関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

はやぶさ「帰還」が目前。ところで、公式ブログの「はやぶさ航行距離は無意味」論について・・・

2010年06月05日 | 日記
《はやぶさ》のカプセル回収ミッションが、いよいよ一週間後に迫りました。ワクワクしますねー ♪♪^^

ところで昨日、公式ブログに「はやぶさの航行距離(=どれだけの距離を飛んだか?)、というのはあまり意味がないのです」という趣旨の記事が載りました。その理由として「いったん、地球の引力を振り切って宇宙空間に放出されれば、何もしなくても太陽の周りを回ることになるからです。(※原文のまま)」とも書かれています。

いやそれなら、「あまり意味がない」ではなく、「捉える意味によって(距離は)ナンとでも言える」とか「ひとことでは答えようがない」と書くのが正しいのではないでしょうか。さらに突っ込んで言わしてもらえば、『移動距離』なんてものは元来「どこかで測定基準の折り合いを意味づけるからこそ、計れる長さ」で、「無意味」と形容すること自体、暴論!?というか、「個人的」価値観の押し付け^^;だと思います。

たとえば、ですよ。

ある人がJR東京駅で、右回りの山手線の列車の、先頭から1両目最後尾のドアから乗車した、としましょう。

それからおよそ1時間15分後(つまり、山手線を一回りしたあと)に品川駅で、その人が6両目最後尾のドアから降りたとします。

さて、このときこの人は、1時間15分でそれだけの距離を移動したでしょうか?

 (1)その人が自力で歩いたのは、およそ100メートルです。

 (2)電車が走った距離は、41.3キロメートルです。

 (3)その人の所在が最終的に移動したのは6.8キロです。

 (4)その間に東京都は、地球の自転で東におよそ1万8000キロ移動しています。

 (5)その間に地球は、地球の公転で・・・・ 【以下略】

・・・等々の幾通りもの「正解」のなかから、たぶん9割くらいの人が(3)を、この問いの場合に対する「距離」としてイメージするに過ぎません。「特定の意味をこじつけて、初めて測れる『移動距離』」なのですから、『航行距離は無意味』と片付けてしまうのは本末転倒したモノ言いでありましょう。

それを言っちゃったら数理の定義も科学も生まれておらず、現代ニッポンも《はやぶさ》もこの世に在りませんよ(苦笑)

結果的に問題の記事も、文章の後半で「特定の意味をこじつけて」概算距離を算出してみせていますから、ナンとゆーか「最初から素直にそーやって計算すりゃいーものを^^;」って感じ(笑) 冒頭にまず「持論」を翳(かざ)して、それで全体の文意を締めくくろうとするのは「余計なお世話」でございましょう。
 
 

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