晴天の「晴れ」の字は、日+青の漢字で出来てる。
まさに本日は、天空が黄金に輝く太陽と青空に彩られた「青&黄」の「平和なるお天気」である。一方、「青&黄」と言えばウクライナ・カラー。
きょうび、その彩りは赤黒い血で汚され、死臭がニュース映像からも鼻腔を突く日常……いちいち話題にするのも気が滅入る(とTVを敬遠する)日本人が増えてるようだ。
だが日本と言う「極東の島国」を離れ、ひとたび欧米文化圏に目を向けると❔
意外なんだが実は、彼ら欧米人の色彩観における「黄色と青のツートン配色」は、本来からして「流血沙汰の緊急事態」と無縁ではないようなのだ。このW(ダブル)カラーは一般に、救急搬送車や救急搬送ヘリの塗装コーデとして広く定着してる。
これはブログ主の「勝手な見解」だが、「白地に赤」という赤十字的な色づかいは、直接で露骨に血を連想させ「不吉でストレートすぎる」。また赤やピンクと言えば暖色の典型であり、明るい昼間は目だっても、薄暗がりでは黒ずんで目立たない(=視覚に映えない)色だ。
だから「赤青黄」の三大シグナル色のなかで、あえて「赤以外の2色」のツートンを「救急搬送🚑のコーディネーション」として浸透させてきたのかも❓ しれない。
余談: 他に「地域カラーとしての青&黄」と言えば…
昭和世代なら ご記憶の(または、ご存じの)かたもいると思うが、「紛争から逃れたウクライナ難民を日本が受け入れる」のは今回が初めてではない。
"前回"は、1910年代の後半から1945年の終戦期にかけての「戦前~戦中」時代 ──。
当時は日本が領有してた樺太(サハリン)やら北方領土を経て、大勢の「白系ロシア人」が日本に命からがら💧 渡ってきてた。「白系ロシア人」というのは「ロシアをソ連=共産体制下に置こうとする革命勢力に抵抗して戦った兵士や、その戦禍を逃れてきた民間人」を言い、ざっと半数程度がウクライナ出身。
多くが旧ロシア帝国に傭兵として召し抱えられ、国境添いの駐屯地に「家族ごと赴任しつつ」養われていたコサック兵を家長とする流浪の一族なのだった。
そうして(たとえば大相撲界のレジェンド大鵬関の父親のように)、日本で暮らし直せたウクライナ人もいたが、もちろん一方では極東に取り残されて、ソ連体制下のロシアに帰化永住したウクライナ系"ロシア人"らも数知れなかった。
それゆえシベリアから千島列島(ロシアで言う”クリル諸島”)にかけて、ロシア極東の管轄区(州や区、市など)の旗や紋章には、ウクライナ・コサック伝統のアイデンティティ色である「青と黄色」をあしらったデザインばかりが目立つ のである。
悪く言えば、ソ連体制下の「民族同化政策」の成果なのであり、当時の事情をKGB時代に教わってるプーチンが今回、何千人規模のウクライナ市民をシベリアに強制連行した(との被害証言が出ている)のも、単純に「この頃=ソ連時代の"成功"事例」に戻ろうとした所業❔ とみれば納得できなくはない…。
と、いうワケだから
ウクライナ民族の血脈は、けっして遠く欧州にのみあるのではない。実は、かなり以前から日本の北辺ギリギリまで押し寄せている「すぐ見える距離の血脈」でもあるのだ。
=了=
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