野田秀樹という方がいます。
この方について、「野田秀樹は理想だよねー」と僕の演劇仲間が話していたことがありました。
その話に僕も基本的に賛成です。
では、野田秀樹さんは、どういう具合に「理想」なのか。
「演劇」という多人数の人間が関わってひとつのものを創る、その場所を作るやり方が彼は非常にうまいのです。
それでは場所の空気とは、どのように作られるものなのでしょうか。
やはり、そこを司る一人のひとが作る比重が非常に重いのがほとんどの場合です。
野田秀樹さんは、場を「乱す」のがうまいのです。
彼は自分から率先して、現場で「遊び」ます。そこを司る「長」でありながら、自ら遊び回ってしまうのです。
その場にいる役者(スタッフも?)たちはそれを見て自分も努力して遊ぼうとします。そしてだんだん楽しくなってきて、「遊ぶ」ということの本当の意味を身を持って感じ取るのだと思います。
遊びを観せるのは勇気が要ります。
真面目な方が、批判を受けにくいからです。
演劇は、遊ばないと面白くありません。できた結果として、それを観にきた観客も一緒になって遊んだ気分になるというのが、理想です。
僕の過去の話をします。
僕は、休学2年を合わせて9年間、大学に在籍しました。
その間ずっと演劇をやっていたわけではない―最後の二年半くらいは、病気のリハビリをしながら授業に通っていた―のですが、かなり濃い演劇経験を積ませていただきました。
そこで学んだこと。
自ら率先して動くことは大切です。
そして、「下の者」のやっていることに自分から「入り込む」ことも重要なことだと思っています。
仕事という名を借りて、一緒に「遊んで」しまうのです。
そうすると、みなが生き生きとしてきます。自らの意思で考え、アイデアを出し、成し遂げる楽しさを得るために頑張ります。
これは演劇の世界に限ったことではとどまらない話のようにも思えます。
一つ言えるのは、人は周りを見ながら、自分の行動を選択していく、ということです。
人はとりあえずとして、自分の「上」に当たる人の行動をまねしようとします。だからいちばん「上」の人間はそれらの焦点になるわけで、その行動が注目されるもの―重要なもの―になるわけです。リーダーの存在いかんで、そのチームが成功するかどうかを左右しかねないのです。
それは形の上での「トップ」だけを頂点とするという意味を持ちません。
みなが一目置く存在であれば、それは大きなものになるわけです。
人間の集まりですから、その形成にはいろんな経緯があるでしょう。
それでいいのです。ひとのやること。それに王道はありません。
戦って戦って、楽しんで、苦しんで、泣いて、笑って、少しずつ、獲得し続けるものです。
失うこともあるでしょう。けれども本当に失ってはいません。人間は偉大です。ひとは皆神なのかもしれません。素直になれば。
もう一度言います。人は獲得し続けると思います。
今日はありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
ではでは。
この方について、「野田秀樹は理想だよねー」と僕の演劇仲間が話していたことがありました。
その話に僕も基本的に賛成です。
では、野田秀樹さんは、どういう具合に「理想」なのか。
「演劇」という多人数の人間が関わってひとつのものを創る、その場所を作るやり方が彼は非常にうまいのです。
それでは場所の空気とは、どのように作られるものなのでしょうか。
やはり、そこを司る一人のひとが作る比重が非常に重いのがほとんどの場合です。
野田秀樹さんは、場を「乱す」のがうまいのです。
彼は自分から率先して、現場で「遊び」ます。そこを司る「長」でありながら、自ら遊び回ってしまうのです。
その場にいる役者(スタッフも?)たちはそれを見て自分も努力して遊ぼうとします。そしてだんだん楽しくなってきて、「遊ぶ」ということの本当の意味を身を持って感じ取るのだと思います。
遊びを観せるのは勇気が要ります。
真面目な方が、批判を受けにくいからです。
演劇は、遊ばないと面白くありません。できた結果として、それを観にきた観客も一緒になって遊んだ気分になるというのが、理想です。
僕の過去の話をします。
僕は、休学2年を合わせて9年間、大学に在籍しました。
その間ずっと演劇をやっていたわけではない―最後の二年半くらいは、病気のリハビリをしながら授業に通っていた―のですが、かなり濃い演劇経験を積ませていただきました。
そこで学んだこと。
自ら率先して動くことは大切です。
そして、「下の者」のやっていることに自分から「入り込む」ことも重要なことだと思っています。
仕事という名を借りて、一緒に「遊んで」しまうのです。
そうすると、みなが生き生きとしてきます。自らの意思で考え、アイデアを出し、成し遂げる楽しさを得るために頑張ります。
これは演劇の世界に限ったことではとどまらない話のようにも思えます。
一つ言えるのは、人は周りを見ながら、自分の行動を選択していく、ということです。
