おっちーの鉛筆カミカミ

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0の平野

2014年02月11日 22時23分19秒 | コラム・批評・エッセイ
 二日、ブログ更新を休みました。
 先日の日曜日に、映画『永遠の0』を観てきました。
 今一番の話題作とも言えます。ご覧になった皆さんの評判を見ると、(エンタテイメント)作品としては素晴らしい、でもテーマ的なところに疑問が残る、といったものが代表的なところと言えますか。
 私の感想をお伝えします。まず、あんなに映画を観て興奮したのは初めてでした。感動しました。エンドロールが流れたところで、呼吸が苦しくなるほどでした。
 皆さんが苦言を呈する、テーマ的なところ、特に特攻隊を美化しているのではないか、という件についての個人的な見解を述べます。私としては、それは感じませんでした。むしろ、それを踏まえて、あの戦争期の歴史を、じっくりと勉強してみたい、という欲求が生まれました。よいきっかけを頂いた、という感謝の気持ちがあります。
 もちろん、観る人によっては、危険な思想のきっかけとなる可能性もあるのかもしれません。そこは、私は専門家でないので、プロの評論家さんや、有識者の皆さんに議論と対応をお任せします。
 けれども、私は今、その時代の日本や、それまでに至る世界の歴史を、勉強してみたい、と思えています。映画や、本、演劇、テレビドラマなどの娯楽作品は、時々、私たちを深い知識の世界に誘うことがあります。ある作品と出会って、感銘を受け、それに関する世界にのめり込んだ、という例は世の中にゴマンとあるでしょう。作品を享受する側、受け手が、そこから刺激を受けて主体的に動く、いわば受動から能動に切り替わるようなケース。私たちは、そういった場面にたくさん遭遇したいと、思うべきだと、私は思います。それは、歓迎すべきドラマです。
 エネルギーがないと、人は動けません。そのことが起こる理由がないと、結果は起こりません。だから私たちは、現実の世界の様々な刺激の中に、積極的に身を投じてもいいのではないかと思います。
 もちろん、そんなことは余計なお世話だ、という人もいると思います。でも私は今、そんなことを考えるのです。怪我をしたり、病気になったり、亡くなったりしたらどうするのだ、と考える人もいるでしょう。そうならない為に、人は生きる上で技術や、知識を身に付けなくてはなりません。
 もちろん偶発的な事故はあります。でも、恐れていたら何もできない。元々人は古来、大自然の中で、素っ裸で生きていたはずです。いきなり何の話をし出すのか、と思うでしょう。しかし、時代が変わっても、生きることに含まれる危険は、リスクは変わらない。私の言いたいことは伝わっていますか。原始時代の人の生き難さと、現代人の背負う生き難さが全く変わっていたら、現代の人が何の心配もなく、楽に生きることができる存在までになっていたら、それは地球のバランスが大きく崩れるのも当たり前です。我々はもっと自然を畏れて、環境を畏れて生きねばなりません。力は何も生みません。大切なのは、和、の心。調和。その実現の為に、私たちは多くを知らなければならない。そんなことを考えるきっかけをくれたこの映画に、キャスト、原作者等を含む全制作者に、私は感謝をしていますよ。
 話がすっ飛んだところまで行ってしまいました。失礼しております。もしこの記事が、誰かが何かを考えるきっかけになれば、嬉しいと思っています。


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