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文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

19世紀初めの朝鮮の儒者が、「(我が国の拙(つたな)きところ)針なし、羊なし、車なし」(鄭東『晝永編』)といっている。

2020年09月18日 23時58分23秒 | 全般

以下は、さっきネットで発見した記事からである。
■室町時代前期の1429年、日本にきた朴端生は、次のように復命していた。
それによると「日本の農人水車の設けあり」として、学生の金慎に「造車の法」を精査させて模型を作り、鍍銀(銀めっき)、
造紙(紙漉)、朱紅、軽粉等の製造法を報告している。
この時の復命では、日本の貨幣経済の実態や店舗商業の発展等にも及んだが、
その中で技術に言及していたのは、渡航前に世宗から
「倭紙堅靱、造作の法また宜しく伝習すべし」と、日本の技術を導入するよう命じられていたからである。
朝鮮はまだ物々交換の時代で、貨幣や商いを知らなかったので、15世紀の朝鮮通信使は日本の乞食は銭を乞うと驚きをもって記録している。
これに対して日本では、朴端生が日本を訪れる百年以上も前に、水車を利用して離宮に川の水を汲み上げた話が
『徒然草』(第五十一段)に記されている。
その水車が農民たちの手で取り付けられていたことを考えると、
当時、日本と朝鮮の間には相当の技術格差があったことがわかる。
したがって、韓国の歴史教科書にあるように
「技術を学ぶのに苦労していた」のは、
日本側ではなくむしろ朝鮮の方であったのである。
朝鮮人が水車の技術を導入しようと苦慮していたことに関しては、
1880年代になっても金弘集が「朝鮮には灌漑設備がない。水車もない」
と未開性を嘆いていた。
つまり朝鮮では、朴端生が1429年に日本に来た後、500年近くかけても水車を実用化できなかったということになる。
以下は、産経新聞、2008/12/17の「正論」からである。
≪■「チャングム」のまやかし≫
近頃、会合で話をすると10人に1人位は韓国時代劇チャングムのファンがいて、物語をそのまま史実だと思いこんでいることが多いので、正しておきたい。
まず朝鮮の李朝では、女子が宮中に出仕すると王様と疑似婚姻関係に入るので一生外に出られない。
チャングム女史のように出たり入ったりはできない。
ドラマでは李朝時代は色彩にあふれているが、ほんとうは顔料がないので民間に色はない。
中国の清朝でも日本の江戸時代でも陶磁器に赤絵があるが、朝鮮には白磁しかないのはそのためで、民衆の衣服が白なのも顔料が自給できないからである。
民芸研究家による「朝鮮の白は悲哀の色」というのも、今では真っ赤なウソである。
上流階級だけは中国で交易する御用商人から色のある布を買っていた。
李朝は清朝や江戸時代と異なり、技術革新を嫌い、低レベルの実物経済で500年もの統治を可能にしたのであり、どこに似ているかといえば、いまの北朝鮮に似ている。
19世紀初めの朝鮮の儒者が、「(我が国の拙(つたな)きところ)針なし、羊なし、車なし」(鄭東『晝永編』)といっている。
針は粗雑なものがあったが、ちゃんと縫うには中国から針を買わねばならなかった。
当時の中国針は優秀で、日本も輸入している。
羊はモンゴルに征服された高麗にはいたが、いつの間にか滅びた。
車は西洋文化が流入するまではない。
木を曲げる技術がなかったからである。
だから李朝には樽(たる)もない。
液体を遠方に運ぶことすらできなかった。
かつて日本が保護したとき、韓国はそのような国であった。
≪■歴史教科書にも国内批判≫
韓国の歴史教科書について、最近では韓国の学者の間でも批判が出始めている。
日本がやってきて、せっかく李朝期にあった韓国近代化の芽を摘み、植民地期にひたすら収奪したという論はもはや無理の限界に来ている。
批判には、「このような収奪論には実証的な根拠が確実ではないという問題点がある。コメは日本に収奪されたのではなく、経済論理に従って日本に輸出されたのであり、それにともなって日本人を含む韓半島(韓国人は朝鮮半島をこう呼ぶ)全体の所得が増加した」(教科書フォーラム編『代案教科書 韓国近・現代史』2008年3月)と書かれてある。
振り返れば韓国の歴史教科書もはじめからナショナリズム一辺倒であったわけではない。
初期には、日清戦争で「日本の勝利となり、下関条約が結ばれ朝鮮の独立が認められた」(★佐鎬『中等世界史』英志文化社、1959年)とか、朝鮮は清の「半属国」だった(金聲近『高等世界史』高等学校2・3学年用、教友社、1962年)とか、平然と言っていた。
日本が強制的に保護条約を押しつけたと居直るのは、70年代の中頃からのことで、朴正煕政権の後半、力量を持った民族ではなかったことが被植民地支配の原因だったと、ひそかに反省し始めたときであった。
 ≪■利権あさる一部マスコミ≫
ところが、82年6月26日に日本のマスコミが、教科書検定で日本の中国への「侵略」が「進出」に書き換えられたという誤報を行った。
日本ではちょうど検定制度をめぐって政府と日教組が大揉(も)めだったときだ。
中国・韓国からのはげしい抗議が始まり、結果として近隣諸国条項(1982年11月24日、教科用図書検定基準)が設けられ、その影響で文部省の第6期学習指導要領(1989年告示)で、「とくに朝鮮については我が国と深いかかわりがあり、従前よりもさらに重視するようにする」という但(ただ)し書きがついてしまった。
反省の機会を失った韓国の歴史教科書は、日本の自虐史観に反比例するように、どんどんと自尊的になり、「しかし日本は帝国主義列強よりもさらに残忍にアジア各国を蹂躙(じゅうりん)し、20世紀の歴史を悲劇で飾った第二次世界大戦を起こした。このような悲劇は日本の朝鮮強占ではじまり、これは隣の国との友好関係を破壊したところにその原因がある」(申チェシク・洪ソンピョ『高等学校世界史』ポヂンヂェ、1990年)とまで、歴史の歪曲(わいきょく)を行うようになっていったのである。
日本の自虐史観の対照には韓国の自尊史観があるのであり、それはひずんだ鏡のように日韓の関係を歪(ゆが)めてきた。
もはやポストモダン期にある日韓では、世論は反日でも贖罪(しょくざい)でも盛りあがらない。
盛りあがっているのは、韓国の反日市場で利権をあさり、同じく日本の贖罪市場で利権の維持に汲々(きゅうきゅう)とする、一部マスコミと学者たちにすぎないのではないか。
(ふるた ひろし)。

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韓国の裁判所のデタラメさ、北朝鮮の(もはや世界中が知っている)圧政について、この団体が、抗議の声を国連において上げたなどという報道に接した人間は一人もいない

2020年09月18日 23時39分45秒 | 全般

この団体と…辛淑玉などという在日朝鮮人で…スパイ防止法が成立した途端にドイツに亡命した…本当に度し難い女性が繋がっている事も間違いがないだろう…と題して2019-01-23に発信した章を再発信する。
中国なら、国家反逆罪として全員即刻逮捕拘禁、死罪を含む重罪を課せられている事は言うまでもない。と題して2018-08-27に発信した章が、今、gooの検索結果ベスト10内に入っている。
日本国民の99.99%が知らなかった…小松泰介等と言う人間と、その組織であるIMDR…とは、どんな組織なのか。
私と同様に99.99%の日本国民は、
彼らが…
暴力団と結託した圧力団体として日本国政府や地方自治体から、いわば暴利をむさぼり続けて来ただけでは飽き足らず…
大分前の大阪での事件で、その実態が日本国内では露呈されたからだろう…
今度は国連に出向いて、日本を貶める活動に邁進していた事を知ったわけである。
この団体が、中国や朝鮮半島の反日プロパガンダにとっては格好の団体であることは言うまでもない。
もし日本に他の先進国と同様の強力な防諜機関、或いは国家安全保障に関わるFBIやCIAのような機関があるならば、
この団体の真金提供先に中国や朝鮮半島の関係先が入っていないか徹底的に調査しているはずである。
中国なら、国家反逆罪として全員即刻逮捕拘禁、死罪を含む重罪を課せられている事は言うまでもない。
人権団体を標榜していながら、
中国における人権派弁護士数百人一斉逮捕に対しても、
ウィグル族やチベットに対する甚だしい人権と宗教に対する弾圧と迫害に対しても、
何一つ、抗議の声を上げていない団体、
韓国の裁判所のデタラメさ、北朝鮮の(もはや世界中が知っている)圧政について、この団体が、抗議の声を国連において上げたなどという報道に接した人間は一人もいない。
だが、この団体は、アイヌを差別しているだとか、沖縄を差別しているだとか、本当に言語道断な事を、
国連で、
日本を貶めるために言い続け、
挙句は、佐々木くみ、などという氏素性も分からぬ(整形している事はありありの韓国人か在日韓国人であることはありありの)女性に、パリで、
日本は痴漢だらけの国で女性の人権侵害大国であるなどという、
本当に噴飯物のデタラメな出版物を刊行させ…、
馬鹿で低能で人種差別主義者のフランス人に、
日本批判をさせていた黒幕の団体だろう…
この団体と…
辛淑玉などという在日朝鮮人で、スパイ防止法が成立した途端に、
ドイツに亡命した、本当に度し難い女性が繋がっている事も間違いがないだろう。
こんな人間を重用してきた朝日やNHKなどのメディアの酷さ。
南ドイツ新聞は、そういう実態を知って朝日の記事を引用してきたのか。
この新聞会社も本当に最低に卑しい新聞会社である。
以下は http://imadr.net/staff/からである。
IMADRについて
役員スタッフ
IMADRとは団体概要役員スタッフアクセス
反差別国際運動(IMADR)役員一覧
共同代表理事
ニマルカ・フェルナンド 弁護士
武者小路公秀  国際政治学者
副代表理事
マリオ・ホルヘ・ユーツィス 元国連人種差別撤廃委員会委員
ベルナデット・エティエ 人種主義に反対し諸民族の友好をめざす運動(MRAP)共同代表
組坂 繁之 解放同盟中央執行委員長
専務理事
西島 藤彦 事務局長、解放同盟中央書記長
理事
ロマニ・ローゼ ドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会議長
ロドルフォ・スターベンハーゲン メキシコ大学院大学教授/元先住民に関する国連特別報告者
テオ・ファン・ボーベン マーストリヒト大学教授
ブルナド・ファティマ・ナティサン 農村教育開発協会(SRED)顧問
ドゥルガ・ソブ フェミニスト・ダリット協会(FEDO)創設代表
マイケル・シャープ ニューヨーク市立大学ヨーク校助教授
加藤 忠 公益社団法人北海道アイヌ協会理事長
稲葉 奈々子 上智大学教授、移住労働者と連帯する全国ネットワーク
奥田 均 解放人権研究所
岡島 真砂樹 日本教職員組合中央執行委員長
草野 龍子 『同和問題』にとりくむ宗教教団連帯会議議長、真宗大谷派
金 秀一 かながわみんとうれん事務局長
申 惠丰 青山学院大学教授
岩根 孝尚 東京人権啓発企業連絡会理事長
三輪 敦子 一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター所長
監事
赤井 隆史 解放同盟中央財務委員長
窪 誠 大阪産業大学教授
顧問
エレーヌ・ザックスタイン ジェンダーと子どもの保護専門家
ペンダ・ムボウ シェイク・アンタ・ディオプ・ダカール大学教授
林 陽子 弁護士、国連女性差別撤廃委員会委員長
友永 健三 解放・人権研究所名誉理事
松本龍 元環境大臣
事務局体制
小森 恵 事務局長代行
和田 献一 事務局次長、解放同盟中央執行委員
カトリーヌ・カドゥ 事務局次長、日本研究家
金子マーティン 事務局次長、日本女子大学教授
寺田 正寛 事務局次長、『同和問題』にとりくむ宗教教団連帯会議事務局長
高橋 亨輔 事務局次長、同和問題に取り組む全国企業連絡会
小松泰介 事務局次長、ジュネーブ事務所
スタッフ
神成 文子 東京事務所

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中韓の反日に汚される世界遺産…虚妄の強制連行論が隠した在日の過去… 強制連行の神話はなぜ生まれたか…戦後に玄界灘を渡ってきた人々…命名者も認めた「強制連行」の虚構

