僕ってお調子もんで、すぐ熱くなるし、自惚れ屋なので、なんでも自分が一番だなんて思ってしまうんですよ。
それって良くないなあって。
でもあれですね、そういうのって僕だけじゃない、結構そういう考えの方々は存在することも確かですね、とも思うんです。
みんな自分がトップで、自分が中心だと思っている。
特に僕が所属して活動している、演劇の世界に携わってる方々って、そういうタイプが多いですね。
でもそれって狭いりょうけんですよね。
人はそれぞれ世界を持っています。
自分が主人公の、ドラマを生きています。
だから人の数だけ宇宙は存在するんだなあって思うんです。
それって楽しいことだと思うんですよ。
友達ひとりひとりにも、上司にも、先生にも、子供にも、その辺に寝転んでる浅黒い肌をした路上生活者だって、一つ一つ広大な宇宙を持っているんだ。
すごい事ですよ。
だからやっぱり、他人を軽くあしらうなんて事は出来ない。
自分よりひとは劣っている、自分の方が優れている、なんて考えは早く捨て去りたいところです。
僕は演劇をやっています。
特に今関わっている種類の演劇は、そんな人間ひとりひとりの「宇宙」をみんなで分かりあい、認め合い、そうする中で楽しむためにやるものだと思っています。
言葉で言い表せることなんて狭いものです。
一緒に活動していくうちに、言葉で交わせる意見や考えだけでなく、その人の持つオーラとか、雰囲気とか、「気」みたいなものとか、そんなものを感じ合って、持ち寄って、高め合ったり楽しんだりしていけたらいいと思っています。
世界は僕らが思うより全然無限大に大きいものです。
それって楽しいことですよね。
いくら探求してもし尽くせないって、すごいですよね。
あきらめることなんてないと思うんです。見限る必要もないと思うんです。
だって宇宙は無限なんですから。
そしてその宇宙は、人の数だけ、生き物の数だけ、「存在」の数だけ、あるんですよ。
鈍ってる暇なんてないんです。面倒になることも勿体ないんです。
やっぱり感受性って大事。
好奇心がなくなったらおしまいなのでは。
いろんな人や、「存在」たちと、深く、永く、関係していきたいですね。
そして正直に、真正面からぶつかり続けて、自分を高めていきたいです。
ではでは。
おち
それって良くないなあって。
でもあれですね、そういうのって僕だけじゃない、結構そういう考えの方々は存在することも確かですね、とも思うんです。
みんな自分がトップで、自分が中心だと思っている。
特に僕が所属して活動している、演劇の世界に携わってる方々って、そういうタイプが多いですね。
でもそれって狭いりょうけんですよね。
人はそれぞれ世界を持っています。
自分が主人公の、ドラマを生きています。
だから人の数だけ宇宙は存在するんだなあって思うんです。
それって楽しいことだと思うんですよ。
友達ひとりひとりにも、上司にも、先生にも、子供にも、その辺に寝転んでる浅黒い肌をした路上生活者だって、一つ一つ広大な宇宙を持っているんだ。
すごい事ですよ。
だからやっぱり、他人を軽くあしらうなんて事は出来ない。
自分よりひとは劣っている、自分の方が優れている、なんて考えは早く捨て去りたいところです。
僕は演劇をやっています。
特に今関わっている種類の演劇は、そんな人間ひとりひとりの「宇宙」をみんなで分かりあい、認め合い、そうする中で楽しむためにやるものだと思っています。
言葉で言い表せることなんて狭いものです。
一緒に活動していくうちに、言葉で交わせる意見や考えだけでなく、その人の持つオーラとか、雰囲気とか、「気」みたいなものとか、そんなものを感じ合って、持ち寄って、高め合ったり楽しんだりしていけたらいいと思っています。
世界は僕らが思うより全然無限大に大きいものです。
それって楽しいことですよね。
いくら探求してもし尽くせないって、すごいですよね。
あきらめることなんてないと思うんです。見限る必要もないと思うんです。
だって宇宙は無限なんですから。
そしてその宇宙は、人の数だけ、生き物の数だけ、「存在」の数だけ、あるんですよ。
鈍ってる暇なんてないんです。面倒になることも勿体ないんです。
やっぱり感受性って大事。
好奇心がなくなったらおしまいなのでは。
いろんな人や、「存在」たちと、深く、永く、関係していきたいですね。
そして正直に、真正面からぶつかり続けて、自分を高めていきたいです。
ではでは。
おち
自分で意識しないと身体は動き始めないのに、そう思っていたら、寝てる間も、起きてる時も、意識しないで身体が動いている部分がないと、僕たちは生きていけない。
内臓筋なんて、全部自分の意志とは無関係に、勝手にうまくやってくれてるんだろうなんて思っていると、時々調子悪くなって、違和感が出たり、痛くなったりする。
