不戦平和への思いが詰まった」と、まるでコンクリート再建が民意だったかのように書いていますが、はたして本当なのか。
私はしつこい性格なので、過去の名古屋城再建に関する報道を調べてみました。
私が生まれた昭和二十三年、中日が名古屋城再建について地元市民ヘアンケートをとっており、その結果を見ると、なんとコンクリート派より木造派のほうが二割も多かった。
これで「市民の思いが詰まっている」とは言えないでしょう。
中日は自社の過去のアンケートを知らなかったのかどうかは定かではありませんが、右の社説は明らかに事実に反しているし、ミスリードです。
ぬるま湯に浸かる新聞社
話を中日と朝日への抗議に戻します。
中日、朝日に問いたいのは、以下の三点です。
①陛下の写真をバーナーで焼いて足で踏みつぶす動画が展示されている事実を執筆前に知っていたのか。
②①の展示内容が展示開始まで隠されていたことを知っていたか。
③このあいちトリエンナーレは、公共施設を使用しているだけではなく、愛知県名古屋市主催のいわば公金(税金)による公共事業であり、民問での展示会ではないことは知っていたか。
もし知っていたのなら、堂々と「昭和天皇の作品は何でもないし、隠して出品したことも、市の主催であることも問題ない」と反論すればいい。
ひどいのは、人を脅迫犯扱いしたり、薄っぺらい男と書いたりしておきながら、抗議書を送っても無視を決め込んでいることです。
九月に送って、現時点で三ヵ月経っていますが、まったく音沙汰がない。
人格攻撃をするだけして、抗議されたら無視というのは無責任極まりない。
このまま返答がない場合、今度は座り込むことはできませんが(笑)、何らかの手立ては講じようと考えています。
ジャーナリズムの基本は、事実を事実として伝えることですが、いまの新聞はまったくそれができていない。
新聞は相互批判もしないし、不買運動にも遭いません。
要は、ぬるま湯に浸かっているのです。
だから私が記者会見やツイッターで、中日、朝日のことをいくら批判しても新聞社は報じない。
読者を甘く見ているとしか思えません。
そんな新聞が軽減税率の対象になっているのですから、許しがたいことです。
社会の自由、表現の自由は、マスコミが事実を伝えて初めて担保されます。
中日、朝日には、「社会の自由への脅迫」をしているのは、いったいどちらなのかを、きちんと自問していただきたい。
以下は月刊誌Hanada今月号に、朝日と中日への公開質問状、と題して掲載された、河村たかし名古屋市長の論文からである。
ピントのぼけた社説
十月二十四日、私はツイッターで中日新聞と朝日新聞へ送付した「抗議申入れ」(中日)、「見解書」(朝日)を公開しました。
抗議したのは「表現の不自由展・その後」をめぐる問題で、私を名指しで攻撃した記事についてで、九月十二日付で送付していたにもかかわらず、現時点(十一月十五日)で二社から何の返答もないため、公開に踏み切りました。
抗議した当該記事を紹介しましょう。
一つは中日の社説「社会の自由への脅迫だ」(八月七日)で、私をこう批判しています。
〈河村たかし名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる」として少女像などの撤去を要請。菅義偉官房長官も、国の補助金交付について慎重に検討する考えを示した。これは、日本ペンクラブが声明で「憲法が禁じる『検閲』にもつながる」と厳しく批判したように、明らかな政治による圧力だ〉
ピントがずれていると言わざるを得ません。
私はなにも、展示物がけしからんから撤去しろと言っているわけではないのです。
これは、本誌十二月号の門田隆将氏との対談でも言ったことですが、名古屋市主催の公共事業だからまずいと言っているだけで、作家に「日本人を侮辱するような作品はつくるな」などとは一度も言っていません。
私は一応、名古屋市民の信託を得て市長をしています。
市長の仕事は、市民の皆さんから預かった税金を適切に使うこと。
そのために、税金を投入する際には最低限、公共性をチェックする必要があります。
あいちトリエンナーレは名古屋市の主催。
昭和天皇の肖像をバーナーで燃やし、足で踏みつける映像や少女像などの展示がある催しに税金を投入するのは、どう考えてもまずい。
