僕は、自分の理解できないものを特別扱いして、自分と(簡単に)区別してしまうのが嫌いです。
僕は、中学の頃クラスでずっと一番の成績をとっていました。
だからみんなは言います。
「おっちーはすごい。やつは違う」
違うんです。みんな同じなんです。ただ、置かれている状況と、アドバンテージが少し違うだけで、中身はみんな同じなんです。
それをわかってくれない。
自分と違うだけで、軽い「差別」をする。
それは自分を保つ為に、楽な道です。
でもその「差別」された本人にとっては、どうでしょう。
とても孤独なんです。
理解されない。理解しようとしてくれる、その行為自体を放棄されてしまう。
だから僕は、全ての人を自分と置き換えて、ものを考えます。理解するように努めます。
わからなかったら、話し合います。理解しようと、努力します。
あとは想像力です。努力を怠ってはいけません。
楽なことは、幸せにはつながらないのではないかと、僕は考えます。
ではでは。
僕は、中学の頃クラスでずっと一番の成績をとっていました。
だからみんなは言います。
「おっちーはすごい。やつは違う」
違うんです。みんな同じなんです。ただ、置かれている状況と、アドバンテージが少し違うだけで、中身はみんな同じなんです。
それをわかってくれない。
自分と違うだけで、軽い「差別」をする。
それは自分を保つ為に、楽な道です。
でもその「差別」された本人にとっては、どうでしょう。
とても孤独なんです。
理解されない。理解しようとしてくれる、その行為自体を放棄されてしまう。
だから僕は、全ての人を自分と置き換えて、ものを考えます。理解するように努めます。
わからなかったら、話し合います。理解しようと、努力します。
あとは想像力です。努力を怠ってはいけません。
楽なことは、幸せにはつながらないのではないかと、僕は考えます。
ではでは。
いや、ほんとに学生時代の成績なんて、社会に出たら関係ないですよ。
大人になってからいろんなものに触れて勉強したり、勉強はめんどくさいからしなかったけど、実は頭の回転がすごくよかったりして、思わず尊敬しちゃう方なんてたくさんいらっしゃいますもの。
かくいう僕も高校に入ってからは下から数えた方がぜんぜん早い成績でしたし。
ヴァッキーさんは大丈夫だと思いますよー。
なんてエラそうにすみません。。。
ではでは。
優等生のバカー!
ボクなんて
ボクなんて
中の下でしたよー!
いや、
下の中か?
サインコサインなんて
セブンイレブンと同じじゃーん!
うえーん(風呂
20台の後半丸々すっ飛ばして今30台ですから、成長するヒマ―大人になるヒマ―がなかったのです。
>その場面場面で違う自分を楽しむ
そこまでの余裕はないなー。想像はできるけど。まだまだ経験不足です。
>「あ、そう思われてるんだ。でも私は実は…むふふ」
これはものすごくおさかさんらしいせりふですねえ。
僕はまだまだ人から見られている自分が、自分の考えている自分と一致しないと納得いかない部分があります。
で、相手をあの手この手で説得したがる。
それから他人に対しても、まだまだ自分の方に自分の方にと引き寄せたがるところが抜けていないような気もします。
これはだいぶなくなったかな、とも思いますが。
お忙しい中コメントありがとうございます(笑)。
また読みにきてくださーい。
ではでは。
孤独ってそんなに悪いことかな?
人と違う部分があるのは仕方ない
私も優等生でしたから(ほほほ)時々馴染めない場面もあったりして落ち込んだ若い日もありましたことよ
大人になってからは
無理にあわす必要はない、と自覚
その場面場面で違う自分を楽しむ
ということもできるようになりました
「人から見える」自分ていうのも確かに自分ですよ
自分で思ってるのと違う部分があるのも楽しいじゃないですか
「あ、そう思われてるんだ。でも私は実は…むふふ」
って言うの楽しくない? え、あたしだけ?
でもみなさんの言葉をいただいて、前向きにやれそうです。
ありがとう。
ほんと、以前も言いましたが、僕って恵まれた環境にいるなあと思います。
ほんとにありがとう。
いつかビックになります!!(笑)
いつかみなさんに恩返ししますから。どうにかして。
頑張ります。
ではでは。
相手の我儘に付き合うことではなく、常に愛という行為で報いること。 僕も当たり前ですが人間なので、なかなか感情をコントロールすることが難しいです。
でも、よ~く心に留めておきたい言葉です。
バランスですね。ベストを尽くします!!
この文章にはもう少し続きがあります。
宜しければ読んでみてくださいね。
ではでは。
他人と自分を比べちゃいますよね。
些細なことでも何気に比べてしまいます。
なんの影響もないのに、
ちん○ぽこの大きさまで比べるってんだから、他人は本当に自分を映す鏡なのかなあって思うことがあります。
他人は自分を測るものさしかもしれないですね。
しかしです、しかしです。意識はいつも流れていなければいけない。それは流れない永遠のところからのことですから、いつも逆説的に意識的に止まらないと流れのどの辺かと迷うばかりではないかと思うのです。そうです、要はバランスです。一方だけだと逆に落ちて行くのです。そのバランスとは、いのちの息です。吐いて吸う、吸って吐く。そしてその間に止まるときがある。それが永遠です。そして永遠ばかりだと死んでしまいます。そのバランスです。
集中するものと弛緩すること。理解とは知っていたことを思い出すこと。要するに自分の内にすべてがあると思い、すべてを慈しむことかもしれません。
それは相手の我儘に付き合うことではなく、常に愛という行為で報いること。
より一層、あなたがきらきらとひかり輝きますように。