2020年09月18日 23時34分04秒 | 全般

まともな論文を掲載するスペースが更に無いのだから、真実を伝えている訳はないのである。と題して、2015-10-07に発信した章を再発信する。
今月号の月刊誌「正論」にも、朝日や毎日を購読し、テレビ朝日やTBSの報道番組だけを観て生きている人たちには、全く分からない真実が満載されている。
それでいて料金は780円である。
一方、限りある紙面の半分ほどを、スポーツ紙と同様な広告で埋め尽くしている朝日は、それでいながら、料金は月額約5,000円である。
以下はp178~p187に渡る、朝鮮問題研究家、阿部南牛さんの労作からである。
安部南牛氏 昭和14(1939)年、福岡県生まれ。工学院大学卒業。旧通産省工業技術院、化学技術研究所主任研究官を歴任。2000年に定年後、2003年まで化学技術戦略推進機構っくば管理事務所長。専攻は鉱工害処理技術。著書に『筑波研究学園年の概成』、共著に『北朝鮮の軍事工業化』『戦後日朝関係の研究』。現在は「対共産圏貿易資料館」の設立準備中。
*彼の労作は、私の論説の正しさも100%証明していることに、読者は気付くはずだ。
タイトル以外の黒字強調は私。
中韓の反日に汚される世界遺産
虚妄の「強制連行」論が隠した在日の過去
強制連行の神話はなぜ生まれたか
戦後に玄界灘を渡ってきた人々 
日韓問の歴史問題として、日本軍慰安婦に続いて「戦時徴用」が浮上している。
かつては「強制連行」と呼ばれ、「帝国日本の蛮行」として記憶されてきた問題だ。
その実態が解明されて「蛮行」のイメージが否定されたため、現在では「強制連行」と呼ぶ人は減り、「強制労働」などと呼ばれることも多くなっている。
いずれにせよ、戦時徴用が日韓間の火種となるのは、この「強制連行=蛮行」論の記憶が根強いからである。 
昭和43(1968)年、静岡県内のスナックで、在日韓国人2世、金嬉老が借金取りの暴力団員ら2人を射殺し、同県寸又峡温泉の旅館に立て籠もった。
金が、人質解放の条件として在日韓国・朝鮮人に差別発言をした現職警察官の謝罪を要求すると、立て籠もり中から「朝鮮人差別問題」とからめてマスコミによって大々的に取り上げられた。
国内では運動団体や知識者と称する面々が金嬉老の支援を始めた。
そして、金嬉老は二人をライフル銃で殺めたにもかかわらず裁判では極刑を免れた。 
事件は、その後の在日朝鮮人運動に大きな影響を与えた。
その最大のものは「在日朝鮮人はずーっと差別されてきた。そして、その差別の根源には戦前の日本による『強制連行』があったのだ」という神話が作りあげられたことだ。
アフリカ大陸から奴隷としてアメリカへ連れてこられた黒人たちと同じように、日本に連れてこられたというイメージの宣伝である。 
金嬉老事件の背景は本当に「差別問題」だったのだろうか。
一般に日本人が朝鮮人を蔑視してきたように言われてきたが、大日本帝国(以下帝国)解体後の戦後日本では、米占領軍(連合国軍総司令部=GHQ)が朝鮮人優遇政策を執った。
日本人よりも朝鮮人を優遇することで民族間対立を煽り、日本人の占領政策に対する反発への防波堤に使い、軍事占領を円滑に統治しようとしたのだ。 
これは西欧諸国の植民地経営によく見られる、民族間対立を助長させることで統治を円滑に図る彼らの常套手段である。
私は、この煽られた「民族間摩擦」が、金嬉老の言い分を助長したと考えている。 
帝国解体時、それまで約200万人近くいた日本在住の朝鮮人の内、ほぼ160万人が帰った。
昭和21(1946)年末時点で大凡40万人しか在日朝鮮人はいなかった。
それが北朝鮮への「帰国運動(帰還事業)」が始まった昭和34(1959)年には60万人に増えた。
むろん、これは表に出た数字である。
民族間の対立を助長させるGHQの朝鮮人優遇政策は、朝鮮半島への帰国を目指した朝鮮人の足止めを招くどころか、むしろ逆流するきっかけを作ったのだ。 
僅かな期間で人口が1.5倍に増えるなどあり得ない。
この間、密入国で摘発された者は約6万人である。
6万人の3倍は逮捕されなかった密入国者がいたことが指摘されている。
約20万人であり、60万人から40万人を引けば20万人と数字的には合っている。
しかし、この「在日朝鮮人60万人の内、20万人の密入国者」が持つ意味は、これまで余り問題にされて来なかった。
命名者も認めた「強制連行」の虚構 
それも、在日朝鮮人は「強制連行」されてきた人々だというイメージが定着しているからだ。
それには、在日朝鮮人歴史家・朴慶植の著作、『太平洋戦争中における朝鮮人労働者強制連行について』(1962年)の刊行が契機となっている。 
ここに使われている「強制連行」という言葉だが、朴慶植は「中国人の強制連行の調査に関する資料」が、岩波書店の雑誌『世界』の1960年5月号に掲載されたことに刺激されたと述べている。
関東大震災時に於ける朝鮮人虐殺の研究者、山田昭次はこれを受け、「強制連行」は朴慶槓の造語ではなく、以前の中国人強制連行という言葉が知られていたから借用したのだろうと指摘し、「物理的暴力にしか頼れなかった占領地(中国)からの強制連行と皇民化教育のようなイデオロギーによる強制も駆使した植民地からのそれとの違いを認識なされなかった」(『追想 朴慶植』)と、朴慶植の借用を批判した。 
朴慶植の『太平洋戦争中における朝鮮人労働者強制連行について』は朝鮮大学校から刊行された。
この時に使われた「強制連行」という言葉を、在日朝鮮人作家の金達寿は物理的強制(暴力を伴った)で行われた中国人の日本への連行に、朝鮮人の自主的渡航を重ね合わせた点を指して、あれは朴慶植の造語だと断定した。
一方、朴慶植は最晩年に「身体の拘束による巡行だけが強制連行じゃない」(『追想 朴慶植』)と、山田に強弁したそうである。 
この朴慶植の言葉は、朝鮮人の「強制連行」を造語した朴慶植本人が、物理的暴力で日本へ渡ってきた朝鮮人はいないことを浮き彫りにしている。
「皇民化イデオロギー」による自らの意志での渡航が「強制連行」ならば、朝鮮総聯が「北朝鮮は地上の楽園」などと宣伝した帰国運動に影響を受けて北朝鮮へ渡った10万人も「強制連行」の被害者となる。 
朴慶植は、自らを「強制連行されてきた朝鮮人ではない」と述べていたが、1965年には『朝鮮人強制連行の記録』(未来社)を刊行する。
今では朴慶植のこの著作が「強制連行」を日本社会に定着させた、と受け取られている。
ところで先ほど述べた20万人の密入国者は何処に消えたのであろうか? 
少なくとも、密入国者の存在は70年代半ばまでは、広く知られていた。
北朝鮮への帰国運動で10万人が海を渡って行く一方で密入国者は増えており、阪神地域の産業を底辺で支える労働力として期待されていた存在でもあった。 
多くの在日朝鮮人が密入国者であったことを、多くの日本人は今では忘れている。
その過程に金嬉老事件がある。
それは金嬉老や事件に対して「在日朝鮮人は差別されてきたのだから、罪一等減じるべきだ」といった主張が繰り広げられるのを受けた朝鮮総聯の運動があったから、とも言える。 
その運動とは、朝鮮総聯が日本の“現代史の「暗部」である強制連行の実態解明”を推進する「朝鮮人強制連行真相調査団」を結成したことである。
この運動は、昭和48(1973)年に北海道と九州で始まり、贖罪史観に囚われた日本人学者と市民運動家などの協力も重なって多くの調査報告がだされている。 
そして朝鮮総聯は結成50周年を記念した『朝鮮総聯』(在日本朝鮮人総聯合会、2005年刊)では、「朝鮮人はなぜ日本に住んでいるのか」の説明に「強制連行」を強調するようになった(『朝鮮総聯』)が、朝鮮総聯の幹部にも密入国者がいたことは常識である。
「悪い日本人」なら殺しても許されるのか? 
金嬉老事件では、「金嬉老の訴えに衝撃を受けた」という進歩的知識人らが動きだす。
先ごろ亡くなった、「負ける側にいたい」という哲学者・鶴見俊輔もその一人であった。
但し、ライフル銃で人を殺せる男が「負ける側」の人なのか、極めて疑問であった。 
「金嬉老を考える会」には、当時進歩的文化人と目されていた、荒正人、井上省蔵、杉浦明平、関寛治、中島健蔵、旗田巍、針生一郎などが参加している。 
フランス文学者・鈴木道彦(獨協大学名誉教授)の『金嬉老の法定陳述』百二書房、1970年刊)の「あとがき」の記録に拠れば、金嬉老公判対策委員会の世話人に、大沢真一郎、梶村秀樹、久保寛、佐藤勝巳、里見実、鈴木道彦、三橋修、宮田節子の8人が就いている。
この内の3人、梶村秀樹、佐藤勝巳、宮田節子には、目白の日本朝鮮研究所でお目に掛かっている。 
この金嬉老が起こした殺人事件を福田恆存、会田雄二、柴田錬三郎などは厳しい目で捉え、批判した。
当時、金嬉老に対して批判的なコメントをする日本人は少数だった。
福田ら3人は、金嬉老事件を真面目に受け止めず、茶化したり、歪めたりしていると非難された。
金嬉老の殺人事件を擁護する根本的発想は次の言葉に象徴される。 
「なるほど、金嬉老は2人の人物を殺害した。そしてあなたは、殺人を絶対的な悪であると言われる。それでは、無数の朝鮮人の命を奪った日本人の行為はどうなのか?」(『金嬉老の法定陳述』の「あとがき」)この引用文にある「あなた」は、恐らく福田恆存、会田雄二、柴田錬三郎らを指しているのだろう。
鈴木は、「あなた」が「それは戦前の話であり、前の世代の行った行為だ。私かその責任を負ういわれは何もない」と回答すると予想したうえで、次のように反論する。 
「ところが私は、その資格があなたにも与えられていないと思う。それというのも、われわれ自身がこの陰惨な歴史を受けつぎ、これを再生産している当の者だからだ」 
鈴木道彦は1929年生まれだから敗戦直後の記憶、朝鮮人が暴れていた記憶も持っていた筈だ。
金嬉老が寸又峡で糾弾したのは警察官の「てめえら朝鮮人は日本に来て、口クなことをしないで!」という差別的言動だが、それは警察官の人生から吐き出された言葉であった。
それに怒る金嬉老の人生に重なる言葉でもあった。
金嬉老が日本人2人を殺害して寸又峡に立て籠もるまでは、戦前は窃盗で少年保護院、戦後は窃盗・詐欺・強盗を繰り返し、刑務所と日本の社会を往復している。
それ故に警察官の言葉が堪えたのであろう。
その一方でそういう言葉を吐く警察官には、敗戦直後から傍若無人に振る舞った朝鮮人に対し、治安維持の立場から取り締まる人生を歩んでいる。 
金嬉老を支援した進歩的知識人は、対峙して日本の治安を守ってきた警察官、いきなり射殺された2人の日本人への「労り」の気持ちはなかったのだろうか?
金貸しをして催促した暴力団員だから殺されても仕方ない、というのだろうか? 
殺された2人のうち1人は暴力団構成員ではなかったという。
この稿続く。

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日本人よりも朝鮮人を優遇することで民族間対立を煽り、日本人の占領政策に対する反発への防波堤に使い、軍事占領を円滑に統治しようとしたのだ

2020年09月18日 23時29分15秒 | 全般

まともな論文を掲載するスペースが更に無いのだから、真実を伝えている訳はないのである。と題して、2015-10-07に発信した章を再発信する。
今月号の月刊誌「正論」にも、朝日や毎日を購読し、テレビ朝日やTBSの報道番組だけを観て生きている人たちには、全く分からない真実が満載されている。
それでいて料金は780円である。
一方、限りある紙面の半分ほどを、スポーツ紙と同様な広告で埋め尽くしている朝日は、それでいながら、料金は月額約5,000円である。
以下はp178~p187に渡る、朝鮮問題研究家、阿部南牛さんの労作からである。
安部南牛氏 昭和14(1939)年、福岡県生まれ。工学院大学卒業。旧通産省工業技術院、化学技術研究所主任研究官を歴任。2000年に定年後、2003年まで化学技術戦略推進機構っくば管理事務所長。専攻は鉱工害処理技術。著書に『筑波研究学園年の概成』、共著に『北朝鮮の軍事工業化』『戦後日朝関係の研究』。現在は「対共産圏貿易資料館」の設立準備中。
*彼の労作は、私の論説の正しさも100%証明していることに、読者は気付くはずだ。
タイトル以外の黒字強調は私。
中韓の反日に汚される世界遺産
虚妄の「強制連行」論が隠した在日の過去
強制連行の神話はなぜ生まれたか
戦後に玄界灘を渡ってきた人々 
日韓問の歴史問題として、日本軍慰安婦に続いて「戦時徴用」が浮上している。
かつては「強制連行」と呼ばれ、「帝国日本の蛮行」として記憶されてきた問題だ。
その実態が解明されて「蛮行」のイメージが否定されたため、現在では「強制連行」と呼ぶ人は減り、「強制労働」などと呼ばれることも多くなっている。
いずれにせよ、戦時徴用が日韓間の火種となるのは、この「強制連行=蛮行」論の記憶が根強いからである。 
昭和43(1968)年、静岡県内のスナックで、在日韓国人2世、金嬉老が借金取りの暴力団員ら2人を射殺し、同県寸又峡温泉の旅館に立て籠もった。
金が、人質解放の条件として在日韓国・朝鮮人に差別発言をした現職警察官の謝罪を要求すると、立て籠もり中から「朝鮮人差別問題」とからめてマスコミによって大々的に取り上げられた。
国内では運動団体や知識者と称する面々が金嬉老の支援を始めた。
そして、金嬉老は二人をライフル銃で殺めたにもかかわらず裁判では極刑を免れた。 
事件は、その後の在日朝鮮人運動に大きな影響を与えた。
その最大のものは「在日朝鮮人はずーっと差別されてきた。そして、その差別の根源には戦前の日本による『強制連行』があったのだ」という神話が作りあげられたことだ。
アフリカ大陸から奴隷としてアメリカへ連れてこられた黒人たちと同じように、日本に連れてこられたというイメージの宣伝である。 
金嬉老事件の背景は本当に「差別問題」だったのだろうか。
一般に日本人が朝鮮人を蔑視してきたように言われてきたが、大日本帝国(以下帝国)解体後の戦後日本では、米占領軍(連合国軍総司令部=GHQ)が朝鮮人優遇政策を執った。
日本人よりも朝鮮人を優遇することで民族間対立を煽り、日本人の占領政策に対する反発への防波堤に使い、軍事占領を円滑に統治しようとしたのだ。 
これは西欧諸国の植民地経営によく見られる、民族間対立を助長させることで統治を円滑に図る彼らの常套手段である。
私は、この煽られた「民族間摩擦」が、金嬉老の言い分を助長したと考えている。 
帝国解体時、それまで約200万人近くいた日本在住の朝鮮人の内、ほぼ160万人が帰った。
昭和21(1946)年末時点で大凡40万人しか在日朝鮮人はいなかった。
それが北朝鮮への「帰国運動(帰還事業)」が始まった昭和34(1959)年には60万人に増えた。
むろん、これは表に出た数字である。
民族間の対立を助長させるGHQの朝鮮人優遇政策は、朝鮮半島への帰国を目指した朝鮮人の足止めを招くどころか、むしろ逆流するきっかけを作ったのだ。 
僅かな期間で人口が1.5倍に増えるなどあり得ない。
この間、密入国で摘発された者は約6万人である。
6万人の3倍は逮捕されなかった密入国者がいたことが指摘されている。
約20万人であり、60万人から40万人を引けば20万人と数字的には合っている。
しかし、この「在日朝鮮人60万人の内、20万人の密入国者」が持つ意味は、これまで余り問題にされて来なかった。
命名者も認めた「強制連行」の虚構 
それも、在日朝鮮人は「強制連行」されてきた人々だというイメージが定着しているからだ。
それには、在日朝鮮人歴史家・朴慶植の著作、『太平洋戦争中における朝鮮人労働者強制連行について』(1962年)の刊行が契機となっている。 
ここに使われている「強制連行」という言葉だが、朴慶植は「中国人の強制連行の調査に関する資料」が、岩波書店の雑誌『世界』の1960年5月号に掲載されたことに刺激されたと述べている。
関東大震災時に於ける朝鮮人虐殺の研究者、山田昭次はこれを受け、「強制連行」は朴慶槓の造語ではなく、以前の中国人強制連行という言葉が知られていたから借用したのだろうと指摘し、「物理的暴力にしか頼れなかった占領地(中国)からの強制連行と皇民化教育のようなイデオロギーによる強制も駆使した植民地からのそれとの違いを認識なされなかった」(『追想 朴慶植』)と、朴慶植の借用を批判した。 
朴慶植の『太平洋戦争中における朝鮮人労働者強制連行について』は朝鮮大学校から刊行された。
この時に使われた「強制連行」という言葉を、在日朝鮮人作家の金達寿は物理的強制(暴力を伴った)で行われた中国人の日本への連行に、朝鮮人の自主的渡航を重ね合わせた点を指して、あれは朴慶植の造語だと断定した。
一方、朴慶植は最晩年に「身体の拘束による巡行だけが強制連行じゃない」(『追想 朴慶植』)と、山田に強弁したそうである。 
この朴慶植の言葉は、朝鮮人の「強制連行」を造語した朴慶植本人が、物理的暴力で日本へ渡ってきた朝鮮人はいないことを浮き彫りにしている。
「皇民化イデオロギー」による自らの意志での渡航が「強制連行」ならば、朝鮮総聯が「北朝鮮は地上の楽園」などと宣伝した帰国運動に影響を受けて北朝鮮へ渡った10万人も「強制連行」の被害者となる。 
朴慶植は、自らを「強制連行されてきた朝鮮人ではない」と述べていたが、1965年には『朝鮮人強制連行の記録』(未来社)を刊行する。
今では朴慶植のこの著作が「強制連行」を日本社会に定着させた、と受け取られている。
ところで先ほど述べた20万人の密入国者は何処に消えたのであろうか? 
少なくとも、密入国者の存在は70年代半ばまでは、広く知られていた。
北朝鮮への帰国運動で10万人が海を渡って行く一方で密入国者は増えており、阪神地域の産業を底辺で支える労働力として期待されていた存在でもあった。 
多くの在日朝鮮人が密入国者であったことを、多くの日本人は今では忘れている。
その過程に金嬉老事件がある。
それは金嬉老や事件に対して「在日朝鮮人は差別されてきたのだから、罪一等減じるべきだ」といった主張が繰り広げられるのを受けた朝鮮総聯の運動があったから、とも言える。 
その運動とは、朝鮮総聯が日本の“現代史の「暗部」である強制連行の実態解明”を推進する「朝鮮人強制連行真相調査団」を結成したことである。
この運動は、昭和48(1973)年に北海道と九州で始まり、贖罪史観に囚われた日本人学者と市民運動家などの協力も重なって多くの調査報告がだされている。 
そして朝鮮総聯は結成50周年を記念した『朝鮮総聯』(在日本朝鮮人総聯合会、2005年刊)では、「朝鮮人はなぜ日本に住んでいるのか」の説明に「強制連行」を強調するようになった(『朝鮮総聯』)が、朝鮮総聯の幹部にも密入国者がいたことは常識である。
「悪い日本人」なら殺しても許されるのか? 
金嬉老事件では、「金嬉老の訴えに衝撃を受けた」という進歩的知識人らが動きだす。
先ごろ亡くなった、「負ける側にいたい」という哲学者・鶴見俊輔もその一人であった。
但し、ライフル銃で人を殺せる男が「負ける側」の人なのか、極めて疑問であった。 
「金嬉老を考える会」には、当時進歩的文化人と目されていた、荒正人、井上省蔵、杉浦明平、関寛治、中島健蔵、旗田巍、針生一郎などが参加している。 
フランス文学者・鈴木道彦(獨協大学名誉教授)の『金嬉老の法定陳述』百二書房、1970年刊)の「あとがき」の記録に拠れば、金嬉老公判対策委員会の世話人に、大沢真一郎、梶村秀樹、久保寛、佐藤勝巳、里見実、鈴木道彦、三橋修、宮田節子の8人が就いている。
この内の3人、梶村秀樹、佐藤勝巳、宮田節子には、目白の日本朝鮮研究所でお目に掛かっている。 
この金嬉老が起こした殺人事件を福田恆存、会田雄二、柴田錬三郎などは厳しい目で捉え、批判した。
当時、金嬉老に対して批判的なコメントをする日本人は少数だった。
福田ら3人は、金嬉老事件を真面目に受け止めず、茶化したり、歪めたりしていると非難された。
金嬉老の殺人事件を擁護する根本的発想は次の言葉に象徴される。 
「なるほど、金嬉老は2人の人物を殺害した。そしてあなたは、殺人を絶対的な悪であると言われる。それでは、無数の朝鮮人の命を奪った日本人の行為はどうなのか?」(『金嬉老の法定陳述』の「あとがき」)この引用文にある「あなた」は、恐らく福田恆存、会田雄二、柴田錬三郎らを指しているのだろう。
鈴木は、「あなた」が「それは戦前の話であり、前の世代の行った行為だ。私かその責任を負ういわれは何もない」と回答すると予想したうえで、次のように反論する。 
「ところが私は、その資格があなたにも与えられていないと思う。それというのも、われわれ自身がこの陰惨な歴史を受けつぎ、これを再生産している当の者だからだ」 
鈴木道彦は1929年生まれだから敗戦直後の記憶、朝鮮人が暴れていた記憶も持っていた筈だ。
金嬉老が寸又峡で糾弾したのは警察官の「てめえら朝鮮人は日本に来て、口クなことをしないで!」という差別的言動だが、それは警察官の人生から吐き出された言葉であった。
それに怒る金嬉老の人生に重なる言葉でもあった。
金嬉老が日本人2人を殺害して寸又峡に立て籠もるまでは、戦前は窃盗で少年保護院、戦後は窃盗・詐欺・強盗を繰り返し、刑務所と日本の社会を往復している。
それ故に警察官の言葉が堪えたのであろう。
その一方でそういう言葉を吐く警察官には、敗戦直後から傍若無人に振る舞った朝鮮人に対し、治安維持の立場から取り締まる人生を歩んでいる。 
金嬉老を支援した進歩的知識人は、対峙して日本の治安を守ってきた警察官、いきなり射殺された2人の日本人への「労り」の気持ちはなかったのだろうか?
金貸しをして催促した暴力団員だから殺されても仕方ない、というのだろうか? 
殺された2人のうち1人は暴力団構成員ではなかったという。
この稿続く。