だから、私はそれらの展示物については撤去すべきだと言ったわけで、もしこれを「検閲」というのならば、公共性をチェックする県や市の議員、職員、みな検閲官ということになってしまう。
中日は県議会、市議会などを「検閲だ」といって否定するのでしょうか。
高橋純子の薄っぺらい文章
私からいわせれば、「検閲」しているのは中日をはじめとするマスコミのほうです。
私は、抗議書を公開してから、記者会見で立て続けに中日、朝日の報道に抗議したことを話しているのですが、マスコミが「検閲」して、どこもそのことを報じてくれません。
朝日の記事は、高橋純子編集委員のコラム「多事奏論」の「表現の自由 『権力なんかないよ(笑)』に震える」(八月二十一日)と題する文章です。
〈無自覚でカジュアルな権力行使は、自覚的なそれよりある意昧おそろしい……はい。同様のことは、名古屋でも。彼はきしめんのように薄い男だったーとはおそらく誰も書いてないが、名古屋市の河村たかし市長は、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で展示されていた少女像の撤去を求め、「日本人の心を踏みにじる」「表現の自由は相手を傷つけないことが絶対(条件)」などと語ったという。この認識がいかに浅薄かはさんざん指摘されているので繰り返さないけれど(後略)〉
主直、持って回ったような文章で、何が言いたいのかよくわからないコラムだったのですが、薄っぺらい男と中傷されて黙っているわけにはいきません。
薄っぺらいのは高橋氏の文章のほうでしょう。
コラムのなかでは、私の認識が「いかに浅薄かはさんざん指摘されている」と書いていますが、はたしてそうでしょうか。
私への批判はいろいろ読んでいますが、耳の痛かったものは一つもありません。
しかも高橋氏は、名古屋名物のきしめんをネガティブなものとして使っている。
きしめんは薄いけれど噛めば昧があり、名古屋市民のみならず、全国で親しまれている郷土料理。
朝日に送付した「見解書」の末尾に、私はこう書きました。
〈なお、「きしめんのように薄い男」という表現は、名古屋の名物であるきしめんを宣伝していただき大変光栄であるが、きしめんは、薄いが幅があり、味も良いので、肯定的な表現として使っていただきたい〉
ありえない意見広告拒否
中日、朝日の報道を見たときは、「はあ、またか」と思いましたが、他の報道に比べ、あまりにひどいので、抗議するに至りました。
朝日に抗議したのは初めてですが、中日とは過去二回、やりあっています。
最初は、二〇一二年、私が「南京事件というのはなかったんじゃないか」と発言して批判されたときです。
「南京事件」否定発言に対するバッシングに疑問を持った有識者らが、中日に、南京事件について自由な議論を呼びかける意見広告を喝秡しようとしました。
中日は1度、許可したのですが、あとから「社論に合わない」と言い始め、掲載を拒否したのです。
裁判で争ったのですが、東京地裁は有識者団体の申し立てを却下。
「あくまで編集権の範囲内」というのが、その理由でした。
もちろん、新聞社には編集権があって然るべきです。
明らかに、悪意のある、ろくでもない広告であれば、拒否するのは当然だと思います。
しかし、南京事件の一件は、「議論をしませんか」という意見広告で、そんなにひどい内容のものではありません。東海地区で最大の発行部数を誇る中日には、広告を載せる責務があるのではないか。
アメリカのジャーナリストの友人に掲載拒否の話をしたら、「それだけ大きな影響力のある媒体なら、普通は載せなくちゃいけない。アメリカではありえないな」と言っていました。
もう一つ、中日とやりあったのは、二〇一八年の名古屋城の天守閣木造復元のときです。
一九四五年の空襲によって天守閣が焼失。
その後、市民の多大な寄附により、一九五九年に鉄骨鉄筋コンクリート造の天守閣を再建しました。
しかし、再建から約六十年が経過し、設備の老朽化や耐震性の確保などへの対応が必要になってきた。
そこで、私は改修に伴い、木造だった本来の大天守を復元しようと決めました。
亊実に反した中日の社説
私が木造にこだわるのには理由がありました。
復元には、木造建築の伝統技術が欠かせません。
大規模な木造建築物の築造が減少し、職人技の消滅が危ぶまれるなか、天守閣の木造復元は伝統技術を次代へ継承す心機会になります。