実は、無意識の活動に方向付けをすることが、自分の殻を破るために必要な、重要な考え方という気が、今しています。
それって言葉じゃどうしようもないんですよね。
それを素直に言葉にしようとすると、聞いたほうから見たら、支離滅裂で、わけのわからない言葉の羅列になってしまう。
でもその間には、その伝えた人と長く付き合えばわかる、その人の本質が含まれている。
だから預言者さまのかかれる文章って、最初読んだらあまりに難解で、どういうつもりでこれを書かれたんだろう?などと真意が全く見えないような、一見繋がりのないものに読めるのではないだろうか?と今日思い当たりました。
これから預言者さまの書かれる文章にはますます注目してしまいますよ(笑)。
>個という無限から見れば何の足しにもならない一点が、全ての構成の欠かすことのできない矛盾。
これは名文! なんにでも当てはまる。
忘れないようにしよう。
ではでは、また。
かわいい顔されてるという噂は聞いたことがあります。
女の人の言う「かわいい」は褒め言葉ですよね。
よかったですねっふんっ( ̄_ ̄@
ヴァッキーノさん、賛否両論がご自身のテーマだとか、以前書かれてましたよね。
その時は、ふむ?とイマイチその本意が理解できなかったんですが、今回のコメントでよくわかりました。
確かに賛成ばっかりだと怪しいですよね。
全くけなされっぱなしだったら、それは道を踏み外してるんでしょうね。
「賛否両論」かあ。僕も覚えとこ。
文章塾で「切磋琢磨」中に、皆さんのコメントから自分の今回の作品の出来具合をどれだけ読み取れるかっていうのは勝負ですよね。
そのへんはシビアに見分けて、粛々と自身の向上に生かせるようにエッセンスを取り入れたいものです。
ちなみに前回の文章塾ではヴァッキーさんのライオン僕絶賛しましたが、あれ本音ですよ。
調子に乗らせてほめ殺しするつもりはありませんけれど、あれ何度か読んでも誰が書いたのか全くわからなかった。
こんなんかけるひといたか!?って感じでした。
でもライオンのページにヴァッキーさんがコメント入れて、それを読んだ時、「えっ、これもしかしてヴァッキーさんが書いたの!?」って直感したんですよ。
それで、「あーだとしたら水をあけられたなー」ってかなり微妙な心持ちになりました。
で、発表見たらやっぱりライオンはヴァッキーさん作で。少しショックでした。
とか言いつつまだ今回の文章塾投稿してないし、第一稿も書き終えてはいないんですが、今度書く作品は、自分にしか書けない作品を書こう、と決意したところです。
>自分が一番楽しい気分でなんかやれるようにテンションを上げるってのは大事ですよね。
うん。その通り。
ヴァッキーさんそのへんうまくいってるよね。そんな気がする。
僕はまだ波があるんだよなあ。
そんなんで。
ではでは。
見えない体とは、その人の命の輝きだ。ある意味それは宇宙に浮かぶ銀河のように見えるらしい。
その構成する星々は視点によって意識になるし、無意識にも他の星の関係を支える。
無限とはひとつとの関係でもあるし、群とのそれでもあるが、幾ら減らそうが増やそうが無限には何の影響もないという不思議な関係である。それは何を意味するのだろうか。個という無限から見れば何の足しにもならない一点が、全ての構成の欠かすことのできない矛盾。これの関係を見出す事の全ては、あなたの夢に懸かっている。しかもそれは自由だ。あなたはいつも創造している、何もかも。そうあなたは神であり、宇宙なのです。
ボクは、自分が一番スゴイとは思わないけれど、
どうやったら、賛否両論になるかって考えるんです。
なにをやるにしても。
とにかく、賛成ばっかりだと怪しいですね。
あと、逆に反対ばっかりってのだと、多分間違ってることなのかもしれないと、自分のやってることに
客観的な目安みたいな(客観的でもないのかもしれませんけど)
そういうふうにいたいんです。
一番とか、自分が自分がってやるのは、でも、それだけ頑張ってるってことだから、そう思えるってのは
やっぱりいいことなんでしょうね。
何事にもベストを尽くしてるって感じが、ステキじゃないですか。
ただ、それを否定されたとき、ボクだったらショックでなかなか立ち上がれないかもしれません。
小さいことですけど、文章塾になんか文章を投稿するじゃないですか、あれでもボクは賛否両論のコメントを望んでるんです。
そうは言っても、褒められる分には、悪い気はしませんけどね(笑)
まあ、どう思っても、タダなわけですから、
自分が一番楽しい気分でなんかやれるようにテンションを上げるってのは大事ですよね。
です。
そういうわけでおさかさんのおっしゃる通り、文章塾関連の友人との付き合いは、僕も深いと思いますよ。
>内面の本質がよく見えるってことないかな?