人はとりあえずとして、自分の「上」に当たる人の行動をまねしようとします。だからいちばん「上」の人間はそれらの焦点になるわけで、その行動が注目されるもの―重要なもの―になるわけです。リーダーの存在いかんで、そのチームが成功するかどうかを左右しかねないのです。
それは形の上での「トップ」だけを頂点とするという意味を持ちません。
みなが一目置く存在であれば、それは大きなものになるわけです。
人間の集まりですから、その形成にはいろんな経緯があるでしょう。
それでいいのです。ひとのやること。それに王道はありません。
戦って戦って、楽しんで、苦しんで、泣いて、笑って、少しずつ、獲得し続けるものです。
失うこともあるでしょう。けれども本当に失ってはいません。人間は偉大です。ひとは皆神なのかもしれません。素直になれば。
もう一度言います。人は獲得し続けると思います。
今日はありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
ではでは。
わざわざ返信コメントサンキューソー。
そうか出張なんだあ。大変だね。(僕はまだ契約社員なのでそういうのはない)
復活待ってまーす。
ではでは。
すいません!
2月3月は出張につぐ出張で、ブログを書いてもコメントができないといけないから、いっそのこと休止させてもらいましたー。
またキリよくなったら始めますので、その時はよろしくお願いしまーす。
ただコメントが書けなかったのでびっくりしただけです。
お気になさらないでくださいね。
ではでは。
テンプレートmukaさんと同じで感動しました。
だけど、
コメント書けないところまで真似すなっ。
mukaさんのとこだけでもフラストレーション溜まっているというのに。
そういう機能の付随してるテンプレートなの?
そうなんかなあ~?
早く、なくてもいいけど、まあ適当なとこで復帰してね。
ではでは。
何か言い忘れたと思って心に引っかかっていました。
これからもよろしくお願いします…
ではでは。
ぎんなんさんのおっしゃる通り、笑って読み流しますが、せっかく一文ぎんなんさんが書いてくださったんですし、一応返答をします。
あのですね、確かにぎんなんさんのおっしゃることはもっともだと思うんです。正しいです。
ほんとおっしゃる通り、劇団とバンドではメンバー構成員間の関係の性質がまったく違いますね。それはそうなんです。
ただ、僕がこの文章を書くときに視野に入れていたものは、TUBEのメンバーだけではないのです。
所属会社の社長、スタッフなどを含めたTUBEという神輿を担ぐ全ての人にささげる一文なのです。
そういうわけですみません、誤解を与えてしまった、言葉が足りなかった僕が悪いのですが、…ごめんなさい。
それを受けて、もう一度僕の記事をもしか読んでいただけたら、また変わった感想をもたれるかもしれませんね。
そしたらよかったらまたコメント書いてみてください。
よろしくお願いいたします。
ではでは。またのお越しをお待ちしております…
すねてるとも怒っているとも感じていません。
文字でその人のキャラクターを出すって難しいですよね。
僕もそれには苦労して、ようやく最近になって落ち着いてきたかな、と感じています。
はっきり言って、直に話すのとネットのように文字だけで個性を出すのとはまったく出てくるキャラクターは違うと僕は思っています。
長い間付き合ってると同じになってくるのかもしれないですけれどね。でも全然違うと思います。
やっぱり20年近く付き合ってる友達でも、こんな文章書くんだ、意外ー。ということはよくあります。
直接会ったときに伝わる個性と、文章だけで付き合うときに感じるキャラクターは、やはり違ったつくりになるんだと思います。
だから僕はある程度は計算することもあります。
計算といっても打算的なものではなくて、自分の本音を伝えるには、どういった言葉を選んで書けばいいか、ということを熟考しながら文章を書くのです。
以前はそのせいでコメントを書くのにやたらと時間がかかっていましたが、最近は慣れてきて、だいぶ速く、思ったことが素直に文章で表現できるようになりました。
ヴァッキーさんの「本性」は、もうこれは今までの記憶から想像するしかないのですが、会ったらひと目でわかりますよね。百聞は一見にしかず。
そういうわけでいつかお会いしましょうねー。
最後に、コメントの返事遅れてしまってごめんなさい。
文章塾やヴァッキーさんブログの方にばかり目がいってしまって、足元の自分のブログのコメントをチェックすることをすっかり忘れていました。
それからこのヴァッキーさんのコメントへの返事は、携帯ではなく自宅のPCで書きたいな、と思ったのも遅れた理由の一つです。
そういうわけで、これからもよろしくお願いします。
鉛筆カミカミでした。
ではでは。
デビューしてからのメンバー脱退は、夫婦が離婚するようなもの」
とか言ってたのは、パール兄弟のサエキけんぞうだったような。
鉛筆さんの論はあらゆる組織にも流用できるものだと思うのです。
ただ、「バンド」という組織は特殊なのかもしれません。
上では恋人や夫婦に例えています。例えば劇団とバンド、例えば会社組織と恋人、家族では、どこが違うか?