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やっぱり共催は無理となったところでまた若宮が騒ぎ、旧日本輸銀が2億ドル融資を強いられた。かくて開催されたものの韓国人のラフプレーと審判買収で「最も汚いW杯」の汚名だけが残った。

2020年09月18日 22時52分54秒 | 全般

そのころの李氏朝鮮は貧困の極みにあった。だから徳川将軍の代替わりがあると総勢400人の通信使がお祝いと称して押しかけてきた。と題して2019-09-12に発信した章を再発信する。
以下は2019-09-11に発売された週刊新潮に、たかるだけの国、と題して掲載された高山正之の論文からである。
彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評について、誰もが、全くそのとおりとうなずく見事な論文である。
この論文では、先年のワールドカップが何故、突然、日韓共同開催となったのか、について、日本国民のみならず世界中の人たちが初めて知る真相を明らかにしている。
朝鮮通信使の真相についても同様である。
朝鮮通信使については、特に、NHK大阪の報道部を支配している連中は刮目して読まなければならない。
何故なら、彼らは、朝鮮通信使が日本に文化を伝えた等と、とても日本人とは思えない報道を繰り返して来たからである。
安倍内閣改造決定時に「韓国には良い人もいるのだから、日韓友好に務めるべきだ…」等と、いかにもな表情をした親父を街頭インタビューと称して発言させるNHKの酷さは常軌を逸しているだけではなく、NHKの報道部を支配しているのは、一体、真正な日本人ではないのだなと慧眼の士は皆、確信を持ったはずである。
たかるだけの国
学者、雨森芳洲を一言で言えば「元禄期の若宮啓文」となるか。 
若宮とは朝日新聞の主筆だった人。
北京のホテルで変死したことと「いっそ竹島を韓国に譲って友好の島にしよう」と書いたことで人々の記憶に残っているかもしれない。 
とにかくあの国が好きだった。
そんな狂気に嵌るきっかけは生の金日成に会ったことだった。
社に戻るなり願い出てソウルに語学留学に出かけた。 
そのあとはもう韓国贔屓のネタばかりを書いた。 
1995年には、日本開催が決まっていたサッカーW杯を「韓国と共同開催にせよ」と社説に書いた。
朝日に盲従する宮澤喜一がそれに頷いてまさかの共同開催になった。 
しかし韓国にW杯をやれる体力はなかった。 
決まってすぐのアジア通貨危機では国自体がデフォルトに陥ってしまった。 
若宮が騒ぎ、FIFAの鄭夢準も走り回り、結局は日本が財政支援した。 
それだけじゃない。
開会直前に9・11テロが起きてそれに伴う不況のさざ波で競技場を建てるカネもなくなった。 
やっぱり共催は無理となったところでまた若宮が騒ぎ、旧日本輸銀が2億ドル融資を強いられた。
かくて開催されたものの韓国人のラフプレーと審判買収で「最も汚いW杯」の汚名だけが残った。 
若宮は韓国と同じくらい女にも入れ揚げた。
その醜聞を手土産に退社後、念願の韓国の大学の先生に納まった。
変死するまではいい人生だった。 
雨森芳洲は男色という一点を除いて若宮の祖先かと思われるほど、その人生の軌跡は似ている。 
彼は20代で対馬藩に抱えられ、33歳のとき釜山の倭館に派遣されて生の朝鮮を見た。若宮が金日成に会ったのと同じ歳頃で、同じようにのめり込んでいった。 
そのころの李氏朝鮮は貧困の極みにあった。
だから徳川将軍の代替わりがあると総勢400人の通信使がお祝いと称して押しかけてきた。
彼らは丸1年も逗留して遊興に耽り、貧しいから宿の食器から寝具、床の間の掛け軸までかっぱらっていった。 
老中格の新井白石はそんなたかり集団に厳しく、接待費も旅程も半減するよう命じた。
ついでに徳川将軍を「日本国王」とよいしょするよう朝鮮側に求めた。
幇間並みに扱った。 
このとき通信使の接待役が芳洲だった。 
朝鮮人に生まれたかったと、若宮と同じ思いを語っていた芳洲は白石の処置に怒りまくった。
二人の応酬はホントに激しかったが、誰が見ても白石の言う通りだった。 
最終的に幕府は朝鮮側にもう江戸まで来なくていい、対馬で接遇すると伝えた。
世にいう易地聘礼だ。 
二代秀忠から十代家治までたかりまくった通信使は1811年の対馬での質素な供応を最後に二度と来なくなった。 
先日の天声人語がこの雨森芳洲を取り上げていた。 
今の日韓のいざこざを踏まえ「威信や体面にこだわる両国の間で板挟みになった」芳洲が半白になるほど苦労したと書き出す。
いや日本は体面などどうでもいい、大所帯で押し掛けて、接遇に100万両もかかるたかりをやめてくれと言っているだけだ。 
コラムは「日本国王」の件にも触れて「国威を高めることに執着した」と冗談も理解できない。
ホワイト国外しをした安倍政権をあてこすった気になっている。 
それに通信使側はたかっておきながら「穢れた獣のような日本人が富栄えるは嘆くべし恨むべし」(金仁謙『日東壮遊歌』)と感謝の気持ちもない。
デフォルトを救ってやったときと同じだ。
ここはだれもが白石の対応を褒めるだろう。 
コラムは最後に「互いに欺かず争わず真実をもって交わること」という芳洲の言葉で結ぶ。 
それは日本が百歩も譲って呑んでやった慰安婦合意を踏みにじり、カネだけ失敬するような国に言い聞かせる言葉だ。
日本人の読む新聞に載せるのは失礼ってものだ。

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朝日に盲従する宮澤喜一がそれに頷いてまさかの共同開催になった。しかし韓国にW杯をやれる体力はなかった。決まってすぐのアジア通貨危機では国自体がデフォルトに陥ってしまった

2020年09月18日 22時50分24秒 | 全般

そのころの李氏朝鮮は貧困の極みにあった。だから徳川将軍の代替わりがあると総勢400人の通信使がお祝いと称して押しかけてきた。と題して2019-09-12に発信した章を再発信する。
以下は2019-09-11に発売された週刊新潮に、たかるだけの国、と題して掲載された高山正之の論文からである。
彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評について、誰もが、全くそのとおりとうなずく見事な論文である。
この論文では、先年のワールドカップが何故、突然、日韓共同開催となったのか、について、日本国民のみならず世界中の人たちが初めて知る真相を明らかにしている。
朝鮮通信使の真相についても同様である。
朝鮮通信使については、特に、NHK大阪の報道部を支配している連中は刮目して読まなければならない。
何故なら、彼らは、朝鮮通信使が日本に文化を伝えた等と、とても日本人とは思えない報道を繰り返して来たからである。
安倍内閣改造決定時に「韓国には良い人もいるのだから、日韓友好に務めるべきだ…」等と、いかにもな表情をした親父を街頭インタビューと称して発言させるNHKの酷さは常軌を逸しているだけではなく、NHKの報道部を支配しているのは、一体、真正な日本人ではないのだなと慧眼の士は皆、確信を持ったはずである。
たかるだけの国
学者、雨森芳洲を一言で言えば「元禄期の若宮啓文」となるか。 
若宮とは朝日新聞の主筆だった人。
北京のホテルで変死したことと「いっそ竹島を韓国に譲って友好の島にしよう」と書いたことで人々の記憶に残っているかもしれない。 
とにかくあの国が好きだった。
そんな狂気に嵌るきっかけは生の金日成に会ったことだった。
社に戻るなり願い出てソウルに語学留学に出かけた。 
そのあとはもう韓国贔屓のネタばかりを書いた。 
1995年には、日本開催が決まっていたサッカーW杯を「韓国と共同開催にせよ」と社説に書いた。
朝日に盲従する宮澤喜一がそれに頷いてまさかの共同開催になった。 
しかし韓国にW杯をやれる体力はなかった。 
決まってすぐのアジア通貨危機では国自体がデフォルトに陥ってしまった。 
若宮が騒ぎ、FIFAの鄭夢準も走り回り、結局は日本が財政支援した。 
それだけじゃない。
開会直前に9・11テロが起きてそれに伴う不況のさざ波で競技場を建てるカネもなくなった。 
やっぱり共催は無理となったところでまた若宮が騒ぎ、旧日本輸銀が2億ドル融資を強いられた。
かくて開催されたものの韓国人のラフプレーと審判買収で「最も汚いW杯」の汚名だけが残った。 
若宮は韓国と同じくらい女にも入れ揚げた。
その醜聞を手土産に退社後、念願の韓国の大学の先生に納まった。
変死するまではいい人生だった。 
雨森芳洲は男色という一点を除いて若宮の祖先かと思われるほど、その人生の軌跡は似ている。 
彼は20代で対馬藩に抱えられ、33歳のとき釜山の倭館に派遣されて生の朝鮮を見た。若宮が金日成に会ったのと同じ歳頃で、同じようにのめり込んでいった。 
そのころの李氏朝鮮は貧困の極みにあった。
だから徳川将軍の代替わりがあると総勢400人の通信使がお祝いと称して押しかけてきた。
彼らは丸1年も逗留して遊興に耽り、貧しいから宿の食器から寝具、床の間の掛け軸までかっぱらっていった。 
老中格の新井白石はそんなたかり集団に厳しく、接待費も旅程も半減するよう命じた。
ついでに徳川将軍を「日本国王」とよいしょするよう朝鮮側に求めた。
幇間並みに扱った。 
このとき通信使の接待役が芳洲だった。 
朝鮮人に生まれたかったと、若宮と同じ思いを語っていた芳洲は白石の処置に怒りまくった。
二人の応酬はホントに激しかったが、誰が見ても白石の言う通りだった。 
最終的に幕府は朝鮮側にもう江戸まで来なくていい、対馬で接遇すると伝えた。
世にいう易地聘礼だ。 
二代秀忠から十代家治までたかりまくった通信使は1811年の対馬での質素な供応を最後に二度と来なくなった。 
先日の天声人語がこの雨森芳洲を取り上げていた。 
今の日韓のいざこざを踏まえ「威信や体面にこだわる両国の間で板挟みになった」芳洲が半白になるほど苦労したと書き出す。
いや日本は体面などどうでもいい、大所帯で押し掛けて、接遇に100万両もかかるたかりをやめてくれと言っているだけだ。 
コラムは「日本国王」の件にも触れて「国威を高めることに執着した」と冗談も理解できない。
ホワイト国外しをした安倍政権をあてこすった気になっている。 
それに通信使側はたかっておきながら「穢れた獣のような日本人が富栄えるは嘆くべし恨むべし」(金仁謙『日東壮遊歌』)と感謝の気持ちもない。
デフォルトを救ってやったときと同じだ。
ここはだれもが白石の対応を褒めるだろう。 
コラムは最後に「互いに欺かず争わず真実をもって交わること」という芳洲の言葉で結ぶ。 
それは日本が百歩も譲って呑んでやった慰安婦合意を踏みにじり、カネだけ失敬するような国に言い聞かせる言葉だ。
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とにかくあの国が好きだった。そんな狂気に嵌るきっかけは生の金日成に会ったことだった。社に戻るなり願い出てソウルに語学留学に出かけた。そのあとはもう韓国贔屓のネタばかりを書いた。

