「精神分裂病」というくらいなんだから、
ちょっと前に流行った、多重人格みたいになったのか!?
と、誰かに聞かれたとすると、
答えは、
「どちらかというと、はい」
です。
よくテレビとかで20人以上の人格が1人の人間の
身体を交代で乗っ取った、とかいう
センセーショナルな事実を扱ってましたが、
この場合と違うのは、
「おそらくは、今の自分ともう1人、合計2人程度の人格しか現れなかったと思われる」
ともう1つ、
「テレビでは他の人格が乗っ取っている間もそれ以外の人格が
確かに存在していて、それを傍観していたそうだが、そういうことはなかった」
ということです。
発病した日、それ以降の記憶は断片的にしか僕の中にはありません。
だから、それから1週間くらい、意識(というか記憶?)が戻るまで、
僕は別の人格に身体を乗っ取られていた、ということになります。
記憶のない期間、僕は意識を失っていたわけではなくて、
ちゃんと活動をしていました。
それは家族や、病院の看護婦さん、先生方の発言から分かります。
それから、なぜか別の人格になっている間でも、
印象的な記憶とか、いくつか残っている断片的な記憶はあるのです。
その事も、記憶のない間も活動していた論拠になります。
つい先日までインフルエンザの特効薬「タミフル」の
記事がメディアを賑わせていました。
そこでは、タミフルを飲んだ患者が異常行動を起こし、
患者に異常行動を起こしていたときの事を聞くと、
「夢の中のようだった」と発言していました。
これと似た感じだったのかな~、と
今から思うと考えられます。
とにかく普通にしていてもボーっとして、
集中力のない状態だったので、何をしても
記憶に残らないんですね。
もう1つの人格から身体を取り返し、正気に戻った後の話です。
だから、一応普通に何かをしていて、
けれどもそれが集中力散漫のため
記憶に残らなかった。
という考え方もできます。
もう一つの人格が現われたという訳ではなく。
けれどもその、記憶に残っていない時期に
僕のとった行動というのがこれひどいんですよ。
僕には発病前、高いお金を出して買った
今ではなかなか見付からない、お気に入りの腕時計がありました。
それを、「こんなものいらな~いっ!」と叫んで
ほっぽり投げたそうなんです。
そのとき僕の傍にいた父は、「それ持って、後で返して下さい」
みたいなことを拾ったであろう誰かに叫んだらしいのですが、
結局腕時計は戻らずじまい。です!悲しいよう~うるうる…
他にも、病院のオープンスペースで、
「俺はもう大学辞める~」みたいなことを叫んだとか、
壁の模様が幻覚となって迫ってきて見えて、恐れおののいたとか
(これは先生と話した内容から、類推した僕の予想)、
まったく、ろくなことをしません。
もちろん、そんな行動をとったなんて記憶は、
僕の頭にはこれっぽっちも残っておりはしません。
そうするとやっぱり、あの頃の状態は
「多重人格」だったのかな~ぁ?
でも比較的僕が恵まれているのは、
他の人格に乗っ取られていた時期が固まっていて、
それ以降はほとんど今現在の自分の人格で、身体を支配できているということ。
ただあれなんですよ~…
今僕「ほとんど」って言いましたよね。
一度だけ、正気の時に、
自分の人格が入れ替わった瞬間を経験したことがあるのです。
入院時代だったんですが、
朝ごはんの時間。
僕は、食べながら普通に、前の席に座っている僕よりだいぶ年上の
「オジサン」と話をしていました。
ある瞬間、ブゥーン…と、音は立てないですが、
ちょうどVTRのフィルムとフィルムをつなぎ合わせて編集したように、
自分の、中身とか姿勢とかや、周り人たちの反応が不自然に切り替わったんです。
ある瞬間で、ぷつんと。
前に座っていたオジサンは、何か怪訝な顔で僕に言おうと
していましたが、僕はそれを遮って、
「今のは僕じゃなーい、僕じゃないんですー」といって頭を抱えました。
おじさんの反応がいっそう怪訝そうになったのは言うまでもありません。
あの時もうちょっと冷静になれて、
「今僕なんて言いました?」くらいのことが言えたら、
興味深い展開になれたのにな~、と今では後悔しています。
* * *
普通だったら考えもつかないような経験ですよね。
でもせっかくなのでこの経験も脚本を書くときのネタにさせていただきます。
いや題材としてはかなり面白いですよ。
でもそれを料理するのは僕な訳で。
頑張らなくちゃね。
ちょっと前に流行った、多重人格みたいになったのか!?