それは「役割として取り替えがきくか」ではないかと思うんです。
劇団は監督、役者、裏方のスタッフ等大勢で成り立っています。例えば裏方の一人が辞めてしまったら、劇団は、公演内容は全く別物になってしまうか? 実際、なりませんよね。役者の一人が降板しても、代役を立てて続けていける。
大抵の組織は、個々の構成員は「役割」を担い、その役割・能力が同じであれば構成員自体は代替可能です。
じゃ、いきなり一対一であれですが、恋人の場合は?
恋人と別れました。次の異性と付き合い始めました。別れた恋人も今の恋人も「恋人」という役割は同じです。じゃあ、昔の恋と今の恋は同じか?
同じではあり得ないですよねぇ。違う人間なのだから。
鉛筆さんの論は正しいと思います。ただ、それが「TUBE」に当てはまるかという点は疑問に思っています。
TUBEは確か「絶対に解散しない」と言い切っていたはずです。そういう組織のものの作り方は、劇団と同じようにはいかないのではないでしょうか?
劇団は、トップに賛同しない人間は辞める事ができるし、劇団もメンバーを入れ替えて存続していけます。
バンドは、メンバーが抜けた時点で終わりです。新メンバーを加えても加えなくても、それからのバンドはある意味「別物」です。
そういう組織の、ものづくりの方法論は違ってしまうんじゃないかなと思うのです。もしかすると「いいもの」を作る事より組織として存続する事のほうが優先するかもしれない。
なんせ、たった4人なのですから。
もちろん当てはまらないバンドも、プロジェクト形式をとっているバンドも、いるんでしょうけどね。
そんな事を思ったので書いてみたのです。
長々と書いておいてなんですが、思いつきなので笑って読み流してください。
ではではー。
さっきはいろいろと
ヘンテコでわからず屋な主張(ってほどじゃありませんが)をわめき散らして、しかも気を使わせてしまったみたいで、すいません。
ボクは、本当はもっとやわらかく、楽しげに話すんですが、それが文字になるとそのヒョウヒョウとした持ち味がでないようです。
それで、すねてるようになるんでしょうが、そんなことないんです。
怒ることもないし。
でも、文字でそれがうまく表現しきれません。
ボクは前から、文章塾では落ちこぼれ塾生なのだと思ってるんです。
しかも、たちの悪いことに、不良にはなれない弱虫なんですね。
でも、そんなボクをいつも禿げ増して、いえ、励ましてくれてありがとうございます。
それがなんだか言いたかったんです。
まいっか。
「ヴァッキーノさんへ。」です。
上の記事みたいなことなんて、みんな知らないうちにやってることなんですよ、きっと。
それをわざわざ文章という形にしているから目立って見えるだけなんだと思います。
こんなことだけで生きてたら人間つぶれちゃいます。深呼吸しないと。ダラダラしないと。
そういうわけでいつもコメントありがとー。じゃあまたー。
ボクもマジメな方だと思いますが、鉛筆カミカミさんみたいに正直なマジメさがないんです。
それは、きっと致命的なことなんだと思います。
どう致命的なのかといえば、ボクの場合、例えばおもちゃ箱をひっくりかえしてガチャガチャにして遊んだあげく、すぐに飽きてしまって散らかしっぱなしにしてしまうような所です。
多分、頭の中もそんな感じなんじゃないかって思うんです。
よーし、あと片付けしよー。