うーんそうなんです。僕もあると思います。
>生身の本人を知らないから余計に
ということで、それはその通りだと思っていて、僕の言葉で言い換えると、「雑音」がない、無駄な情報がないから、よく見えてくるものがあると。それは本当にその通りだと思います。
ただなんで僕が生身のコミュニケーションにこだわるようになってきたかというと、ひとつは、太極拳を習うようになって、おっしょさんに薦められた本を読んで、初めて気付いたことがあったからです。
それは、うまく言葉では表現できない種類の「伝達物質」・体から湧き出る何か。そういうものが、あると。
信じるようになったからです。
それは「気」とか、「オーラ」とか、「間」とか、いろんな言葉で表現されていますが、そういったことって、ネットを通しても感じられるものなのだろうか?という疑問が僕の中で湧いています。
厳密に言うならば、ネットを通しても感じることはできるかもしれない。でも僕は、今はじかにとる関係性を学びたい時期なのです。
おさかさんのおっしゃることは本当によくわかって、本当にこういうことを言っていただける方が近く(感覚では)にいるというのはありがたいことだなあと、本当に思ってるんですよ。
自分を見失って突っ走ることから回避できるというのが、どんなに大事なことか。
メタ認知を他者の言葉で行うことができるということが、どんなにありがたいことか。
本当に感謝しています。
これからもよろしくお願いいたします。(^^)
ただですね、ひとつだけ。
鴻上尚史さん、僕も一時期はまりました。実際の舞台も何度か観たし、戯曲、ビデオ類もいくつか持っています。
ただ、たぶん、僕が今やろうと思っている演劇のジャンルとは、違う場所にある理論を持っている人だと思うのです。
演劇は演劇じゃん? という話もあるんですが、今の鴻上さんの論からは、そんなに学ぶものはないかな~~~って思うんですが、思っていたんですが、ちょっと書きながら気になってきたので、今度SPA!買って読んでみますね。すみません、ゆうじゅうふだんで。
情報ありがとうございます。
なんだか相変わらず何が言いたいのかわからないコメントになってしまいましたが、お許しください。
僕も、演劇論についてはまだ勉強を再開したばかり。社会人としても、一年生。
年齢は待ってくれないんですが、もうちょっと、まとまりのつかない青臭いことをのたまうと思われますが、付き合ってやっておくれませ。
すみません。
ではでは。
あと一言だけ
おっちーさんにとって「深い」関係とはなんだろう?
私自身は、このネット環境での人間関係って、深いと思いますよ
特に文章塾関連の人たちとの交流は、そんじょそこらでは得られないものだと思ってます
文章での表現には限界がある、まさにそうなんですが、内面を映し出す鏡であることは間違いない。なまじ生身の本人を知らないから余計に、内面の本質がよく見えるってことないかな?
私も最初にそう書いちゃったからいけないんだけど
人間関係はディープかライトかではなく
自分と相手にとって程よい距離を見つけて
それを保っていくことが肝心
ということじゃないかな
例えば(卑近な例ですみませんが)ママ友とか
いっつも誰かと一緒にいたい人と
私みたいに一人でいたい人がたまたま何かで仲良くなった場合
良い関係でいるには
表面的には「浅い」つきあいをするのがベストってことにもなる
だけど長くつきあっていると見えてくるものもあるから
今では「深い」つきあいに変化している
やっぱり相手によりけりなんですよ
いかにバランスをとっていくか
自分も相手も居心地のいい場所が作れるか
それは演劇をやるうえでも大事なことだと思います
知っているかもしれませんが
鴻上尚史さん、SPA!にエッセイを連載してます
演劇を志すひとなら必読じゃないかと思います
心と身体、および人との距離感について
彼ほど的確に書いてる人はいないです
お節介ながら(笑
一言といいながら長くなってしまいました
ごめんなさーい
ではまた
お元気でしたか?
