おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

廻り道

2007年10月13日 01時07分53秒 | 文章塾
 箱の中に生き者がいた。外には出られない。
 行きたい所に移動するには、垂直な面に体重を掛けて、ガタン、ガタンと転がしていくしかない。

 生き者は旅行マニアだった。
 乗り物に乗る時、段差を登るのに苦労した。ダイヤを乱したのは一度や二度ではない。
 階段を降りる時はもっと苦労した。降りるというよりガタガタガターッと落ちる感じで酷い事になる。どこかしらに怪我をした。箱の中は暗いので何処にどれ位の怪我をしたのかよく判らない。ある部位に怪我をして、それが治り、またどこかに怪我をした。

 生き者は創造主に願った。
『この箱が玉であったらどんなに良い事か』
 移動するのに苦労せず、こんなに怪我をする事もない。
 祈りはすぐに叶えられ、生き者は玉の主となった。
 生き者が歩けば、それは移動になった。快適な事だった。
 それから、生き者はあちこち散歩に出歩いた。以前では考えられない事だった。鼻歌交じりに生き者は歩く歩く。
 ところが困った事が起きた。今度は停まっていられないのだ。風が吹けば煽られ、坂では立っていられない。
 バス停が坂道にあるときは本当に困った。列に並んで待てないのだ。上の方に体重を掛けても、いつの間にかジリジリと下がってしまう。玉の後ろに並ぶ人も困り顔。
 なんとかバスに乗り込み、目的地で降りた。忘れていた。そこは急な坂道だったのだ。
 ものすごい勢いで玉は坂を降っていく。もうどうにもならない。運を天に任せた。
 しかしそれは味方しなかった。その先は崖で、更にその下は高速道路の真ん中だった。
 玉は猛スピードで走る車にはねられ、生き者は意識を失った。

 ……気が付くと空が見えた。初めて見る空。ここは天国か?
 生き者は箱の中に居た。開放されることはなかったのだ。
 しかし、それは透明な箱だった。
 見回した。始めて見る周りの景色。角があることはもう、問題にならなかった。いや、既に、それには意味があることが解っていた。
 生き者は生まれ変わったのだった。



 いまさらですが第19回文章塾、お題「箱」における僕の作品を再発表します。

 文章塾生の皆さんから寄せていただいたコメントと、僕の返答はこちらから。

エホバの証人がやってきた。~その後

2007年10月13日 00時58分43秒 | 日々つれづれ
 エホバの証人さんに頂いた本をパラパラと読み終えました。

 感想としては、「ちょっとうさん臭い」。

 理由はいろいろあるけれど、一番は人間の性質を無視してるような気がすること、かな。
 理想論ですよ、これは。現実を直視していないで書いてある部分が多々ある。

 こうはいかないと思います。
 おさかさんがコメントでおっしゃっていた、「戯言」ってこういうことかな、と思いました。

 最初読んだ時は目新しい視点で、面白いな、と思ったんですがね(苦笑)

 「真理」みたいなものは自分で地道にみつけていくしかないようです。
 その過程が面白いんでねえ(笑)


 それにしてもエホバの証人さん、来ませんね。
 あれから2週間が過ぎましたが、いらっしゃる気配なし。
 もうあきらめたんだろか。

 前回いらした時に、
「聖書って今は漫画にもなってますよね、ああいうのもいいと思うなあ」
 などと思ったままを口にしまくったので、手に負えないと思われたのだろうか(笑)だったら愉快。

 前回の記事の中で、女性が2人立っていた、と書いたと思うんですが、おば様と、もうひとりが若い女性だったんですね、20代前半くらいかなあ。

 その人はおば様と僕がしゃべってる間中、じっと何も言わずに立ってました。
 時々目の前を飛び回る虫をはらったりしてました。

 僕はあの時、その若い女性が何を思って一緒に居たのかを知りたいですね。

 彼女は、何の為にあそこにいたのだろう。
 数十分の間、一言も発しなかったあの子は。

 みんなが幸せになれるといいなあ。