2020年09月18日 22時48分45秒 | 全般

そのころの李氏朝鮮は貧困の極みにあった。だから徳川将軍の代替わりがあると総勢400人の通信使がお祝いと称して押しかけてきた。と題して2019-09-12に発信した章を再発信する。
以下は2019-09-11に発売された週刊新潮に、たかるだけの国、と題して掲載された高山正之の論文からである。
彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評について、誰もが、全くそのとおりとうなずく見事な論文である。
この論文では、先年のワールドカップが何故、突然、日韓共同開催となったのか、について、日本国民のみならず世界中の人たちが初めて知る真相を明らかにしている。
朝鮮通信使の真相についても同様である。
朝鮮通信使については、特に、NHK大阪の報道部を支配している連中は刮目して読まなければならない。
何故なら、彼らは、朝鮮通信使が日本に文化を伝えた等と、とても日本人とは思えない報道を繰り返して来たからである。
安倍内閣改造決定時に「韓国には良い人もいるのだから、日韓友好に務めるべきだ…」等と、いかにもな表情をした親父を街頭インタビューと称して発言させるNHKの酷さは常軌を逸しているだけではなく、NHKの報道部を支配しているのは、一体、真正な日本人ではないのだなと慧眼の士は皆、確信を持ったはずである。
たかるだけの国
学者、雨森芳洲を一言で言えば「元禄期の若宮啓文」となるか。 
若宮とは朝日新聞の主筆だった人。
北京のホテルで変死したことと「いっそ竹島を韓国に譲って友好の島にしよう」と書いたことで人々の記憶に残っているかもしれない。 
とにかくあの国が好きだった。
そんな狂気に嵌るきっかけは生の金日成に会ったことだった。
社に戻るなり願い出てソウルに語学留学に出かけた。 
そのあとはもう韓国贔屓のネタばかりを書いた。 
1995年には、日本開催が決まっていたサッカーW杯を「韓国と共同開催にせよ」と社説に書いた。
朝日に盲従する宮澤喜一がそれに頷いてまさかの共同開催になった。 
しかし韓国にW杯をやれる体力はなかった。 
決まってすぐのアジア通貨危機では国自体がデフォルトに陥ってしまった。 
若宮が騒ぎ、FIFAの鄭夢準も走り回り、結局は日本が財政支援した。 
それだけじゃない。
開会直前に9・11テロが起きてそれに伴う不況のさざ波で競技場を建てるカネもなくなった。 
やっぱり共催は無理となったところでまた若宮が騒ぎ、旧日本輸銀が2億ドル融資を強いられた。
かくて開催されたものの韓国人のラフプレーと審判買収で「最も汚いW杯」の汚名だけが残った。 
若宮は韓国と同じくらい女にも入れ揚げた。
その醜聞を手土産に退社後、念願の韓国の大学の先生に納まった。
変死するまではいい人生だった。 
雨森芳洲は男色という一点を除いて若宮の祖先かと思われるほど、その人生の軌跡は似ている。 
彼は20代で対馬藩に抱えられ、33歳のとき釜山の倭館に派遣されて生の朝鮮を見た。若宮が金日成に会ったのと同じ歳頃で、同じようにのめり込んでいった。 
そのころの李氏朝鮮は貧困の極みにあった。
だから徳川将軍の代替わりがあると総勢400人の通信使がお祝いと称して押しかけてきた。
彼らは丸1年も逗留して遊興に耽り、貧しいから宿の食器から寝具、床の間の掛け軸までかっぱらっていった。 
老中格の新井白石はそんなたかり集団に厳しく、接待費も旅程も半減するよう命じた。
ついでに徳川将軍を「日本国王」とよいしょするよう朝鮮側に求めた。
幇間並みに扱った。 
このとき通信使の接待役が芳洲だった。 
朝鮮人に生まれたかったと、若宮と同じ思いを語っていた芳洲は白石の処置に怒りまくった。
二人の応酬はホントに激しかったが、誰が見ても白石の言う通りだった。 
最終的に幕府は朝鮮側にもう江戸まで来なくていい、対馬で接遇すると伝えた。
世にいう易地聘礼だ。 
二代秀忠から十代家治までたかりまくった通信使は1811年の対馬での質素な供応を最後に二度と来なくなった。 
先日の天声人語がこの雨森芳洲を取り上げていた。 
今の日韓のいざこざを踏まえ「威信や体面にこだわる両国の間で板挟みになった」芳洲が半白になるほど苦労したと書き出す。
いや日本は体面などどうでもいい、大所帯で押し掛けて、接遇に100万両もかかるたかりをやめてくれと言っているだけだ。 
コラムは「日本国王」の件にも触れて「国威を高めることに執着した」と冗談も理解できない。
ホワイト国外しをした安倍政権をあてこすった気になっている。 
それに通信使側はたかっておきながら「穢れた獣のような日本人が富栄えるは嘆くべし恨むべし」(金仁謙『日東壮遊歌』)と感謝の気持ちもない。
デフォルトを救ってやったときと同じだ。
ここはだれもが白石の対応を褒めるだろう。 
コラムは最後に「互いに欺かず争わず真実をもって交わること」という芳洲の言葉で結ぶ。 
それは日本が百歩も譲って呑んでやった慰安婦合意を踏みにじり、カネだけ失敬するような国に言い聞かせる言葉だ。
日本人の読む新聞に載せるのは失礼ってものだ。

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2018/4/15に発信した章を段落等を修正して再発信する。

2020年09月18日 21時54分31秒 | 全般

2018/4/15に発信した章を段落等を修正して再発信する。

今ネットを検索していたら以下の記事を発見した。こうなると真実はネットにしかないと言っても全く過言ではないだろう。

西野瑠美子の・・・正体

【外国特派員協会での日本の戦争責任資料センターによる記者会見】

「資料センター」の吉見義明代表 「資料センター」の林博史・研究事務局長。

女たちの戦争と平和資料館館長 西野瑠美子氏、3名で開かれた記者会見。


この西野瑠美子氏を調べてみました。

中国で慰安婦報道が解禁されました。

櫻党EXより
イメージ 2

昨年10月、安倍さん訪中後の中国の変わり身の早さを「中華忍法・手のひら返し」と命名しましたが、

今回、温家宝さんが中国に帰った途端に大衆紙「南方都市報(※)」が「慰安婦」特集を組んでいます。


イメージ 3

日本の中国大使館の職員の一人は記者に対して

「東京には戦争を美化する靖国神社もあれば、平和主義の色彩の濃い慰安婦記念館もある」と語った。

彼が言う後者の慰安婦記念館とは、2005年8月、西野瑠美子氏によって創設された“女性と戦和資料館”で、

この施設は日本第一の戦争時の性暴力の被害と加害資料の資料館である。


西野氏はもとは日本記者専門学院の講師で、1990年初めから慰安婦問題の調査、宣伝の仕事を開始。

彼女は現在、慰安婦記念館の館長以外にも、21世紀児童教科書全国ネット代表、

戦争と女性への暴力日本ネット責任者、女性と平和人権基金理事などを多くを兼務しているが、

現在は慰安婦問題がすでにその仕事のほとんどになっている。
(筆者注:戦争と女性への暴力日本ネット=VAWW NET)


中国記者に語った・・西野瑠美子氏へのインタビュー発言を引っ張り出してまとめると、

保守化は日本中にかなり浸透してる。
日本国民は過去の戦争の事実をよくわかっていない。
日本の新聞は・・平和や友好についての内容は報道しない。
日本の報道は・・反日運動の背後には、中国政府の操縦がある。
日本の報道は・・アメリカ議会で日本に対して慰安婦非難決議案が提出された背景に中国がある。
私にとってメディアはこのようにある種の悪影響があり、心配しています。
日本国民があまり慰安婦の事柄について取り上げない。

ある種の悪影響とは何か・・・活動の本質がここにある。

裏で日本を陥れ様と窮している中国にとって”好影響”とは何だ、言ってみろよ!! 

「慰安婦」とは何であったか

中帰連HPより
独自のまとめ
「慰安婦」問題の解決は「責任」を抜きにして語ることはできない。
「慰安婦」問題を事実関係において打ち消し、
女性たちが語る体験に「矛盾がある」などと言ってはその証言の全体を否定

元軍人から「慰安婦は売春婦だったのだから何の問題もない」という発言に、
戦後、一貫して自らの加害体験を語り続けてきた、中国帰還者連絡会(以下中帰連)
昨今、1956年に中国で行われた日本人戦犯裁判で有罪判決を受けた45人分の供述書
(筆供自述)の一部が、入手した新井利男氏により公表された。
当時の中国側の(捕虜に対して)対応は日本軍人を人間として扱うものであり、
供述書は決して抑圧や強制により無理やり書かせられたものではなかった
という中帰連の方たちの話。
「彼らは洗脳されたのだ」などという中傷があるが、
中帰連の人々が戦後、一貫して変わらぬ意思で証言を続けていることこそ、
供述の真価を証明している。
今回、公表された45名は太原戦犯管理所と撫順戦犯管理所に
勾留されていた日本軍人であり、8年から20年という有期刑を受けた人々である。

捕虜にならずに帰国した軍人が”売春婦”と言っているのに対し、捕虜となった中帰連の軍人が中国側の発言。                     

・・・これは怪しい!                              
中国側の(捕虜に対して)人間として扱うものであり??・・・おかしな事を言う。                                 

日本との抗戦時、自国の庶民を(逃亡しない様に)鎖で繋ぎ、

最前線で戦わせていた中国が、捕虜に対して人間的に扱った?  

・・・個人で信じるのは自由、だがそれを他人に流布するのはプロパガンダだ。

 


市民活動@Wiki [西野 瑠美子]の変更点

市民活動@Wiki 西野 瑠美子の変更点より
ルポライター、日本の戦争責任資料センター幹事・研究員、[[VAWW-NETジャパン]]共同代表、
ピースボートの水先案内人、[[子どもと教科書全国ネット21]]代表委員
 
民族教育  [[すべての外国人学校に大学入学資格と財政措置を求める共同声明]] 賛同人
 
過去清算  [[戦後60年・過去を克服して、共生のアジアをめざす大行動]] 呼びかけ人
      [[アジア・太平洋戦争を忘れない 泰緬鉄道(死の鉄道)元ロウムシャ 
マレー系マレーシア人の証言集会>戦後60年・過去を克服して、共生のアジアをめざす大行動]] 
呼掛人
 
歴史教科書 [[子どもと教科書全国ネット21の結成のよびかけ]] 呼びかけ人
      [[「つくる会」教科書批判の学習会・講演会の実施>
「子どもに渡せますか?!あぶない教科書」全国ネットワーク]]
 
歴史認識  [[「歴史認識と東アジアの平和フォーラム」北京会議>
聖心侍女修道会 集会・催し物紹介]] 北京フォーラムに連帯する日本委員会
 
教育基本法 [[教育基本法改悪に反対する署名>
教育基本法改悪に反対する署名実行委員会(広島)]] 呼びかけ人
 
日の丸・君が代 [[「日の丸」「君が代」の強制に反対する市民アピール]] 
呼びかけ人
 
その他   [[檀君 WHO's WHO:西野 瑠美子>http://kamomiya.ddo.jp/C01e.html#ni]] 
西野氏は日本人なのか?(素朴な疑問)

「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク

VAWW-NETジャパンより
団体の概要 発足:1998年6月  組織:共同代表 西野瑠美子 東海林路得子 
副代表 中原道子運営委員会(19名) 会員 現在約700名  事務局 野口弥 
概要
女性の人権の視点から、提言活動を国内外で展開
●第二次世界大戦中の「慰安婦」問題 
●沖縄などの米軍基地の周辺に住む女性への暴力の問題 
●アジアをはじめとした世界各地の現代の武力紛争下の女性への暴力の問題 
 

慰安婦「欠席裁判」の主催者

「慰安婦」問題では2000年「女性国際戦犯法廷」を提案し、被害国などとともに主催しました。
被告人も弁護人もいない「欠席裁判」で昭和天皇を含む9名を"被告人"として
著しく公正さを欠いた法的根拠も無い"判決"で「有罪」とする。


最後に・・

バウネット・西野瑠美子とピースボート  2005/2/7(月) 02:38


ヒロさん日記より

私は無知である。わが愛するピースボートは、今騒がれている「女性国際戦犯法廷」のバウネットとは一線を画す、公平な団体だと思っていた。ピースボートのリンクページで、バウネット、バウネット....、と探したが見当たらないので、ああよかった、と安心していたのに。

私は調査能力がない。「ピースボート」と「西野瑠美子」で検索すれば、このページ(プレスレリース196号 2004/5/25)が出てくることも知らなかった。ピースボートは、左系の人たちからは「広告塔」として注目されているので、たぶん一緒に組みませんか、とたまたまセミナーに誘われていたものと思っていた。


私は裏切られた。責任パートナー(=共同代表)の1人がセミナーに誘われるくらいなら許せる。でも、私たちの大好きな船の上に、西野瑠美子を水先案内人(=講師)として呼んでいたなんて。


私は許せない。東大の権威をひけらかしながら、「真に友好的な精神で私たちの受け入れに道を開いてくれた黄虎男氏の御尽力を忘れることはできない」という先生たちの恥知らずな発言を。


本当に嘆かわしい。船上で「『つくる会』の教科書にも良い点がある」と発言していた純粋で勇気ある青年も、次第に気分が揺らいで、こういう若者の仲間入りをしてしまうことを。


日本にいる方にお願いします。どうか彼ら彼女たちを助けてあげてください。次に西野瑠美子たちが集まるのはここです。じっと耳を傾ければ、きっと理解し合うことができるはずです。


韓国での歴史認識シンポジウムにスタッフが参加


戦争を知らない女性を“平和”の名の下に担ぎ出し、 近隣国の立場で日本を非難する輩。
だまされないで・・ね。



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En gang inn har de ikke lov til å komme ut før de er døde.