人類には、先人がつくったものを次世代に伝える義務がある。
名古屋城という四百年前の叡智の賜物を千年後まで残すことは、いまを生きるわれわれの社会的使命でしょう。
しかし、これが中日から大バッシングを受けた。
中日は「名古屋城木造化 シンボルになり得るか」(二〇一八年七月四日)と題する社説で、木造復元をこう批判しました。
〈市民の不戦平和への思いが詰まった現在のコンクリート製天守には、文化庁も言うように「本物」の価値がある。あえて「本物」を壊して造るー。その意味をいま一度、十分かみしめるべきだ〉
中日は「市民の不戦平和への思いが詰まった」と、まるでコンクリート再建が民意だったかのように書いていますが、はたして本当なのか。
私はしつこい性格なので、過去の名古屋城再建に関する報道を調べてみました。
私が生まれた昭和二十三年、中日が名古屋城再建について地元市民ヘアンケートをとっており、その結果を見ると、なんとコンクリート派より木造派のほうが二割も多かった。
これで「市民の思いが詰まっている」とは言えないでしょう。
中日は自社の過去のアンケートを知らなかったのかどうかは定かではありませんが、右の社説は明らかに事実に反しているし、ミスリードです。
ぬるま湯に浸かる新聞社
話を中日と朝日への抗議に戻します。
中日、朝日に問いたいのは、以下の三点です。
①陛下の写真をバーナーで焼いて足で踏みつぶす動画が展示されている事実を執筆前に知っていたのか。
②①の展示内容が展示開始まで隠されていたことを知っていたか。
③このあいちトリエンナーレは、公共施設を使用しているだけではなく、愛知県名古屋市主催のいわば公金(税金)による公共事業であり、民問での展示会ではないことは知っていたか。
もし知っていたのなら、堂々と「昭和天皇の作品は何でもないし、隠して出品したことも、市の主催であることも問題ない」と反論すればいい。
ひどいのは、人を脅迫犯扱いしたり、薄っぺらい男と書いたりしておきながら、抗議書を送っても無視を決め込んでいることです。
九月に送って、現時点で三ヵ月経っていますが、まったく音沙汰がない。
人格攻撃をするだけして、抗議されたら無視というのは無責任極まりない。
このまま返答がない場合、今度は座り込むことはできませんが(笑)、何らかの手立ては講じようと考えています。
ジャーナリズムの基本は、事実を事実として伝えることですが、いまの新聞はまったくそれができていない。
新聞は相互批判もしないし、不買運動にも遭いません。
要は、ぬるま湯に浸かっているのです。
だから私が記者会見やツイッターで、中日、朝日のことをいくら批判しても新聞社は報じない。
読者を甘く見ているとしか思えません。
そんな新聞が軽減税率の対象になっているのですから、許しがたいことです。
社会の自由、表現の自由は、マスコミが事実を伝えて初めて担保されます。
中日、朝日には、「社会の自由への脅迫」をしているのは、いったいどちらなのかを、きちんと自問していただきたい。
1
2
It is not only fabrication in part, but also all of the articles were a fabrication
3
4
もともと中国経済の大発展は日本のおかげなのに、それを感謝せず全部中国共産党の功績にするようでは先が見えている。
5
朝日新聞やNHKの東芝に対する極めて冷淡で、まるで東芝がゾンビ企業であるかのごとくに見下した報道を思い出した
6
7
It was typical of the Japanese army's consideration to prevent them from getting involved in the war
8
ところが犯罪者と言うものは何度も何度も犯罪を繰り返すことを、このネット上の犯罪でも示していたにも関わらず
9
辻元清美の両親の国籍は韓国なんでしょうか? 国籍が韓国である噂は多かったので、 帰化の噂の真相を調べてみますと、
10
和田春樹の様に日本に深刻な被害を与える人間を養成するために日本国立東京大学は在るのではないのである。
11
Il était typique de la part de l'armée japonaise de l'empêcher de s'impliquer dans la guerre.