ブログを更新される頻度も高くなってきたようで、(お元気でしたか?って訊きつつも、)お元気そうでなによりです。
最近、みなさんのブログに対してそうなんですけど、全然コメントできなくて申し訳ないです。
ちょこちょこと覗きには行ってるんですが、本当に時間的にも精神的にも(?)余裕がなくて、きちんとしたコメントを書き込めるほどちゃんと記事を読めてないし、…う~ん、ダメですねえ。ごめんなさい。まあしょうがないことなんですが…許してくださいね。
さて話題は移るのですが、
はい、おさかさんのおっしゃる通りだなあとは思っていて、こんな記事書いておいてなんですが、実際の場面になったら、僕も「浅く・広く・薄く」って感じに近い態度をすると思いますし、そうしています。
いつも深く突っ込んだ付き合いをしていたら、疲れっちゃいますし、ウザがられますし、続かないです。
でもたぶんおさかさんよりは、比較として、「深く」を心掛けた態度を、僕はとりがちだな人間だとは思いますが。けれどもそれは問題になるほどの程度ではなく。
今回の記事みたいな書き方をした理由は二つあって、
ひとつは、
自分の現在の心掛け、行動が偏っていることに気付いた。これは修正しなくてはと思った。また、納得のいかない他人の言動にもぶつかった、これはなんとか自分の中の置き所を決めなくてはならない。
そういうわけで、大きく舵を切るための文章だった、ということ。この記事が。
なので少し極端というか、一元的(?)、一つの視点からの強引な論になっているのです。
うーん、そういうわけで、これはブログに載せて一般に公開する種類の決意ではなかったかもしれない、と今さら後悔しています。自分だけのメモに書いて、個人の中で処理しなくてはならなかったものなのかも。
ごめんなさい。謝っておきます。
ブログに大きな個人的な決意とか、事件とか、書いて意見を募るのが習慣になっていたんですね。
でもおさかさんの意見聞けてとても良かったですけど。だからまあ、失敗ではないんだな。おさかさんにはご迷惑をかけてしまった気もするが…ごめんなさーい。
もう一つの理由は、僕が演劇を創る立場の人間で、まだあるということ。
これは最近作演出やってないのでわからないんですが、演出家と役者って、深く深く関わらないと、出来上がった演劇の作品自体も、薄っぺらいものになってしまうと、学生時代は身体で習ったし、そう思っていたのですよ。
大人の演劇の創り方って知らないので、どういう風に関わりつつ創るのだろう?全然わからなくて、いっぺん現場を見学してみたいくらいです。
でもたぶん、僕がこれから演劇を創ったら、自分の作品に出演する役者とは、ものすごく深いところまで関わると思うんですよ。
言い方を替えると、通常の生活の場面より、おさかさんのおっしゃる「ここぞってとき」が比べ物にならないくらい増えるんじゃないかと予想できるのです。
演劇は、物事の本質に、簡単に握手できるメディアであると、誰かが述べていた記憶があります。
でも本質に触れるには、ものすごい多方面からの、考え抜いた、「深い」活動が必要なのだと思います。
魂に触れる作品を創るには、ということです。
ただ観ていて楽しい、面白かった!と思える作品を創ることには僕は興味はなくて、僕は、臭い台詞ですけど、魂を震わすような作品を創りたいわけです。
万人受けはしないかもしれない。それでも十人観ていて、一人が、本気で何かを感じ取ってくれた!そんな作品を創れたらと思います。
以前僕が述べていたことと矛盾してますが(笑)。
どうも僕は、文章作品と、演劇作品を創る際では、心構えが異なるようですね。今気付きました。
そんな感じかなあ。
でも最近思うんですが、ネットで文字だけで交流するのには、限界がありますかね。
想像力頼みですから。ネットの交流って。
だから表現力を高めようとしたり、読み取る力をつけようとしたり、いろんな記事やコメントを読もうと思ってPCにかじりついたりするんですけどね。
僕、ちょっとこれからは、仕事と演劇の活動の方に比重を傾けていく感じになるかもしれません。
でも今まで散々お世話になった皆さんのことを忘れるわけはありませんから。
ちゃんとご活躍は見守らせていただきますし、自分磨きのために、文章塾やブログの場で、引き続き頑張らせていただきます。
ちょっと自分の中で、力の配分の仕方が変わるだけです。
そのせいでご無沙汰になってしまう方も増えるかもしれませんが、僕は元気にやってますからね。ご心配なく。
頑張ってます。
ではでは。
私の春休みは学校と幼稚園が始まって給食も始まる来週からようっ
えーと何言いに来たんだっけ
そうそう
>いろんな人や、「存在」たちと、深く、永く、関係していきたいですね。
そして正直に、真正面からぶつかり続けて、自分を高めていきたいです。
素晴らしい決意ですが
「深く」は余計です
というかその上に「たまに」「時々」「ここぞってときに」などをつけましょう
普段は三歩くらい引いて薄目で眺めることが重要です
(仏像の目はみんなそうでしょ?あれで世界が見えるんですよ)
いいかげん、はネガティブな意味ではなく
まさに「良い・加減」ということです
浅く広く薄く!
中高生の部活ならともかく大人ですから
それが大事です
ここ、ってときにぐっと行けばいいんです
高く飛ぶためには身体をかがめないといけないでしょ?
くそがんばりは百害あって一利なしって
おっしょさんもいってるじゃないですか
ユルくいくのじゃ!
明日は久々に太極拳♪
私もユルーくいきますっ