2020年09月18日 16時49分16秒 | 全般

Følgende er fra den mye omtalte boken, "My Enemy, Xi Jinping," av Yang Yi, den første kinesiske forfatteren som vant Akutagawa-prisen og nå en naturalisert borger i Japan.
Det er en must-read ikke bare for folket i Japan, men også for mennesker over hele verden.
Lucid og veldig leselig, vil det til slutt tjene omdømme til en historisk klassiker.
P32-p46
De publiserte tallene er tydeligvis 'underrapportert'.
Det faktiske antallet smittede og døde mennesker i Wuhan er også tydelig undervurdert, og det nøyaktige antallet vil sannsynligvis være mye høyere enn det.
4. februar ringte et utenlandsk kinesisk medieverksted et begravelsesbyrå i Hubei-provinsen for å spørre om "dødstallet" i et hemmelig intervju.
Ifølge rapporten begynte dødstallene fra det nye coronavirus i Wuhan å øke i midten av januar, og kremasjonsovner har vært i drift 24 timer i døgnet siden 22. januar.
Dagen før intervjuet, eller 3. februar, ble 127 lik brakt inn, 116 ble brent.
Åtte lik ble diagnostisert med det nye koronaviruset, 48 ble mistenkt å være infisert med viruset, og resten ble behandlet som 'ukjent dødsårsak'.
Tretti prosent av de døde døde på sykehus, og 60 prosent døde hjemme.
31. januar var antallet dødsfall i Wuhan 106.
I følge en videorapport som ble lagt ut på YouTube rundt 20. februar av den ansvarlige for Wuhan Crematorium, har de åtte krematoriene i Wuhan vært i full drift 24 timer i døgnet siden slutten av januar.
Det har en maksimal kapasitet på mer enn hundre kropper om dagen per krematorium.
For øvrig falt 'antall mobiltelefonabonnement i Kina', som ble kunngjort i mars, kraftig med 18,6 millioner for China Mobile, China Unicom og China Telecom til sammen i januar og februar.
Dessuten startet prosessen med "mottak av rester" fra 26. mars til 5. april i Wuhan.
Fem hundre kropper per dag ble returnert i ti dager, noe som betyr 5000 rester per begravelsesbyrå.
Det betyr at for hver begravelsestjeneste er det 5000 lik, som er totalt 40 000 lik, som bare er i Wuhan.
Denne figuren er eksklusiv for Wuhan og inkluderer ikke de som ble tatt inn før blokaden, eller de som døde i hjemmene sine, men som aldri ble funnet, noe som betyr at myndighetene bare har gitt ut informasjon om krigsforbrytelser.
Realiteten er med andre ord at tallene er mange ganger høyere enn myndighetene har gitt ut.
Innbyggere er nok godt klar over dette.
Dagen før Xi Jinping besøkte Wuhan, ble det vist en video på YouTube av en delegasjon av partitjenestemenn som hadde kommet til Wuhan for en foreløpig inspeksjon av byen og ble mobbet av de omkringliggende leilighetene og hevdet at det hele var løgn.
Det rapporteres også om arbeidere og sjømenn som er satt i karantene i hangarskipets verft og i People's Liberation Army etter å ha blitt smittet. En sekundær spredning av sykdommen i et selskap som har åpnet igjen i Wuhan by.
Tjenestemenn rapporterte at et raskt konstruert midlertidig sykehus i Wuhan hadde blitt stengt, mens det er rapporter om at det bygges flere midlertidige sykehus i andre deler av Kina.
Videre rapporterte det at et WHO-etterforskningsteam besøkte Wuhan City, men som forventet handlet på myndighetens befaling og ikke gjennomførte en effektiv etterforskning, og en anmodning om å sende et amerikansk ekspertundersøkelsesteam ble avvist.
Alt dette betyr ikke at spredningen av det nye coronavirus i Kina virkelig er under kontroll, og jeg er overbevist om at skjulingen fortsetter som vanlig.

Boken skrevet av fru Yang Yi med en desperat innsats avslører at aviser som Asahi Shimbun og TV-medier som NHK ikke bare rapporterer om sannheten, men også spiller rollen som et oppslagstavle for KKP.
Det samme gjelder sannsynligvis verdens massemedier. Jeg har allerede nevnt om deres driftsmåte, men jeg vil diskutere det senere.
Den fryktelige staten Huoshenshan Hospital
Med andre ord tror jeg de kinesiske myndighetene bør forsegle den infiserte sonen, som eksemplifisert av Wuhan City, og skyve smittede mennesker inn på sykehuset slik at de ikke kan sees utenfra.
Opprinnelig, som svar på den raske spredningen av infeksjonen i Wuhan, bygde Wuhan-myndighetene et nytt sykehus på 10 dager for å håndtere mangelen på sykehussenger.
Det er Huoshenshan sykehus.
Det var imidlertid spørsmålstegn om riktig behandling ble gitt der.
Nøyaktig informasjon om frekvensen av botemidler og omkomne forble ikke frigitt.
Det var bare en "klinikk" i navn, uten leger eller sykepleiere, og pasienter ble overlatt til å klare seg selv, uten behandling tilgjengelig.
De private rommene var låst utenfra, og pasientene kunne ikke komme og gå som de ville.
En gang inn har de ikke lov til å komme ut før de er døde.
I slutten av mars rapporterte den at 'myndighetene har bestilt hundretusenvis av kroppsvesker fra en taiwansk produsent.'
Når folk blir tatt bort med makt bare fordi de mistenkes for å være smittet, får de ikke tilstrekkelig behandling og blir ganske enkelt satt i karantene.
Risikoen for infeksjon på sykehuset er høy, og selv om de testet negativt, kan de fremdeles bli smittet og utvikle sykdommen.
Det er tilsynelatende 'forfølgelse'.
Ifølge en teori var deltidsjobber tilgjengelig i Wuhan på den tiden, sent på kvelden og tidlig på morgenen.
De ville jobbe gjennom natten for å fjerne de avdøde likene fra krematoriet.
Krematoriet er i full drift 24 timer i døgnet.
Det går rykter om at hvis du laster kroppen på linjen, vil den komme ut som aske.
Vi har også hørt at beinene ble stående uten begravelse fordi de ble fortalt at de ikke kunne overleveres fordi de ble mistenkt for å være smittet.
Er ideen om at beinene ikke har noe rom for infeksjon, men boksen er forurenset av viruset?
Det var fortsatt litt spillerom de første dagene, og kroppen ble overlevert til familien.
Men til slutt var det ikke mer plass til det, og selv om de ble overlevert, vet de ikke hvem de tilhørte.
Det var så mange av dem at de bare ble brent i en automatisert linje.
For ikke lenge siden tellet menneskene som arbeidet med kremasjonene kroppene.
De kunne telle antall dødsfall per dag til et visst punkt, men antallet økte så raskt at de ikke kunne få en nøyaktig figur.
Til slutt kunne de ikke følge med døgnåpent, så de måtte distribuere mer enn 40 mobile kremasjonsbiler, som søppelbiler, for å takle situasjonen.
De sier at de kan forbrenne dem på en brøkdel av tiden.
Det er akkurat som søppelforbrenning eller bortskaffelse av dyr.
Ingen kan også forlate hjemmene sine i Wuhans isolerte områder, så hvis de ikke får mat, har de ikke noe annet valg enn å sulte i hjel.
Først ble det kunngjort at det var nok mat selv med Wuhan-blokaden, men realiteten var at den ikke skulle spres i det hele tatt.
Til slutt hadde de som var fanget i områdene i Wuhan i karantene, ikke annet valg enn å dø av sykdom eller sulte i hjel.
Hvis en hel familie ble smittet, ville ingen vite hva som foregikk.
Selv om noen nær dem klaget over at de ikke kunne kontaktes, var det ingen måte å bekrefte det fordi myndighetene ikke ville handle.
Virkeligheten til den tragiske Wuhan-blokaden
Videre er det historier om raskt konstruerte "sykehus" som Huoshenshan Hospital, Leishenshan Hospital, Mobile hytte sykehus, etc. Arbeiderne som er ansvarlige for bygningsarbeidere har ikke fått utbetalt lønn.
Først ble arbeiderne ansatt daglig eller månedlig, men de fikk ikke lønn selv etter at konstruksjonen var ferdig.
De tvinger alle til å si at de meldte seg frivillig til å gjøre dette.
Det er for urimelig.
Det opprinnelige verbale løftet så ut til å være at de ble lovet en godtgjørelse på 300 yuan (ca. ¥ 4500) per dag.
Selv for Kinas nåværende lønnsskala er den billig, men arbeiderne må sørge for bolig og mat.
Og det er en rushjobb, med lang arbeidstid.
Jeg har aldri sett en så nådeløs regjering som tvinger folk til å melde seg frivillig til manuelt arbeid med infeksjonsrisiko.
Det som er enda mer skammelig, som en kineser, er at de som benyttet seg av blokaden var voldsomme.
Kommunistpartiets tjenestemenn ga pårørende og bekjente privilegiet å selge grønnsaker til de blokkerte områdene og solgte dem til mer enn ti ganger den vanlige prisen.

'Hvem kan spise disse dyre grønnsakene! Beboerne kontaktet de frivillige selv for å skaffe grønnsaker til tilgjengelige priser, og de delte alle produktene.
Så ringte kjøpmennene, under pusten fra de kommunistpartiet tilknyttede handelsmennene, politiet for å forhindre de frivillige fra å dele sine grønnsaker.
Når de protesterte, ble de arrestert og innrammet for "mistenkt infeksjon" og ført til Huoshenshan sykehus og andre steder.
Da vet du ikke om du kommer til å bli levende.
Det er ingenting mer skremmende enn dette.
Denne artikkelen fortsetter.

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Sodra hulle binnekom, mag hulle nie uitkom voordat hulle dood is nie.

2020年09月18日 16時47分18秒 | 全般

Die volgende is uit die veelbesproke boek, "My Enemy, Xi Jinping," deur Yang Yi, die eerste Chinese skrywer wat die Akutagawa-prys gewen het en nou 'n genaturaliseerde burger van Japan.
Dit is 'n moet-lees nie net vir die mense van Japan nie, maar ook vir mense wêreldwyd.
Lucid en baie leesbaar, sal dit uiteindelik die reputasie van 'n historiese klassieke verdien.
P32-p46
Die gepubliseerde getalle is duidelik 'onderrapporteer'.
Die werklike aantal besmette en dooie mense in Wuhan word ook duidelik onderskat, en die presiese aantal sal waarskynlik baie hoër wees as dit.
Op 4 Februarie het 'n oorsese Chinese media 'n begrafnisonderneming in die provinsie Hubei gebel om te vra oor die "dodetal" in 'n geheime onderhoud.
Luidens die verslag het die dodetal weens die nuwe koronavirus in Wuhan middel Januarie begin styg, en verassingsoondjies werk sedert 22 Januarie 24 uur per dag.
Die dag voor die onderhoud, of 3 Februarie, is 127 lyke ingebring, en 116 is verbrand.
Agt liggame is met die nuwe koronavirus gediagnoseer, 48 is vermoedelik met die virus besmet, en die res is as 'oorsaak van die dood onbekend' behandel.
Dertig persent van die oorledenes het in hospitale gesterf, en 60 persent het tuis gesterf.
Op 31 Januarie was die dodetal in Wuhan 106.
Volgens 'n videoverslag wat die bestuurder van die Wuhan-krematorium rondom 20 Februarie op YouTube geplaas het, is die agt krematoria in Wuhan sedert einde Januarie 24 uur per dag in volle werking.
Dit het 'n maksimum kapasiteit van meer as honderd lyke per dag per krematorium.
Terloops, die 'aantal selfoon-intekeninge in China', wat in Maart aangekondig is, het in Januarie en Februarie saam met 18,6 miljoen vir China Mobile, China Unicom en China Telecom gesamentlik gedaal.
Buitendien, van 26 Maart tot 5 April het die proses om 'oorblyfsels te ontvang' in Wuhan begin.
Vyfhonderd lyke per dag is vir tien dae terugbesorg, wat beteken dat daar 5000 oorblyfsels per begrafnisonderneming is.
Dit beteken dat daar vir elke begrafnisdiens 5000 lyke is, wat altesaam 40 000 lyke is, net in Wuhan.
Hierdie syfer is eksklusief vir Wuhan en sluit nie diegene in wat voor die blokkade opgeneem is, of diegene wat in hul huise gesterf het nie, maar nog nooit gevind is nie, wat beteken dat die owerhede slegs inligting oor oorlogsmisdade bekend gemaak het.
Met ander woorde, die werklikheid is dat die syfers baie keer hoër is as wat die owerhede bekend gemaak het.
Burgers is waarskynlik deeglik daarvan bewus.
Die dag voordat Xi Jinping Wuhan besoek het, is 'n video op YouTube gewys van 'n afvaardiging van partyamptenare wat na Wuhan gekom het vir 'n voorlopige inspeksie in die stad en deur die omliggende woonstelle geboelie is en beweer dat dit alles 'n leuen is.
Daar is ook berigte oor werkers en matrose wat in die vliegdekskip se werf en binne die People's Liberation Army in kwarantyn geplaas is nadat hulle besmet is. 'N Sekondêre verspreiding van die siekte in 'n onderneming wat in Wuhan stad heropen is.
Amptenare het berig dat 'n tydelike hospitaal in Wuhan, wat vinnig gebou is, gesluit is, en daar is berigte dat meer tydelike hospitale in ander dele van China gebou word.
Verder het dit berig dat 'n WHO-ondersoekspan Wuhan City besoek het, maar, soos verwag, in opdrag van die owerhede opgetree het en nie 'n doeltreffende ondersoek gedoen het nie, en 'n versoek om 'n Amerikaanse kundige ondersoekspan te stuur, is van die hand gewys.
Dit alles beteken nie dat die verspreiding van die nuwe koronavirus in China werklik onder beheer is nie, en ek is oortuig dat die toesmeerdery soos gewoonlik voortgaan.

Die boek wat me. Yang Yi met 'n desperate poging geskryf het, onthul dat koerante soos die Asahi Shimbun en TV-media soos NHK nie net die waarheid rapporteer nie, maar ook die rol van 'n advertensiebord vir die KKP speel.
Dieselfde geld waarskynlik vir die wêreld se massamedia. Ek het reeds oor hul werkswyse genoem, maar ek sal dit later bespreek.
Die vreeslike toestand van die Huoshenshan-hospitaal
Met ander woorde, ek dink die Chinese owerhede moet die besmette sone, soos geïllustreer deur Wuhan City, afsluit en besmette mense na die hospitaal stoot sodat hulle nie van buite gesien kan word nie.
Aanvanklik, in reaksie op die vinnige verspreiding van die infeksie in Wuhan, het die Wuhan-owerhede binne tien dae 'n nuwe hospitaal gebou om die tekort aan hospitaalbeddens te hanteer.
Dit is die Huoshenshan-hospitaal.
Dit was egter die vraag of daar behoorlike behandeling verskaf is.
Akkurate inligting oor die tempo van genesing en sterftes het nog nie bekendgestel nie.
Dit was slegs 'n 'kliniek' in naam, met geen dokters of verpleegsters nie, en pasiënte het oorgelaat om hulself te versorg, sonder behandeling beskikbaar.
Die privaat kamers was van buite af gesluit en pasiënte kon nie kom en gaan soos hulle wou nie.
Sodra hulle binnekom, mag hulle nie uitkom voordat hulle dood is nie.
Aan die einde van Maart het dit berig dat 'owerhede honderdduisende lyksakke by een Taiwanese vervaardiger bestel het'.
As mense met geweld weggeneem word bloot omdat hulle vermoed word dat hulle besmet is, word hulle nie voldoende behandel nie en word hulle bloot in kwarantyn geplaas.
Die risiko vir infeksie in die hospitaal is groot, en selfs al is hulle negatief getoets, kan hulle steeds besmet wees en die siekte ontwikkel.
Dit is klaarblyklik 'vervolging'.
Volgens een teorie was destyds deeltydse poste beskikbaar in Wuhan, laat in die nag en vroeg in die oggend.
Hulle sou deur die nag werk om die oorledene se lyke uit die krematorium te verwyder.
Die krematorium is 24 uur per dag in volle werking.
Daar is gerugte dat as jy die liggaam op die lyn laai, dit as van agter sal uitkom.
Ons het ook gehoor dat die bene sonder 'n begrafnis gelaat is omdat daar vir hulle gesê is dat dit nie oorhandig kan word nie omdat daar vermoedelik besmet is.
Is die idee dat die bene nie ruimte het vir infeksie nie, maar dat die boks besmet is met die virus?
Daar was nog 'n bietjie ruimte in die vroeë dae, en die liggaam is aan die gesin oorhandig.
Maar uiteindelik was daar nie meer ruimte daarvoor nie, en selfs al sou hulle oorhandig word, weet hulle nie aan wie hulle behoort nie.
Daar was soveel van hulle dat hulle net in 'n outomatiese lyn verbrand is.
Ook nie lank gelede nie, tel die mense wat aan die verassings werk, die lyke.
Hulle kon die aantal sterftes per dag tot 'n sekere punt tel, maar die aantal het so vinnig toegeneem dat hulle nie 'n akkurate syfer kon kry nie.
Uiteindelik kon hulle nie met die 24-uur-operasie tred hou nie, en daarom moes hulle meer as 40 mobiele verassingsvoertuie, soos vullisvragmotors, ontplooi om die situasie die hoof te bied.
Hulle sê dat hulle dit binne 'n fraksie van die tyd kan verbrand.
Dit is net soos vullisverbranding of wegdoen van diere.
Niemand kan ook hul huise in die geïsoleerde gebiede van Wuhan verlaat nie, so as hulle nie kos kan kry nie, het hulle geen ander keuse as om honger te ly nie.
Aanvanklik is aangekondig dat daar selfs met die Wuhan-blokkade genoeg kos is, maar die werklikheid was dat dit glad nie versprei sou word nie.
Uiteindelik het diegene wat in die gebiede van Wuhan in kwarantyn vasgevang was, geen ander keuse as om aan siektes te sterf of dood te sterf nie.
As 'n hele gesin besmet was, sou niemand weet wat aangaan nie.
Selfs as iemand naby hulle gekla het dat hulle nie gekontak kon word nie, was daar geen manier om dit te bevestig nie, omdat die owerhede nie sou optree nie.
Die werklikheid van die tragiese Wuhan-blokkade
Daar is boonop verhale van haastig geboude "hospitale" soos Huoshenshan-hospitaal, Leishenshan-hospitaal, mobiele kajuithospitaal, ens. Die werkers wat verantwoordelik is vir konstruksiewerkers is nie hul salarisse betaal nie.
Aanvanklik is die werkers daagliks of maandeliks aangestel, maar selfs nadat die konstruksie voltooi is, word hulle nie betaal nie.
Hulle dwing almal om te sê dat hulle vrywillig hiertoe gedoen het.
Dit is te onredelik.
Die eerste mondelinge belofte blyk te wees dat hulle 'n toelaag van 300 yuan (ongeveer ¥ 4500) per dag beloof het.
Selfs vir China se huidige loonskaal is dit goedkoop, maar die werkers moet hul huisvesting en kos voorsien.
En dit is 'n stormloop, met lang werksure.
Ek het nog nooit so 'n genadelose regering gesien wat mense dwing om vrywillig te wees vir handearbeid met infeksierisiko nie.
Wat selfs as 'n mede-Chinese meer skandelik is, is dat diegene wat die blokkade benut het, ongebreideld was.
Amptenare van die Kommunistiese Party het familielede en kennisse die voorreg gegee om groente aan die geblokkeerde gebiede te verkoop en teen meer as tien keer die gewone prys te verkoop.