12
中国は2013年の時点で「ショート・シャープ・ウォー」(短期激烈戦争)という名の、尖閣・沖縄などを不法占拠する軍事侵攻計画
13
この小泉が、松沢病院に入院歴があるということについては、小泉家の極秘事項になっている。
14
ワイドショーの関係者は自分達の生計を立てるために、このような事を行っているわけである…自分達の高給の為に日本の国益を損なって恥じない、この世で最も悪質な人間達の一員である
15
La raison en est simple car ils peuvent décider en fonction de leur pays
16
un pays qui n’a pas «la dernière arme la plus puissante» sera détruit ou
17
Diplomarsi all'Università di Tokyo è lavorare come il signor Watanabe.
18
19
La constitución lo hace así. No hay una historia tan extraña.
20
Non è solo una fabbricazione in parte, ma anche tutti gli articoli erano una fabbricazione
21
La costituzione lo rende così. Non esiste una storia così strana.
22
El ascenso y la caída de la nación y la "fuerza armada".
23
それどころか、過去、「身の丈」を同一にするという政策を掲げた国家がどれほど悲惨な状況に陥ったことか、歴史は示したし、今も示している。
24
it is a popular page yesterday on ameba
25
it is a popular page yesterday
26
Alle von ihnen sind nur Länder, die keine Atomwaffen haben.
27
Japan has the right to possess nuclear weapons first.
28
todos ellos son solo países que no tienen armas nucleares.
29
日本は専守防衛などと称している。憲法がそうさせている。これほど珍妙な話はない。
30
Es war typisch für die Überlegung der japanischen
31
世界唯一の被爆国だから核を放棄するのではなく、'唯一の被爆国だからこそ核で守る'必要がある。日本は、真っ先に核兵器を持つ権利があります。
32
そこで私は日本がせめて独自での核保有が難しい場合、「オプションB」としてNATO(北大西洋条約機構)への加盟を強く推奨します
33
Para graduarse de la Universidad de Tokio es trabajar como el Sr. Watanabe.
34
35
Era tipico della considerazione dell'esercito
36
all of them are only countries that have no nuclear weapons.
37
The constitution makes it so. There is no such a strange story.
38
un paese che non ha 'l'ultima arma più potente' verrà distrutto
39
Die Verfassung macht es so. Es gibt keine so seltsame Geschichte.
40
Stimson was the person who disturbed the harmonizing and set the path to the US-Japan War
41
42
日本人は悪者でなくてはならない。朝日新聞の社是だが、それではどうしても辻褄が合わなくなる。それを証明したような記事だ。
43
그들이 나라에 관한 것을 결정할 수 있기 때문에 이유는 간단합니다
44
45
その核を落とした国に守ってもらおうなんて、まるでナイフで二度も自分を刺した犯人に用心棒を頼むようなものですから。
46
Era típico de la consideración del ejército japonés
47
SNSで人気が出て(?)きたら、レポーターとしてテレビに出演するようになり文化人の仲間入り。いつの間にかメディア評論家として活動するようになりました。
48
Причина проста, потому что они могут решать
49
tous ne sont que des pays sans armes nucléaires.