と、誰かに聞かれたとすると、
答えは、
「どちらかというと、はい」
です。
よくテレビとかで20人以上の人格が1人の人間の
身体を交代で乗っ取った、とかいう
センセーショナルな事実を扱ってましたが、
この場合と違うのは、
「おそらくは、今の自分ともう1人、合計2人程度の人格しか現れなかったと思われる」
ともう1つ、
「テレビでは他の人格が乗っ取っている間もそれ以外の人格が
確かに存在していて、それを傍観していたそうだが、そういうことはなかった」
ということです。
発病した日、それ以降の記憶は断片的にしか僕の中にはありません。
だから、それから1週間くらい、意識(というか記憶?)が戻るまで、
僕は別の人格に身体を乗っ取られていた、ということになります。
記憶のない期間、僕は意識を失っていたわけではなくて、
ちゃんと活動をしていました。
それは家族や、病院の看護婦さん、先生方の発言から分かります。
それから、なぜか別の人格になっている間でも、
印象的な記憶とか、いくつか残っている断片的な記憶はあるのです。
その事も、記憶のない間も活動していた論拠になります。
つい先日までインフルエンザの特効薬「タミフル」の
記事がメディアを賑わせていました。
そこでは、タミフルを飲んだ患者が異常行動を起こし、
患者に異常行動を起こしていたときの事を聞くと、
「夢の中のようだった」と発言していました。
これと似た感じだったのかな~、と
今から思うと考えられます。
とにかく普通にしていてもボーっとして、
集中力のない状態だったので、何をしても
記憶に残らないんですね。
もう1つの人格から身体を取り返し、正気に戻った後の話です。
だから、一応普通に何かをしていて、
けれどもそれが集中力散漫のため
記憶に残らなかった。
という考え方もできます。
もう一つの人格が現われたという訳ではなく。
けれどもその、記憶に残っていない時期に
僕のとった行動というのがこれひどいんですよ。
僕には発病前、高いお金を出して買った
今ではなかなか見付からない、お気に入りの腕時計がありました。
それを、「こんなものいらな~いっ!」と叫んで
ほっぽり投げたそうなんです。
そのとき僕の傍にいた父は、「それ持って、後で返して下さい」
みたいなことを拾ったであろう誰かに叫んだらしいのですが、
結局腕時計は戻らずじまい。です!悲しいよう~うるうる…
他にも、病院のオープンスペースで、
「俺はもう大学辞める~」みたいなことを叫んだとか、
壁の模様が幻覚となって迫ってきて見えて、恐れおののいたとか
(これは先生と話した内容から、類推した僕の予想)、
まったく、ろくなことをしません。
もちろん、そんな行動をとったなんて記憶は、
僕の頭にはこれっぽっちも残っておりはしません。
そうするとやっぱり、あの頃の状態は
「多重人格」だったのかな~ぁ?
でも比較的僕が恵まれているのは、
他の人格に乗っ取られていた時期が固まっていて、
それ以降はほとんど今現在の自分の人格で、身体を支配できているということ。
ただあれなんですよ~…
今僕「ほとんど」って言いましたよね。
一度だけ、正気の時に、
自分の人格が入れ替わった瞬間を経験したことがあるのです。
入院時代だったんですが、
朝ごはんの時間。
僕は、食べながら普通に、前の席に座っている僕よりだいぶ年上の
「オジサン」と話をしていました。
ある瞬間、ブゥーン…と、音は立てないですが、
ちょうどVTRのフィルムとフィルムをつなぎ合わせて編集したように、
自分の、中身とか姿勢とかや、周り人たちの反応が不自然に切り替わったんです。
ある瞬間で、ぷつんと。
前に座っていたオジサンは、何か怪訝な顔で僕に言おうと
していましたが、僕はそれを遮って、
「今のは僕じゃなーい、僕じゃないんですー」といって頭を抱えました。
おじさんの反応がいっそう怪訝そうになったのは言うまでもありません。
あの時もうちょっと冷静になれて、
「今僕なんて言いました?」くらいのことが言えたら、
興味深い展開になれたのにな~、と今では後悔しています。
* * *
普通だったら考えもつかないような経験ですよね。
でもせっかくなのでこの経験も脚本を書くときのネタにさせていただきます。
いや題材としてはかなり面白いですよ。
でもそれを料理するのは僕な訳で。
頑張らなくちゃね。