'Wie kan hierdie duur groente eet! Die inwoners het self met die vrywilligers gekontak om groente teen die beskikbare pryse te bekom, en hulle het almal die produkte gedeel.
Toe het die handelaars onder die asem van die handelaars van die Kommunistiese Party die polisie gebel om te keer dat die vrywilligers hul groente deel.
Toe hulle betoog, sou hulle in hegtenis geneem en opgestel word vir 'vermoedelike besmetting' en na die Huoshenshan-hospitaal en ander plekke geneem word.
Dan weet jy nie of jy dit lewend sal uitmaak nie.
Daar is niks skrikwekkender as dit nie.
Hierdie artikel gaan voort.

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En gång in får de inte komma ut förrän de är döda.

2020年09月18日 16時45分48秒 | 全般

Följande är från den mycket omtalade boken, "My Enemy, Xi Jinping", av Yang Yi, den första kinesiska författaren som vann Akutagawa-priset och nu en naturaliserad medborgare i Japan.
Det är en måste-läs inte bara för folket i Japan utan också för människor över hela världen.
Lucid och mycket läsbar kommer det så småningom att få rykte om en historisk klassiker.
P32-p46
De publicerade siffrorna är tydligt 'underrapporterade'.
Det faktiska antalet infekterade och döda människor i Wuhan underskattas också tydligt, och det exakta antalet kommer sannolikt att vara mycket högre än så.
Den 4 februari ringde ett utomeuropeiskt kinesiskt media till ett begravningsställe i Hubei-provinsen för att fråga om "dödstalen" i en hemlig intervju.
Enligt rapporten började dödsantalet från det nya koronaviruset i Wuhan öka i mitten av januari och kremationsugnar har varit i drift dygnet runt sedan den 22 januari.
Dagen innan intervjun, eller den 3 februari, togs 127 kroppar in, 116 brändes.
Åtta kroppar diagnostiserades med det nya koronaviruset, 48 misstänktes vara infekterade med viruset och resten behandlades som 'okänd dödsorsak'.
Trettio procent av de döda dog på sjukhus och 60 procent dog hemma.
Den 31 januari var antalet dödsfall i Wuhan 106.
Enligt en videorapport som publicerades på YouTube runt den 20 februari av den ansvariga för Wuhan Crematorium, har de åtta krematorierna i Wuhan varit i full drift 24 timmar om dygnet sedan slutet av januari.
Det har en maximal kapacitet på mer än hundra kroppar per dag per krematorium.
För övrigt föll "antalet mobiltelefonabonnemang i Kina", som meddelades i mars, kraftigt med 18,6 miljoner för China Mobile, China Unicom och China Telecom tillsammans i januari och februari.
Dessutom, från 26 mars till 5 april, började processen "mottagande av rester" i Wuhan.
Fem hundra kroppar per dag återlämnades i tio dagar, vilket innebär 5 000 kvarlevor per begravningsbyrå.
Det betyder att för varje begravningstjänst finns det 5000 kroppar, vilket är totalt 40 000 kroppar, vilket bara finns i Wuhan.
Denna siffra är exklusiv för Wuhan och inkluderar inte de som tagits in före blockaden eller de som dog i sina hem men aldrig har hittats, vilket innebär att myndigheterna bara har släppt information om krigsförbrytelser.
Med andra ord är verkligheten att siffrorna är många gånger högre än de som offentliggörs av myndigheterna.
Medborgarna är nog medvetna om detta.
Dagen innan Xi Jinping besökte Wuhan visades en video på YouTube av en delegation av partitjänstemän som hade kommit till Wuhan för en preliminär inspektion av staden och blev mobbad av de omgivande lägenheterna och hävdade att allt var en lögn.
Det finns också rapporter om att arbetare och sjömän sätts i karantän i hangarfartygets varv och inom Folkets befrielsearmé efter infektion. En sekundär spridning av sjukdomen i ett företag som har öppnat igen i staden Wuhan.
Tjänstemän rapporterade att ett snabbt byggt tillfälligt sjukhus i Wuhan hade stängts, medan det finns rapporter om att fler tillfälliga sjukhus byggs i andra delar av Kina.
Vidare rapporterade det att ett WHO-utredningsgrupp besökte Wuhan City men som förväntat agerade på uppdrag av myndigheterna och inte genomförde en effektiv utredning och en begäran om att skicka en amerikansk expertutredningsgrupp avvisades.
Allt detta betyder inte att spridningen av det nya koronaviruset i Kina verkligen är under kontroll, och jag är övertygad om att täckmantel fortsätter som vanligt.

Boken skriven av fru Yang Yi med en desperat ansträngning avslöjar att tidningar som Asahi Shimbun och TV-media som NHK inte bara rapporterar sanningen utan också spelar rollen som en skylt för KKP.
Detsamma gäller förmodligen världens massmedia. Jag har redan nämnt om deras driftsätt, men jag kommer att diskutera det senare.
Den fruktansvärda staten Huoshenshan Hospital
Med andra ord tror jag att de kinesiska myndigheterna bör försegla den infekterade zonen, som exemplifierats av Wuhan City, och skjuta smittade människor in på sjukhuset så att de inte kan ses från utsidan.
Till en början, som svar på den snabba spridningen av infektionen i Wuhan, byggde Wuhan-myndigheterna ett nytt sjukhus på tio dagar för att hantera bristen på sjukhussängar.
Det är Huoshenshan sjukhus.
Det var emellertid fråga om huruvida korrekt behandling gavs där.
Noggrann information om frekvensen av botemedel och dödsfall förblev ännu inte släppt.
Det var bara en "klinik" i namn, utan läkare eller sjuksköterskor, och patienter lämnades för att klara sig själva, utan behandling tillgänglig.
De privata rummen var låsta utifrån och patienterna kunde inte komma och gå som de ville.
En gång in får de inte komma ut förrän de är döda.
I slutet av mars rapporterade det att "myndigheterna har beställt hundratusentals kroppsväskor från en taiwanesisk tillverkare."
När människor tvingas tas bort helt enkelt för att de misstänks vara smittade får de inte tillräcklig behandling utan sätts helt enkelt i karantän.
Risken för infektion på sjukhuset är hög, och även om de testade negativa, kan de fortfarande smittas och utveckla sjukdomen.
Det är uppenbart "förföljelse".
Enligt en teori fanns det deltidsjobb i Wuhan vid den tiden, sent på kvällen och tidigt på morgonen.
De skulle arbeta hela natten för att ta bort de avlidnes kroppar från krematoriet.
Krematoriet är i full drift 24 timmar om dygnet.
Det finns rykten om att om du laddar kroppen på linjen kommer den att komma bakifrån som aska.
Vi har också hört att benen lämnades utan begravning eftersom de fick höra att de inte kunde överlämnas eftersom de misstänktes vara smittade.
Är tanken att själva benen inte har något utrymme för infektion, men lådan är förorenad med viruset?
Det fanns fortfarande lite spelrum under de första dagarna och kroppen överlämnades till familjen.
Men så småningom fanns det inget mer utrymme för det, och även om de överlämnades vet de inte vem de tillhörde.
Det var så många av dem att de bara brändes i en automatiserad linje.
För inte så länge sedan räknade folket som arbetade vid kremeringarna kropparna.
De kunde räkna antalet dödsfall per dag till en viss punkt, men antalet ökade så snabbt att de inte kunde få en exakt siffra.
Så småningom kunde de inte hänga med 24-timmarsoperationen, så de var tvungna att distribuera mer än 40 mobila kremeringsfordon, som sopbilar, för att hantera situationen.
De säger att de kan bränna dem på en bråkdel av tiden.
Det är precis som skräpförbränning eller bortskaffande av djur.
Ingen kan också lämna sina hem i Wuhans isolerade områden, så om de inte kan få mat har de inget annat val än att svälta ihjäl.
Först meddelades det att det fanns tillräckligt med mat även med Wuhan-blockaden, men verkligheten var att den inte skulle spridas ut alls.
I slutändan hade de som fångats i Wuhans karantänområden inget annat val än att dö av sjukdom eller svälta ihjäl.
Om en hel familj smittades skulle ingen veta vad som hände.
Även om någon nära dem klagade på att de inte kunde kontaktas, fanns det inget sätt att bekräfta det eftersom myndigheterna inte skulle agera.
Verkligheten i den tragiska Wuhan-blockaden
Dessutom finns berättelser om hastigt byggda "sjukhus" som Huoshenshan Hospital, Leishenshan Hospital, Mobile Cabin Hospital etc. De arbetare som ansvarar för byggnadsarbetare har inte fått sina löner.
Först anställdes arbetarna dagligen eller månadsvis, men de fick inte betalt ens efter att byggandet var klart.
De tvingar alla att säga att de var frivilliga att göra detta.
Det är för orimligt.
Det ursprungliga verbala löfte verkade vara att de utlovades en ersättning på 300 yuan (cirka ¥ 4500) per dag.
Även för Kinas nuvarande löneskala är det billigt, men arbetarna måste skaffa sina bostäder och mat.
Och det är ett brådskande jobb med långa arbetstider.
Jag har aldrig sett en så hänsynslös regering som tvingar människor att volontärarbete för manuellt arbete med infektionsrisk.
Vad som är ännu mer skamligt, som en medkinesisk, är att de som utnyttjade blockaden var frodiga.
Kommunistpartiets tjänstemän gav släktingar och bekanta privilegiet att sälja grönsaker till de blockerade områdena och sålde dem till mer än tio gånger det vanliga priset.

'Vem kan äta dessa dyra grönsaker! Invånarna kontaktade volontärerna själva för att skaffa grönsaker till tillgängliga priser, och de delade alla produkterna.
Sedan ringde köpmännen, under andan av de kommunistpartiet anslutna handlarna, polisen för att hindra de frivilliga från att dela sina grönsaker.
När de protesterade skulle de arresteras och inramas för "misstänkt infektion" och föras till Huoshenshan sjukhus och andra platser.
Då vet du inte om du klarar det levande.
Det finns inget mer skrämmande än detta.
Denna artikel fortsätter.

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一進去,它們就死了才被允許出來。

2020年09月18日 16時44分07秒 | 全般

以下是摘自楊儀的著作《我的敵人,習近平》,該書是第一位獲得Akutagawa獎的中國作家,現已成為日本籍,這本書廣受關注。
這不僅是日本人民的必讀,也是全世界人民的必讀。
清晰易讀,最終將贏得歷史經典的美譽。
P32-p46
公佈的數字顯然被“低估了”。
武漢的實際感染和死亡人數也明顯被低估了,確切數字可能要高得多。
2月4日,一家海外華人媒體在湖北省一家called儀館打了電話,在一次秘密採訪中詢問“死亡人數”。
根據該報告,武漢新的冠狀病毒造成的死亡人數在1月中旬開始上升,自1月22日以來,火化爐每天24小時運轉。
採訪的前一天,即2月3日,有127具屍體被帶進來,有116具被燒毀。
八個人被診斷出患有新的冠狀病毒,其中四十八人被懷疑感染了這種病毒,其餘的被視為“死因未知”。
30%的死者死於醫院,60%死於家中。
1月31日,武漢市死亡人數為106。
根據武漢火葬場負責人2月20日左右在YouTube上發布的視頻報告,自1月底以來,武漢的8個火葬場每天24小時全天候運作。
每個火葬場每天最多可容納一百具屍體。
順便說一句,3月宣布的“中國手機訂購數量”在1月和2月分別下降了1860萬,中國移動,中國聯通和中國電信的總和。
此外,從3月26日至4月5日,“遺體接收”過程在武漢開始。
每天有500具屍體被送回十天,這意味著每個fun儀館有5,000具遺體。
這意味著每項fun儀服務都有5000具屍體,總共40,000具屍體,僅在武漢。
這個數字是武漢所獨有的,不包括封鎖之前被帶走的人或死在自己家中但從未被發現的人,這意味著當局只發布了有關戰爭罪的信息。
換句話說,實際情況是這些數字比當局公佈的數字高出許多倍。
公民可能對此很清楚。
習近平訪問武漢的前一天,在YouTube上播放了一段錄像帶,該錄像帶是一群來武漢進行城市初步檢查並被周圍公寓欺負的黨員的代表,聲稱這完全是謊言。
也有報告說,工人和水手被感染後在航空母艦的船塢和人民解放軍內部被隔離。該疾病在武漢市一家公司內的二次傳播。
官員們報告說,武漢一家倉促建造的臨時醫院已經關閉,而據報導,中國其他地區正在建造更多的臨時醫院。
此外,它報告說,世衛組織的一個調查小組訪問了武漢市,但正如預期的那樣,是根據當局的指示行事,未進行有效的調查,因此派遣美國專家調查小組的請求被拒絕。
所有這些並不意味著新的冠狀病毒在中國的傳播受到了真正的控制,我相信這種掩蓋行為仍將照常進行。