50
The lie of the ramen shop still looks better
習近平が行きづまるのも早いと思った。途方もなく大きなことを言うからで、これはいずれ自滅すると感じ
Era típico da consideração do exército japonês
合計して8億ドルである。この金額は当時のものであるので、貨幣価値を今の時代に換算してみる。
去年と今年だけでも、すでに4兆7千億円という金額が災害復興に使用されている。
その経歴を見込まれ、上智大学非常勤講師などを経て早稲田大学文学学術院教授になる。
「身の丈」(例えば収人状況)が、ほぼにせよ、ほぼ同一となった、あるいは同一の国家の名を挙げてみよ
これが、立命館大学を卒業した人間のする事か! 可愛い娘がいる人間のする事か!
朝日新聞やNHKの東芝に対する極めて冷淡で、まるで東芝がゾンビ企業であるかのごとくに見下した報道
現在、尖閣諸島を含めた沖縄では、中国軍機に対する自衛隊機のスクランブル発進が続いている。
有吉は朝日新聞と共謀し、科学的な誤りを日本に蔓延させてしまった黒幕の一人である。
Todos los artículos fueron engaños más que algun
菅政権によって全村避難を強いられた福島県飯舘村の菅野典雄村長が語った言葉が忘れられない
「ならず者国家」がパワーをもつと横暴な専制君主になり、近隣の諸侯がひざまずかないと腹を立てる。
だが、私が「キレイ事は言わないから絵にならないよ」というと、みな尻込みする。
記者はもじもじして「実はあの記事は作りもの。ラーメン屋の幟も自分で作って写真を撮った」と自供した
上記の犯罪者の所業に対しては、流石に呆れて、「明白な犯罪である」として、幾つかの罪名を挙げた。
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その一つが「日本軍は朝鮮人だけじゃあない、蘭印でもオランダ人女性を犯していた」シリーズだ。
そこには彼自身の脳裏に、「中国は民主化の道を歩みつつある」という幻想があった。
「『戦後政治の総決算』は戦後40年間のひずみや欠陥を是正し、21世紀に備えるものだ」と強調。
De UNHRC moet dit hoofdstuk lezen en weten
La constitution le rend tel. Il n'y a pas une
もともとは、核被害国こそ核を持つ権利がある、というのが私の考えです。
この正体不明の女性が日本ではなくフランスで、このような事を行う事についての怪しさを疑う知性もない
大宅壮一が主宰した「白馬会」もこのジャワのハーフカスが目的だった。
Possibility of nuclear sharing
筆者はNHKの放送後、九州国際高校と経営母体の日章学園トップへのインタビューを何度も申し入れた。
偽証罪と誣告罪が日本の数百倍にもなります。各種保険詐欺がアメリカより百倍も横行しています。
日本共産党党員で書記局員であった父・小森良夫の仕事の関係で1961年から4年間ソ連の衛星国だった
さらに、日本は戦前韓国に残した資産を放棄している。これはインドが英国から独立したとき、イギリス人
最後になるが私の7ヵ月の闘病生活は、まるで夢の様で、これまで、あの日の様に思い出す事はなかったの
近来稀に見る労作と言っても過言ではない筑波大学准教授掛谷英紀氏の見事な論文からである。
文在寅政権が相変わらず、外国との条約を尊重するつもりがないことを隠そうともしていないからだ。
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古代から隣接する諸国に絶えず仕掛けてきた謀略を、日本に対して仕掛けてきているからである。
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しかし、最新最強の武力を持っていなければ、常に他国から攻められる可能性は否定できません。
「なぜ、日本は核を持たないんだ。核を持つ資格が一番あるのは日本だ。何を考えているんだ」
山口智也 痴漢行為で現行犯逮捕されたことがある…佐々木くみはパリでNHKが痴漢日本の総本山で
Era típico de la consideración del ejército japo
Todos os artigos eram enganos, e não alguns dele
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彼らは、自由が抜け落ちた民主主義が何なのか分からないほど無知です。
韓国企業には、わが国金融機関との取引を通して潜在的な資金繰り不安を解消してきた側面がある。
インテリジェンス・ヒストリーを大学の学部・学科として研究していない先進国は、日本ぐらいなのだ。