楊毅女士的這本書不遺餘力地表明,《朝日新聞》等報紙和NHK等電視媒體不僅在報導真相,而且還在中共的廣告牌上扮演著角色。
世界大眾傳媒也可能如此。我已經提到了它們的操作模式,但是稍後我會討論。
霍神山醫院的可怕境界
換句話說,我認為中國當局應該封鎖武漢市為例的感染區,並將感染者推入醫院,以便從外面看不到他們。
最初,為應對感染在武漢的迅速蔓延,武漢當局在10天內建立了一家新醫院,以應對病床短缺的問題。
那是火神山醫院。
但是,是否在那裡提供適當的治療令人懷疑。
關於治愈率和死亡率的準確信息仍未公佈。
它只是名字上的“診所”,沒有醫生或護士,患者只能靠自己養家糊口,沒有可用的治療方法。
私人房間是從外面鎖起來的,病人無法隨意進出。
一旦進入,它們將被殺死直到死亡。
3月底,它報導說:“當局已從一家台灣製造商訂購了數十萬個屍體袋。”
當僅僅因為懷疑他們被感染而被強行帶走時,他們就得不到充分的治療並被隔離。
在醫院中感染的風險很高,即使他們測試呈陰性,他們仍然可能被感染並發展為疾病。
顯然是“迫害”。
根據一種理論,當時武漢,深夜和清晨都有兼職工作。
他們將整夜工作,將死者的屍體從火葬場移走。
火葬場每天24小時全天候運作。
有傳言說,如果您將車身加載到線路上,它將從後面變成灰燼。
我們還聽說,骨頭被遺忘了,因為有人告訴他們由於懷疑它們被感染而無法移交。
骨頭本身沒有感染空間,但盒子被病毒污染的想法嗎?
早期還有一些迴旋餘地,屍體已移交給家人。
但最終,沒有更多的空間了,即使移交給他們,他們也不知道他們屬於誰。
它們太多了,以至於它們只是在自動生產線上被燒掉了。
另外,不久前,從事火葬的人們還在數屍體。
他們可以算出每天的死亡人數,直到某一點為止,但是死亡人數如此之快以至於無法獲得準確的數字。
最終,他們無法跟上24小時運營的步伐,因此他們不得不部署40多輛移動火葬車(例如垃圾車)來應對這種情況。
他們說他們可以在短時間內焚化它們。
就像垃圾焚燒或動物屍體處理一樣。
另外,沒有人可以離開家在武漢的偏遠地區,因此,如果他們無法獲得食物,他們別無選擇,只能餓死。
最初,宣布即使在武漢封鎖下也有足夠的食物,但現實情況是根本不會散佈食物。
最後,被困在武漢隔離區的人們別無選擇,只能死於疾病或餓死。
如果整個家庭都被感染,沒人會知道發生了什麼事。
即使靠近他們的人抱怨無法與他們聯繫,也無法確認,因為當局不會採取行動。
武漢慘案的現實
而且,還有火神山醫院,雷神山醫院,流動小木屋醫院等倉促建造的“醫院”的故事。負責建築工人的工人沒有得到工資。
最初,工人每天或每月被雇用,但是即使在施工完成後也沒有得到工資。
他們強迫每個人說他們自願這樣做。
太不合理了。
最初的口頭承諾似乎是答應每天給他們300元(約4,500日元)的津貼。
即使以目前的工資水平來說,這也很便宜,但工人必須提供住房和食物。
而且這是一項緊急工作,需要長時間的工作。
我從未見過如此殘酷的政府強迫人們自願參加有感染風險的體力勞動。
作為中國人,更可恥的是那些利用封鎖的人猖ramp。
共產黨官員給予親戚和熟人向封鎖地區出售蔬菜的特權,並以通常價格的十倍以上出售它們。

誰可以吃這些昂貴的蔬菜! 居民聯繫了志願者自己以可用價格購買蔬菜,他們全都在分享產品。
然後,商人在共產黨相關商人的呼吸下,打電話報警,以阻止志願者分享他們的蔬菜。
當他們抗議時,他們將因“疑似感染”而被捕並被陷害,並被送到火神山醫院和其他地方。
然後,您不知道是否可以將其激活。
沒有比這更可怕的了。
本文繼續。

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一进去,它们就死了才被允许出来。

2020年09月18日 16時42分22秒 | 全般

以下是摘自杨仪的著作《我的敌人,习近平》,该书是第一位获得Akutagawa奖的中国作家,现已成为日本籍,这本书广受关注。
这不仅是日本人民的必读,也是全世界人民的必读。
清晰易读,最终将赢得历史经典的美誉。
P32-p46
公布的数字显然被“低估了”。
武汉的实际感染和死亡人数也明显被低估了,确切数字可能要高得多。
2月4日,一家海外华人媒体在湖北省一家called仪馆打了电话,在一次秘密采访中询问“死亡人数”。
根据该报告,武汉新的冠状病毒造成的死亡人数在1月中旬开始上升,自1月22日以来,火化炉每天24小时运转。
采访的前一天,即2月3日,有127具尸体被带进来,有116具被烧毁。
八个人被诊断出感染了新的冠状病毒,其中四十八人被怀疑感染了这种病毒,其余的被视为“死因未知”。
30%的死者死于医院,60%死于家中。
1月31日,武汉市死亡人数为106。
根据武汉火葬场负责人2月20日左右在YouTube上发布的视频报告,自1月底以来,武汉的8个火葬场每天24小时全天候运作。
每个火葬场每天最多可容纳一百具尸体。
顺便说一句,3月宣布的“中国手机订购数量”在1月和2月分别下降了1860万,中国移动,中国联通和中国电信的总和。
此外,从3月26日至4月5日,武汉开始了“遗体接收”程序。
每天有500具尸体被归还十天,这意味着每个fun仪馆有5,000具遗体。
这意味着每项fun仪服务都有5000具尸体,总共40,000具尸体,仅在武汉。
这个数字是武汉市专有的,不包括封锁前被俘的人,或死在自己家中但从未被发现的人,这意味着当局只发布了有关战争罪的信息。
换句话说,实际情况是这些数字比当局公布的数字高出许多倍。
市民可能对此很清楚。
习近平访问武汉的前一天,在YouTube上播放了一段录像带,该录像带是一群来武汉进行城市初步检查并被周围公寓欺负的党员的代表,声称这完全是谎言。
也有报告说,工人和水手被感染后在航空母舰的造船厂和人民解放军内被隔离。该疾病在武汉市一家公司内的二次传播。
官员报告说,武汉一家仓促建造的临时医院已经关闭,而有报道称,中国其他地区正在建造更多的临时医院。
此外,它报告说,世卫组织的一个调查小组访问了武汉市,但正如预期的那样,是根据当局的指示行事,未进行有效的调查,因此派遣美国专家调查小组的请求被拒绝。
所有这些并不意味着新的冠状病毒在中国的传播受到了真正的控制,我相信这种掩盖行为仍将照常进行。

杨毅女士的这本书拼命地揭示出,《朝日新闻》等报纸和NHK等电视媒体不仅在报道真相,而且还在中共扮演广告牌的角色。
世界大众传媒也可能如此。我已经提到了它们的操作模式,但是稍后我会讨论。
霍神山医院的可怕境界
换句话说,我认为中国当局应该封锁武汉市为例的感染区,并将感染者推入医院,以便从外面看不到他们。
最初,为应对感染在武汉的迅速蔓延,武汉当局在10天内建立​​了一家新医院,以应对病床短缺的问题。
那是火神山医院。
但是,是否在那里提供适当的治疗令人怀疑。
关于治愈率和死亡率的准确信息仍未公布。
它只是名字上的“诊所”,没有医生或护士,患者只能靠自己养家糊口,没有可用的治疗方法。
私人房间是从外面锁起来的,病人无法随意进出。
一进去,它们就死了才被允许出来。
3月底,它报道说:“有关部门已从一家台湾制造商订购了数十万个行李袋。”
当仅仅因为怀疑他们被感染而被强行带走时,他们就得不到充分的治疗并被隔离。
在医院中感染的风险很高,即使他们测试呈阴性,他们仍然可能被感染并发展为疾病。
显然是“迫害”。
根据一种理论,当时武汉,深夜和清晨都有兼职工作。
他们将整夜工作,将死者的尸体从火葬场移走。
火葬场每天24小时全天候运作。
有传言说,如果您将车身加载到线路上,它将从后面变成灰烬。
我们还听说,骨头被遗忘了,因为有人告诉他们由于怀疑它们被感染而无法移交。
骨头本身没有感染空间,但盒子被病毒污染的想法吗?
早期还有一些回旋余地,尸体已移交给家人。
但是最终,没有更多的空间了,即使移交给他们,他们也不知道他们属于谁。
它们太多了,以至于它们只是在自动生产线上被烧掉了。
另外,不久前,从事火葬的人们还在数尸体。
他们可以算出每天的死亡人数,直到某一点为止,但是死亡人数增长如此之快,以致无法获得准确的数字。
最终,他们无法跟上24小时运营的步伐,因此他们不得不部署40多辆移动火葬车(例如垃圾车)来应对这种情况。
他们说他们可以在短时间内焚化它们。
就像垃圾焚烧或动物尸体处理一样。
而且,没有人可以离开家在武汉的偏远地区,因此,如果他们无法获得食物,他们别无选择,只能饿死。
最初,宣布即使在武汉封锁的情况下也有足够的食物,但现实情况是它根本不会散播。
最后,被困在武汉隔离区的人们别无选择,只能死于疾病或饿死。
如果整个家庭都被感染,没人会知道发生了什么事。
即使接近他们的人抱怨无法与他们联系,也无法确认,因为当局不会采取行动。
武汉惨案的现实
此外,还有火神山医院,雷神山医院,流动小木屋医院等仓促建造的“医院”的故事。负责建筑工人的工人没有得到工资。
起初,工人每天或每月被雇用,但是即使在施工完成后也没有得到工资。
他们强迫每个人说他们自愿这样做。
太不合理了
最初的口头承诺似乎是答应每天给他们300元(约4,500日元)的津贴。
即使以目前的工资水平来说,这也很便宜,但工人必须提供住房和食物。
而且这是一项紧急工作,需要长时间的工作。
我从未见过如此残酷的政府强迫人们自愿参加有感染风险的体力劳动。
作为中国人,更可耻的是那些利用封锁的人猖ramp。
共产党官员给予亲戚和熟人向封锁地区出售蔬菜的特权,并以通常价格的十倍以上出售它们。

谁可以吃这些昂贵的蔬菜! 居民联系了志愿者自己以可用价格购买蔬菜,他们全都在分享产品。
然后,商人在共产党相关商人的呼吸下,打电话报警,以阻止志愿者分享他们的蔬菜。
当他们抗议时,他们将因“疑似感染”而被捕并被陷害,并被送到火神山医院和其他地方。
然后,您不知道是否可以将其激活。
没有比这更可怕的了。
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ジャニーズの皆さんも…おおよそ、読書等をしているとは思えない人たちでもあるが日本の女子達や子供たちに絶大な人気を有しているのだから…真の国宝である人達の論説は読んだ方が良い

2020年09月18日 16時39分43秒 | 全般

韓国が反日プロパガンダ組織を政府として組織していること、この組織に国家の資金が投下されている事は衆知の事実である。
韓国が、この潤沢な資金で対日工作活動を活発に行っている事は、朝日新聞等の購読者やNHK等のテレビ報道番組だけの視聴者以外の、
事の真相を書いた労作を読んでいる慧眼の士には周知の事実である。
日本に対して巧妙に工作を仕掛ける方法としてジャニーズに目をつけ彼らが出演するテレビ番組に目をつけているのは、
情報機関としては当然だったわけである。
ジャニーズの皆さんも私の論説を読める人達であれば良いのだが。
おおよそ、読書等をしているとは思えない人たちでもあるが、
日本の女子達や子供たちに絶大な人気を有しているのだから、
物事の真相を究明するために日夜奮闘している、最澄が定義した「国宝」である人達、その代表として、櫻井よしこさんや、高山正之等、日本が世界に誇る、唯一無二の人たち、
真の国宝である人達の論説は読んだ方が良い。
それにしても、日本テレビというのは、何という放送局である事か!
私は巨人の試合やスポーツ中継、goingしか観ないのだが。
それ以外の番組を観る事は、あなたを売国奴や国賊に仕立て上げるだけだろう。

先週の土曜日の夜、親しい知人がお子さんと一緒に我が家を訪問した。
中学生のお子さんが日本テレビの特番でジャニーズのタレント達がメインの歌番組を観たいと言い出した。
私は普段は全く観ないのだが、中学生の頃は私も歌謡番組を観ていたな、と思いながら、一緒に観ていた。
安倍首相の辞意表明記者会見で、首相の発言の後に最初に質問に立ったのが日本テレビの女性記者だった。
以下は、8/28, 18:30に、日本のメディアにいる女性記者のレベルとテレビ局の記者のレベルと、地方新聞記者のレベルが低すぎると思った人は少なくないだろう。と題して発信した章である。
さっきまで行われた安倍首相の記者会見は多くの日本国民が視聴していたと思う。
日本のメディアにいる女性記者のレベルとテレビ局の記者のレベルと、地方新聞記者のレベルが低すぎると思った人は少なくないだろう。
先ず、日本テレビの女性記者(私は、このテレビ局は野球中継等のスポーツ番組以外は、殆ど観ないのだが。日曜日、goingの後に、南京大虐殺はあった、等の、とんでもない悪辣な報道やアイヌに関した妙な報道を平然と行うテレビ局である)の質問の無礼極まる酷さ…この下種そのものの女性記者は言ったのである…コロナ禍で政権投げだし云々、と。
コロナ禍が、それほど重大だと思うなら、日本テレビよ、中国に対して、ただの一度でも良いから、怒りを向けて見ろ、中国に対して日本が被っている大損害について、一度でいいから損害額を算定して請求してみろ…それから物を言え。
江川紹子、西日本新聞の女性記者、呆れたwomenである。
これらの戯けの質問に対しての安倍首相の応答は、彼が稀代の人柄と資質を持った政治家であることを証明してはいたのだが。
後略。
冒頭の日本テレビの歌謡番組は、以下の、アメーバで毎日、人気のページ第一位を続けている章が全く正しい事を証明していた。
実に酷い番組だった。
見るからに整形しまくりの韓国人の男が、つんくの真似をして、日本の女の子を選抜して、グループを形成して売り出す。
言っている事は幼稚な事である。
芸能界に入りたいと考えている無垢な女の子に対して、アホでも言えるような事を、さも正しい評であるかのように言い洗脳する。
その一部始終を、突っ込み口調を入れる事で売っているコメディアン等の出演者が、偽善なのか、或いは彼らの祖国だからなのか、笑みを浮かべて賛同している。
私は、この整形しまくりの韓国人の男が、日本の女の子をスカウトしたい理由は即座に分かった。
日本には、整形の必要がない、かわいい子が無数にいるからである。
とにかく、この番組を観ていた私は、以下のTBS社員の証言は、日本テレビの実態でもある事を確信したのである。
以下は、朝鮮総連の巧妙な圧力から、無試験の在日朝鮮人枠を設けたTBSが除々に在日朝鮮人に乗っ取られる様子が克明に、と題して、2017-06-22に日本国内に発信した章である。
この章にこそ、TBS、テレビ朝日、NHKの報道が何故、あのような酷い編集とあからさまな反日報道を行うのか、その理由の全てが完璧に在る。
NHK、TBS、テレビ朝日、朝日新聞などの偏向報道が何故あれほど酷くて執拗なのかを完璧に明らかにしている。
「底知れぬ悪」と「まことしやかな嘘」の国のDNAを持った人間達がテレビ局の報道部(特に編成部)を支配し、論説委員になっているからだ。
私は、この章を何度も繰り返して発信すべきだったと、少しばかり後悔している。
日本国民が知らなかった真実なのだから、世界が知るわけもない真実である。
だが例えば米国で慰安婦像を設置している街などの実態と、この章が明らかにしている実態とは全く同じものである事。
つまり世界中で同様の工作が行われていて彼らに支配されている人間達は世界中にいる事を示している章である。
TBSが反日的報道をする理由を知っていますか?
元TBS社員の独り言
「うちの局がこんなになってしまった経緯をお話しましょう」
朝鮮総連の巧妙な圧力から、無試験の在日朝鮮人枠を設けたTBSが除々に在日朝鮮人に乗っ取られる様子が克明に記されています。
(1)1960年代~ 
テレビ放送が始まってまもなくの頃、放送中のちょっとした言葉づかいの問題(例えば「朝鮮民主人民共和国」を“北朝鮮”と呼んでしまった、など)に対して、朝鮮総連から会社及び経営幹部の自宅に対して脅迫に近い抗議行動が繰り返される。彼等はヤクザまがいの風貌で自宅にまで押しかける始末だった。
抗議行動に対する「手打ち」として、採用枠に“在日枠”が密かに設けられる。
総連幹部の子弟を中心に入社試験無し(カタチだけの面接)での採用が毎年続く。
在日枠の密約を所轄官庁に対して内密にしてもらうよう局側から総連に「お願い」をしてさらに弱みを握られるなど、素人のような甘い対応で身動きがとれなくなっていく。 
(2)1970年代~ 
政府を叩きさえすれば世論が喝采する狂った時代。 
在日社員の「反日番組」を「権力に対するペンの戦い」「調査報道」と勘違いした経営幹部が 社内で在日を積極登用。
「日本人社員と在日社員に昇進の差別があってはならない」 などと理想論を述べたのは良かったが、結果を見れば昇進差別をしなかったのは甘い、課長、部長と昇進した在日社員は、帰化した在日二世を理不尽なまでに優遇する逆差別人事を徹底。 
異を唱えた日本人社員は徹底的にマークされ、営業や総務など番組制作の第一線から退けられる。 
(3)1980年代~90年代 
昇進した在日社員が主要な報道番組のプロデューサーや報道局長など、 決定的なポストを占める。
某サヨク週刊誌の在日の朝鮮人編集長(筑紫哲也)をキャスターに迎えたニュース23の番組が学生時代に学生運動に没頭した団塊の世代の視聴者の支持により高い視聴率を得る。 
1989年の参議院議員選挙では「土井社会党」「マドンナブーム」を「消費税反対キャンペーン」 で徹底的に援護。
宇野総理のスキャンダルを連日報道し、社会党在日朝鮮人党首を徹底して 「おたかさん」と呼ぶなど、あからさまな社会党支持。 
社会党が地すべり的な勝利。「山が動いた」と感動の報道。 
(4)1990年代~2000年代 
偏向報道、捏造報道、取材情報を特定の勢力に提供するなど、 報道機関として存在を否定されかねない不祥事が続発。
ウチと同様に「左翼的」と呼ばれる朝日新聞、系列のテレビ朝日が、 どちらかといえば「北京の意」を汲んだ報道が多く、その手法が良くも悪くも緻密で計算高い のに対して、ウチの場合、この時期に発生した数多くのトラブルは、ほとんどすべてが 朝鮮半島絡み。 
不祥事の内容も、テロを実行した朝鮮カルトの手伝いをしたオウム事件を筆頭に、 粗雑で行き当たりばったり。
バブル崩壊以降の景気低迷で、ただでさえ厳しい広告収入が、 「サラ金」と「パチンコ」に大きく依存。
まさに、在日朝鮮人の資金で在日朝鮮人が 運営しているのがウチの放送局。
2005年以降は、もっと露骨なカタチで在日のスターを「作り上げる」ような番組制作が為されると思う。
このように各TV局は無試験入社で在日韓国朝鮮人の採用を毎年続けました。
もちろん在日朝鮮人たちは日本戸籍をとり日本名で入ってきます。
いわゆる「なりすまし日本人です」。
その在日韓国朝鮮人社員が昇進して、主要な報道番組のプロデューサーや報道局長など1980年以降、決定的な権力を持ったポストに、つき始めました。
すなわち、在日韓国朝鮮人に各TV局は、乗っ取られていると云う事です。
その証拠に、韓流ブーム捏造と韓流ゴリ推しTVが、繰り広げられてきました。
恐怖を感じていたTBSはそれ以降、無試験入社で在日韓国朝鮮人の採用を毎年続けました。
この脅迫で味をしめた朝鮮総連は各局のテレビ局や新聞社をTBSと同じように因縁をつけて脅し、在日枠を設けさせたのです。
NHKも同じです。
こうして在日韓国朝鮮人のなりすまし日本人によって日本のテレビ局が支配されてしまったのです。 
日本のメディアを支配した在日は日本社会における「獅子身中の虫」です。
獅子の身中に住み込んで、これの恩恵を蒙っている虫が、かえって獅子の肉を食って、ついには獅子を死に至らしめる。
つまり組織などの内部にいながら害をなす者や、恩を仇で返す者たちです。
獅子が死ねば虫も死ぬということが何故わからないのだろうか?
在日に支配されたメディアは、戦争の恐怖を煽って安倍政権の足を引っ張り退陣させる動きを活発化させています。
そしてそのTBS社長が驚く発言を入社式で。
TBS社長がこんな考えを持ち、発言するようでは日本もおしまい。
良識ある真の日本の経営者にならなければ報道機関として失格では。
これでも報道機関と言えるでしょうか?

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일단 들어가면 죽을 때까지 나올 수 없습니다.

2020年09月18日 16時36分23秒 | 全般

다음은 아쿠타가와 상을 수상한 최초의 중국 작가이자 현재 일본의 귀화 시민 인 양 이의 화제의 책 "나의 적 시진핑"에서 발췌 한 것입니다.
일본인뿐 아니라 전세계 인도 꼭 읽어야 할 책입니다.
명료하고 가독성이 뛰어나 결국 역사적인 고전의 명성을 얻습니다.
P32-p46
발표 된 수치는 분명히 '저보고'입니다.
우한의 실제 감염자 및 사망자 수는 분명히 과소 평가되고 있으며 정확한 수는 그보다 훨씬 많을 가능성이 있습니다.
2 월 4 일, 화교 언론은 후베이 성 장례식장에 전화를 걸어 '사망자 수'에 대해 비밀 인터뷰에서 물었다.
이 보고서에 따르면 우한 신종 코로나 바이러스로 인한 사망자 수는 1 월 중순부터 증가하기 시작했으며, 1 월 22 일부터 화장 용광로가 하루 24 시간 가동되고있다.
인터뷰 전날 인 2 월 3 일, 127 구의 시신이 들어 왔고 116 명이 불에 탔다.
8 명의 시신이 신종 코로나 바이러스로 진단되었고, 48 명이이 바이러스에 감염된 것으로 의심되었으며, 나머지는 '사망 원인 불명'으로 처리되었습니다.
사망자의 30 %는 병원에서 사망했고 60 %는 집에서 사망했습니다.
1 월 31 일 우한의 사망자 수는 106 명이었다.
우한 화장장 담당자가 2 월 20 일 유튜브에 올린 영상 보도에 따르면 우한에있는 8 개의 화장장은 1 월 말부터 24 시간 내내 본격적으로 운영되고있다.
화장터 당 하루에 최대 100 구 이상의 시체를 수용 할 수 있습니다.
덧붙여 지난 3 월 발표 한 '중국 휴대 전화 가입자 수'는 1 월과 2 월에 차이나 모바일, 차이나 유니콤, 차이나 텔레콤이 합쳐서 1860 만명 급감했다.
게다가 3 월 26 일부터 4 월 5 일까지 우한에서 "유골 수령"절차가 시작되었습니다.
10 일 동안 하루에 500 구의 시신이 반환되었으며 이는 장례식장 당 5,000 개의 유해가 있다는 것을 의미합니다.
장례식마다 5000 구가 있는데 총 40,000 구가 우한에만 있다는 뜻이다.
이 수치는 우한에만 해당되며 봉쇄 이전에 체포 된 사람이나 집에서 사망했지만 발견되지 않은 사람은 포함되지 않습니다. 즉, 당국이 전쟁 범죄에 대한 정보 만 공개했음을 의미합니다.
즉, 현실은 당국이 발표 한 수치보다 몇 배나 높은 수치입니다.
시민들은 아마 이것을 잘 알고있을 것입니다.
시진핑이 우한을 방문하기 전날 유투브에는 우한시의 예비 조사를 위해 우한에 온 당 관리 대표단이 모두 거짓말이라고 주장하며 주변 아파트로부터 괴롭힘을당하는 영상이 상영됐다.
또한 노동자와 선원이 항공 모함의 조선소와 인민 해방군에서 감염 후 격리되었다는보고도 있습니다. 우한시에서 재개 한 회사 내부의 2 차 질병 확산.
관계자들은 우한에 급히 건설 한 임시 병원이 폐쇄되었다고보고했으며 중국의 다른 지역에 더 많은 임시 병원이 건설되고 있다는보고가 있습니다.
또한 WHO 수 사단이 우한시를 방문했지만 예상대로 당국의 지시에 따라 효과적인 수사를하지 못해 미국 전문가 수 사단 파견 요청이 거부됐다고 보도했다.
이 모든 것이 중국에서 신종 코로나 바이러스의 확산이 진정으로 통제되고 있음을 의미하지는 않으며, 은폐가 평소와 같이 계속 될 것이라고 확신합니다.

양 이씨가 필사적으로 쓴 책은 아사히 신문 등의 신문과 NHK 등 TV 매체가 진실을 보도 할뿐만 아니라 중국 공산당의 광고판 역할도하고 있음을 보여준다.
전 세계의 대중 매체도 마찬가지 일 것입니다. 나는 그들의 작동 모드에 대해 이미 언급했지만 나중에 논의 할 것입니다.
Huoshenshan 병원의 무서운 상태
즉, 중국 당국은 우한시처럼 감염된 구역을 봉쇄하고 감염된 사람들을 병원 안으로 밀어 넣어 외부에서 보이지 않도록해야한다고 생각합니다.
처음에는 우한의 급속한 감염 확산에 대응하여 우한 당국은 병상 부족에 대처하기 위해 10 일 만에 새로운 병원을 세웠습니다.
그것이 Huoshenshan 병원입니다.
그러나 그곳에서 적절한 치료가 제공되었는지는 의문이었다.
치료 및 사망률에 대한 정확한 정보는 아직 공개되지 않았습니다.
이름 만 "클리닉"에 불과하고 의사 나 간호사가 없었으며 환자는 치료를받을 수없는 상태에서 스스로를 보호해야했습니다.
개인 실은 외부에서 잠 겼고 환자들은 마음대로오고 갈 수 없었다.
일단 들어가면 죽을 때까지 나올 수 없습니다.
3 월 말 '당국은 대만의 한 제조업체로부터 수십만 개의 바디 백을 주문했다'고 보도했다.
감염이 의심되어 강제로 쫓겨 난 사람은 적절한 치료를받지 못하고 단순히 격리됩니다.
병원에서 감염의 위험이 높으며 음성으로 판정 되더라도 여전히 감염되어 질병이 발생할 수 있습니다.
명백한 '박해'입니다.
한 이론에 따르면 우한에서 시간제, 심야 및 이른 아침에 아르바이트를 할 수 있었다고합니다.
그들은 화장장에서 고인의 시신을 제거하기 위해 밤새도록 일했습니다.
화장터는 하루 24 시간 운영됩니다.
선에 몸을 실 으면 뒤에서 재처럼 나올 것이라는 소문이 있습니다.
또한 뼈가 감염된 것으로 의심되어 양도 할 수 없다는 말을 듣고 장례식없이 남겨 졌다고 들었습니다.
뼈 자체에는 감염의 여지가 없지만 상자가 바이러스로 오염되어 있다는 생각입니까?
초기에는 여전히 약간의 여유가 있었고 시신은 가족에게 넘겨졌습니다.
하지만 결국에는 더 이상 그럴 여지가 없었고, 그들이 넘겨져도 자신이 누구에게 속해 있는지 알지 못합니다.
너무 많았 기 때문에 자동화 된 라인에서 불 태워졌습니다.
또한 얼마 전 화장 작업을하는 사람들이 시체를 세고있었습니다.
그들은 특정 시점까지 하루에 사망 한 사람의 수를 셀 수 있었지만 그 수가 너무 빨리 증가하여 정확한 수치를 얻지 못했습니다.
결국 그들은 24 시간 운영을 따라 가지 못하여 상황을 처리하기 위해 쓰레기 트럭과 같은 40 대 이상의 이동식 화장 차량을 배치해야했습니다.
그들은 짧은 시간에 그들을 소각 할 수 있다고 말합니다.
쓰레기 소각이나 동물 사체 처리와 같습니다.
또한 아무도 우한의 외딴 지역에 집을 떠날 수 없으므로 음식을 얻지 못하면 굶어 죽을 수밖에 없습니다.
처음에는 우한 봉쇄에도 식량이 충분하다고 발표했지만, 현실은 전혀 퍼지지 않을 것이라는 것이 현실이었습니다.
결국, 우한의 격리 된 지역에 갇힌 사람들은 병으로 죽거나 굶어 죽을 수밖에 없었습니다.
온 가족이 감염되면 아무도 무슨 일이 일어나고 있는지 알 수 없습니다.
가까운 사람이 연락이 안된다고 불평하더라도 당국이 조치를 취하지 않기 때문에 확인할 방법이 없었다.
비극적 인 무한 봉쇄의 현실
또한 Huoshenshan 병원, Leishenshan 병원, 모바일 캐빈 병원 등과 같이 급히 건설 된 "병원"의 이야기가 있습니다. 건설 노동자를 담당하는 근로자는 급여를받지 못했습니다.
처음에는 일별 또는 월별로 고용 되었으나 공사가 완료된 후에도 임금을받지 못했다.
그들은 모든 사람들이이 일을 자발적으로했다고 말하도록 강요하고 있습니다.
너무 불합리합니다.
최초의 구두 약속은 하루에 300 위안 (약 4,500 엔)의 수당을 약속 한 것 같습니다.
중국의 현재 임금 규모도 싸지 만 노동자들은 집과 식량을 제공해야한다.
그리고 그것은 긴 근무 시간과 함께 서두르는 일입니다.
나는 사람들에게 감염 위험이있는 육체 노동에 자원하도록 강요하는 무자비한 정부를 본 적이 없습니다.
동료 중국인으로서 더욱 부끄러운 것은 봉쇄를 이용하는 사람들이 만연했다는 것입니다.
공산당 관리들은 친척들과 지인들에게 봉쇄 된 지역에 채소를 팔 수있는 특권을 주며 평상시의 10 배 이상 가격에 팔았습니다.

'이 비싼 채소를 누가 먹을 수 있나! 주민들은 자원 봉사자들에게 직접 연락하여 가능한 가격으로 야채를 조달했으며 모두 농산물을 공유했습니다.
그러자 상인들은 공산당과 관련된 상인의 숨결로 자원 봉사자들이 채소를 나눠 먹지 못하도록 경찰에 신고했습니다.
그들이 항의했을 때 그들은 "감염 의심"혐의로 체포되어 체포되어 Huoshenshan 병원 및 기타 장소로 이송되었습니다.
그러면 살아남을 수 있을지 모르겠습니다.
이것보다 더 무서운 것은 없습니다.
이 기사는 계속됩니다.

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